あの3.11から2年経ったなぁ・・・
と感慨にふけっていたら、
夜、宅配便で赤穂在住の
元同僚でギター弟子のガッチャンから、
いろいろな保存食の
詰め合わせが送られてきた。
彼女からは
3.11当時、遠路遥々、赤穂から
元自衛官のご主人が
支援物資をボストンバッグ満杯に
届けてくださったり、
その後もたびたび機会あるごとに
何かと物資を送って頂いている。
もう、日常品は不足なく
入手できる平時には戻っているが、
それでも、まだ除染は手付かずで、
心には原発被災の重荷を背負っている。
西日本では、日に日に
風化しているであろう
東日本大震災、原発事故の被災者に
いつまでも心を寄せて下さるのは
実にありがたいことである。
感謝。多謝。カムサミダー。 (T人T)
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人生随談
先生 「純音楽になぜ感動するか」というのは後で考えますけど…。
とりあえず、演奏会でのプログラミング戦略はね、まずは誰もが知っている曲をやるんです。つまり、「あっ、これ知ってる」という共感というか安心感を提供する。
奈保子 なるほど。「心に感じさせる」ということでは「感心」ですね。
先生 そうそう。
それから、激しい曲、情熱的曲調というのは、けっこう情動に訴えやすいと思ったんです。それで、フラメンコの曲を必ず1曲は取り上げたんです。フラメンコにはクラシックとは違ったラスゲアードという掻き鳴らし奏法があるんですよ。それは、視覚的にも見てカッコいい。
奈保子 はいはい。ジャラジャラ鳴らす弾き方ですね。
先生 うん。で、フラメンコというのは、曲の〆がハッキリしてるでしょ。
最後は必ず「オレーッ!」っていう感じで。それが、「おー!」って、聴衆に受けやすいんですよ。
奈保子 わかります。ノリがいい音楽ですものね。
先生 そう、キメが大切なの。あれは生理的に気持ちいいんでしょうね。
それから、甘々のメロディアスな乙女チックな曲を入れるんです。ムードタップリにね。これは、ゼザートみたいなもんかな。
奈保子 なるほど、それって、コース料理の感覚ですね。
先生 そうそう。スパイスの効いたメイン・ディッシュをどこにもってくるかとかね。そのためには、受けないと解っていても、あえてマイナーな純クラシックの曲もプログラミングしましたものね。それって、初めて体験する味みたいなものでしょ。
奈保子 そうですね。聴衆が未経験のものをぶつけたんですね。
先生 そう。そうすると、不可解で緊張するでしょう。そこで、次に解りやすい曲とかをやって緩和させるんです。
奈保子 すると、情動的変化が起きますね。
先生 起こるんですよ。天才・落語家の桂枝雀は「落語の要諦は、緊張と緩和だ」って、ちゃんと言ってましたものね。
奈保子 なるほど。生理的な開放感が喚起されるんですね。
先生 ちゃんと、300円分「感心」させてるでしょ(笑)。
奈保子 なんだか、見世物小屋の興行師みたいですね(笑)。
先生 ハハハ。そーかもね。自分では音楽監督というかコンサート・ディレクターのつもりだったけど。
奈保子 でも、「感動」させるのは難しかったんですか。
先生 そうなんですよ。そこそこ「感心」させることは出来る。でも、心底、感動させるのは並大抵のことじゃ出来ないんです。でも、中には「感動した」と書いてくれたお客さんもいるんですよ。私のソロでは『さくら変奏曲』なんかは、誰でも感動するみたいなんだ。で、よくよく分析してみると、誰でも知ってる曲で、筝曲風で、音質、音量、音程の変化に富んでいて、リリカルで、テクニカルで、ハッタリが効いていて…と、けっこういろんな要素があるんです。
奈保子 とすると、その中に、普遍的な要素がありそうですね。
先生 そう思うでしょ。筝曲風は特異的だから別として…。テクニカルで、ハッタリが効いていて、というのはヴィルトゥオーゾ的という要素ですね。
奈保子 パガニーニやリストの曲ような、華やかな超絶技巧的要素ですね。
先生 そう。それは、いつの時代でも人を驚かせ、感心させ、ときに感動させるんだね。「神業」という言葉もあるから、きっと聖なる「神」と結びつく情動が反応するのかもしれない。
奈保子 最近では、ネットでも、ちょっと優れたコラとかが出ると「カミ!」というカキコがありますものね。
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