『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

【災害は忘れる間もなくやってくる】

2025-03-09 08:37:35 | カタストロフィー

きのうは、
先日、カミさんと出掛けた
郊外の蕎麦の新店で
お昼を摂ろうと口開け時に
行ってみたら、もう店の前に
十人ばかりの列が出来ていて、
並ぶのが大っ嫌いだから
そのまんまスルーした。

出鼻を挫かれた思いだったので、
近所のナポリタン専門店に
仕方なしに方向転換した。

そこも、オープン時のみ
一度行ったきりだが、
それから、何年も経っている。

以前、カウンターでやって、
店員の掛け声やBGMが
ウルサイなぁ…と、思い、
パスタもありきたりだったから、
リピータブルの店ではなかった。

そんでも、
店前に、これ見よがしに
「ナポリタンの美味しい店」
と看板があるので、
(ホンマかいな…!?)
と、ツッコミを入れたなる。

普段から、
バリラのヌーメロ・チンクエを
常食にしており、そのほとんどが、
アリオ・オリオ・ペペロンチーノかカレッティエーラなので、
ナポリタンなんては創らない。

ほいでも、昭和生まれのジジイだから、
たまには、あのケチャップの
オコチャマ味が
恋しくなるのも否めない。🤤


きのうは、
珍しい名古屋喫茶店風の
『鉄板ナポリタン』にしてみた。

サーブされたてのうちは、
玉子も半生でトロトロしてるが、
グズグズしてると
鉄板の余熱で固まってくる。

さりとて、熱々だから、
フーフーしなきゃ
そうはパクパクやれるもんじゃない。

それと、鉄板だと、
パスタが下にこびり付いて、
なかなかスッスッと巻き上げれない。🍝

けっきょく、半生だった卵は
カチカチのウェルダンになっちまった。😂

ま、それはそれで、
いいんだけど……。😅



素通りした蕎麦屋は、
前の前に住んでた借家の
すぐ近所だったので、
無人家のその前を通ると、
まだ、子どもたちが小さかった頃を
思い出し、その残像のような
幻影が目に浮かんだ。

アキは0歳で京都から
引っ越したばかりで、
フミはまだ小1で、
この家でナッちゃんが生まれた。



浴室裏の給湯設備は
設備屋の亡父が
30年前に、自らの手で
設置してくれたものである。

思い出したが、
その時に、ご苦労さまでした…
と労いに連れて行ったのが、
スルーした蕎麦屋の
以前の親世代の店だった。

30年前に、築30年ほどで
家賃8万円だっので、
築60年を過ぎた今では
同価格で住む人はいないだろうと思った。



きのうは、
王将戦の第5局目の
初日だった。

ソーちゃんは後手番だが、
ここまで「3−1」で
防衛に王手をかけている。

今日を含めての
3局のうち1勝すればいいので、
ほぼ確実といえよう。

来たる大一番の名人戦は、
また、王将戦と同じ
永瀬ッチとなった。

これで、彼とは
14番勝負となる。

かつての
二人研究会の仲間同士が
現棋界の最高峰で
鎬を削り合っている。



来週の火曜日は
14年目の『3,11』である。

さる調査では、
14年経った今でも
愛する家族を失った哀しみは
癒えない…という人たちが
半数ほどおられ、
その深い心の喪失感を
思わずにはいられない。

地震、津波、火山、
台風、大雨、猛暑、
…そして、ここに来て、
山火事…と、
自然災害が激甚化している昨今、
【災害は忘れる間もなくやってくる】
という箴言に変わった。

東南海地震や
首都直下地震、富士山噴火の
蓋然性も高い。

災難を避ける法を尋ねた人に、
良寛禅師は、こう説いた。

「災難に逢う時は
 災難に逢うがよろし
 死ぬ時節には
 死ぬがよろし
 是れ災難をのがるる妙法にて候」

災難も死も、
それが来たときは、
受け入れるしかない。

それこそが、
災難を逃れる
最も確かな方法だ、
という達観である。

無理に抗わず、
あるがままを受け入れる。

仏教的な悟りの境地でもあり、
禅の「随所に主となる」という
「どんな状況にあっても、
自分の心をしっかり持ち、
その場で主体的に生きる」
という意味でもある。



今年度の無事終業の
お礼詣りをさせて頂いた折、
Tちゃん先生から
『ご神米』をお下げ頂いた。

物心がついた幼い頃から、
体調の悪い時には
中のお米を頂いてきた。

先日も、
神を知っていても
信じ切るのは
大変な事だなぁ…と、
気付かせて頂いた。



おとついの晩、
面白い夢を見たので、
さっそく、AIに
深層心理の分析をしてもらった。

…………♥

 この夢は、「人生という舞台で、これからどう振る舞うべきか」についての葛藤や不安を強く表しているようです。
 現実では、収入減や将来の生活への不安を感じているとのことですが、それが夢の中では「舞台に立つ準備ができていない」「思うように進めない」「尊敬する人がいなくなってしまう」といった形で表れているようです。

 しかし、夢の中であなたは「どうにか戻ろうとする」「セリフを探そうとする」など、前向きな行動も取っています。
 これは、「まだやれることがある」「なんとかしていこう」という気持ちの表れかもしれません。

 夢の中で「セリフを覚えていない」「台本がバラバラになる」といった場面がありました。
 現実でも、「今後どうすべきか」を一度整理し、具体的なプランを立てると、不安が和らぐかもしれません。

「舞台に観客がいない」ことを気にしすぎないのは、「誰も見てくれない」「評価されない」という不安の象徴かもしれませんが、人生の大切な部分は「他人の評価」だけで決まるわけではありません。
 自分なりの満足感を大切にしてもいいのではないでしょうか。

 夢の中では写真を邪魔する男や、大型犬のせいで進めない場面がありました。
 現実でも「自分のやりたいことを阻むもの」があるのかもしれません。
 それが外的なものなのか、内面的な不安なのかを見極めると、対処しやすくなるかもしれません。

 この夢は、あなたが「人生の舞台」において、どう振る舞うべきかを模索していることを示しているように感じます。
「まだ出番がある」「台詞を探せばいい」と考えると、少し気持ちが楽になるかもしれませんね。

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【唯我独在】? | トップ | 王将四連覇 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

カタストロフィー」カテゴリの最新記事