風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

旅人を意味する遊子(ゆうし)のように、気ままに歩き、自己満足の域を出ない水彩画を描いたり、ちょっといい話を綴れたら・・・

楽描き水彩画「面影残る名古屋の駄菓子問屋街へ=スケッチ取材①」

2021-09-10 07:00:00 | アート・文化

水彩画教室のスケッチ取材で、名古屋市西区の明道町(めいどうちょう)界隈にある「駄菓子問屋街」へ出かけてきました。

ウイキペディアなどによれば、名古屋の菓子問屋の歴史は400年前にさかのぼります。
徳川家康による名古屋城の築城(1609年)で、全国から駆り出された労働者の疲労回復用に甘未菓子が売り出された、というのです。その後、尾張藩下級武士の手内職や、関東大震災の被災地支援などで、全国最大規模の駄菓子問屋街に成長しました。

しかし、派手な嫁入りのイベントをはじめ、地鎮祭や棟上げ式などでの餅まきや菓子まきの風習も時代とともに激減。通りを埋めていた菓子問屋は次々に閉鎖や転業して、問屋街というイメージは消えた感じです。

でも歩けば、生き残りにかける店など、かつての面影に次々出会えました。
軒下まで積まれた菓子袋の山。「旅行・嫁入り・イベント用、子ども会用、くじ引き遊び用」などといった文字も目にします。問屋といっても、多くが「小売します。一般の方もどうぞ」です。

取材では、駄菓子問屋とともに、豆菓子製造・販売の老舗や大きなおもちゃ店なども訪ねました。長くなるので、2回に分けて掲載します。