熊本熊的日常

日常生活についての雑記

凶を引いたら

2011年12月17日 | Weblog
Aero Conceptの菅野さんの工場にお邪魔させていただいた。菅野さんと知り合ったのはネット上のこと。私がロンドンで暮らしていた頃、たまたまあるサイトで菅野さんのことが「物に恋する板金工」というタイトルで紹介されていた。そのなかで引用されていた菅野さんの言葉が気に入ったので、このブログに御本人やそのサイトの著作権者の許可も取らずに引用させていただいた。すると驚いたことにご本人からコメントを頂戴したのである。以来、メールでのやりとりがあって、2009年1月に私が帰国してから、こうしてたまに工場のほうへお邪魔させていただくようになった。

土日は工場のほうは休みなのだが、菅野さんは出社されていることが多いらしい。そのほうが落ち着くのだそうだ。休日の静かな職場で考え事をするというのは誰しも経験があるのではないだろうか。私もそういうことがあったし、身の回りにも休日出勤は「病み付きなる」という意見は少なくない。尤も、勤め人の休日出勤と経営者のそれとはわけが違う。そこへお邪魔するのも、文字通りお邪魔だろうとは思うのだが、「いいよ」と言われると、厚かましいのは承知の上でいそいそと出かけてしまうのである。

特にこれといった話があるわけでもないのだが、とりとめもなく楽しく会話をさせていただく。今日は13時半頃から17時近くまで工場の事務所棟で過ごした。菅野さんがテレビや雑誌などのメディアに登場するときはご連絡を頂くのだが、私はテレビを持っていないので、今日はそうした番組を記録したDVDを2枚お土産に頂いた。ひとつは全日空の機内エンターテインメントシステムで放映されている「発想の来た道」という番組で、もうひとつは11月23日に放映された「嵐の明日に架ける旅」だ。それと、工業高校の校長先生の集まりの機関誌のようなものに原稿の依頼を受けて書いたものの、ボツにされてしまったという原稿も拝見した。これは多少手を加えたものが来月発売の「Japanist」という雑誌に掲載されることになっている。菅野さんは筋の通った人なので、発言や書いたものにブレが無い。だから、お話をさせていただくとなんとなく安心して元気を頂くようなことになる。特に今は失業中なので、なおさらお時間を頂けたことが有り難かった。

「嵐の明日に架ける旅」でのお話と「Japanist」の原稿のメッセージは基本的に同じだと思う。番組のほうは松本潤が聞き手となっていたので、若い人に噛んで含めるように語っている温かな印象がある。Aero Conceptを立ち上げる契機となったのが倒産だったという話に続いて、何故あきらめずに自分が作りたいものを作ろうと思ったのかと問われて、このように答えていた。
「自分を信じてあげるんだよ。世の中がああだとかこうだとか言ったってさ、自分が信じていることがあるじゃないか。それを信じるんだよ。自分の好きなことをやりなさいって。世の中にはいろんな意見があったり、いろんな考え方があって、いろんな常識って言われることがあるんだけど、意外と常識なんてことはおかしいことがいっぱいあると思うよ。自分が信じていることをやればいいんだ。一度やればいいよ。一回だけの人生だから、いくら凶が出たって大丈夫。必ずひいいていけば大吉が出るから。」

最後のところの「凶」だの「大吉」だのというのは、この場面の前に菅野夫妻と松本がもんじゃ焼きを食べながら語り合うところがあり、そこで松本が菅野さんの奥様に「菅野さんはどういう人ですか?」と質問したところ、奥様が「おみくじを引くときに凶が出ると大吉が出るまで買い続ける」というエピソードで人となりを紹介しているのを受けている。文字に起こすと語りの雰囲気が伝わらないのだが、このDVDを持ち帰って家で観たとき、取材が10月で放映が11月という事実にもかかわらず、なんだか今の自分に対して言われているかのように感じられた。

「発想の来た道」のほうは、菅野さんのブレない理由がなんとなくわかる言葉が印象的だった。
「このカバンがもっと厚いほうが売れますよって、嫌いな人を好きにさせるでしょ、世の中の物の売り方っていうのは、ね。10人いて4人が好きで6人が嫌いだったら、なるべく五分五分にしろよと、五分五分になったんだから逆転で六四にしろよと、七三にしろよと、こういうふうに言うわけじゃないですか。で、僕はそれをやりたくないわけですよ。その人が感じてくれた通りで、それが一番いいんだろうなというふうに思ってますね。」
「便利じゃないこと、面倒なことがあったりしてもね、その面倒なことが自分の心を豊かにするってことも世の中ってあると思うの、生きてると。そこ大事だなぁと思うの。だからあんまり、こう便利ですよ早いですよ効率的ですよって、それが大きな価値ですよって言っていると、人が今度は人をそういうふうな目で見るんじゃないかなって、社会も見るんじゃなかなって。会社も人に対してそういうふうに見るんじゃないかな、人も会社に対してそういうふうに見るんじゃないかなっていうね。」
「楽しいなかからじゃないと豊かなものってのは生まれないしね。こういうなかから何かが出来てくるかもしんないね。」

ちゃんと生きている人の言葉は経験に裏打ちされた強さがあるので、心に染み入る。菅野さんにお会いするまでは考えたことが無かったのだが、本当に自分にとって良いものというのは、それを持つことで自分の生き方を思わず問い直すようになるようなもの、考えるという行為を要求するものなのではないかと思うようになった。ふと城山三郎の小説「わしの眼は十年先が見える 大原孫三郎の生涯」のなかで紹介されている孫三郎の息子の總一郎の美術や美術館に対する考え方を示すエピソードを思い出した。
***以下引用***
 家元制度への批判もあって、孫三郎が所蔵していた茶道具の名品の数々も、
「わしゃ、きらいじゃ」
 の一言で、ほとんどを売り払い、その金を大原美術館のための絵の購入や、増資の払いこみに当てた。
 また絵の収集に当たっては、孫三郎とちがい、一家言あり、独創的なものかどうかをその尺度にした。
 たとえば、戦後間もなく黒田清輝の「舞妓」を五十万円でという話が来たとき、
「要らん。うちの美術館には要らんのだ」
 總一郎は担当の藤田愼一郎(現・館長)に言い、
「わかっとるだろう。わしゃ、黒田は認めんのだ。あれは印象派のエピゴーネンで、テクニックだけなんだ」
 後年、この「舞妓」は重要文化財に指定された。藤田がそれを残念がると、總一郎は、
「ばか。そんなものは役人が決めただけだ。わしの考えとはちがう。そんなもの集めていたら、頭の中に蜘蛛の巣がはる」
 さらに念を押すように、
「うちの欲しいのは、革新的なものだけだ。見る人に問題を提供して考えてもらう。それが美術館というものだ」
***以上引用 (城山三郎『わしの眼は十年先が見える 大原孫三郎の生涯』新潮文庫 304-305頁***

たぶん物とか美術品だけのことではあるまい。物事を考えさせるような人とどれほど関係を持つことができるかということが、人生の豊かさのひとつの尺度だと思う。