熊本熊的日常

日常生活についての雑記

パリの三ツ星

2011年08月12日 | Weblog
職場で隣の席の人が来週から再来週にかけて休暇でパリへ出かける。料理の勉強をしている人なので、彼の地で有名な料理学校の体験コースを受講したり三ツ星レストランを訪れることになっているのだそうだ。行ってみたいレストランが2つあって、片方は予約が取れたが、もう片方は休暇中らしく留守電になっていて予約できなかったという。その予約が取れたほうのレストランはウエッブサイトがあって、
「ね、ね、みて、みて」
というのでふたりでしばしの間そのサイトを眺める。なるほどよくできたサイトで、関心したのは「Le film」という動画だ。朝、食材を仕入れて、夜、客を送り出すまでの1日の様子を5分ほどにまとめてある。淡々と仕事の様子がBGMに乗って映されているだけで、台詞やナレーションがない。商店の広告映像にしては冗長に感じられても不思議ではない長さなのだが、それ自体が一つの映像作品として楽しむことができる内容なので、見とれてしまう。

予約をして誰かと食事をするというようなことが久しくないので、世の中のそこそこのレストランというものがどこもこのようなサイトを持っているのかどうなのか知らないが、ミシュランの三ツ星というのは相当な権威であるらしいので、それを獲得するほどの店というのはサイトにまでこれほどの完成度があるということなのかもしれない。一方で、彼女が予約できなかったほうの三ツ星レストランはサイトを持っていないのだそうだ。料理店は料理と店でその価値を世に問うものであって、宣伝広告などに注力する余力があるなら、それは料理と店に注がれるべきだ、ということなのかもしれない。それはそれとして納得のいくあり方だと思う。

そのGuy Savoyの動画を眺めていたら、映画が観たくなってきた。このところ映画を観ていないので、この週末にでも出かけてみようかと思う。

そういうこと

2011年08月11日 | Weblog
まずは、今日読み終わった本から引用させていただく。

***以下、引用***
 まわりの人々との相互参照・模倣を通じて、自分の立ち位置を決め、つねにマジョリティと行動を共にすることを生存戦略として採用する人間は「おのれの単独性を引き受ける気がない」。これはどなたもおわかり頂けるであろう。
 おのれの単独性を引き受ける気のない人間ばかりで構成された社会が大衆社会であるということ、これも納得がゆくはずである。
 しかるに、そのような社会は必然的に無数の小集団に分裂してしまう。
 自己判断せず、マジョリティと共にあることを原則としている人間ばかりで構成された社会は四分五裂してしまう。「癒合」する社会とは「分裂」する社会なのである。
 不思議に思われるかもしれないが、考えてみればわかる。
 マジョリティと行動を共にする人間は、とりあえず隣にいる「声のでかい奴」の言い分に「はいはい、おっしゃるとおりです」と一も二もなく服従してしまう。こういうタイプの人間は「マジョリティ」に付き従っているつもりで、実はきわめてローカルな「声のでかいやつ」に付き従っているだけ、ということがあってもそのことに気がつかない。
 なにしろ、彼は自分や隣人やさらにその隣人たち全体を含む社会を鳥瞰的に見下ろすような「マップ」を持っていないからである。
 自分の単独性を引き受けることができないということは、言い換えれば、自分が「どのような仕方で、他の誰によっても代替できない固有の存在であるか」を言うことができないということである(それがわかっていれば、誰も隣の人間の真似などしはしない)。
 つまり、大衆とは自分を含む社会全体の「地図」の上の自分の立ち位置を「私はここにいます」と指すことができない人間たちだということである。
***以上、引用(内田樹「知に働けば蔵が建つ」文春文庫 76-77頁 「貴族と大衆」)***

そういうことか、と思った。自分の身の回りのことも、この国の政治のことも、この大衆というものについての説明で了解できる。政治家というと、なんとなく特別な人のような気がするが、我々の暮らす大衆社会を個別具体的かつ象徴的に体現する存在なのだというふうに理解すれば、あれはああいうふうにしかならないというように納得できてしまう。

政治を批判するとき、ビジョンがない、というようなことが言われるが、ビジョンを持った政治家が大衆社会の代表者たりえないということは自明のことなのである。

東京で暮らしていると、景気の悪い話ばかりで、殊に3月の震災と原発事故以降は電力消費を控えるために冷房の温度を高めにしたり、昼間の電車を間引きしたり、夜間の街灯を減らしたり、どよんとした雰囲気をさらに重苦しくするようなことになっている。えらいことになったもんだなぁ、と汗をぬぐいながら日常の風景を眺めているが、そのえらいことになっている国の通貨が買われていて、今や過去最高の円高水準だ。外国為替相場というのは、世界の資金が比較的安全なところへ移動する姿を映すものなので、なんだかんだ言っても、この国が世界のなかではマシなほうだ、というのが世界の人たちの評価であるといえる。ということは、米国や欧州はトンデモナイことになっているということなのだろう。

世界がトンデモナイことになっているなら、そのなかにあるこの国もやっぱりトンデモナイということなのである。比較すればマシということは、あまり救いにはならない。かといって、世界が沈没するなかでは逃れる先がない。どのようなことであれ、物事には終わりというものがある。まぁ、仕方がないか、と思っていたら、ロンドンで暮らしていた頃に住んでいたところの近所の映画館から毎週送られてくるメルマガの先頭に載っている作品が「Rise of the planet of the apes」だった。

こわれゆく世界のなかで

2011年08月10日 | Weblog
そういうタイトルの映画があった。原題は「Breaking and Entering」なので、別の邦題が与えられていたら、今思い出すことはなかったかもしれない。その作品の舞台もロンドンだったが、ロンドンは今、映画のタイトル通りのようなことになっているらしい。日常業務では、2人のロンドン在住の同僚とネット上で一緒に仕事をしているが、片方は郊外で在宅勤務であり、もう片方はパディントン駅近くに住んで、時々在宅、時々職場へ出勤しながら生活している。我々の勤務自体に、今のところは特に暴動の影響というようなものはない。

このブログの2007年9月23日から2009年1月9日までの分がロンドンで書かれたものである。マンチェスターで暮らしていたのは1988年6月から1990年7月にかけてなので、このブログにその当時の記載はない。ブログの有無はともかくとして、彼の地での生活体験に照らしてみると、報道されている暴動の記事を読んだり写真を見たところで、そういうこともあるだろうな、という程度の感想しか浮かばない。暴動が発生した場所を地図にプロットしたサイトがある。それを眺めてみて、意外感を覚えたところはひとつもなかった。

報道のなかには、経済政策の失敗であるかのような書き方をしているものもあるようだが、これはそういう昨日今日の話ではないと思う。かなり微妙な問題なので、匿名とは言え、ブログという社会に公開されているメディアに思うとろを正直に書くのは、やはりやめておいたほうが良いだろう。

以前に書いたかもしれないが、特にロンドンでの生活で感じたのは、そこが東京の近未来の姿ではないかとの印象だった。イギリスは歴史的には世界の先頭を切って工業化とそれにともなう国富の増大を経験し、世界の全ての大陸に領土を保有していた時期もあった。そして、やはり先頭を切って国力の衰退を経験している。ロンドンの街を縦横に走る地下鉄は、毎週末にどこかしら区間運休をして徹底した保守点検作業を実施しているにもかかわらず、毎日どこかしらで故障や不具合が発生して運行が乱れている。それは保守が追いつかないほど老朽化しているということなのかもしれないし、鉄道というシステムを安定的に運用するに足る規律が失われているということかもしれない。中国の国威をかけた新幹線が開業数年で乗員乗客の死傷を伴う事故を起こしたのに対し、日本の新幹線は1964年の開業以来、死傷事故を発生させていないばかりか、3月の震災においてはあの激震のなかで営業中の列車の脱線事故が1件も発生しなかった(回送中の車両の脱線は1件あった)。鉄道は車両や軌道の技術的要素の集積もさることながら、運行する人間の規律が安全の要になる。システムというのはそういうものだ。ロンドンの地下鉄も定時運行が当然であった時代があるはずで、とりあえず動いているという今日の状況の背景には国として文明としての老朽化が少なからず影響していると思うのである。新幹線は定時運行が守られていても、山手線や中央線が定時運行を実現した日というのは久しく無いのではなかろうか。国鉄が民営化されて鉄道事業として利潤追求が当然に求められるなかでコスト削減のために人員が減らされている、あるいは、人身事故が多いという事情があるにしても、運行可能であるはずのダイヤを守ることができないということが、この国の文明の疲弊を象徴しているのではないかとも思うのである。ここで言う「文明」とは、梅棹忠夫の「建築や道具などの装置系と政治や経済などの制度系で構成されているシステム」という定義を念頭に置いている。

鉄道システムが特殊なものなのか、ある文明を象徴するものなのかということは改めて議論が要求されることだと承知している。ただ、私にとっては、毎日利用している鉄道のシステムとしての信頼性や、駅や車両の清潔度が、自分の属する文化や文明の何事かを象徴するものなのである。定時運行できない山手線は、この国の未来の暗示として私のなかで認識されているのである。そういう眼でロンドンの地下鉄を見ていた者にとっては、あちこちで暴動が起こって商店が略奪を受けるという現在の状況は、その規模の大小にかかわらず、驚くべきことではないのである。3月の震災では、略奪行為が皆無であったとは考えられないが、総じて秩序が維持された日本でも、このまま文明の衰退が続けば、ああいう事態に陥るのは自然なことのように感じられる。ロンドンの暴動はバーミンガムやマンチェスターをはじめとする英国各地に飛び火したが、同じ文明のなかで、その文明のありようを示す現象が転移するのは当然のことだろう。「グローバル化」という言葉は近頃死語になりつつあると感じられるほどに当たり前のことになっているが、世界が文明を共有する方向に動いているとするなら、それが英国という枠を超えてパリやベルリン、ニューヨーク、そして東京に飛び火したって違和感はないはずだ。

物事には終わりというものが必ずある、と思う。生物のなかには老化のないものもあるらしいが、そうしたものも生態系の食物連鎖のなかで捕食されてしまうため、増え続けることはないのだそうだ。どういうわけだか知らないが、時間というものを意識するとき、我々には過去より現在、現在より未来を自分にとって都合の良いように思い描く傾向があるような気がする。どの時代のどの場所に生まれてもそうなのか、未来を明るくイメージするにはそれ相応の条件が必要なのか、ということは知らない。ただ、この国に居て見聞すること、例えば、国や企業の「ナンか年計画」のようなものや政策方針のようなものはどれも未来が今よりも自分たちにとって好ましい状況にすることを目標にしているし、「ボクのユメ、ワタシのユメ」というようなお題で子供に絵を描かせたときに画面に展開されるのは楽しげな風景であることが殆どだ。未来を明るくイメージするというのは、滅亡を運命づけられているものの自己防衛本能によるものなのではないだろうか。明るい未来を信じないことには精神の平衡を維持できないということだと思う。

笑い事ではない

2011年08月09日 | Weblog
来年の話をすると鬼が笑う、という。12月決算の会社にとっては、ちょうど今頃から来年の予算を立てる作業が本格化する。世間には、夏休み、とか、盆休みなどと牧歌的な雰囲気がないわけでもない。しかし、これまでの50年近い人生経験に照らすと、自分の生活に大きな影響を及ぼすようなことは、牧歌的な時期に静かに進行していることが多かった。私が食い扶持を得ている勤務先は12月決算で、まさに来年の予算策定作業が進行している、らしい。折しも、世界的な株式市場の暴落、過去最高水準の円高、同業他社比で異様に膨れ上がっている間接部門、などと所謂「リストラ」が実行に移される環境が整っている。今日耳にした噂によれば、X-Dayは9月某日だそうだ。

青空市を訪ねて頂いたお客様のなかに、以前の勤務先の上司がおられた。はるばる松戸から猛暑炎天下のなかをご足労頂いて、それが土曜の商品が比較的豊富な時ならまだしも、日曜の品薄のときで、すっかり恐縮してしまった。以前の勤務先も今の勤務先も同じ業種なので、当然、会話のなかで

「仕事の方はどう?」

というようなことになる。そちらのほうは私が勤務していた頃から間接部門はこれ以上人を減らせないというほどの少人数だったのだが、それでも乾いた雑巾を絞るようなことが行われているのだそうだ。それに引き換え、私の現在の勤務先のほうは、およそ経営の常識では考えられないような肥大ぶりなのである。人は見たいと思う現実しか見ない、などという。さすがにこれほど明白な現実が目の前にあれば、見たくなくても見えてしまう。そのときに備えて職探しといっても、いまさらあてがあるはずもない。自分でなんとか食いつなぐ手だてを考えるよりほかにどうしようもないのである。とりあえず、首は洗っておこう。

鬼が笑う

2011年08月08日 | Weblog
今日は立秋。そろそろ正月のことを考えないといけない。来年も1月に作品展を開くとすると、今から準備を始めないと間に合わない。今年は年初から一個挽きで大きめのものばかり作っているので作品の絶対数が少ない。その少ないなかから、昨日と一昨日の青空市で20数点販売してしまったので、在庫が殆どない。これはたいへんありがたい状況である。喜ぶべきことである。自分が作ったものを評価していただけるというのも、もちろんありがたいことであるし、作ったものが手元に残らないということは、新しいことを考える妨げがないということでもあるという意味でも、喜ばしい。

「坂の上の雲」のなかにこんな言葉が登場する。
「…たとえば軍艦というものはいちど遠洋航海に出て帰ってくると、船底にかきがらがいっぱいくっついて船あしがうんとおちる。人間も同じで、経験は必要じゃが、経験によってふえる智恵とおなじ分量だけのかきがらが頭につく。智恵だけ採ってかきがらを捨てるということは人間にとって大切なことじゃが、老人になればなるほどこれができぬ」(中略)「…おそろしいのは固定概念そのものではなく、固定概念がついていることも知らず平気で司令室や艦長室のやわらかいイスにどっかとすわりこんでいることじゃ」(司馬遼太郎「坂の上の雲」文春文庫 第二巻 324頁)

どれほど些細なことであっても、自分が何事かを成した、という感覚を得ることは、成功体験として自我を支えると同時に、そのときの諸々の偶然の幸運には目をつぶり、自分自身の何事かについてのささやかな能力を過大評価する材料になるものだ。己に対する信頼感を醸成することは、生きていくうえでの居心地を整えるのに有効だが、刹那の満足に執着すると現実を見失い、その満足を帳消しにしてあまりあるほどの災厄を招くことにもなりかねない。

自分が作った有形無形すべてのものが、作ったそばから離れていく、というのが私の理想の生活だ。ものごとへの執着というのは、そう簡単に捨て去ることができるものではない。どれほど些細なものであっても、執着心は人を醜くする。容易なことではないからこそ、執着を捨てることは理想なのである。

話が大袈裟になったが、在庫を持たないのは好ましいことで、醜い奴は嫌いだということが言いたかっただけだ。

「でみせでみせて」

2011年08月07日 | Weblog
青空市二日目は商品を並べる台の大きさを半分にする。陳列のボリュームが商売という観点ではそれなりに重要であることは承知しているが、並べるものが無いのだから仕方ない。幸か不幸か、今日は昨日にも増して暑さが厳しく、そもそも人通りがいつにも増して疎らだったので、商品を並べた後は、コーヒー豆の手焙煎を眺めていたり、それが一段落した後は13時頃まで店の中で過ごした。外に戻ってほどなくして、学生時代の友人が大汗をかきながらやってきた。一緒に店でカレーライスを食べながら歓談をしているうちに、カフェのほうの客が増えてきたので、邪魔にならないよう場所を空けるべく席を立った。彼が帰るときに1枚買ってくれて、今日は売上ゼロにならずに済んだとほっとすると、昨日来店していただいたお客様が何人かやってきて、今日もひとつづつ買っていただいた。その後、新規のお客様も現れて、今日の売上は5枚。在庫を持ち帰るのにどうしようかと心配していたが、おかげさまでカバンに詰めて難なく電車で帰ることができた。

今日の商品は皿だけではないので、昨日の「さらのさら」という銘は使うことが出来ない。もともと暑中見舞いを兼ねて送った案内のはがきには「でみせでみせて」と銘打っていたので、それを使う。はがきを出したときには「でみせでみせて」には「出店で見せて」という意味と「出店で魅せて」という思いを重ねたつもりだったのだが、後になって考え直してみると、出店者が自から「魅せて」というのはおこがましいだろうと思った。そこで、「さらのさら」という当たり障りのないものに変更したのである。しかし、個展に続いて昨日もお買い求めいただいたお客様が何人かおられることを目の当たりしてみると、「魅せて」と書くつもりで精進しなければ、そうしたお客様に対して失礼になると考え直した。はがきに書いてしまったということもあり、この機会に襟を正すつもりで敢えて「でみせでみせて」と銘打つことにした。

今回は1,000円均一の値付けにした。理由はいろいろあるのだが、自分としては生活用品を作っているつもりなので、使う人の普段の生活に埋没するようなものでありたいと思っている。高い値段でも売れるなら嬉しいかもしれない。「かもしれない」というのは3,000円を上回る値段のものが売れたことがないので、嬉しいかどうかわからないというだけのことだ。ただ、永六輔の「職人」という本のなかで紹介されていた藍の絞り染め職人の話には共感できるのである。それはこういう話だ。

***以下引用***
片野元彦さんという藍の絞り染めの職人さんがいました。現役のパリパリで活躍していた頃なんですが、あるとき、料理屋で自分の作った風呂敷が額縁に入れて飾られているのを見た。それで仕事をやめちゃったんです。
「これはきっと、オレのつくった風呂敷が物を包むためのものじゃなくて、額縁に入れるのにふさわしいものになってしまったからだろう。オレの仕事がどこかで威張っていたとすれば恥ずかしい」
片野さんはそう思って、自分のつくったものからそういう嫌らしさが消えるまで、仕事をしないと言った人でした。
***以上引用(永六輔「職人」岩波新書 67頁)***

この本に紹介されている職人の言葉にはいろいろ考えさせられることが多い。本は子供に渡してしまったので手元にないのだが、私の手帳には以下のような書き写しがある。

「何かに感動するってことは、知らないことを初めて知って感動するってもんじゃこざいませんねェ。どこかで自分も知ってたり考えていたことと、思わぬところで出くわすと、ドキンとするんでさぁね」(13頁)

「他人と比較してはいけません。その人が持っている能力と、その人がやったことを比較しなきゃいけません。そうすれば褒めることができます」(36頁)

「田舎の人は木に詳しいから伐り倒す。都会の人は木を知らないけど守りたがる」(45頁)

「褒められたい、認められたい、そう思い始めたら、仕事がどこか嘘になります」(60頁)

「安いから買うという考え方は、買物じゃありません。必要なものは高くても買うというのが買物です」(69頁)

なんだか知らないが、いいなと思うのである。

「さらのさら」

2011年08月06日 | Weblog
1月の個展でお世話になったギャラリー・カフェが青空市を開くというので出店させていただいた。今年に入ってからは一個挽きで皿ばかり作っていて、在庫がそれほどない。果たして割り当てられた出店スペースを埋めることができるだろうかと思いながら20数枚の皿を並べた。並べたのはよいが、私の技量の未熟の所為で、厚ぼったいものが多く、売れることもないだろうと、大小にかかわらず千円均一の値付けとした。

個展のときと同じように、商品を並べる台には風呂敷を敷いた。個展の頃は布や染めについての知識が皆無だったので、絵柄しか気にしていなかった。この8ヶ月ほどの間に染色工場を見学したり、芹沢介美術館や日本民藝館の企画展「芹沢介と柳悦孝」を訪れる機会に恵まれたり、といったことがあり多少の知識を得た。商品を並べる布に凝るほどの商品ではないのだが、それでも気になってしまうのが人情というものだろう。新しい知識は得ても、新しい風呂敷は芹沢介美術館の売店で求めた1枚だけなので、これを中心にして、あとは適当に重ねて使用した。中心、といっても敷いた場所のことではない。

固定店舗と違って、露店は開店時間というものがはっきりとしない。商品を並べ終わればそれが「開店」だ。ギャラリー・カフェのほうが11時半開店なので、便宜上その時間を開店時間とすると、開店から2時間ほどの間に並べた商品の半分以上が売れてしまった。想定外のことだが、いや、想定外であるからこそ、ありがたいことである。「有り難い」という字義通りの現象だ。お買い求めいただいたお客様は個展のときのお客様が何人かとひとりふたりの新規のお客様だ。その後、気温の上昇に伴って来客が途絶え、夕方になって店じまいをしようかという頃になって、新規のお客様が現れ、今日の売上は15枚になった。

露店でも店舗でも、ある程度の量の商品を陳列しておかないと、売っているのかいないのかよくわからない雰囲気になってしまう。もちろん、商売や店によっては、陳列品が全くないというところもある。しかし、それはその店の商品が受注生産のみで、しかも、売る側に相当の自信がある場合に限られる、ような気がする。私の場合は単純に在庫が払底しただけなので、明日は住処にある在庫をかき集めて並べるよりほかにどうしょうもない。そうなると、商品は皿だけではないので、露店の銘は「さらのさら」というわけにはいかない。ただ商品を並べるだけでもよいのだが、ものを売るだけが目的ではないので、露店の銘のほうも考えなおさないといけない。

ちなみに、「さらのさら」は「更の皿」、つまり単に新品の皿というだけのことで、それ以上の意味はない。ただ言葉としておもしろいと思ったので、露店の銘に使ってみたのである。「さらのさら」と書いた紙を押さえているオレンジ色の物体は、スウェーデンのガラス工芸家 Erik Hoglund のマルチトレイ。

縁起

2011年08月04日 | Weblog
普段は午後5時頃に出勤しているのだが、今日は歯科の予約があったので、少し早めに職場のあるビルに着いた。すると、1階の受付あたりで、以前の職場の人と出くわした。お目にかかるのは、6年ぶりくらいだろうか。

この人とは最初に就職した会社で、私が新入社員のときに仕事の関係で知り合い、翌年の異動で同じ部署になったという縁である。その後、別々の部署になり、そのまま別々に転職してしまったので、それきりになっていた。2001年のテロの後、私が当時の職場でリストラに遭った。解雇通告を受けた翌日、街でばったりとこの人に出くわした。互いの近況を話すなかで、前日に解雇されたことも当然に話題になる。その場は5分ほどの立ち話で別れたのだが、その日のうちに電話をいただき、彼の勤務先の社長と会うことになった。それで、再び、彼と同じところで3年半ほど働かせていただくことになったのである。

今日は30分ほど話をさせていただいた。さすがに今回は、これがきっかけでどうこうという展開はなさそうだ。それでも、思わぬところで思わぬ人と出会うというのは楽しいものである。出会いといえば、先日、Facebookで友達の承認依頼を1件いただいた。見ず知らずの人で、留学先が同じ人のようだ。「共通の友達」が2人いたが、今回は承認を見送らせていただいた。見ず知らずの人が「友達」ということに違和感を覚えたからである。

おじさんのとけい

2011年08月03日 | Weblog
「おじいさんのとけい」という歌がある。あの歌から受ける時計のイメージは大きな柱時計か置き時計で、振り子で動くものだ。去年、木工で端材を利用して置き時計を作ったのだが、そのときに調達したムーブメントがひとつ残っていた。これを使って、今年も端材で時計を作ることにした。題して「おじさんのとけい」。振り子がついているが、これはただの飾り。中途半端な大きさで、置き場所に悩みそうなもの。要するに、虚飾にまみれて居場所がない、というところが「おじさん」なのである。

今日は、端材のストックのなかから、材料になりそうなものを選び出し、墨付けまで終わらせた。次回から部材の切り出しを始める。今回は杉を使うことにした。杉の木目は板目も柾目も大好きで、好きな部材を使って好きなものを作ることができるというのが、なんとも楽しい。

かたすとろふぃ

2011年08月02日 | Weblog
よる、しごとちゅうに、とつぜんぐあいがわるくなった。いえをでるときから、すこしずつうがあったのだが、それがきゅうにひどくなり、きぶんまでわるくなった。とりあえず、いすのせもたれをたおして、さんじゅっぷんほどねることにした。いぜんにも、にたようなことをかいたきおくがある。たまに、きゅうにたいちょうをくずしてなくなってしまうひとのはなしをきくことがあるが、きっとこんなかんじなのだろうとおもう。きをつける、といっても、なにをどうきをつけたらよいのかわからない。けっきょく、さいごはしぬのだから、いつそうなってもよいようにこころがけるしかないのだろう。

「野火」備忘録

2011年08月01日 | Weblog
危険が到来せずその予感だけしかない場合、内攻する自己保存の本能は、人間を必要以上にエゴイストにする。(8頁)

人は要するに死ぬ理由がないから、生きているにすぎないのだろう。そして生きる以上、人間共の無稽なルールに従わなければならないことも、私は前から知っていた。(163頁)

人間がすべて分裂した存在であることを、狂人の私は身をもって知っている。分裂したものの間に、親子であろうと夫婦であろうと、愛なぞあるはずがないではないか。(164頁)

しかし人間は偶然を容認することはできないらしい。偶然の系列、つまり永遠に堪えるほど我々の精神は強くない。出生の偶然と死の偶然の間にはさまれた我々の生活の間に、我々は意志と自称するものによって生起した少数の事件を数え、その結果我々の裡に生じた一貫したものを、性格とかわが生涯とか呼んで自から慰めている。ほかに考えようがないからだ。(166頁)

(新潮文庫 平成22年8月30日 百五刷)