熊本熊的日常

日常生活についての雑記

気がつけば遠い過去

2011年12月16日 | Weblog
友人と昼食を共にするため、久しぶりに赤坂を訪れる。赤坂見附界隈の路地は相変わらず飲食店が密集しているのだが、よく見ると店のほうは入れ替わっていたりする。どこでも同じだが、ひとつの商売を続けていくというのは容易なことではない。今日は店を決めていたわけではないので、待ち合わせで合流してから「どこにしようか?」という会話の中でネボケに行くことになった。都内に複数の店舗を展開する土佐料理の店で、たまに利用している。同じ資本が運営する店舗で酔鯨亭というのがあるのだが、こちらはネボケより少し高級な感じの店だ。実は、社会人になって初めて自分で接待というものをしたときに使ったのが、当時、新宿にあった酔鯨亭だった。そこはネボケに転換されて現在も営業している。まだ入社2年目くらいで、当然ながら接待の場合には自分の上司に同行願った。店の選択に問題がなければ、翌日の朝、上司から「お、熊本君、昨日はご苦労様」と声がかかる。問題があると、「お、熊本君、昨日はちょっとなぁ」ということになる。初めての酔鯨亭は「ご苦労様」のほうだった。

昼食の後、友人は会社に戻るというので、話をしながら一緒に歩く。彼はかつての職場の同僚なのだが、仕事上の接点もなく、年齢も離れている、にもかかわらず何故か話題が尽きない。アークヒルズのところで別れて、私はそのまま新橋へ向かう。人材斡旋会社の人と会うことになっており、その会社には約束の時間を若干過ぎて到着した。その建物は、かつて仕事で担当していた精密機器メーカーの東京支社が入居していたものだ。仕事の関係で何度も訪ねたことがあるのだが、建物は同じでもテナントがすっかり入れ替わっていて驚いた。ふと、あの頃の担当者のことが思い出された。年齢的には既に定年を迎えているはずだが、今頃どうしておられるのだろうか。

見える人 見えない人

2011年12月15日 | Weblog
久しぶりに橙灯を訪れる。知る人ぞ知る小石川のカフェで、印象としては営業している日のほうが少ない。これまでは一人で出かけたことしかなかったのだが、今日はハニービーンズの羽生田さんと一緒だ。天気も穏やかだったので、巣鴨から楽しく話をしながら歩いた。不忍通りを渡り路地に入ると、古い木造家屋が並んでいるのだが、そのひとつが解体作業中だった。たいていの場合は、集合住宅に建て替えられるのだが、ここもそうなるのだろう。この路地には取り壊されるものもあるが、蕎麦屋や文房具屋として使われている現役の古い家屋もある。高さ規制があるのか、建て替えられた新しい建物も2階建てくらいのものばかりなので、狭い路地でも空は広く見える。それがまた良い雰囲気を出している。そうした古い家並を過ぎ、スーパーの脇を抜けると区立中学の裏に突き当たる。そこを右に折れ、中学の壁沿いに進むと正面に小石川植物園の緑が視野に入る。植物園の壁沿いに網干坂を下ると千川通りに出る。このあたりは共同印刷に近い所為か、小さな印刷所が多い。この通りに面した建物の2階に橙灯がある。

橙灯はカフェなのだが、この店がある建物の1階も喫茶店だ。それじゃ食い合いになるじゃないか、と思う人はカフェというものを理解できていない。カフェと喫茶店は全く別のものだ。橙灯のほうは、もともと住居部分だった区画を使っているので、外見は店らしくない。店主の坂崎さんによると、気の小さい人は、そのドアを開けることができず、引き返してしまうのだそうだ。それくらい取っ付きにくい構えなのである。その所為かどうか知らないが、この店に集まってくる人は個性的な人が多いとのこと。

今日、我々が訪れたとき、ちょうど佐竹環さんが帰るところだった。佐竹さんは今年の4月末までCORBというカフェを小石川でやっておられた人で、彼女の焼くパンに定評がある。カフェのほうは店じまいしたが、パンの販売は続けていて、今日は納品にやってきたらしい。そんなわけで、今日はコーヒーと佐竹さんが焼いたフルーツケーキ「雪山」と「冬の森」をいただいた。「佐竹さん」などと気安く書いているが、私は今日が初対面だ。でも、CORBという名前は何度も耳にしているし、おそらくカフェ好きの間ではこの店を知らない人はいないだろう。一方で、自己紹介のときに「羽入田さんと私は狩野さんのところの講座で知り合いました」と言えば、佐竹さんのほうはすぐにピンとくるものがあるはずだ。スペシャリティコーヒーの世界というのはそれくらいに狭いのである。

狭い、と言えば、店での会話のなかで、坂崎さんがJikonkaへ行ってきたという話が出た。能登千加重さんの皿と朝奈さんのガラス皿を買って来たと言って見せてくれた。私も能登さんの皿を買ったというのは、先日のこのブログに書いた通りだ。Jikonka Tokyoの店長である竹内さんは坂崎さんの小匙ジャムを使っているらしい。

坂崎さんが淹れるコーヒーは、相当旨い。この店で使っているのはオオヤコーヒーが焙煎した豆だそうだ。それをネルで落とす。もちろん豆と道具だけが味を決めるわけではない。一番重要なのは淹れる人の腕だろう。私もコーヒーを淹れるとか茶を点てることについては多少の自信はあるのだが、だからこそ、他人の淹れるものがとても気になる。繰り返しになるが、ここのコーヒーはとても旨い。会話のネタはいくらでもあるのだが、1時間ほど経ったところで、別のお客さんがやってきたので、我々は引き上げることにした。この店はコーヒーも旨いが、面白い本だの小物がたくさん置いてあるのも楽しくてよい。小学館から発行されたばかりの、なかむらるみさんの本「おじさん図鑑」が平積みになっていた。るみさんのサインを入れておいてもらうようにとお願いして、店を出る。来週はそのサイン本を買いに、改めてこの店にお邪魔することになる。

帰りにハニービーンズに寄って、コーヒーを一杯ごちそうになりながら羽入田夫妻とおしゃべりをして、豆を買って一旦帰宅する。昨日、津川さんから電話を頂き、自家製燻製を発送したとのことだったので、コーヒー豆を置いてすぐに実家へ行き、届いたばかりの燻製をピックアップする。津川さんは趣味が高じて燻製の製造販売に乗り出した人だ。エアロコンセプトの菅野さんのところで、確か昨年の夏頃にご紹介いただいたと記憶している。燻製を作るのはたいへんに手間隙のかかることで、例の黒砂糖のお返しで頂くとなると恐縮してしまうのだが、この燻製がこれまたたいへんに旨いので、素朴に嬉しい。ひとつひとつ丁寧に作っているので、販売しているとはいいながら積極的に宣伝はしていないようだ。ウエッブサイトはURLを確保しながらも未完成のままである。それでも旨いものは自然に口コミで広がっているようで、津川さんの燻製のブランドである「妙乃燻上」で検索をすれば、いくらでもその燻製について語っているブログなどが列挙される。

ちょうど実家のほうに、NTTドコモから先日契約したデータ通信の確認のはがきと、そのデータ通信の料金が高額になっているとの連絡のはがきが届いていた。2通のはがきを付き合わせると、契約当日に21万円分の通信をしたことになっている。早速、料金センターに電話してみると、最終的に料金を請求する段階になれば、契約通りのものになるはずだが、ドコモショップに行って今月中に手続きをするようにとのことだった。実家からの帰りに巣鴨のドコモショップに寄って事情を話すと1時間ほど待たされた後、料金の再計算をするということになった。再計算ができたら連絡するので電話番号を教えろという。不正請求の訂正を電話連絡で済ませようというのである。さすがにカチンと来たので、訂正は文書で知らせるようにと、こちらも譲らなかった。文書を出せ、出せないとのやりとりの末、NTTドコモとしてではなく、巣鴨のドコモショップとして訂正の連絡を郵送してもらうことで一件落着した。コマーシャルには巨額の費用を投じている割に、客とのインターフェースはお粗末極まりない。文書の訂正は文書で行うのが筋だろう。その簡単な筋が通らない。この会社だけではないのだが、巨大企業には人を人として扱う能力が無いのである。

メタボリズム

2011年12月14日 | Weblog
身投げの場所を探しているわけではない。就職活動のようなもので六本木ヒルズへやって来たので、ついでに森美術館を覗き、ビルの屋上にも上がってみたのである。平日の昼間で、しかも寒くて曇っているということもあり、屋上には監視員以外には誰もいなかった。ここから東京を見渡すと、よくもこれだけ建物を集めたものだと感心してしまう。たまたま森美術館では「メタボリズムの未来都市展」を開催中で、展示内容と眼前の風景が重なってしまう。よく、東京の街は海外の都市と比べると無秩序だというようなことが言われるが、景観というのは、そこに暮らす人々の美意識もさることながら、税制であるとか相続といった実際的な制度によって規定される部分が大きいのではないだろうか。つまり、景観というものを本気で考えようというのであれば、そういうことを立案する中心には建築家ではなく、財政家あるいは国家運営のコアとなる人々が中心になって考えるというのが現実に即したあり方だろう。逆に言えば、都市の景観にはその国の有り様が象徴されているということでもある。「日本は歴史上最も成功した社会主義国」ということも言われる。大きな屋敷や土地が空いた跡が、小分けされて、それこそ細胞分裂してそれ以前に比べて個性の減じたちまちまとした様子になってしまうのを眺めると、なるほどそういうことなのかもしれないと思う。

稀少な殊勝な人

2011年12月13日 | Weblog
勤め先をクビになっても陶芸は止めない殊勝な人、という話をしようというのではない。今日は壷を2つ挽いた。2つ目を挽いているとき、縒れてしまったのだが、なんとか自力で回復させることができた。その様子をご覧になっていた先生が縒れそうになったときの対処方法を教えてくださった。一旦、外側に逃げて、改めて整えるのだという。実演して見せてくださった。というわけで、先生の手が入ったこともあり、1つ目に挽いた壷よりも土の量が少ないにもかかわらず、1つ目と同じくらいの大きさに挽きあがった。まだまだ技能の波があっていけない。週に1回だけなのだから、そう易々と上達するというわけにはいかないのだが、回数が少なければそれを補うべく知恵を働かせないといけない。単に陶芸のことだけでなく、あらゆることに通じることだろう。無いことを嘆くだけというのはあまりに愚かで見苦しい。欠損しているものがあるならば、それを補う知恵を出すのが人間というものだ。なかなか人間になれないのが辛いところである。

かつての勤務先の同期の桜から一献傾けようとの誘いがあり、陶芸から一旦帰宅した後、待ち合わせの新橋駅前へ出かけた。彼の勤務先が霞ヶ関なのだそうで、新橋駅前に行きつけのワインバーがあるのだという。本当に駅前のビルの2階にあるRuedaという小さなワインバーだったが、料理がとても旨かった。注文したのは、鶏レバーの赤ワイン煮、秋刀魚のコンフィ、スペイン風のオムレツなど、この手の飲み屋にならばどこにでもありそうなものばかりなのだが、心底旨いと感じた。普段は酒を飲まないのでワインの味を云々できないのだが、料理との相性は良く、酒も肴も十二分に満足のいくものだった。しかも、これが相方の奢りなのである。こちらは失業中なので、そこに誘いがかかるとなれば、当然ゴチだろうという見当を付けていたが、本当にそうなると嬉しいものである。そういう見当を付けておきながら、手ぶらというのもナンなので、例の黒砂糖を手みやげに持参しておいた。去年も感じたことなのだが、この黒砂糖というのは交際の役に立つ。一見したところ変哲のない調味料なので、気軽に使える。しかし、その製造には物語があるので、手渡しながらあれこれと会話ができる。この話の種になる、というのが有り難い。人と人との関係の基本は面と向かって会話をするということだろう。すべてはそこから始まるものだ。近頃はネット上だけで完結してしまう人間関係も少なくないようだが、私はやはり目の前にいるということ抜きに相手を信用することはできない。基本は大事だと思うのである。

犬も歩けば

2011年12月12日 | Weblog
今は職探しで出歩いても、仕事がいかに無いかということを聞かされるだけのことが殆どだ。まだ会ってくれるのはましなほうで、問い合わせのメールを出しても返事もよこさないことなど珍しくもない。今日は、珍しいほうの相手のところにお邪魔して、1時間ほど話をしてきた。その後、9月の倉敷での民藝学校でご一緒させていただいた方が経営しているギャラリーにお邪魔した。

そのギャラリーはSt. Ivesという名前で、その名を聞いただけでイギリスの陶器を扱っていることが想像できる。現在は「日英・15人の茶碗展」という企画を開催中だ。日本の作家の作品よりも英国の作品のほうが茶碗らしいのが面白い。茶道の本場は日本だが、本場であるがゆえに道具類の解釈や有り様に先鋭的なものが出てくるということなのかもしれない。変化という点では、楽茶碗では当代が新しいものを創造することが義務づけられているという。昨日今日始まったものならいざ知らず、何百年と続いているものの伝統を継承しつつ、それぞれの時代に新しいものを創り出さなければならないというのは並大抵ではないだろう。しかし、その並大抵ではないことを継続しなければ、伝統などはあっけなく途絶えてしまうものだ。どのようなことであれ、続けるということは容易なことではない。「継続は力なり」という言葉あるが、実は深いものがその背後にあるように思う。

さすがに茶碗を買う余裕はないのだが、ただ相手の商売の邪魔をするだけというのも申し訳ないので、「1994ミンゲイソタ」というDVDを買わせていただいた。帰ってから早速観たら、これがとても面白かった。バーナード・リーチの弟子で、ミネソタで陶器を作っているウォーレン・マッケンジーを取り上げたNHKの「日曜美術館」(1995年6月18日放送)を収録したものだ。日本の民藝運動に影響を受け、日用使いの陶器を制作し販売しているのだという。その思想と姿勢におおいに惹かれた。このDVDを買おうと思って出かけたのではなく、倉敷でご一緒させていただいたギャラリーの店主から、たまたま最近になって企画展の案内状を頂いたので、外出したついでにお邪魔したところ、このような見応えのあるDVDを手に入れることができたのである。こういう縁が面白いと思う。

大宮遠征

2011年12月11日 | Weblog
こういうこともあるのかと、少し驚いた。落語を聴きに大宮まで出かけた。会場はおおみや市民会館の大ホール。会は「三遊亭白鳥・柳家三三・桃月庵白酒 三人会」。このホールの収容人数は1,300だそうだが、その半分程度しか埋まっていない。私の左隣とその左隣は仲入りでいなくなってしまった。ちょっと珍しい取り合わせの会であるのは確かだが、日曜日だというのにこんなに入りが悪いわけがない。裏番組で何かあったのかもしれないが、それにしても奇妙なことだ。

噺のほうは危なげなく、安心して聴いていることができた。殊に仲入り後のふたりは若手のなかの筆頭と言ってもよいくらいの実力者だ。その噺を左隣が空いた楽な状態で聴くことができるとは、有り難いことだ。白酒は数日前の鈴本で「替わり目」を聴いたばかりだったが、さすがに寄席よりもこちらの落語会のほうが時間の制約が小さい分、余裕のある噺っぷりだ。

白鳥を聴くのは初めてだ。新作はどうしても噺の厚みが貧弱になりがちなのだが、端から深さなどを意識していない目出たさも時には必要なのかもしれない。落語とは何か、ということ以前に言葉とは何か、などと糞真面目に考えてしまうような人には不向きな噺家だ。しかし、同世代の人間として、こういう人が活躍している姿を目の当たりにすると、なぜか妙にほっとする。これでもいいのかぁ、と安心できるのである。それでも、確かに構成は巧みだと思う。

本日の演目
入船亭辰じん 「垂乳女」
三遊亭白鳥 「ギンギラボーイ」
仲入り
桃月庵白酒 「松曳き」
柳家三三 「質屋庫」

開演:16時
終演:18時15分
会場:さいたま市民会館おおみや 大ホール

塩むすびよ永遠に

2011年12月10日 | Weblog
午前中、友人と渋谷で待ち合わせて日本民藝館へ行く。今日は日本民藝館展の初日で、私はどのような様子なのかということにしか関心はなかったのだが、友人のほうは藁細工と米をテーマにした店を出す計画を温めているので、出品作を購入するつもりらしかった。この展覧会では入選作は予約販売されることになっていて、準入選作は即売されることになっている。友人は入選作の藁箒を1点購入予約をし、準入選作の藁製の籠とスイカ入れを購入していた。「それ、仕入れ?それとも自分用?」と尋ねたら「研究用」との答えだった。彼女と知り合ったのは豊田での民藝学校だったが、当時はまだ店のコンセプトは固まっていなかった。その後、8月、9月、11月と会う毎に少しずつイメージが固まっていくのがよくわかった。目下の課題は出店場所なのだそうで、当初は自宅近くを考えていたらしいのだが、周囲の反対もあり、現状は白紙だとのこと。ひとまず場所は置いておいて、店で出す予定のおにぎりの研究のため、おにぎり専門店でバイトをすることになったという。

ちょうど昨年の今頃、このブログで「塩むすび」について書いた。当時、私は塩むすびという単純この上ないものにこそ豊かさが溢れている、というようなことを書いた。今日、その友人が語るところによると、塩むすびは単純であるがゆえに米、その炊き方、握り方、塩、といった個々の構成要素のごまかしがきかない大変難しい食べ物なのだそうだ。塩むすび、それも出来立てのあつあつのものではなく、時間が経って冷めてしまったものでも「おいしい」と感じられてこそ本物なのだという。

その友人がどのような店を開くのか楽しみだが、身近な起業のケーススタディとしても多いに注目しているところだ。私も失業中なので、選択肢のひとつとして自分で商売を始めるというのも当然にある。起業するには元手が必要だが、懐は火の車なので、ビジネスプランとやらを考えて他人の金を引っ張ってこなければならない。今のご時世で私の年齢で就職先を見つけるのと、起業するのとでは同じくらいに困難なのだが、生活を続けるには困難などと言ってはいられない。

今日は、民藝館を出てから渋谷で友人と別れ、池袋に出て源氏物語についての講座を聴講した。講師は「謹訳 源氏物語」の執筆者である林望先生と俳人の西村和子氏。現代語訳について、古文の語彙や文法で説明するのではなしに、宮殿の構造や宮廷での習わし、当時の社会の習俗といった周辺知識を説明することで解釈の背景を語るというのが新鮮に感じられた。尤も、これは翻訳全般に通じることで、文章の背景にある社会や文化を理解することで誤訳を減らすことができるのである。

ところで、「謹訳 源氏物語」だが、今読んでいる最中だ。漸く、1巻を終えて2巻に入ったところ。予定では、今日の講座までに5巻目まで読み終えているはずだったのだが、どうもうまくいかない。そうこうしているうちに注文しておいた6巻目と7巻目が届いてしまった。なんとかしないといけない。

講座の後、銀座へ出て映画「エル・ブリ」を観た。正直なところ、ああいう料理よりも旨い塩むすびが食べたいと思う。

クビから1週間目

2011年12月09日 | Weblog
午前中、再就職支援サービスの会社に登録に行く。クビになった勤務先が、私の再就職先が見つかるまで費用を負担するのだそうで、ついては3社のなかから1社選んで登録することになっていた。人材斡旋会社にいる知り合いに、その3社から選ぶとしたらどこがいいかということを尋ねたら、ここが「反応が速い」ということだったので決めたしまった。火曜日に私物回収に勤務先へ出かけた際に人事にその再就職支援サービス会社を選ぶ旨も伝えておいたら、昨日、支援会社の担当者から電話があって、今日の午前中に会うことになったのである。

この手のサービスを利用するのは初めてなので、具体的なイメージが無かったのだが、いろいろ説明を聞いてみると、再就職活動のためのインフラを提供する場ということのようだ。この会社はあくまで活動拠点を提供するだけで、就職先の斡旋は提携している多数の斡旋会社が行うことになっている。また、支援会社は様々なセミナーも開催している。そのなかには当然、効果的な履歴書や職務経歴書の書き方というようなものもあるが、会計や語学、パソコンソフトなどについてのスキル講座といったものもある。今日の面談は最初ということもあり、勤務先をクビになって不安に陥っている人をひとまず落ち着かせるということに主眼が置かれていたような印象がある。個別具体的な就職活動についての説明よりも、雑談風の話に重きが置かれていたようだ。

この後、昼過ぎにパソコンのことで尋ねたいことがあって、予約を入れておいた銀座のアップルストアへ行く。幸い、問題は予約の時間内で解決することができた。この相談窓口はたいへん混雑していたが、始終混んでいるというわけではなく、人の増減に波のようなものがある。ただ、相談の内容は、iPhoneに関するものが多いようだ。今や世間は携帯電話といえばスマホ、という状況のようだが、そうなると却ってガラケーに執着したくなる。しかし、就職活動を始めるとなると、出先でメールをチェックしたり、いろいろファイルを開いたりというようなことも必要になる。そこで、iPadを購入した。WiFiモデルにしたのだが、それに付属している2年間無料のWiFiサービスは購入後14日経過しないと使えない。すぐに就職口の紹介とか面接というようなこともないだろうから、14日後でも差し支えは無いとは思う。ただ、気持ちとしてはすぐにも使ってみたいので、帰宅途中に住まいの近所のドコモショップに寄って、WiFiルーターについて説明してもらった。端末は無料で、月々の料金もそれほどの負担でもなさそうなので、契約してしまった。キャンペーン期間中とやらで、エイサーのミニノートPCをもらった。たぶん、使わないとは思うのだが、くれるというものは頂いておいたほうが物事が丸く収まるのだろうから、素直に頂戴した。

それでiPadだが、iCloudのおかげでメールやスケジュールソフトなどが家にあるPCとシームレスに繋がるので便利であるには違いない。楽しいアプリもたくさんある。しかし、再就職活動というようなことがなければ、果たして購入したかどうか。尤も、そういう道具類をどのように使うかということは使う側の知恵に依存するところが大なので、無駄にならないよういろいろ考えないといけない。

危うく

2011年12月08日 | Weblog
仕事に続いて住む場所を失うところだった。今日は午後にインフルエンザの予防接種と歯科検診を予約してあったので、冷たい雨が降る中を外に出た。すると、家の前に3台の消防車と1台の指令車が停まっていた。隣の建物で小火があったらしいのだ。その建物は1階が靴店で2階より上が住居というものだ。今日はその靴店の休業日なので、どういう理由で火が出たのか気になるところではある。火事を通報したのは、近所の家具店のご主人で、私の部屋にある本棚はその店で買ったものだ。なにはともあれ、大事に至らなくてなによりだ。

インフルエンザの予防接種を済ませ、その後に歯科の定期検診と歯のクリーニングを受けた。このまま帰ってもよかったのだが、せっかく外出したので上野に回って、鈴本で寄席を聴いてから帰った。

夜の部が始まったところに着いたのだが、木戸銭を払ったりトイレに行ったりしているうちに開口一番の途中で席に着くことになってしまった。今夜は、来年秋に真打昇進が予定されている古今亭菊六が「粗忽長屋」を演っていた。客席はガラガラだが、平日の寄席はこれくらいのほうが高座と客席の距離が近く感じられてよい。尤も、経営側としては困った事態であろう。何年か前、といっても夜勤になって以降なのでこの6年以内のことではあるが、鈴本の平日昼の部を聴いたことが1回だけある。その時よりも今夜のほうが空いている印象だ。

今夜は菊六の後、伊藤夢葉のマジック、落語の蜃気楼龍玉、入船亭扇遊と続いて、大瀬ゆめじ・うたじの漫才、落語に戻って桂南喬、桃月庵白酒の「替わり目」で仲入りになった。仲入り後は三味線漫談の柳家紫、落語の柳家はん治、紙切りの林家二楽と続いてトリは五街道雲助の「宿屋の富」だった。寄席の場合、一人当たりの持ち時間が短めに決められているので、噺が少し粗めになる気がする。「替わり目」も「宿屋の富」も、なんとなく違和感を覚えるような出来だった。その点、はん治が演った新作「生け簀の鯛」は、噺の粗さを逆手に取ったような作りに仕上がっていて面白いと思った。三味線漫談というのは初めて聴いたが、いい味わいだ。三味線を持って喋っていても、三味線でなければならない必然性が全くないという人を食ったようなところがあり、かといって単に噺だけでは面白くもない小話が三味線のリズムを付けることで人を惹き付けるというのは、やはり紛れも無い芸ということになるのだろう。ある現象が、背景を変えることで全体の世界観まで変わってしまうというのは、けっこう身の回りにあるように思う。

ところで、伊藤夢葉は伊藤一葉の弟子だ。伊藤一葉はマジックの新しいスタイルを創り上げた人で、私が小学校の高学年の頃にたいへん人気があったと記憶している。学芸会のようなところで、伊藤一葉のマネをしてかなり受けたというようなこともあった。それが突然テレビで見かけなくなったのだが、昭和54年に胃癌で亡くなったということを、今日の夢葉の噺のなかで初めて知った。昭和54年といえば、テレビに出るようになってすぐのことだ。新しいことを創り上げるというのは並大抵のことではないが、それが世間に認知されるかされないかという微妙な時期に、自分の創意工夫の結果を見届けることなく世を去るというのは、心残りであったのではないかと思う。思うようにならないのが人生というものなのだが、「昭和54年」という没年を聞いたとき、妙な衝撃を感じてしまった。

2011年12月07日 | Weblog

就職斡旋業者に登録に出かけた。外出したついでに、渋谷へ回って映画「ハラがコレなんで」を観て来た。

こういう直球勝負のような作品は大好きだ。石井監督の作品を観るのは「川の底からこんにちは」に続いて2作目である。どちらも作風が爽やかでいい。おそらく、この作品を観た人の多くは、「現実はこんなふうにはいかない」と言うだろう。映画なのだから現実と違うのは当然なのだが、「現実は」と訳知り顔に語ることで「現実」のなかに埋没していく醜さを想像できなければ、こういう作品を観るのは時間の無駄だ。

自分が失業中という苦境にあって希望的観測を求める所為かもしれないが、この作品を貫く生き方についての姿勢のようなものに共感を覚える。20代の石井監督がどのような経緯で「粋」について考えるようになったのか。1983年生まれとなると、所謂「バブルの崩壊」は彼が小学校低学年ということになる。「景気が良い」という経験のないままに成長した世代だ。映画のプログラムに収載されている監督へのインタビューのなかで、「この国に対する違和感みたいなものが大前提としてあります」と語っている。私の勝手な想像だが、それは世の中の雰囲気として漂う希望のなさ、あるいは希望のしょぼさ、というようなものではないかと思うのである。

私は日本の高度成長のなかで成長した。「大人」の世界は、無条件に憧れの対象だった。東京オリンピックの記憶は定かではなく、大阪での万国博覧会は見に行くことはできなかったけれど、当時、母がパートで働いていた製本会社から手に入れて来た乱丁のカタログを眺めながらただ「人類の進歩と調和」の具象化されたものに対し驚嘆していた。その後、日本列島改造論に象徴される開発投資があり、日常の風景として世の中が大きく変貌した。貿易摩擦という外交問題が浮上したのは、日本経済の競争力が高まったことの裏返しであり、そういう社会にあって「手に職をつけ」て「真面目に働く」ことを続ければ、安穏とした人生を送ることができるという大前提があったように思う。だから、大学生のときの就職活動では難儀をしたけれど、違和感を覚えるというほどのことはなかった。就職先は不本意なところだったけれど、卒業旅行でインドを1ヶ月ほど歩いてきたら、すっと気持ちを切り替えることができた。

確かに、今は私の若い頃のような気楽さは無いだろう。石井監督は20代にして、かなり現実的に生きるということについて向き合っている印象を受けるが、私の場合は、そういうことを真剣に考えるようになったのは子供ができてからだ。親は義務として子供を一人前に育てなければならない。そのためには、人としてどのように生きることを考えたらよいのか、というようなことへの自分なりの指針を示すことができなければならない、と思うのである。子供が小学校に上がり、中学生になり、高校に進んで、大学への進学に際して今後の進路を考えなければならない、という段階を踏んで自分自身も子供に対してそれ相応のことを語ることができなければ、子供から人として認めてもらえなくなってしまうだろう。石井監督は「粋」について、「簡潔に言うと、美意識のある生き様だと思っています。ものすごく、シンプルなことなんです。カッコいいってなんだろうと考えた時に、お金を持っているとか、スポーツができるとか、見た目がいいとか、そういうことではなく、僕のなかでは、美意識のある生き様なんですね。それを、粋という言葉に置き換えているんです。」と語っている。おそらく私が彼の年齢の頃は、こんなことは考えていなかった。カッコいいのは、お金を持っていることであり、スポーツができることであり、見た目がいいことだと思っていた、と思う。自分自身の美意識をかなり具体的にイメージできるようになったのは、ここ5年ほどのことでしかない。

主人公である光子が、幼なじみの陽一に、腹のなかの子供のために安静にしてろ、と言われてこう返す。
「子供のため子供のためって、大人が粋じゃなかったら、子供だってそんな世の中に生まれてきたいと思うわけないでしょ。大人がしっかりしなきゃ、何やっても子供のためになんかならないんだからね。」
そのシーンは可笑しくて笑ってしまうのだが、台詞の中身には同意できる。「大人」を「自分」に置き換えても意味は同じだ。人として自立するというのは、生計が立つということよりも、自分としての考え方を持つということだろう。自分というものがあってこそ、他人ときちんと向かい合うことができるのである。別の場面で光子は腹のなかの子供にこう語りかける。
「お母さん、フラフラしてたから、あんたにいろいろ迷惑かけたね。でも、これからはもっとかけるよ。でもいいじゃない。あんたもお母さんに迷惑かければ。お母さんの準備はOK。ドーンといくよ。」
世の中は持ちつ持たれつなのである。相対優位の原則に頼りながらも、自分が頼りにされたときには真摯にその課題に向かい合うという姿勢は、社会のなかで自分の居場所を確保する上で必須の条件だろう。

苦境にあっても、その姿勢だけは最後まで持ち続けなければと、己を励ましながら、今、こうしてこの文章を書いた。粋でありたいものである。


私物回収

2011年12月06日 | Weblog
解雇通告への同意書を提出するついでに私物の回収をするために職場へ出かける。事前に今日、そういう用件で職場に行くということを隣の席の同僚に伝えておいたら、一緒に帰ろうということになっていた。人事での用件が済んで、私物の回収と未清算の経費を清算する手続きなどをして、1時間ほどで職場を出る。廊下やビルの受付エリアなどで何人かの同僚と出くわし、ちょっとした立ち話を交わした。なかには、わざわざ席から受付前まで出てきてくれる人もあり、用件が済んでからさらに1時間ほどを職場のあるビルのなかで過ごした。思いがけず楽しい一時を過ごすことができたのを有り難いと思う。

肝心の一緒に帰るほうの同僚は仕事がなかなか終わらず、それからさらに1時間近く待つことになった。ようやく合流して、ただ帰るのではなく、食事をしてから帰ろうということになる。彼女の帰る方向とほぼ同じなので、キフキフに電話をして、今晩席が空いているかどうか確認してみる。幸い空いているとのことだったので、キフキフで食事をする。

彼女はソムリエの資格があり、現在はフランス料理の勉強中でもあるので、そういう人がレストランで食事をするときにはどのようなところに目を付けるものなのか、ということに素朴に興味があった。私は普段、酒類を全く口にしないのだが、飲めないというわけでもないので、今晩はワインを1本、彼女に選んでもらう。料理のほうはプリントされているメニューのほかに「おすすめ」が黒板に書かれていて、ふたりともそこから選んだ。やはり知識の深い人は違うなと思ったのは、彼女がメニューを見るときの微妙な緊張感である。うまく説明できないのだが、コピー機に原稿を乗せてスイッチを押したときに内部でスキャナーが動くのが感じられるが、感覚的にはそれに近い。ワインリストからワインを選ぶとき、黒板から料理を選ぶときの一瞬の緊張感があり、選んだ後の緩和がある。またそのオンオフに本人が気がついていない風なのが面白い。

結局、前菜は彼女のほうがサラダに金柑とエゾ鹿のグリルを添えたもの、私が下仁田葱のグリル。パスタ類は、最初、別々に注文しようとしたのだが、店の人から量が多いのではないかとの助言を得たので、牡蠣と下仁田葱のリゾットをシェアすることにした。メインは彼女が鴨の赤ワインソースで、私は仔羊のクスクス。デザートは彼女が塩キャラメルのプリンで、私はギネスビールのアイスクリーム。料理はもちろん美味しいのだが、それ以上にいろいろ勉強になった。

今夜は食事の約束まではしていなかったのだが、ひょっとしたらそういうことになるかもしれないと思っていた。それで、家を出るときに例の黒砂糖を2つかばんのなかに入れておいた。ひとつをキフキフの原さんに差し上げ、もうひとつを同僚に渡した。原さんにこの黒砂糖を例えばどのように使うのかと尋ねてみたところ、削ってイチゴにまぶすと美味しいとのことだった。ボールなどにイチゴと黒砂糖を入れてゴロゴロとまぶしているとイチゴの表面がとろけてくるのだそうだ。そうなると出来上がりで、イチゴがひと味変わるのだという。こんど自分でも試してみて、近いうちにAero Conceptの菅野さんのところにも黒砂糖を持ってお邪魔することになっているので、そういう使い方をお話してみようと思う。

鉄道博物館

2011年12月05日 | Weblog
初めて鉄道博物館を訪れた。交通博物館時代に比べると子供の集客を意識した造りになっている印象だ。実機の展示が増えたように見えるが、交通博物館時代に、外に並べられていただけのものを、屋内に配すなどしているので、それほど顕著な違いはないのだろう。転車台を中心にした実車のレイアウトは英国ヨークの鉄道博物館と同じだ。10年以上も前に、出張の際の余暇を利用して米国ピッツバーグの鉄道博物館を訪れたことがあるが、個人で訪れたのではなく当時の勤務先の社長の鞄持ちで同行したので、広大な敷地に実機が豊富に並べられていたという印象くらいしか残っていない。断片的な記憶と印象だけで敢えて言えば、横川の鉄道村に近い感じだっただろうか。ヨークにしてもピッツバーグにしても、それほど商売気が感じられなかった。その所為か、とても落ち着いた気分で見学できた。英国にはロンドンのコベントガーデンにロンドンの交通に焦点を当てた交通博物館があるが、こちらのほうは大都市の中心部に立地していることもあり、週末ともなると親子連れが行列をつくるほどの人気スポットだ。

さて、大宮の鉄道博物館だが、実機を間近に見学できるのは嬉しい。音声ガイドも充実していて、たいへん重宝だ。屋内に実機を並べているので、天井が高いのも快適だ。ただ、惜しむらくは、交通博物館時代の模型類がなくなってしまったことだ。おそらく、今の時代は動くわけでもないただの模型など人気が無いとの判断なのだろう。個人的には、そうした模型類が好きだったので残念だ。なかには、実機の初号機が完成した際に端材などを利用して実機の製造に携わった人たちが作ったというミニチュアの蒸気機関車もあったと記憶しているのだが、そういう人の心を物語るものは、人によっては面白くもないだろうが、個人的には惹かれるものがあった。

ミュージアムショップは貴重な収入源という位置づけらしく、並んでいる商品の充実ぶりには目を見張るものがある。単価もそれなりなので、クレジットカードを使えるようにしてもらうと大変助かる。生憎、今日も現金の持ち合わせが無かった上に、閉館間際まで館内をうろうろしていたのでショップに費やす十分な時間が無く、何も買わずに出てしまった。是非、近いうちに時間に余裕を持って再訪したいと思っている。

ちょっとピンぼけ

2011年12月04日 | Weblog
ロバート・キャパについて語ろうというのではない。クビになって時間が空き、その時間で少しでも生活の足しになるようなことを考えないといけないので、とりあえずエキストラの登録をしてきた。

もちろん就職活動はしなければならないのだが、毎日会社訪問の予定など入るわけもないだろう。せっかくの機会なので、今までの自分なら考えもしなかったようなことを、ひとつでもふたつでも経験してみようと思うのである。それで、たまたま見つけたアルバイトの案内に「エキストラ」というものがあったので応募してみた。すると先方から電話が入り、説明会に出席するようにとのことだった。日に何回かの説明会が開催されており、私が出席した回には私を含め3人の応募者がいた。果たして私にお呼びがかかるのかどうかわからないが、これも縁なので、そこから何かが生まれるかもしれないし、何事もないかもしれない。

クビになった後の最初の就職関連活動がエキストラの登録というのは、ちょっとピントがぼけているかもしれない。しかし、写真ならば、ぼけているほうが面白い作品に仕上がることだってある。人生にだって、そういうことがあるかもしれないではないか。

天気がよかったので、登録の後、新宿御苑へ行ってみた。イチョウは見事に色づいていたが、カエデは木によってまちまちだった。持参したライカを取り出し、いろいろにシャッターを切ってみる。まだ数えるほどの回数しか使っていないので、今回はISOをオートにして、ピントだけをマニュアルにしてみる。風景ならなんとかなるが、接写となると心もとない。試しに、リコーGRのほうでマクロを入れて草花の接写をしてみたが、こちらは慣れている所為もあり、撮りたいように撮ることができる。ライカのほうはもっと練習を重ねないといけない。

午前中、東村山の木工教室を訪れ、先生に事情を話して状況が落ち着くまで無期限でお休みさせて頂くことにした。ちょうど、工房の上の階で手作り品の市が開催中だった。今はこのような趣味で制作された雑貨類を販売する企画が至る所で行われている。品質とかコストパフォーマンスという点では、手作り品というのは平均的には市販品にはかなわないのだが、それでも広がりを見せているのは、モノが機能だけで完結するわけではないということの証左だろう。おそらく、統計を取れば、市販品を選好する人の方が圧倒的に多いはずだ。しかし、手作り品を愛用する層があるのも確かだ。それは、モノの背後にある作り手との交流を求める気持ちのある人がそこそこに存在するという所為ではなかろうか。尤も、今日の手工芸品市では何も買わなかった。

とりあえずの最終回

2011年12月03日 | Weblog
2009年4月から月1回の茶道教室に参加していたが、今日が教室の最終回だった。教室のあるギャラリーの改装と、その後の運営方針の変更のため、今回を以てその教室が終わりということになったのである。昨日、解雇通告を受けて茶道教室への参加継続が難しくなったところだったのは単なる偶然だ。茶道を覚えるというよりも、茶道を通じて仲間とか新しい知識を得るということに重点が置かれていたような印象のある教室だった所為かもしれないが、和気藹々とした楽しい教室だった。この教室に参加していた人は多少増減があったけれど、最終的には8名だった。このうち4名は先生がご自宅で開いている教室のほうに移るとのこと。私も誘われたが、昨日クビになったので、ということで辞退させていただいた。

以前にも書いた記憶があるのだが、私もいつか自分の工房とギャラリーを持ちたいと夢想している。どのようなものを扱いたいのか、ということはかなり明確にあるのだが、それは茶道具の世界の正反対のようなことだ。取りようによっては茶道批判と誤解されることにもなりかねないし、それは本意ではないので、ここでは具体的には書かない。最初から明確なイメージを持って工房だのギャラリーだのと夢見ていたわけではなく、陶芸を始めた頃からの様々な経験の蓄積を経て、自分のなかにあった当初のイメージもかなり変化してきた。今年1月に開催した自分の個展の時点からも若干の修正はある。やはり3月の震災とそれに続く原発をはじめとする様々な問題が生きることや生活というものを考える上で大きな衝撃になった。

偶然、「芸術新潮」最新号で見つけた記述だが、不定期連載を持っている内田樹が書いていることに私も親近感を覚えた。
「これからの社会で必要とされるのは、「選択と集中」や「分業と効率」ではなくて、「とりあえず、身の回りのありものを使い回して生き延びる知恵」ではないかというのが僕の持論だからです。」(「芸術新潮」2011年12月号 113ページ)

クビになった日

2011年12月02日 | Weblog
今日、勤め先から解雇通告を受けた。夜間シフトなので出勤が夕方5時過ぎなのだが、昨日18時半頃に上の人から今日の午前10時半に勤務場所とは違うフロアにある会議室へ来るようにとのメールが入った。口頭で言えばよさそうなものをわざわざメールでというのは、大抵は悪い知らせと相場は決まっている。よほど昨日帰る時に私物を全部片付けてしまおうかと思ったのだが、たいした内容と量ではないので、棄ててもらってもかまわないと思い直してそのまま帰宅した。

今日、指定された会議室に出向くと、6人ほどしか入ることのできない広さの会議室に上の人が2人と人事の事務担当者がいて、テーブルの上にはコンファレンスコール用の機器があり、本社の部門長とつながっていた。その部門長から、経済情勢の悪化と業績低迷で合理化が必要になって君のポジションを廃止することになった、という通り一遍の決まり文句を聞かされる。後は人事担当者が事務的な手続きについて事務的に説明してくれて、20分足らずで用件は終了した。社員としての身分はあと3ヶ月ほどあるらしいのだが、職場への出入りは、この面談を以て禁止となり、ビル全体のカードキーと勤務先のカードキーを返還させられた。当然、社内のシステムへのアクセス権も廃止された。実質的には昨日が最終勤務日となった。

首になった後の職場のことを私が考える義理はないのだが、今日の業務の引き継ぎが困るのではないかと思い、職場の隣の席の人に「やっぱり首」と携帯メールを打っておいた。「やっぱり」というのは、今日の呼び出しメールを受け取ったときに、まだその人が席にいたので、メールをプリントして見せたのである。「これって、クビってことだよな」というような話を昨夜していたのである。携帯メールへの返信のなかで「…。でもこれで、夜、一緒に遊べますね。」とあった。思わず吹き出した。こういう緩さ軽さは、その人の個性もあるだろうが、日本の文化に通じるものがあるように思う。

よく「石の文化、木の文化」などという。産業革命あるいは明治維新以降、日本も世界も個性が薄まって、端的には街の風景や暮らしの様子が似通ってきているが、感覚的な部分というのは歴史に裏付けられたものがまだまだ濃厚に残っているように思う。日本の場合はそれが「木の文化」ではなかろうか。現在でさえ国土の7割が山岳地帯であり森林率は約67%だという。阪神大震災以降、東京でも戸建住宅に軽量鉄骨や軽量コンクリートを使ったものが増えたように感じられるが、全体として見れば未だに木造住宅の比率が大きいのではないだろうか。ましてや歴史を遡れば国土全体が木に覆われていたと言ってもよいくらいだろう。そこへ地震や火山活動があり、地域によっては季節性の乾燥で火災が発生しやすい、といった天災が比較的多い。今でこそ耐震耐火は当然の発想だが、そうしたことが可能になる以前は破壊されることが当然で、江戸時代の火消しのように、被害の拡大防止に主眼を置いた発想だった。つまり災害に立ち向かうというよりも、それをやり過ごし、復旧復興を容易にするための発想が生活のなかにあったのではないかと想像できる。そうした特質を一言で表現すれば、「簡素」とか「軽便」といったことになるのではないだろうか。それは家屋や家具、調度品の類だけのことではなく、そこに暮らす人々のものの考え方にも影響を与えているはずだと思うのである。

そんなことはともかくとして、問題はこれからだ。自分ひとりだけならなんとかなるのだろうが、離婚の際に相手方に財産分与で渡した住宅のローンの返済や子供の養育費があるので、そうしたものを賄う手だてを考えないといけない。来週からは職探しの日々である。

今日はそんなわけで11時前に用が終わってしまったので、少しぶらぶらと時間をつぶしてから帝劇の地下にある伊勢廣を訪れて焼き鳥丼を頂いた。それほどいろいろなところで食事をするわけではないのだが、ここの焼き鳥は美味しいと思う。その後、出光美術館で「長谷川等伯と狩野派」展を観て、三井記念美術館で「能面と能装束」展を観てから家路についた。とりあえず誰かにクビになったことを話したくて、途中、ハニービーンズに立ち寄ってコーヒー豆を買いながら「今日クビになっちゃったよ」と立ち話をしてから帰宅した。