『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

渦ん中

2018-04-15 09:04:00 | 風景
近所に
暗渠(あんきょ)と
側溝が小川のようにあり、
越冬鴨のツガイが
棲みついている。

散歩の折など
何度も出逢い、
(あ、いるいる・・・)
と目を楽しませてもくれる。



ノンビリと
流れに身を任せている処を
足音をさせて近づくと
決まって驚いて飛び去る。

人に馴れていないと
臆病なもんだなぁ・・・
と思う。

夜はさすがに
どこかの地面で
寝ているのだろうが、
この辺りにも野良猫は
うようよいるので
大丈夫かしらんと
心配にもなる。


食料難の時代だったら、
自分が真っ先に
『鴨とり権兵衛』みたいに
捕まえて焼き鳥にしたことだろう。





側溝の段差のある処で
対流と渦が出来ていて、
発泡スチロールの屑が
クルクルといつまでも
廻っていて、先に流れられずにいた。

よく目にする光景ではあるが、
何かを示唆するような
現象でもある。

こんな無機物にも
内的ファンタジーを働かせると
まるで悲運の
恋人どうしか親子が
運命の流れに翻弄されて
ドツボのサイクルから
抜け出せないようにも見える。

生物学科の学生の頃は、
進化の系統樹を見て、
魚→両生類→爬虫類→哺乳類と
進化してきて人間になったのに、
何ゆえ、今も魚や両生類たちは
そのままの姿でいて、
これから進化の道を辿れないのか・・・
という疑問を抱いていた。

そして、
或る日、渦から脱せない
小川のゴミを観て
目からウロコが落ちたように
得心がいった。

魚のまま遺伝的に
ローテーションしているものと、
そこから分化して
先に進んで進化してきたものとに
分かれたんだと至極納得できた。

すると、
新たな疑問が湧いて、
現在、人間の段階で
ローテーションしているが、
この種の一部に何らかの
物理的なベクトル(力と方向性)が
加われば、ここから更に
別種への進化もあり得る
ということである。

魚が陸に上がって
両生類へと進化したのは、
陸地の火山活動が収まり
植物の光合成による
酸素が充満したからとも
想像ができる。

水中は常に酸欠状態に近いので、
酸素呼吸によるATP(エネルギー)の
対謝効率を高めるには
陸地の方が適しているのは
道理である。

それでも、
肺魚以外の魚たちは
それを選択せず「エラ呼吸」を発達させる
「進化」を選択したので、
その遺伝子が固定して
魚種の拡大という「変化」は生じたが、
種レベルのローテーションに
留まったのだ。

人間の更なる進化の動因となるものは
どのような環境因子によるものか。

水中から陸上に進化したのは、
「酸欠」という欠乏因子である。

ならば、これまで
地球史上幾度もあった
隕石衝突や大火山活動、
超温暖化、超寒冷化
という自然災害か
核戦争か原発事故による
地球規模の放射能汚染という
人間にとっての危険因子が
「ヒト種」からの分化と
別種へと進化させる
動因になり得るかもしれない。

渦ん中でクルクル廻る
ゴミ屑には触れずに、
棒切れを流れに差し込んで
水流を乱してやると、
安定して閉鎖システムが崩壊して、
恰も輪廻の鎖から解き放たれたように
ゴミたちは大海へと向かって
流れていった。

そっか。

これこそ、
家族療法で頻用される
システム理論そのものである、
とも再認識した。

悪いなりに固定している
家族の問題にカウンセラーが介在し
「小さな」水流の変化を起こさせることで
悪循環のシステムは崩壊して
新たなシステムが立ち上がるのである。

人間存在もその営みも
自然の法則どおりに
運ばれている。

「運命」を逆さに読むと
「命運」で、
まさしく
「命は運ばれている」のである。

側溝のゴミも
いろんなことを
教えてくれるものである。





明日から、東京出張で、
そして長かった春休みも
今日で終わりである。

休み中に
増盤しようとしていた
リサイタルでの頒布用CDが
まったく手を付けられなかった。

なので、
あとひと月で
少しずつでも、
コピー、プリント、パッキングの
「楽壇ひとり」事業部の
仕事をしていかないと
来年の経費が捻出できなくなる。

貧困脱出は最大の
「生のモチベーション」か(笑)。

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貧中富あり

2018-04-14 09:17:00 | 食物・飲物
冬の間だけ
何年も履いている
室内履きが、
親指の爪に当ってか
とうとう先っちょが
突き抜けてもうた(笑)。

履き口んとこも
もうボロボロなんで
そろそろ
年貢の収め時か。



歩きにくくもなってきたので、
長いことありがとね、
と感謝して今季限りで
引退さそかと思う。






近所の「いちい」が
改装オープンしたので
さっそくリュックを背負って
行ってみた。

「イカ1パイ100円」とか
「玉子1パック50円」という
コーナーに何十分も行列して
並んでいる人たちがいたが、
半値以下はお得としても
イカと玉子くらいに
わざわざ並ばんでも・・・と、
思わないでもなかった。

並ぶのが大嫌いなので、
逆に、並ぶのが大好きな人たちが
いてもいいのかもしれないが・・・。

キハダ鮪の柵が
390円と安かったので、
大胆に縦長にスライスして
「薔薇」をイメージして
ロール状にしてみたが、
厚過ぎてチクワみたいに
なってもうた。

(•ω•`; ) ハチャ~

もっと、
波刃のスライサーで
薄切りにして
儚げなホロホロした
花びらのような
感じにすればよかった。

そんでも、
「ものは器で喰わせろ」で、
フランスの三ツ星レストラン
マキシムのプレートに盛ったら、
それなりに
フレンチ・オードヴル風に
見えないこともなかった。

料理素材用にと常々
アーモンド、ピーナツ、
マカデミアナッツなどを
卸し金で擂ったものを
瓶詰めして冷凍保存してあるので、
風味付けの添え物にした。

マグロの上から
岩塩と黒胡椒を挽いて、
エクストラ・ヴァージン・オリーヴオイルを
かけまわし、
ピンクペッパーも添えてみた。

葉物は台所で
水耕栽培している
野菜屑の若芽である。

390円の1/3ほどの量なので
原価130円のヒトサラだが、
お店だったら
1.300円くらい付けても
いいかもしれない。

味は、
まあまあ、
500円くらいかなぁ・・・だった。

ウ~ン (´ァ
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旅立ち前

2018-04-13 05:23:00 | 風景
今朝は4時半ごろ、
耳もとで蚊の羽音で
目が覚めた。

まだ四月だというのに、
何という事だろう。

ちょいと暖かくなったら
もう蚊が出た。

そして、
どういうわけか
寝室には一年中、
蚊が出没するので
枕元の壁には
柄の短い補虫網が
一年中掛けてある。

これで、
羽音をさせて
眠りを妨げた蚊は、
百発百中捕獲して
可哀相だが死刑にしてる。

昼間に見つけたときは、
心の余裕があるので
窓から放して
逃がしてやるが。

それにしても、
自然発生説じゃないが、
家の何処で蚊が生まれるのか
謎で仕方がない。

花瓶類の水も
意識して入れ替え、
そのたびごとに
ボウフラがいないか
確認もしているのだが・・・。



昨日もリュックを背負い
近所のスーパーまで
土手道を歩いて
買出しに出かけた。

青年会館前の
巨木の梨が満開の花を
土手側に枝垂れさせて
フラワートンネルを作っているので、
その中を通るのが
トトロチックで心地よい。





小倉邸の青空市で
なんと10円で買った
手書きの豆角皿に
料理の手屑になった
ニンジンの頭を
水耕栽培している。

メカニックなPC周辺に
添えて置くと
ミニ盆栽のように
周辺の空気が和んでよい。

そしたら、
先日観た
『メアリと魔女の花』の
一シーンに同じものが
チラッと出てきて
嬉しく思った。







来週から
東京に長逗留するのに
常備薬の袋を点検した。

毎日、飲んでいるのは
抗うつ薬「パキシル」と
抗コレステロール薬の
「クレストール」だけだが、
薬袋には幾種もの
ホーム・メディケーション薬を
常備している。

かつては、
どの家庭にも
越中富山の置き薬が
あったのと同じ感覚である。

なかでも
使用頻度の高いものは、
鎮痛薬「ディパシオ」
抗不安薬の「ソラナックス」
制吐薬の「ナウゼリン」
抗アレルギー薬の「ゼスラン」
鎮痙攣薬の「ブスコパン」
逆流性食道炎薬の「パリエット」
胃粘膜補修薬の「ムコスタ」
鎮咳剤の「コフノール」

我が家では
長らくトーチャンが
ホーム薬剤師なので、
家族の薬類を一括管理しており、
子どもたちやカミさん、婆様まで、
「頭痛いんだけど」
「喉痛いんだけど」
とクスリ屋さんとこに
やってくる。

先日も
帰省していた大学生のナツが
「ハナ水が止まんないんだけど・・・」
といって来たので、
抗アレルギー薬と点鼻剤、点眼剤を
処方したばかりである。

2才から重症の小児喘息で
医大に十数回もの入院歴があり、
看護婦の投薬ミス(医療過誤)による
ショック歴も二度あるので、
爾来、子どもの頃から
クスリには細心のチェックを
怠らないようになってしまった。

生物学科で生理学を熱心に
勉強したのも、
バイオケミカルな人体のメカを
熟知しようという動機だった。

なので、
自分にとっての「合いクスリ」は
ホームドクターより熟知しており、
「〇〇」を出して下さいと
主治医にお願いしている。

でも、
「薬祈りにするな。
 祈り薬にせよ」
という御教えがあるので、
毎回、ご祈念してから
服薬することにしている。





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ビンボーくさ~

2018-04-12 08:00:00 | 風景
ひと月ぶりに
音楽堂にチラシの補充に
行って来たら、
初回に置いてきた100枚が
すでになくなっていて
幸先がよかった。

問い合わせの
電話も一件きた。



エントランスの
ポスター・コーナーには
さみしくソッと
手製のものが
貼られていたが、
他全部がピカピカの印刷物なので
(うわ~。ビンボーくさ~)
という感じだった。

(_ _。)・・・シュン

ま、ほんまに
ビンボーなんだから、
見栄の張りようがないが・・・。

でも、
紅一点、動中の靜、
のように、
富中の貧、派手中の地味で
かえって目だって
いいかもしれない(笑)。

こういうのを
アクセントと言う、
とかつて習ったことがある。

「美人・美人・美人・ブス」
「ブス・ブス・ブス・美人」
と、どちらも
アクセントになるそうな(笑)。



ともあれ、
金はなくとも
心意気はある。

貧者の一灯を捧げるような
身銭と命の時間を削っての
コンサートである。

心理カウンセラーの
プシコポンポース(魂の導者)
としての使命感でもあり、
亡き御霊様への慰霊・鎮魂と
生き続ける人々への魂の支援は
自分がやらねばならぬ
仕事なのである。

心の師であった
河合隼雄先生は、
この世では貧しくとも
あの世で立派な家が建っている、
と仰っていた。




庭のナポレオン桜が
満開である。

この花にも
大粒のサクランボがなる。

ただし、
育ちすぎて、
電柱の天辺ほどの
高さになったので、
脚立でも
手入れのしようがない(笑)。





カウンセリング室玄関前の
ボケの花が
ようやくほころび始めた。

花は可愛いが、
有刺なので、
これは「茶花」では
「禁花」とされている。

それでも、
刺を切って
室礼として飾ることがある。


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甲羅干し

2018-04-11 07:03:00 | 風景
七週連続で
ソータの棋戦を
観戦している。

昨日は「竜王戦」だったが、
初対戦相手の阿部六段だった。

午前10時から開始して、
持ち時間5時間なので、
勝負がねじれて、
決着したのが12時間後の
夜10時過ぎだった。

中盤までは
互角の戦いだったが、
終盤はやはりソータが
引き離して勝利した。

この竜王戦で
あと一勝すると、
去年から連続ブロック優勝なので
規定により「七段」に昇段する。

五段在位わずか16日で
六段に昇段して
棋界と世間を驚かせたが、
その六段もわずか数ヶ月で
七段になったとしたら、
前代未聞のすごいことである。

そして師匠の段位に
追いついてしまうことになる。

それが早ければ、
今月末か来月には
見られるかもしれないので
楽しみである。



最近の数局を
中継で視ていると、
なんだかソータの体が
ひと回り大きくなったように
見える。

まだ172cmほどらしいが、
自分でも、
「最近太ってきたので
チョコレートを控えています」
とインタヴューで応えていた。

高1といえば
まだまだ成長期なので
体の方もどんどん
大きくなるのだろう。






将棋対戦の
昼食休憩の合間をぬって、
リュックを背負って
買出しに出かけた。

いつもの土手道には
青年会館の梨の巨木が
花を咲かせ、
隣のサクラと相まって
それは見事な
紅白の彩りであった。

土手側に
被うようにして出来た
花のトンネルをくぐって行くのは
なんとも心踊るものである。

思えば、
つい先月は
ここは雪道で
踝まで埋まっていた。

まさに、
季節は巡る、
である。





中州の石の上で
甲羅干しをしている亀がいた。

その下を
50cmはあろうかという
巨鯉が悠々と泳いでいた。

それらの生き物と
岸辺の菜の花とが
溶け合って、
ここに自然に生きる
動植物の営みを観る思いをした。

そういや、
自分は生物学科の出で、
かつては、
13年間も生物教師だった・・・と、
忘れていたことを
思い出すように
脳裏に浮かんだ。




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