毎月、三河台学習センターで
ギター合奏団の練習をしているので、
センター側から地区の老人対象の
寿大学での演奏を依頼された。
平日だったので、
定年組と自由業者だけの
半数のメンバーで参加した。
メンバーの自己紹介では
「私だけ、まだ、年金をもらっていません」
という老人ギャグが受けた。
事実、このメンバーでは
最年少である。
ソロを一曲依頼されたので
十八番の『影を慕いて』を演奏したら、
みんな喜んでくれて
満面の笑顔と共に拍手喝采だった。
終わってからも、
玄関先で、しみじみと
「今日は、楽しませてもらいました」
と礼を述べられ、
ギタリスト冥利につきると思った。
ギャラも出たので、
帰りに、恒例の打ち上げとなった。
後は、5月の発表会と
6月にメンバーの羽田先生が
退職記念コンサートを催すので、
それに賛助出演する。
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人生随談
先生 「純音楽になぜ感動するか」という本質的な問題でいえば、やはり、音楽の三要素のリズム・メロディー・ハーモニーと音質、音量、音程の変化なんだと思いますよ。
楽音と自然音の違いは、楽音には人の意志が介在してるんです。
例えば、雨垂れがポタリと落ちる音は自然音で、その一音だけに感動する人は「池に飛び込む蛙の音」に感じた芭蕉レベルの感性の持ち主だけでしょ。
奈保子 そうですね。
先生 ベートーヴェンの『運命』の出だしの「ジャジャジャーン」は有名ですが、あれは、意図的に創られた楽音です。自然界では、よほどの偶然でもあの音程と音価(音の長さ)は起きないですよ。
奈保子 なるほど。そこに、人の意志があって、操作があるんですね。
先生 そう。ちょっと話が逸れるけど、「感動」というのは情動的反応でしょ。そして、情動は記憶と密接な関係がありますね。
奈保子 はい。
先生 それと、解剖学者の養老先生の話では、耳は大脳辺縁系という古い脳とつながっているらしく、情動もまさにそこに位置する。記憶は大脳皮質という新しい脳の領域ですけどね。
奈保子 なるほど、そうすると、ある種の聴覚情報が記憶と情動の両方につながると、感動という反応が生じるんですね。
先生 生理的にはそういうことです。ただ、ある聴覚情報という、つまり特定の音楽が、万人に同じ「感動」反応を引き起こすわけではないので、やはり、そこには個別の記憶情報との関連が考えられるわけですよ。
奈保子 そうなりますね。個人の何らかの生育歴上のイヴェントがイメージされるか、または、そのときの情動がフラッシュバックされる現象が感動なのかもしれませんね。
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