『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

去年の今頃・・・

2020-12-03 05:34:00 | 家族

誕生日を前にして、
ふと、そういや、去年の今頃は、
フミの結婚式で
八ヶ岳に赴いて
家族全員集合したっけなぁ…
と思い出した。




祝宴でギターを演奏し、
花嫁家とも楽しく
語り合い、
12月の高原での結婚式
という非日常的なイベントを
体験させてもらった。

そして、
お嫁さんになった
ミカちゃんは5月に
無事にリッ君を出産したが、
コロナ禍のせいで、
半年たった今も
まだ、その可愛い初孫に
会えていない。

ワクチンが接種できたら、
なんとか、一日も早く、
この手に初孫を
抱いてみたい。






金曜日にY中で
クリスマス・コンサートに
筝曲合奏をする
『さくらさくら』の
合わせをやる。

なので、
毎日、茶室に設置してる
琴の練習に余念がない。

昨日も風呂上りに
汗ばむほど弾き込んだ。

そして、
また着替え直してから、
隣の書室に移って
臨書を半時ほど集中してやった。

最近、
「琴」→「書」→「ピアノ」
という立て続けにやっていると、
なんだか、めっきりと
老後っぽい感じがしないでもない(笑)。

これに、
「料理」と「茶」が加わる。

何をかやっていれば、
その間、しばし、
オシリ痛を忘れて
"一つ事"に没頭できるのだろう。

慢性痛が治ったら、
何をかせん…
ではなく、痛みを忘れるほど
何をかせん…
というのが、「ACT(没入療法)」と
言ってもいいのかもしれない。

「書」も独自の
顔彩によるカラー書道である(笑)。

「琴」も構えを
上下さかさまにして
ギター式に低音弦を手前にした
独自の「佐々木流」である。

そうすると、
左手が伴奏に使え、
原理的にはピアノやハープと
同じになる。

琴や大正琴は
単音演奏が多いので、
ギタリストには
なんだか楽器の機能を
生かし切れてないような
気がするのである。







お寺さんの
立派な山門の看板を見ると
ついつい写真にとって、
臨書の手本にしている。

『立石寺』の字体は、
「立石」が真っ直ぐで
「寺」が右肩上がりという
なんともアンバランスで、
書の骨法・理屈に合わないなぁ…
と怪訝に感じている。

『観音堂』の
「音」の字も
空間が潰れ過ぎて
判読できないようなものである。

これも、
なんだかなぁ…
という感じである。




階下のご神前には、
葬儀の折の遺影が、
田舎の旧家の仏間のように
ズラリと掲げてある。

祖父は、自分がハタチの時に、
祖母は25の頃に亡くなった。

父は40才頃だったので、
もう二十年以上経つ。

時折、頭上の三人に対しても
御霊様(みたまさま)として
拝礼して、家族の無事安寧を
願っている。



 ちちははのいのちにつづくわがいのち
 わがものにして
 わがものならず



 わがいのち天地とともにある
  かしこみ師走満月
 仰ぎをろがむ




 わがいのち
 今あらしめ給ふことかしこみ
 冬の大空仰ぐ

             碧 水

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