友人と昼食を共にするため、久しぶりに赤坂を訪れる。赤坂見附界隈の路地は相変わらず飲食店が密集しているのだが、よく見ると店のほうは入れ替わっていたりする。どこでも同じだが、ひとつの商売を続けていくというのは容易なことではない。今日は店を決めていたわけではないので、待ち合わせで合流してから「どこにしようか?」という会話の中でネボケに行くことになった。都内に複数の店舗を展開する土佐料理の店で、たまに利用している。同じ資本が運営する店舗で酔鯨亭というのがあるのだが、こちらはネボケより少し高級な感じの店だ。実は、社会人になって初めて自分で接待というものをしたときに使ったのが、当時、新宿にあった酔鯨亭だった。そこはネボケに転換されて現在も営業している。まだ入社2年目くらいで、当然ながら接待の場合には自分の上司に同行願った。店の選択に問題がなければ、翌日の朝、上司から「お、熊本君、昨日はご苦労様」と声がかかる。問題があると、「お、熊本君、昨日はちょっとなぁ」ということになる。初めての酔鯨亭は「ご苦労様」のほうだった。
昼食の後、友人は会社に戻るというので、話をしながら一緒に歩く。彼はかつての職場の同僚なのだが、仕事上の接点もなく、年齢も離れている、にもかかわらず何故か話題が尽きない。アークヒルズのところで別れて、私はそのまま新橋へ向かう。人材斡旋会社の人と会うことになっており、その会社には約束の時間を若干過ぎて到着した。その建物は、かつて仕事で担当していた精密機器メーカーの東京支社が入居していたものだ。仕事の関係で何度も訪ねたことがあるのだが、建物は同じでもテナントがすっかり入れ替わっていて驚いた。ふと、あの頃の担当者のことが思い出された。年齢的には既に定年を迎えているはずだが、今頃どうしておられるのだろうか。
昼食の後、友人は会社に戻るというので、話をしながら一緒に歩く。彼はかつての職場の同僚なのだが、仕事上の接点もなく、年齢も離れている、にもかかわらず何故か話題が尽きない。アークヒルズのところで別れて、私はそのまま新橋へ向かう。人材斡旋会社の人と会うことになっており、その会社には約束の時間を若干過ぎて到着した。その建物は、かつて仕事で担当していた精密機器メーカーの東京支社が入居していたものだ。仕事の関係で何度も訪ねたことがあるのだが、建物は同じでもテナントがすっかり入れ替わっていて驚いた。ふと、あの頃の担当者のことが思い出された。年齢的には既に定年を迎えているはずだが、今頃どうしておられるのだろうか。