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* 8 *
人生とは些細な体験の繰り返しである。
歳とれば、その些細が積もり積もったものになる。
養老 孟司
*
カナリは、入門するまで、師匠にパソコン自作の趣味があることを知らなかった。
永世八冠を神のように崇拝する奨励会の十代の少年たちは、カナリ以上に神様の趣味嗜好については詳しかった。
なので、先にプロ入りした同世代のカナリには表向きは「先生」という敬語は使うものの、オフの同期会では「カナちゃん」と愛称で呼ばれ、羨望と憧憬をも込めて師匠のトリビア情報を教わるのだった。
自室で、負けた順位戦の一局を盤を前に、ひとりであれこれ検討していたら、ノックの音がした。
「はい。
どうぞ・・・」
「ちょっと、いい?」
師匠だった。
「カナちゃん、パソコンって使えたっけ?」
「・・・・・・」
カナリは言葉に詰まった。
一時期、もらい物の古いノート型を使ったことがあったが、すぐに固まってしまって、あんまりイライラするから、爾来、使い慣れた駒と盤とに戻したところであった。
隠す必要もなかったので、そんな顛末を正直に話した。
師匠は、少年のように笑った。
「じゃあ、また、お下がりになっちゃうけど、今度は固まらないと思うから、もう一回挑戦してみたら?
この先、自分の対局をファイルしておくと、何かと便利だと思うよ。
ソフトも、最強のが入ってるから、僕も勝てないくらいだから・・・(笑)」
それは、ソータが全棋士出場のトーナメント『朝日杯』で初優勝して、賞金の800万で、思いっきり最高スペックにして作り上げたというモンスター級のマシンだった。
一時期、それが話題になって、自作パソコンの専門誌にも登場したことがある。
その時のインタヴュー記事には・・・
「自作した最新のものは、CPU(中央演算処理装置)にAMDの『Ryzen Threadripper(ライゼン・スレッドリッパー)3990X』を使っています。
データの処理スピードは現状で世界トップクラスなので、ものすごい性能だといえます。
3990Xを搭載したパソコンは、AI研究や高度の映像処理に適してますが、自分は、将棋ソフトのみを利用して、数百億手まで高速に読み込む能力を活かして、対局に生かしています」
趣味として、さらに高スペックの「超」高速処理の一台を組み立てるので、そのお古をカナリにあげる、というのである。
奨励会の仲間たちが聞いたら、またまた、
「内弟子の愛弟子・・・ 神ってるぅ‼」
と、わけの分からない事を言って、地団駄踏みそうなので、内緒にしとこ・・・と、思った。
AIには「ずぶの素人」のカナリは、世間のマニアほどに、そのハイ・スペックなモンスター・マシンの価値を知る由もなかった。
「はい。いただきます」
と、まるで、お風呂でも先に頂くような、安直な返事をした。
そのバケモノの真価を知るのは、ずっと後になってからの事である。
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