さて、ここで、3.11で得られました、もう一つの教訓について、申し上げたいと思います。
それは、
「二つわるいこと さてないものよ」
という、経験則でございます。
私は元々・理科系の人間でしたので、自然科学について勉強して参ったわけですが、自然界を見ますと、電気のように、-(マイナス)だけの現象というのはなくって、かならず+(プラス)とセットになって、一つの電場という性質があるわけです。
これは、磁石の場合でも、N極だけでなくS極とセットになって磁場を形成しています。
そのように、一つの現象で、マイナスだけというのは、ないものでして、必ず何かしらプラスのことを伴っているはずなんですね。
それで、3.11ほどの大変な災害には、どんなプラスが裏打ちされているのだろうか、と考えてみたわけです。
五年経ちまして、一つだけ、思い当たりましたことは、普段のカウンセリングの場で、中高生の生徒さんたちに、よく話している例え話がヒントになりました。
それは、
「寝ていて、筋肉はつかないんだよ」
ということなんです。
これは、どういうことか、と申しますと、筋肉を付けたいと思ったら、私たちは、筋肉に負荷を与えるような筋トレをしなくてはならないんですね。
バーベルやダンベルを持ち上げたりして、ですね…。
寝ていて、楽をしていては、絶対に筋肉はつかないわけなんです。
「負荷」という言葉は、「荷を負う」という意味でもありますので、3.11で言いましたら、艱難辛苦の出来事が、それに当たるのではないか…と、思ったんですね。
高校生の頃に習った、英語の格言には、
"Adversity makes men wise."
というのがあります。
これは、
「逆境は、人を賢明にする」
という意味です。
それを、日本では、
「艱難、汝を玉(たま)とす」
と意訳されています…。
先ほどの
「二つわるいこと さてないものよ」
という私の経験則に話を戻しますと、この3.11の「負荷」は、私に「こころの筋肉」を付けてくれたのではないか、と思われました。
それは、具体的に申し上げれば、心理的な自我強度が強くなったのかもしれませんし、または、「憂い」を体験したということでは、それに「人偏」を付けました「優」という字に近づけたのかもしれません。
「優」という字は、「優しい」とも「優れている」とも読みます。
それは、文字通り、「憂うべきこと」、即ち、哀しい体験をしてこそ、他者への「優しさ」が得られるということなんですね。
そして、そのように出来る人は、
「優れている」というわけなんです。
3.11の遥か以前に、私の先生である哲人歌人の金光碧水先生は・・・
未来を背負ふ若人の英知
混乱の中に磨かれ
育つといふか
・・・と歌っておられます。
これもまた、我が意を得たり、と思った歌でございます。
また…
トレーニングなき本番に迫力なし
当然のことと
思ふ朝なり
・・・という歌もございましたが、私は、このお歌から、ある事を思い出しました。
それは、私の仕事でもあります
心理療法のなかで、よく夢分析をすることがございますが、その中で、大人になっても時々、試験の夢を見る、という人が案外多くおられるんですね。
実は、私もそうなんですが…。
試験会場に遅刻しそうになって、大慌てでいるとか、答案用紙を目の前にしても何も書けずに焦っているとか、筆記用具を忘れて途方に暮れているとか…。
これは、何故なのか、と思っておりましたら、京都在住の折、当時、京大教授であられた河合 隼雄先生のセミナーの時にそのわけを訊ねましたら、
「いつか人間は、『死』という大きな試験があるので、そのトレーニングとして、夢に現れるのではないか…」
と、そう教えて下さいました。
過去にトラウマ体験をした人が、フラッシュ・バック(外傷体験の回想)に苦しむPTSD(心的外傷後ストレス障害)がよく知られていますが、私は、その未来版で、いわば“フラッシュ・フォワード”という無意識の建設的作用なのかなと理解しました。
3.11は、私にはとっては、辛い、苦しい、哀しい出来事ではありましたが、それに、難負けせずに、真摯に向き合っていけば、いつか、「こころの筋肉」がついて、「自分の死」という、大きな課題と向き合うためのトレーニングになっているのかもしれない、と思ったわけであります。
時間が参りましたので、これで、私の話を終わらせて頂きます。
どうも、ご静聴、ありがとうございました。
(拍 手)