トルコでクーデターが
未遂に終わった。
市民や反乱軍に
数百人もの犠牲者が出たようだ。
現大統領が市民に
反乱軍を阻止するように呼びかけ、
戦車などを取り巻くように
市民が反乱戦士たちを
非暴力的に押さえ込んだ。
かつてソ連で起こったクーデターでも、
戦車の砲塔に花束を入れて
敢然と向かった老婦人の姿が
世界中に報道されたのを思い出した。
今回のトルコの反乱軍は、
市民に向けては
発砲しなかった模様だが、
中国の天安門事件では
民主化運動をする学生たちに向けて
人民解放軍が容赦なく発砲したのを
映像で目の当たりにしたことがある。
民主主義で選ばれた政権を
軍事力や暴力という「力」で
転倒させようというのは、
法治社会に対する挑戦であり、
それは恐怖政治社会への
歴史的退行である。
20世紀は
「戦争の世紀」とも
反省的に回顧され、
21世紀こそは
進歩した人類が
平和で輝かしい未来を
手に入れるだろうと期待されていた。
しかし、現実はどうだろう。
世界中で、連日のテロやら
情勢不安の混乱続きではないか。
人類は、二度の世界大戦を通じ、
多大な犠牲と不毛な結果の反省に立って、
国連を創設するに至り、
「対話」こそが最も叡智に富んだ
人間的手法である…と、
学んだはずである。
それが、ここにきて、またぞろ、
「武力解決」に退歩しているのは、
なんとも哀しい話である。
切りのない泥沼状態の
テロとの闘いを、
すでに第三次世界大戦は始まっている、
という見方もある。
ならば、今こそ、
世界市民が団結して
世界中の戦車の砲塔に
花束を入れる運動を
SNSをも利用してでも
やらねばならないのかもしれない。
まずは、
自分は何が出来るのか、
この夏休みに考えみたい。
フランスの
暴走トラック・テロは、
銃や爆弾を使わずとも、
通常の大型車で
人ごみに突っ込んでいくだけでも
百人近くの人を殺傷できる
ということをテロ予備軍に
知らしめた。
ISとの関連は定かではないが、
そのテロ行為の模倣としても、
影響が無関係とはいえないだろう。
最終的には
警察や軍に射殺されたので
自爆テロといえないこともない。
これは、心理臨床でよく見られる
「自傷他害」の自殺の変形でもある。
順番から言えば、
これからは
「他害自傷」と
言い換えたほうがいいだろう。
他者を殺し自分も死ぬ、というのは、
もっとも悲惨で救いようのない
暴挙であり、罪深い非道である。
銃社会であるアメリカでは
たびたび学校での
悲劇が生じている。
コロンバイン高校事件や
バージニア工科大事件も、
学友を何十人も射殺し、
最後は自殺するという
自爆テロ型の凶行である。
*
今回の犯人は、
精神を病んでおり、
社交性がなく、
発作的な破壊衝動があった、
と朝刊で読んだ。
臨床家として、
そういう人物は幾人も看てきたが、
いつも力説しているのは、
薬物療法と心理療法(カウンセリング)に
加えて、社会療法・・・即ち、
家族親族・学校・地域社会・福祉行政
などによるサポートという
三本柱によって支えられてこそ
反社会的アクト・アウトが未然に防げる、
ということである。
ここに於いても、
彼の「こころの砲塔」に
花束を入れる者が
必要なのである。
*
この処の、
世界規模での
殺戮事件の多さを観るにつけ、
生物学的な環境圧力も
関連しているのではないか、
と密かに感じている。
小型水槽内でミジンコを飼育すると
個体数増加により環境劣化が起こり、
その結果、個体数が右肩上がりから
一定量で頭打ちになる現象が観られる。
人口の増加による生存環境劣化は、
それがフィードバックされて、
人類自らを「間引く」という環境圧力が
目に見えず働いているのかもしれない。
日本の少子化現象と人口減も
いくらかミジンコと同様な
バイオ・フィードバックも
絡んでいるやもしれぬ。
*
脳内の気質的病理による
個人の発狂や狂乱の発生は、
人種民族に関係なく
あるパーセンテージで観察される。
殊に、昨今の
「他害自傷」のケースでは、
未開部族で突然に発狂した一人が
多くの同族を殺害し、
果ては同族から殺される、
というプリミティブな蛮行を
彷彿させる。
生物学者のライアル・ワトソンは、
この現象を「自殺の変形」と
捕らえていた。
トランプの台頭で、
アメリカも危ういナショナリズムに
染まりつつある。
国連海洋法条約に批准している中国が、
国際仲裁裁判の判決を
無視するという暴挙に出た。
国連常任理事国が
「法律なんかクソ喰らえ!
オレ様がルールブックだ!」
とばかり、
国際法を遵守しない、
と世界に公言したのであるから、
ヤクザとも、ならず者とも、無法国家とも、
謗りを受けても致し方あるまい。
中国は法治国家ではなく、
一党独裁政権の
党治国家であり、
それは、ヒトラーの
ナチズムと変わりない。
チベット弾圧や
ウイグル族弾圧などは、
ポーランド侵攻から
欧州侵略を為した
ナチス・ドイツのスタイル
そのままである。
言論の自由もなければ、
報道の自由、信仰の自由も
中国にはない。
その国が世界第二位の
経済力を持ったものだから、
中華思想がさらに
自我肥大(インフレーション)
を起こしたのである。
中華思想とは、
ウィキによれば、
「中国が宇宙の中心であり、
その文化・思想が神聖なものである
と自負する考え方で、
漢民族が古くからもち続けた
自民族中心主義の思想。
漢民族とは異なる周辺の辺境の異民族を
文化程度の低い禽獣であるとして卑しむ」
という、
トンデモナイ自己中の
イデオロギーなのである。
これはゲルマン民族こそが
世界で最も優れた民族で、
ユダヤ民族は最も下等な民族、
と喧伝したナチズムと
同じ思想である。
話を人体に例えると、
心臓・肺・胃・・・と、
異なる機能・形態を持つ細胞が
組織化し、それぞれの器官を形成して、
それらが協調し合い、
一個の調和した個体を形成するなかで、
突然に発生したガン細胞が
際限ない増殖という勝手気ままな振舞いで、
果ては宿主の個体を滅ぼし、
自らも滅ぶという
「マッド・セル」(狂った細胞)の
命運を彷彿させる。
もっとも、
かつて日本も
軍国主義に国中が侵され、
アジアの民を塗炭の苦しみに
追いやったことも
忘れてはなるまい。
*
中国は、最近、
アジア・インフラ銀行設立をリードし、
自らにはちゃっかり
国連の悪権限である拒否権まで担保し、
おまけに、元総理でルーピー(奇人変人)の
鳩山由紀夫を引き入れて
これを洗脳し傀儡にして、
抗日プロパガンダに
利用しようとしているのが
見え見えである。
先日、亡くなった兄貴が、
愚弟の国益に反する暴挙を
幽界から未然に防いでくれることを
願わずにはいられない。
それがダメなら
『ゴルゴ13』にでも
お願いしようか。
おっと、自分の中にも
武力・暴力で排除しようという
「鬼」が顔を出してしまった。
誰の心中にも
「鬼」は棲んでいるので、
それと、どう向き合うか、
というのが人類的課題でもある。
*
愚かな弟「北朝鮮」を
御しきれない
「中国」という国もまた、
愚かな兄貴である。
そこに、
厄介な親戚のロシアも
同調しているから、
キナ臭い。
未遂に終わった。
市民や反乱軍に
数百人もの犠牲者が出たようだ。
現大統領が市民に
反乱軍を阻止するように呼びかけ、
戦車などを取り巻くように
市民が反乱戦士たちを
非暴力的に押さえ込んだ。
かつてソ連で起こったクーデターでも、
戦車の砲塔に花束を入れて
敢然と向かった老婦人の姿が
世界中に報道されたのを思い出した。
今回のトルコの反乱軍は、
市民に向けては
発砲しなかった模様だが、
中国の天安門事件では
民主化運動をする学生たちに向けて
人民解放軍が容赦なく発砲したのを
映像で目の当たりにしたことがある。
民主主義で選ばれた政権を
軍事力や暴力という「力」で
転倒させようというのは、
法治社会に対する挑戦であり、
それは恐怖政治社会への
歴史的退行である。
20世紀は
「戦争の世紀」とも
反省的に回顧され、
21世紀こそは
進歩した人類が
平和で輝かしい未来を
手に入れるだろうと期待されていた。
しかし、現実はどうだろう。
世界中で、連日のテロやら
情勢不安の混乱続きではないか。
人類は、二度の世界大戦を通じ、
多大な犠牲と不毛な結果の反省に立って、
国連を創設するに至り、
「対話」こそが最も叡智に富んだ
人間的手法である…と、
学んだはずである。
それが、ここにきて、またぞろ、
「武力解決」に退歩しているのは、
なんとも哀しい話である。
切りのない泥沼状態の
テロとの闘いを、
すでに第三次世界大戦は始まっている、
という見方もある。
ならば、今こそ、
世界市民が団結して
世界中の戦車の砲塔に
花束を入れる運動を
SNSをも利用してでも
やらねばならないのかもしれない。
まずは、
自分は何が出来るのか、
この夏休みに考えみたい。
フランスの
暴走トラック・テロは、
銃や爆弾を使わずとも、
通常の大型車で
人ごみに突っ込んでいくだけでも
百人近くの人を殺傷できる
ということをテロ予備軍に
知らしめた。
ISとの関連は定かではないが、
そのテロ行為の模倣としても、
影響が無関係とはいえないだろう。
最終的には
警察や軍に射殺されたので
自爆テロといえないこともない。
これは、心理臨床でよく見られる
「自傷他害」の自殺の変形でもある。
順番から言えば、
これからは
「他害自傷」と
言い換えたほうがいいだろう。
他者を殺し自分も死ぬ、というのは、
もっとも悲惨で救いようのない
暴挙であり、罪深い非道である。
銃社会であるアメリカでは
たびたび学校での
悲劇が生じている。
コロンバイン高校事件や
バージニア工科大事件も、
学友を何十人も射殺し、
最後は自殺するという
自爆テロ型の凶行である。
*
今回の犯人は、
精神を病んでおり、
社交性がなく、
発作的な破壊衝動があった、
と朝刊で読んだ。
臨床家として、
そういう人物は幾人も看てきたが、
いつも力説しているのは、
薬物療法と心理療法(カウンセリング)に
加えて、社会療法・・・即ち、
家族親族・学校・地域社会・福祉行政
などによるサポートという
三本柱によって支えられてこそ
反社会的アクト・アウトが未然に防げる、
ということである。
ここに於いても、
彼の「こころの砲塔」に
花束を入れる者が
必要なのである。
*
この処の、
世界規模での
殺戮事件の多さを観るにつけ、
生物学的な環境圧力も
関連しているのではないか、
と密かに感じている。
小型水槽内でミジンコを飼育すると
個体数増加により環境劣化が起こり、
その結果、個体数が右肩上がりから
一定量で頭打ちになる現象が観られる。
人口の増加による生存環境劣化は、
それがフィードバックされて、
人類自らを「間引く」という環境圧力が
目に見えず働いているのかもしれない。
日本の少子化現象と人口減も
いくらかミジンコと同様な
バイオ・フィードバックも
絡んでいるやもしれぬ。
*
脳内の気質的病理による
個人の発狂や狂乱の発生は、
人種民族に関係なく
あるパーセンテージで観察される。
殊に、昨今の
「他害自傷」のケースでは、
未開部族で突然に発狂した一人が
多くの同族を殺害し、
果ては同族から殺される、
というプリミティブな蛮行を
彷彿させる。
生物学者のライアル・ワトソンは、
この現象を「自殺の変形」と
捕らえていた。
トランプの台頭で、
アメリカも危ういナショナリズムに
染まりつつある。
国連海洋法条約に批准している中国が、
国際仲裁裁判の判決を
無視するという暴挙に出た。
国連常任理事国が
「法律なんかクソ喰らえ!
オレ様がルールブックだ!」
とばかり、
国際法を遵守しない、
と世界に公言したのであるから、
ヤクザとも、ならず者とも、無法国家とも、
謗りを受けても致し方あるまい。
中国は法治国家ではなく、
一党独裁政権の
党治国家であり、
それは、ヒトラーの
ナチズムと変わりない。
チベット弾圧や
ウイグル族弾圧などは、
ポーランド侵攻から
欧州侵略を為した
ナチス・ドイツのスタイル
そのままである。
言論の自由もなければ、
報道の自由、信仰の自由も
中国にはない。
その国が世界第二位の
経済力を持ったものだから、
中華思想がさらに
自我肥大(インフレーション)
を起こしたのである。
中華思想とは、
ウィキによれば、
「中国が宇宙の中心であり、
その文化・思想が神聖なものである
と自負する考え方で、
漢民族が古くからもち続けた
自民族中心主義の思想。
漢民族とは異なる周辺の辺境の異民族を
文化程度の低い禽獣であるとして卑しむ」
という、
トンデモナイ自己中の
イデオロギーなのである。
これはゲルマン民族こそが
世界で最も優れた民族で、
ユダヤ民族は最も下等な民族、
と喧伝したナチズムと
同じ思想である。
話を人体に例えると、
心臓・肺・胃・・・と、
異なる機能・形態を持つ細胞が
組織化し、それぞれの器官を形成して、
それらが協調し合い、
一個の調和した個体を形成するなかで、
突然に発生したガン細胞が
際限ない増殖という勝手気ままな振舞いで、
果ては宿主の個体を滅ぼし、
自らも滅ぶという
「マッド・セル」(狂った細胞)の
命運を彷彿させる。
もっとも、
かつて日本も
軍国主義に国中が侵され、
アジアの民を塗炭の苦しみに
追いやったことも
忘れてはなるまい。
*
中国は、最近、
アジア・インフラ銀行設立をリードし、
自らにはちゃっかり
国連の悪権限である拒否権まで担保し、
おまけに、元総理でルーピー(奇人変人)の
鳩山由紀夫を引き入れて
これを洗脳し傀儡にして、
抗日プロパガンダに
利用しようとしているのが
見え見えである。
先日、亡くなった兄貴が、
愚弟の国益に反する暴挙を
幽界から未然に防いでくれることを
願わずにはいられない。
それがダメなら
『ゴルゴ13』にでも
お願いしようか。
おっと、自分の中にも
武力・暴力で排除しようという
「鬼」が顔を出してしまった。
誰の心中にも
「鬼」は棲んでいるので、
それと、どう向き合うか、
というのが人類的課題でもある。
*
愚かな弟「北朝鮮」を
御しきれない
「中国」という国もまた、
愚かな兄貴である。
そこに、
厄介な親戚のロシアも
同調しているから、
キナ臭い。
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