毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。
棚倉へ通勤するのに、
一度、県道40号線を南下してみたが、
結局、石川経由で到着したら
4号線を行くよりも10kmほど
遠回りになってしまった。
信号も渋滞もなく
スイスイ走れるのはいいのだが、
なにせ鬱蒼とした山道が
何十kmも延々と続き、
早朝通勤でも気味が悪いくらいだから
帰宅時の日没時は尚更であろう。
途中、人家もコンビニもないので
ケータイを持たない身としては
何かあった時に大変だと思い、
やはり少々の渋滞は我慢して
国道を行くほうが安心である。
BSで『ゴジラ』の第一作を観た。
CGのなかった時代なので、
全部が円谷プロのジオラマで、
模型オタクとしては
そこがいちばん楽しめた。
モノクロで見る
ゴジラの火炎放射は、
まるで霧を発しているかのように見えた。
ビートたけしが
かつて漫才のネタにしていたように、
劇中でゴジラが来るのに
「ワッ、ゴジラだーッ!」
と逃げずにいる人たちが
やられるのを見て、
笑えてしまった。
まだ22歳の河内桃子が
ヒロインだったのが
新鮮だった。
宝田明も若くて
アンチャンの風貌である。
連ドラの『カーネーション』では
爺さん役を演じていたので
息の長い役者である。
シリアスな演技が似合う志村喬が、
「ゴジラ、ゴジラ」
と熱く語るのが
なんだか違和感があって
不思議な気分だった。
平田昭彦も若く、
マッド・サイエンティスト風の
黒眼帯には時代を感じてしまった。
『ひょっこりひょうたん島』の
トラヒゲじゃあるまいし(笑)。
今度の日曜には、
84年のシリーズ16作目の
『ゴジラ』をやるが、
これも見てみたい。
夏になると
「日野てる子」のハワイアンが
聞きたくなり、
アルバムCDを車で聴いている。
まだ健在だと思って
ウィキで調べてみたら、
2008年に肺ガンで亡くなっていた。
享年62歳である。
愛媛県松山市の出身だとは
知らなかった。
1945年生まれなので、
生きていれば、
69歳である。
1962年に
全日本ハワイアンコンテスト優勝したが、
その声は太くて艶があり
地声からファルセットに転換するときが
ザワワとするくらい絶品である。
ミリオンセラーになった
『夏の日の思い出』を聴くと
惚れぼれするほど歌が上手く、
今の歌手(カシュ)たちなぞは
「カス」に思える。
ややポッチャリした顔立ちは
今で言うなら
「癒し系」美人であろう。
『夏の日の思い出』
https://www.youtube.com/watch?v=nw6Zr108aCI
(アルバム音源の口パクである)
『真珠貝の歌』
https://www.youtube.com/watch?v=_nMCyltayHs
(ハワイアンの名曲である)
今年10月の『コスキン』と
来年4月の『復興支援コンサート』で、
『鬼平犯科帳』のテーマ曲
『インスピラシオン』をやろうと
今、譜読みをしている。
本来は二重奏用なので
ソロで演奏するのは大変なのだが、
ユーチューブで参考になる演奏があったので、
それをコピーして
さらに自分流にアレンジして
いま暗譜作業に入っている。
この夏休み中には
なんとか完成に持っていきたい。
高畑から
フラメンコを習いに来られているKさんが、
フラメンコ用のパーカッション楽器
「カホン」を買われたので、
持ってきて見せて下さった。
これは「全音楽器」製で、
座って前のベニア板を叩くと
中にギター弦がビレるように張ってあり、
独特のスネアドラムのような音がする。
彼女にルンバのコンパスを弾いてもらって、
それに合わせて叩いてみたが、
簡単にそれらしい雰囲気が出た。
男子ファイナルを
ライヴで観ようと思っていたが、
前日の研修会の飲み会が
深夜までで早朝からは
研修があったので、
睡眠不足のため爆睡してしまった。
そしたら、夜中の1時に
尿意に目が覚め、
思い出してテレビをつけてみたら、
フェデラーが2-5で窮地に立たされており、
後がないところだった。
眠い目で観ているうちに、
そこからあれよあれよと言う間に
5ゲーム連取して挽回し、
ファイナルセットに入る頃には
目が覚めていたので、
深夜ながらお菓子とコーヒー牛乳で
じっくり観戦体勢になった。
シングルハンド・プレーヤーの
フェデラー贔屓なので、
波に乗ってきて勝機が見えてきたが
4-5のサーヴィスゲームでブレークされ
ウィンブルドン新記録の
8回優勝は達成されなかった。
優勝インタヴューでジョコビッチは、
フェデラーをリスペクトする
偉大なチャンピオンと讃え、
この優勝を去年亡くなった
最初にテニスを教えてくれた
女性コーチに捧げる、
という素晴らしいスピーチをした。
フェデラーも終始笑顔で、
いいゲームができたことに満足し、
観衆に向かって、
また来年会いましょう・・・と、
挨拶し喝采を浴びた。
ジョコビッチのコーチは
あのボリス・ベッカーだった。
17歳で優勝したときの
試合もライヴで観戦して
感動したのを覚えている。
その彼も今や
47才になったようだ。