風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

旅人を意味する遊子(ゆうし)のように、気ままに歩き、自己満足の域を出ない水彩画を描いたり、ちょっといい話を綴れたら・・・

楽書き雑記「名古屋で広重の『冨士三十六景』展。北斎の『冨嶽三十六景』の代表作も展示」

2019-09-08 06:29:18 | アート・文化

 



広重の「復刻版画・冨士三十六景」展を名古屋市東区赤塚町にある三菱UFJ銀行貨幣資料館で見てきました。同時に参考展示されている北斎の「復刻版画・冨嶽三十六景」から抜粋した11点も見ることができます。入館無料。9月29日(日)までです。

「冨士三十六景」は広重晩年の作。
江戸の各地をはじめ駿河、信濃、甲斐などの山や海、さらに伊勢の二見浦から眺めた富士を描き、安政6年(1859)に版元の蔦屋吉蔵によって制作されました。

現役時代の若いころ、本当に遠く離れた伊勢から富士山が見えるのだろうかと思っていたのですが、先輩が二見浦近くにある朝熊山頂から撮った写真を見て驚き、納得したのを思い出します。
ただ、その後山頂を走る伊勢志摩スカイラインを通る機会が何度かありながら、天候不順などで見ることができていないのが残念です。

北斎の「冨嶽三十六景」は広重の「冨士三十六景」より前の天保2年(1831)前後に制作されており、パンフレットのミニ解説を読んでそれぞれの描き方などを見比べることができました。

先に明らかになった新紙幣発行計画で1000円札の裏面に予定されている北斎の代表作「神奈川沖浪裏」も展示されています。


 

※絵の写真は展覧会パンフからです




楽描き水彩画「散歩道の木陰のトンネル」

2019-09-06 06:30:21 | アート・文化

 

自宅近くの散歩道にある木陰のトンネルです。
道の両側には雑木林や竹林が茂り、名古屋市が管理する健康ウオーキングコースとあって、車に会うことも滅多にありません。

秋口が近づいたとはいえ、名古屋ではまだ最高気温が30度を超える毎日。木陰に差し掛かるとホッとします。
サラサラと木の葉が掠れる音とともに、ツクツクボウシやコオロギらしい声が聞こえます。

思わず足を緩めようとしますが、そうはいきません。
たちまち「やぶ蚊」の襲来。足早にトンネルを抜けます。10号です。

 

 


楽描き水彩画「高知県の『北川村 モネの庭マルモッタン』の睡蓮の池を1枚」

2019-09-04 06:24:18 | アート・文化

 

先に出かけた高知県の「北川村 モネの庭 マルモッタン」の1枚です。

睡蓮の池と青緑の太鼓橋。赤や白の睡蓮が咲きそろい、水面に影が映り込みます。定番中の定番ですが、この素晴らしい風景をどう描けばいいのか。

実は以前、モネが描き続けたフランス・ジヴェルニーの池に出かけた時も、最初に北川村を訪れた時も断念したモチーフです。
しかし、これではいつまでたっても同じこと。定番中の定番を描けば派生的にアイデアも出てくるのではと、10号に描いてみました。 

描いてみると、睡蓮のかたまりを減らす、水面下に目をやる、太鼓橋が強くなりすぎたかな・・・。いろいろ反省点が出てきました。まず1枚描いた成果でしょう。



 


楽書き雑記「トヨタの町でのあいちトリエンナーレ=あいちトリエン散歩(完)・豊田市美術館と豊田市駅周辺会場」

2019-09-02 06:15:18 | アート・文化

 

 

開催中のあいちトリエンナーレ(10月14日まで)の名古屋市以外唯一の会場である豊田市会場(豊田市美術館と豊田市駅周辺)の展示場を回ってきました。
この会場でも現代アート作家たちの力作に驚き、考えさせられました。

展示場の中央に、赤い光を放つ矢形のネオン管が立っていました。長崎に投下された原爆の爆心地に、1946年から48年まで立っていた矢形の標柱を表現した作品だそうです。

残っていた標柱の写真には「昭和二十年八月九日 地上五百米爆裂」などの文字がありますが、作者の調べでは建立者や写真の撮影者の名前、なぜ撤去されたか、なぜ矢形だったかなどは分からないとか。
作者は矢形の意味を考えるとともに、長崎と広島の平和公園との比較や平和を誓う各地の彫刻碑についての考察を展開しています。

駅の高架下を歩いていると、「発掘作業」でできた大きな穴に出会いました。
作品説明には「世界企業・トヨタの街なのに、市の中心部に見当たらないトヨタの広告を出現させることが創作の動機だった」とあり、スクリーンに親子連れらが発掘する様子が映し出されています。

作家はラーメン店跡だったという敷地に前もって穴を掘り、土器や陶器のかけらや木片、トヨタグッズなどを置いて埋め戻し、市民に発掘してもらったとか。
「わ~、変なのもが出てきたよ。発見!発見!」「これ、トヨタのマークみたい」喜び、はしゃぐ子どもたち。

すごいね、これは縄文時代のものかな。こちらは江戸時代だね。今のトヨタの芽がこんな昔からあったのだね、といった具合に相槌を打つ“考古学者”。
「こうして『遺跡としてのトヨタの広告』が発見された、と作者は締めくくっています。
結構楽しめる作品でした。

クリムト展とトリエンナーレが同時開催されている豊田市美術館は、大勢の観客でいっぱい。
ただ、ここでもトリエン作品の中には表現の自由をめぐり、作品の一部が撤去されたことに抗議する作家が本来の展示作品を変更した作品に出会いました。
壁面にずらりと展示された騒動を報じる新聞紙面を見ながら、表現の自由をめぐる問題の大きさと深さを改めて考えさせられました。

長崎原爆の爆心地にあったという矢形標柱の写真


「遺跡としてのトヨタの広告」の発掘現場と出てきたとしてのい発掘品の数々


展示場のひとつ。移築された旧料亭「喜楽亭」