我が地域の
我が家よりもっと奥に
雫田地区がある
いつもより距離を延ばして
昨日その地区までウオーキングをしてきた
分校跡の印の柱
この地域には昔鉱山があった
「日三市高山」
「この街の人々は、江戸時代に佐竹藩が金山として採掘し、
明治・大正時代に最盛期を迎えた「日三市鉱山」のためだけに集まってきました。
明治40年(1907年)~大正5年(1916年)に全盛期を迎え、
先述の2000人の街が誕生しました。病院や郵便局、
そして共同市場になんとお寺まで、
ありとあらゆるものが揃っていたと言います。」
と、ネット上の書き物にもありましたが、
家の母(姑)からも少し聞いています
病院、学校、お寺や映画館、床や、お店もたくさんあって
鉱山だけで一つの大きな町になっていた、
鉱山が主催するお祭りや運動会などに
村をあげて見に行ったものだと。
嫁に来て直ぐの頃
、母に鉱山跡地に
連れて行ってもらったことがあった
何もなかったが、まだ鉱山の入り口は開いたままだった
今は閉ざされているらしい
帰り際に
左からはしってきた「キツネ」が
鳥居をくぐって奥の
御堂の下へもぐって行った