日本画家、小野竹喬(おの ちっきょう)は本名を小野英吉と言い、1889年(明治22年)11月20日 岡山県笠岡市西本町生まれ。(1979年(昭和54年)5月10日没)岡山県には、笠岡市立竹喬美術館もあります。
絵画ファンの私ですが、日本画が大好きなくせにすべての日本画家に詳しいわけではありません。恥ずかしながら…。今回、北の丸公園・竹橋にある東京国立近代美術館で開催される展覧会を知って、調べてみることにしました。
「生誕120年 小野竹喬展」には、初公開作品11点を含む119点とスケッチ25点を集め、一気に公開します。1999年に“生誕110年・没後20年記念”の回顧展が行われてから、10年。展示作品数は、過去最大だそうです。
中でも、晩年の代表作『奥の細道句抄絵』(1976年 京都国立近代美術館蔵)は10点あり、そのすべてが展示されます。東京会場では参考資料として、付属する竹喬直筆の短冊も紹介。東京会場のみの特別出品なんだとか。
小野竹喬は1918年(大正7年)に京都で設立された、国画創作協会のメンバー。むずかしい理論はともかく、日本画の柔らかな筆致や暖かな色使い、その繊細な線描には目を見張ります。西洋絵画にはない世界ですね。
展示は、≪第1章 写実表現と日本画の問題≫(1903~38)と≪第2章 然と私との素直な対話≫(1939~79)に分かれ、さらに≪特集展示Ⅰ 竹喬の渡欧≫と≪特集展示Ⅱ 奥の細道句抄絵≫があります。
竹喬は、国画創作協会のメンバーとともにヨーロッパに出かけました。1921年のことです。≪竹喬の渡欧≫では、その時書いた『丘上廃寺』(1922)などのスケッチを紹介しています。日本画家の見たヨーロッパとは?
ポスターになっているのは、『奥の細道句抄絵/田一枚植ゑて立ち去る柳かな』(1976年京都国立近代美術館)。田んぼにきれいに植えられた苗。水面に映る青い空と白い雲。右側に立つ1本の柳の木。一見、かわいい!
さあ、小野竹喬ってどんな画家だったのか…知るチャンスです。
絵画ファンの私ですが、日本画が大好きなくせにすべての日本画家に詳しいわけではありません。恥ずかしながら…。今回、北の丸公園・竹橋にある東京国立近代美術館で開催される展覧会を知って、調べてみることにしました。
「生誕120年 小野竹喬展」には、初公開作品11点を含む119点とスケッチ25点を集め、一気に公開します。1999年に“生誕110年・没後20年記念”の回顧展が行われてから、10年。展示作品数は、過去最大だそうです。
中でも、晩年の代表作『奥の細道句抄絵』(1976年 京都国立近代美術館蔵)は10点あり、そのすべてが展示されます。東京会場では参考資料として、付属する竹喬直筆の短冊も紹介。東京会場のみの特別出品なんだとか。
小野竹喬は1918年(大正7年)に京都で設立された、国画創作協会のメンバー。むずかしい理論はともかく、日本画の柔らかな筆致や暖かな色使い、その繊細な線描には目を見張ります。西洋絵画にはない世界ですね。
展示は、≪第1章 写実表現と日本画の問題≫(1903~38)と≪第2章 然と私との素直な対話≫(1939~79)に分かれ、さらに≪特集展示Ⅰ 竹喬の渡欧≫と≪特集展示Ⅱ 奥の細道句抄絵≫があります。
竹喬は、国画創作協会のメンバーとともにヨーロッパに出かけました。1921年のことです。≪竹喬の渡欧≫では、その時書いた『丘上廃寺』(1922)などのスケッチを紹介しています。日本画家の見たヨーロッパとは?
ポスターになっているのは、『奥の細道句抄絵/田一枚植ゑて立ち去る柳かな』(1976年京都国立近代美術館)。田んぼにきれいに植えられた苗。水面に映る青い空と白い雲。右側に立つ1本の柳の木。一見、かわいい!
さあ、小野竹喬ってどんな画家だったのか…知るチャンスです。