『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

【天災は忘れる間もなくやってくる】

2024-09-25 06:52:34 | カタストロフィー

きのうは
病休後、久しぶりに
k中に出勤できた。

風邪の倦怠感と
ふらつき感は未だあるものの
どうにかセルフ・メディケーションで
対処した。

なにせ、朝方には
連日20℃を切り、
寝室にもセラミックヒーターを
出して「弱」で室温を23℃まで
上げている。



それでも、日中は
25℃前後になり
まだまだ夏日も多い。

日内・日間の気温差が
7℃以上あると
自律神経失調症を招来し易い。

健康優良児のカミさんも
いくらか怠いらしく、
学校の先生方も
一様にそうみたいである。

ならば、HSPで
元祖・虚弱体質のG様は
人一倍、二倍、怠かったり
重かったりしても
当たり前かもしれない。

それでも、
頑張って生きている・・・(笑)。

*

きのうは、
AD系(注意欠損系)で
「忘れんぼ屋さん」が
主症状でもあるJCが、
また予約を忘れて
すっぽかされた(笑)。

なにせ、
所属する地元の太鼓チームの
本番公演で、揃いのハッピを忘れ、
リーダーに大目玉くらったという
豪快な忘れんぼなので、
お母さんも困り果てていた。

知的には高く
IQ120以上群に属するので、
難関校を狙っているが、
受験票や筆記用具すら忘れないか
心配な子である。

もひとりの
すっぽかし屋には
逃げられてしまい・・・(笑)、
朝方からさっさと早退してしまった。

担任によれば、
朝から午後までずっと
授業中に居眠りのし通しで、
イビキまでかくので
他生徒から苦情が出ているという。

親がスマホを預けっぱなので、
ゲームか動画依存になってるのは
疑いようがなく、そのせいで、
DSPS(睡眠相後退症候群/
Delayed sleep-phase syndrome)
になっているようである。

意志薄弱系IDでもあるので、
心理療法でどうこうするのが
難しい子でもある。

なので、担任とのコンサルで、
速やかにスリープクリニック
もしくは、メンタルクリニックに
受診するにように親に勧告すべし、
と助言した。

年度末には
「就学指導委員会」案件ケース
とも考えている。



*

学会から年二回届く
ニュースレター的な
一般向け冊子が届いた。

「学校で教えてくれない事」
という特集では、
SNSの使い方についての例示が
要領よくまとめられているので、
『カウンセラー便り』として
全校生にプリントを創ろうかと
思わされた。

希死念慮を抱く生徒が
年々増加傾向にあるので、
その啓蒙にも
『便り』発行の必要があるかも・・・
とも感じている。



*

きのうは
前夜に余った
海老天と舞茸天に
これまた余ったミートソースを
絡めて、得体のしれぬ
オカズのベントになってしまった(笑)。

その海老天も
スーパーのやつなので、
半分以上がコロモで
前夜の「天婦羅うどん」では
なかなか海老にたどりつかない・・・
と、カミさんと笑い合った。



*

YouTubeで
1、2話だけ動画がアップされてた
『異世界居酒屋のぶ』の
続きを見たくなり、
退勤時にブックオフに寄ってみたら
11冊で2割引きのセットがあったので
買って帰った。

一度は最新刊まで
レンタルで読んでいるが、
風呂上りにのんびりと
再読を楽しめた。



**

連日、能登の豪雨災害の
悲報が朝刊の一面に載っている。

「地震で助かったのに・・・」
という見出しの記事に目をやったら
避難所が被災して亡くなった
という災難であった。

中3の女の子も
行方不明だというから
気の毒としか言いようがない。

 



『編集コラム』には、
「まさか」正月に・・・
「またか」とか、
【天災は忘れた頃にやってくる】
ではなく
【忘れる間もなくやってくる】
と、昨今の災害の不条理性を
嘆いていた。



**

HSPで「痛み」には
人一倍敏感なので、
朝刊の「緩和ケア」特集を
毎日チェックしている。

主に、末期癌の
鎮痛ケアの記事だが、
神経細胞を破壊する
神経ブロック以外に、
脊髄鎮痛法なる手段もある事を知った。

これまで、人生で
“のたうちまわるほどの痛み”
と言ったら、ぎっくり腰と
尿管結石くらいしか
思い当たらない。

気を失うほどの痛みは
局所麻酔での盲腸の手術で
癒着した腸を引出された時は
血圧が低下するほどの
大激痛で、それが
人生一番かもしれない。

文字通り、
悪魔のカギ爪で
内臓を鷲づかみにされたような
内臓痛で、筆舌に尽くし難かった。

耳元で血圧の数値を読んでる
看護婦の声が
20ずつ低下して
気が遠のく一歩手前だった。

「痛み」は人格を変える、
というエピソードは多々あり、
知人からも
人の良かった縁者が
苦痛の極みで人間性が変化した
という話も聞いたことがある。

であればこその
「緩和ケア」の必要性が
注目されて然るべきである。

かのキューブラー・ロスにも、
晩年、鬱病になって
「死や人生に意味なんてない」
という、これまでの自身の
高邁な自節を否定するような
人間性に変わり、
周囲を落胆させたエピソードがある。

かくばかりに、
病気や痛みは
人の尊厳を脅かす
厄介なものでもある事を
心理臨床家は肝に銘じている。







 

 

 


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