先日、
食卓の会話で、
カミさんが何気に
家庭訪問先の家のドアが
木製で感じよかった・・・
という話をしていた。
自分もかねてより
無垢のウッド・ドアに憧れがあって、
ミッちゃん叔母ちゃんちも
それに変えてから、
ますます憧憬の度合いが増した。
そしたら、
きのう、トイレん中で(笑)、
ふと、閃いて、
(そーだ!!
両面テープでプリント・べニアを
貼ってみよう・・・)
という姑息な手段を思いついた(笑)。
少6の時に新築して来の
53年間もずっと
アルミ製ドアのまんまなので、
今回、初めて
表面に木肌をプリントした
べニアを貼って
模様替え施行をした。
近所の『ダイユー8』で
ドアの大きさに合わせて
サービス・カットしてもらい、
ドア・ノブの部分は、
二階の古楽器工房で
ノミで穿孔した。
『ダイソー』では
両面テープを店にあるだけ
全部買い占めてきた。
ついでに、
黒色スプレーも買ってきて、
ドア・ノブを何度も
重ね塗りした。
*
いざ、作業を始めるとなると、
玄関外は10℃ほどの寒さなので、
ストーヴを持ち込んで、
時折、熱風を浴びながら
防寒対策をしながらの作業となった。
なにせ、
両面テープをドア一面に貼るのは
根気のいる「数仕事」で、
立ったりしゃがんだりを
何十っぺんも繰り返したので、
スクワットをした時みたいに
太腿から背筋まで筋肉痛になった。
風邪気味の体調を押して
寒風のなかで鼻水たらしながら
シコシコやってたので、
風邪も悪化したのか
今朝はカラダ中が激痛で
起き上がれないほどだった。
それでも、
両面どうにか貼り終えて、
いちおう、イメージ通りには
施行できた。
カミさんの留守中に
仕上がったので、
帰ってきたら
ドアが大変身してたので
「すごいねぇ・・・。
よく、やったねぇ・・・」
と、驚いていた。
表は、濃いめの
「チーク柄」だが、
内側は、明るめの
「オーク柄」にした。
こういう柄違いも
DIYならではである。
ほんでも、
中身はアルミ製なので、
叔母ちゃんちの
本物の木製ドアみたいに
開け閉めの軽さ感は
さすがにない。
無垢材の木製ドアは
20数万からするが、
この“なんちゃって”だと、
総額9千円で出来た。
きょうも、
仕上げとして、
陽が当たる表側には、
補強材として
クリア・スプレーを
重ね塗りするつもりである。
*
来週末は
もうクリスマス・イヴである。
27歳で結婚して来、
38年間このかた、
家人の誕生日とクリスマスには
必ずやホールケーキを買うという
「家庭文化」が我が家にはある。
ケーキに蝋燭を灯し
その幻想的な美しさを愛で、
家長の父親が
ケーキに入刀して
家人に分け与えるという
儀式でもある。
その「非日常性」の
演出の由来は、
『最後の晩餐』にある。
燭台のもと主イエスは
パンを千切って弟子たちに分け与え、
「これは、私の肉である」
と宣託する。
ここから、
西欧では父親が食卓で
パンを切ったり、
肉を切り分けたり、
ワインを注いだりする、
という文化が定着している。
・・・そんなんで、
今年もカミさんと
あちこちの店のパンフレットを前に
あれかこれか迷って、
ようやく一つを決定した(笑)。
毎年、パティスリーを変えているが、
今年は、二本松の『モモ』が
最終選考に残り(笑)、
『ガトー・ピスターシュ・エ・フレーズ』
(ピスタチオとイチゴのケーキ)
に“白羽の矢”が立った。
行動の早いカミさんは、
さっそくお店に出向いて
予約かたがた
マカロンも買ってきてくれた。
アマゾンに
ホールケーキ創り用の
「回転台」を注文したのだが、
中国製なのか?
一週間たっても届かず、
イライラしている。
クリスマス前に届いたら、
また、自家製のものも
創ってみるつもりである。
***
『100分de名著』で
今年の8月に亡くなられた
「中井 久夫」が始まったので、
昨日から録画で見始めた。
中井先生は精神科医だが、
「風景構成法」
(Landscape Montage Technique)
の創設者で、
これは心理師国試にも出るが、
「箱庭療法」と同じく
治療/アセスメント・ツールである。
河合先生とも交流があった方なので、
箱庭療法から「枠付け法」という
ヒントを「風景画」に取り入れられた。
白いまっさらの紙を前にすると、
シゾ(統合失調症)の患者さんの中には
恐れる人がいるので、
絵を描く前に、
「まず、枠を描いて下さい」
と教示するのである。
つまり、これは、
箱庭療法の「木枠」という
「境界」に相当し、
「限定された空間」が
患者さんに安心感をもたらす
と考えられたのである。
中井先生の卓見は他にも
沢山あり、中でも有名なのは、
シゾの経過は、慢性化し
やがて「廃人」になる、
と考えられていた60年代当時、
綿密な臨床観察により、
「身体化」や「夢」が生じると
「回復期」に入る・・・という、
発見をされたことである。
現在でこそ、
脳内物質を制御する
様々な薬物が開発されて、
「不治の病」ではなくなったが、
半世紀前には、
確かなクスリもなく
治療に当たられていた、
というのはスゴイことだなぁ・・・と、
思わされる。
*
これまで、
教員時代・SC時代の
40年あまりに、
幾人かのシゾの中高生を見てきた。
最近でも、
急性期で激しい症状をもつJCが、
紹介医から
パリペリドン(インヴェガ)を
処方され、
中枢神経系のドパミンや
セロトニンの機能を調節して、
不安、緊張などの症状をしずめ、
精神の不安定な状態を抑えながら、
サイコセラピー(カウンセリング)を
併用したケースがある。
幸い、平穏な状態に寛解し、
無事、高校に進学してくれた。
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