最近、渋谷の映画館は名称変更が続いています。桜丘町の“ユーロスペース”は、2005年“シアターN渋谷”に。その“ユーロスペース”は丸山町に移転し、“シネマヴェーラ”と共に営業。同ビルの“Q-AXシネマ”は、2008年8月30日“渋谷シアターTSUTAYA”に。
“シネ・アミューズ(EAST&WEST)”は、“ヒューマントラスト・シネマ文化村通り”に。“アミューズCQN”は、“ヒューマントラスト・シネマ渋谷”に。共に2008年12月20日より。ああ~、ややこしい。
ついでに、“渋谷ピカデリー”は1月30日閉館。うむ。渋谷の映画館をこよなく愛し、長~く愛用しているファンとしては淋しい限り。大好きだった“渋谷パンテオン”や“渋谷東急”などが入っていた“東急文化会館”(1956年12月1日開館)が2003年6月30日閉館した時は、感慨深かったです。
話を戻して、“ヒューマントラスト・シネマ渋谷”で上映の「アライブ 生還者」(07)ドキュメンタリー映画の紹介です。映画ファンなら、「生きてこそ」(93)をご覧になっているかも。
フランク・マーシャル監督、キャスリーン・ケネディ製作、イーサン・ホーク、ヴィンセント・スパーノ、ジョシュ・ハミルトンら、若手俳優を配した問題作でした。ピアズ=ポール・リード原作は実話で、衝撃的な内容でしたから。
今回の映画は、事件から生き延びた“生還者”のインタビューをもとに製作。監督は、ウルグアイのモンテビデオ出身のゴンサロ・アリホン。彼は生還者の友人で、原作や映画「生きてこそ」では描き切れない内容を、映画にしたのです。
1972年10月12日ウルグアイ空軍の軍用機をチャーターしたラグビーチーム“クリスチャン・ブラザース”。乗員45人、モンテビデオからチリのサンチアゴへ、親善試合に向かう途中でした。
飛行機はアンデス山脈付近で悪天候のため、アルゼンチン側に不時着。翌13日、天候回復後、再び飛び立ち、連絡を絶ちます。捜索はわずか10日で打ち切り。しかし、山腹に墜落した飛行機には生存者がいて、72日間生き延びたのです。
“16人の奇跡の生還者”と呼ばれた彼らは、クリスマス2日前に救出され“アンデスの奇跡”とも言われたのでした。その真実が分かるまでは…。「生きてこそ」も衝撃的でしたが、あれはフィクション。生還者の生の声はもっと!?見てない人こそ、この実話を知るべきかも。
“シネ・アミューズ(EAST&WEST)”は、“ヒューマントラスト・シネマ文化村通り”に。“アミューズCQN”は、“ヒューマントラスト・シネマ渋谷”に。共に2008年12月20日より。ああ~、ややこしい。
ついでに、“渋谷ピカデリー”は1月30日閉館。うむ。渋谷の映画館をこよなく愛し、長~く愛用しているファンとしては淋しい限り。大好きだった“渋谷パンテオン”や“渋谷東急”などが入っていた“東急文化会館”(1956年12月1日開館)が2003年6月30日閉館した時は、感慨深かったです。
話を戻して、“ヒューマントラスト・シネマ渋谷”で上映の「アライブ 生還者」(07)ドキュメンタリー映画の紹介です。映画ファンなら、「生きてこそ」(93)をご覧になっているかも。
フランク・マーシャル監督、キャスリーン・ケネディ製作、イーサン・ホーク、ヴィンセント・スパーノ、ジョシュ・ハミルトンら、若手俳優を配した問題作でした。ピアズ=ポール・リード原作は実話で、衝撃的な内容でしたから。
今回の映画は、事件から生き延びた“生還者”のインタビューをもとに製作。監督は、ウルグアイのモンテビデオ出身のゴンサロ・アリホン。彼は生還者の友人で、原作や映画「生きてこそ」では描き切れない内容を、映画にしたのです。
1972年10月12日ウルグアイ空軍の軍用機をチャーターしたラグビーチーム“クリスチャン・ブラザース”。乗員45人、モンテビデオからチリのサンチアゴへ、親善試合に向かう途中でした。
飛行機はアンデス山脈付近で悪天候のため、アルゼンチン側に不時着。翌13日、天候回復後、再び飛び立ち、連絡を絶ちます。捜索はわずか10日で打ち切り。しかし、山腹に墜落した飛行機には生存者がいて、72日間生き延びたのです。
“16人の奇跡の生還者”と呼ばれた彼らは、クリスマス2日前に救出され“アンデスの奇跡”とも言われたのでした。その真実が分かるまでは…。「生きてこそ」も衝撃的でしたが、あれはフィクション。生還者の生の声はもっと!?見てない人こそ、この実話を知るべきかも。