
終業式は23日だが、
自分の今年度の勤務は、
きのうが最後だった。
本来ならば、
内示の時期で、
互いの動静は守秘されなきゃ
いけない時期だが、
転任・退職される方々の
幾人かがご挨拶に来られた。
こちらは、
来年度も継続なので、
なんだか、取り残される
“居残り組”の
心境でもあった(笑)。
*
今学期末と年度末の
お礼参りに、
K中の通勤路にある
Tちゃん先生の教会に
寄らせて頂いた。
今年度も
仕事と健康と家族の
無事のお陰を蒙らせて頂いた事の
「お礼」を
神様に「お取次ぎ」頂くように
お願い申し上げた。
これは、
金光教独自のシステムで、
先生は、それを
お聴き届け下さって、
『生神金光大神
天地金乃神様』
に取り次いで下さる。
それから、
『ご新米』というのを
「お下げ」くださる。
これは
「お守り」のようなものでもあり、
自分は、小児喘息の発作で
のたうち回っている時に、
母親からよく中のお米を
口に含まされて、
「ご新米」で背中をさすられた。
なので、今でも、
体調不良の時には、
中のお米を「ご神体」として
頂くことにしている。
教祖のみ教えには
「祈り、薬にせよ。
薬、祈りにすな」
という、箴言があり、
その通りだと得心している。
玉石混交の数多の
宗教があるなかで、
金光教は高校の日本史の
教科書にも教派神道として
黒住教、天理教と共に出てくる。
特定の宗派に信仰を持たない
宗教学者や研究者には、
金光教の「ファン」が多く、
教祖の高潔な人格や
正直な生き様、合理的な教え、
などに惹かれるのだと思う。
学部と院では、
生物学・心理学という
科学を学んできたが、
「スピリチュアル」
(たましい・霊性・神観)
領域も研究対象としてきたので、
金光教の合理的な宗教観は
アインシュタインの名言を
裏付けるように感じられていた。
【科学のない宗教は盲目だが、
宗教のない科学も盲目である】
*
3.11来、ずっと、
被災地フクシマの復興を
支援下さっている
東京の教会の某先生が、
訪ねられてお菓子を持ってこられた、
というので、
「神様にお供え」されたものを
「お下げ」頂いた。
その先生の真心も感じられ、
また、神様もきっと
喜ばれているだろう・・・と、
思いながら味わわせて頂いた。
*
庭のサクランボが
八部咲きになった。
*
学校に赴くと、
15日の県立高校の
合格発表を聞いた。
3日の受験日から、
毎日、自宅のご神前で
カウンセリングに来ていた子たちの
「合格」の御祈念を
させて頂いていたので、
我がことのようにドキドキした。
結果は・・・
カウンセリング組の受験生は、
福高3人、橘1人、
県工1人、川高1人・・・と、
全員『合格』したーッ‼️
( ;∀;)
嬉しくて、涙がでた・・・。
(´ロ`ノ)ノ
*
卒業式後だったが、
23回も来られていた
三年生のお母さんが一人だけ
「最終面接」の予約が入っていたので、
入室するなり、
「合格、おめでとうございます!」
と、晴れやかな気分で
お迎えできた。
そしたら、
しばらくして、
本人も、よほど嬉しかったのか、
自転車に乗ってやってきた。
卒業後なのに
旧・制服をきちんと着用していた(笑)。
本人と握手したら、
すかさず、お母さんが
スマホで記念撮影していた。
“顔出し許可”も頂いたので、
自分のスマホでも
改めて「やらせ」撮影をして頂いた(笑)。
偏差値71もの
最難関高だったので、
正直、不安だったが、
見事に突破してくれた。
太宰の『人間失格』を読んで、
その不条理性やら
形而上的な解釈ができるほどの
優秀な頭脳の持ち主なので、
メンタルの脆弱さを支え補うことで、
本来の知力が十分に発揮されたようである。
将来は、国立大に進学して、
哲学か量子力学か
どちらかを研究したいという。
*
地の桜も咲き、
子ども達の「サクラサク」も見られ、
花見気分で、
手作りベントに舌鼓を打った。
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