A教諭は、裏山の傾斜面に立ち尽くし、まさに〝魂消た〟というように、魂の抜け殻のように、呆然と逆巻く潮の大河を見下ろしていた。
今、自分と子どもたちが避難してきた堤防沿いの小道は、今はもう完全に水没していた。
その激しい激流は、児童も同僚たちもアッと言う間に呑み込んで上流へと遡っていった。
もう誰の姿も声もそこには無かった。
総毛立つようなその恐ろしい光景にA教諭は慄(おのの)いた。
そして、我がクラスの子どもたちを誰一人救えなかったという、信じがたい事実に押し潰されそうになった。
自分だけが必死の思いで逃げて助かった。
でも、それは生存本能であり、あの場合、もうどうにも仕様がなかったのだ。
(だから…、だから、裏山に避難すればよかったのに…)
という、怨み節のような、泣きたいような気分に襲われたが、それも今となっては詮無い事であった。
大津波は、深山渓谷に響き渡る巨大な滝の落下音のような水音を一面の大地に鳴り渡らせていた。
やがて、家々が流され、大きな船まで流れに翻弄されていた。
大人の半分ほどの児童が、この流れに飲まれては、どうなるものでもなかった。
A教諭は、助かったばかりの貴重な我が命ではあったが、なんだか死にたいような気もした。
自然災害とはいえ、学校で与っている大勢の子どもたちが、これほどに大規模に犠牲になることなど、つい昨日までの平和な日本の社会では、あってはならないことであるからだ。
天空からは、小雪が舞い降りてきていた。
数分おきには、傾斜地には立っていられないほどの巨大余震にも見舞われた。
何と言う気象だろう・・・
荒れ狂う大地。
荒れ狂う海。
そして、何という人生だろう…と、A教諭は打ちのめされていた。
目の前で、多くの子どもたちを死なせてしまった。
その責任などは取りきれるものでもなく、これから、どう身を処していいのかさえ見当もつかなかった。
それでも、彼は、ただひとりの大惨劇の目撃者であり、生き証人でもあった。
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