コロナ関連記事で、
真冬の寒さと乾燥は
粘膜を刺激し
抵抗力が低下していると
風邪や肺炎の温床になる…と、
iPSの山中先生が
朝刊で言っていた。
たしかに、
ここ数年、毎冬ごとに、
風邪の長患いやら
気管支炎の長患いを
経験している。
今も、
冬休み前から
風邪を患い、
楽しみにしていた
クリスマス・コンサートでの
生徒たちとの筝曲合奏を
ドテキャンし、
以後、体調不良と回復を
今日に至るまで繰り返している。
コロナに罹っていないだけ
幸いなのだろうが…。
この長引く風邪模様や
オシリの鈍痛なぞは、
あるいは、
自分の行動範囲を狭めたり
活動意欲を低下させてくれて、
コロナ罹患の確率を下げるのに
寄与している無意識下の
セルフ・アレンジメントかもしれない、
と思ったりもしている。
心身症的症状には、
そのような
目的論的な発症機構も
あるのである。
きのうは
朝一で鍼治療に出かけたが、
戸外は-5℃で、
車内は-4℃を示していた。
フロントガラスに氷結した
雪を掻き落とすにも
戸外にあったプラ・スコップの柄が
氷の棒のように冷たく
素手で握ってるのは
30秒が限界だった。
きのうは、
岩手でも-24℃を記録した
というので驚いた。
いちど、
教員時代のスキー訓練合宿で、
万座温泉のゲレンデで
-17℃という極寒を経験したが、
あまりの寒さに生徒たちの唇が
紫色になり、動きも緩慢になって
日中の訓練を中止したことがあった。
北海道の極寒地でよくやる
濡れタオルを
ブンブン振り回してみたら
ウソみたいにカッチンカッチンの
棒状になって
驚いたことがある。
この寒さで、
筋肉も縮こまってるのか、
鍼治療でも
いつもより入りにくい
と施術者が言っていた。
冬に神経痛がわるくなり、
温泉療治にいくと善くなる
といったのは、
なるほど、こういうワケか…
と体験者として納得がいった。
新年の初分析に来られた
R先生から
お菓子籠を頂戴した。
いつもなら、
お茶を差し上げる処だが、
風邪気味でダルイと、
茶人と称しながらも、
香を炊く、湯を沸かす、
茶を振るう、茶巾をセットする、
主菓子を拵える…という
一連のルーティンさえ
億劫になってしまう。
「体(たい)の丈夫を願え。
体を作れ。
何事も、体が元なり」
という
「祈り」の詞(ことば)が
『食後訓』としてあるが、
勤務中は弁当のあとに
唱えていた。
冬休み中の"ぼっちランチ"では
ダンマリだったので、
今日からまた
「願い」「祈り」「暗示」
として唱えようと思う。
詞/言葉には、
スピリチュアルなパワーがあり、
言霊(ことだま)や呪文が
それを証明している。
それと、
仕事や夢中になることが、
カラダの免疫機能を高めたり、
自律神経の不調を
回復させてくれる事があり、
「安静」か「リハビリ」か…
の見極めと選択も
自己診断のキー・ポイントである。
『落ち目の祈り』(笑)
・・・もとい
『乙女の祈り』を
弾いてみた。
高校時代に買った楽譜が
いまだに楽譜庫に保管してあったから、
いつか弾くかもしれないと
その頃に思ってたのだろう。
それが、まさか、
45年後に取り出して
やってみるとは、
夢にも思っていなかったろう。
日本では、
オルゴールのメロディとして
お馴染みである。
いちおう、
曲としては整っており、
似た音型の繰り返しが多く、
いかにもオルゴール向きの
甘美なメロディである。
調べてみると、
作曲者のバダジェフスカが
1856年の18歳頃の
4番目に書いた作品のようで、
パリの音楽ニュース雑誌に掲載され、
その名が広く知られる処となったらしい。
ただ、当時は、
音楽教育を受けていない少女に対して、
「浅薄な素人くささを超えられなかった」
と、音楽事典等では
酷評されていたようだ。
日本の表記では、
バダジェフスカが一般だが、
ショパンと同じポーランド人で
「ボンダジェフスカ」が
正しい発音に近いようである。
音楽教育は受けていなかったが、
サロンでのピアノ演奏家として活躍し
35曲もの作曲も行っていた。
結婚し5人の子どもがいたが、
1861年に病弱のために
ワルシャワにて27歳で夭折。
本国ポーランドでは
認知度が低く、
「祈り」という言葉が
共産圏の影響下にあった頃は
不適切とみなされ、
また、先人に当たる
ショパンのような偉大な
作曲家に比されると
作品に高い芸術性が認められず
音楽界では相手にされなかったようだ。
『乙女』シリーズは他に、
乙女の感謝/乙女の誓い
乙女の恥じらい/乙女の晩祷
などがある。
日本では、
JRや信号機やゴミ収集車などで
よく聞かれるが、
少女たちのレッスン曲としても
広く愛されているので、
来日したポーランド人により
「再発見」され、
本国でも少しずつ
再評価がなされてきているという。
ショパンの『幻想即興曲』に比べたら
はるかに易しい曲だが、
全音ピースの「難易度」では、
「B」(初級上)になっていた。
ちなみに、
『幻想』は「E」(上級)である。
ついでに、
お稽古している
曲の難易度を俯瞰してみた。
ソナタ『悲愴』 D (中級上)
ソナタ『テンペスト』 E
エリーゼのために B
英雄ポロネーズ F(上級上)
雨だれの前奏曲 E
月の光 C
夢想 C
アラベスク C
亡き王女のためのパヴァーヌ C
・・・たしかに、
妥当なレイティングかもしれない。
近所の『万サイ堂』が
来週で閉店するので、
投げ売りセールしてないか
のぞいて見たが、
それらしき風もなかった。
それでも、
300円と200円のプレートを
"ドレッセ遊び"用に
買ってきた。
白地で
「葉型/波型」の
縁取りのプレートは、
それなりに上品で、
『仔羊のソテー』を
ドレッセしてみたら、
まあまあのキャンバスに
なってくれた。
週末の朝は、
女神容貌の
アサちゃんのイケヴォで
目覚めている。
彼女、
フミより三つ下、
アキより一つ上の
92年生まれの29歳で
すでに人妻である(笑)。
だから、
ダンゴ三兄弟でなく
"三姉妹"だったら、
次女くらいなのである(笑)。
なのに、
毎週末、
「カ~イ~ナ~!!」
と、見惚れている(笑)。
真冬の寒さと乾燥は
粘膜を刺激し
抵抗力が低下していると
風邪や肺炎の温床になる…と、
iPSの山中先生が
朝刊で言っていた。
たしかに、
ここ数年、毎冬ごとに、
風邪の長患いやら
気管支炎の長患いを
経験している。
今も、
冬休み前から
風邪を患い、
楽しみにしていた
クリスマス・コンサートでの
生徒たちとの筝曲合奏を
ドテキャンし、
以後、体調不良と回復を
今日に至るまで繰り返している。
コロナに罹っていないだけ
幸いなのだろうが…。
この長引く風邪模様や
オシリの鈍痛なぞは、
あるいは、
自分の行動範囲を狭めたり
活動意欲を低下させてくれて、
コロナ罹患の確率を下げるのに
寄与している無意識下の
セルフ・アレンジメントかもしれない、
と思ったりもしている。
心身症的症状には、
そのような
目的論的な発症機構も
あるのである。
きのうは
朝一で鍼治療に出かけたが、
戸外は-5℃で、
車内は-4℃を示していた。
フロントガラスに氷結した
雪を掻き落とすにも
戸外にあったプラ・スコップの柄が
氷の棒のように冷たく
素手で握ってるのは
30秒が限界だった。
きのうは、
岩手でも-24℃を記録した
というので驚いた。
いちど、
教員時代のスキー訓練合宿で、
万座温泉のゲレンデで
-17℃という極寒を経験したが、
あまりの寒さに生徒たちの唇が
紫色になり、動きも緩慢になって
日中の訓練を中止したことがあった。
北海道の極寒地でよくやる
濡れタオルを
ブンブン振り回してみたら
ウソみたいにカッチンカッチンの
棒状になって
驚いたことがある。
この寒さで、
筋肉も縮こまってるのか、
鍼治療でも
いつもより入りにくい
と施術者が言っていた。
冬に神経痛がわるくなり、
温泉療治にいくと善くなる
といったのは、
なるほど、こういうワケか…
と体験者として納得がいった。
新年の初分析に来られた
R先生から
お菓子籠を頂戴した。
いつもなら、
お茶を差し上げる処だが、
風邪気味でダルイと、
茶人と称しながらも、
香を炊く、湯を沸かす、
茶を振るう、茶巾をセットする、
主菓子を拵える…という
一連のルーティンさえ
億劫になってしまう。
「体(たい)の丈夫を願え。
体を作れ。
何事も、体が元なり」
という
「祈り」の詞(ことば)が
『食後訓』としてあるが、
勤務中は弁当のあとに
唱えていた。
冬休み中の"ぼっちランチ"では
ダンマリだったので、
今日からまた
「願い」「祈り」「暗示」
として唱えようと思う。
詞/言葉には、
スピリチュアルなパワーがあり、
言霊(ことだま)や呪文が
それを証明している。
それと、
仕事や夢中になることが、
カラダの免疫機能を高めたり、
自律神経の不調を
回復させてくれる事があり、
「安静」か「リハビリ」か…
の見極めと選択も
自己診断のキー・ポイントである。
『落ち目の祈り』(笑)
・・・もとい
『乙女の祈り』を
弾いてみた。
高校時代に買った楽譜が
いまだに楽譜庫に保管してあったから、
いつか弾くかもしれないと
その頃に思ってたのだろう。
それが、まさか、
45年後に取り出して
やってみるとは、
夢にも思っていなかったろう。
日本では、
オルゴールのメロディとして
お馴染みである。
いちおう、
曲としては整っており、
似た音型の繰り返しが多く、
いかにもオルゴール向きの
甘美なメロディである。
調べてみると、
作曲者のバダジェフスカが
1856年の18歳頃の
4番目に書いた作品のようで、
パリの音楽ニュース雑誌に掲載され、
その名が広く知られる処となったらしい。
ただ、当時は、
音楽教育を受けていない少女に対して、
「浅薄な素人くささを超えられなかった」
と、音楽事典等では
酷評されていたようだ。
日本の表記では、
バダジェフスカが一般だが、
ショパンと同じポーランド人で
「ボンダジェフスカ」が
正しい発音に近いようである。
音楽教育は受けていなかったが、
サロンでのピアノ演奏家として活躍し
35曲もの作曲も行っていた。
結婚し5人の子どもがいたが、
1861年に病弱のために
ワルシャワにて27歳で夭折。
本国ポーランドでは
認知度が低く、
「祈り」という言葉が
共産圏の影響下にあった頃は
不適切とみなされ、
また、先人に当たる
ショパンのような偉大な
作曲家に比されると
作品に高い芸術性が認められず
音楽界では相手にされなかったようだ。
『乙女』シリーズは他に、
乙女の感謝/乙女の誓い
乙女の恥じらい/乙女の晩祷
などがある。
日本では、
JRや信号機やゴミ収集車などで
よく聞かれるが、
少女たちのレッスン曲としても
広く愛されているので、
来日したポーランド人により
「再発見」され、
本国でも少しずつ
再評価がなされてきているという。
ショパンの『幻想即興曲』に比べたら
はるかに易しい曲だが、
全音ピースの「難易度」では、
「B」(初級上)になっていた。
ちなみに、
『幻想』は「E」(上級)である。
ついでに、
お稽古している
曲の難易度を俯瞰してみた。
ソナタ『悲愴』 D (中級上)
ソナタ『テンペスト』 E
エリーゼのために B
英雄ポロネーズ F(上級上)
雨だれの前奏曲 E
月の光 C
夢想 C
アラベスク C
亡き王女のためのパヴァーヌ C
・・・たしかに、
妥当なレイティングかもしれない。
近所の『万サイ堂』が
来週で閉店するので、
投げ売りセールしてないか
のぞいて見たが、
それらしき風もなかった。
それでも、
300円と200円のプレートを
"ドレッセ遊び"用に
買ってきた。
白地で
「葉型/波型」の
縁取りのプレートは、
それなりに上品で、
『仔羊のソテー』を
ドレッセしてみたら、
まあまあのキャンバスに
なってくれた。
週末の朝は、
女神容貌の
アサちゃんのイケヴォで
目覚めている。
彼女、
フミより三つ下、
アキより一つ上の
92年生まれの29歳で
すでに人妻である(笑)。
だから、
ダンゴ三兄弟でなく
"三姉妹"だったら、
次女くらいなのである(笑)。
なのに、
毎週末、
「カ~イ~ナ~!!」
と、見惚れている(笑)。
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