『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

セミナー教材

2018-07-11 05:01:00 | 勉強
昨日の午後は
学校から郊外へ
月一の家庭訪問に出かけた。

当人が
昼夜逆転で寝ていたので
母親と祖母と
お話ししてきた。

どちらも
心細げに泣きながら
心配されていたが、
大丈夫ですから・・・と、
「安全感・安心感・大丈夫感」
を提供し、状況分析と
家族の環境調整をすべく
心理教育をした。




帰路、
遠くの山々に
入道雲がムクムクと
盛り上がってきていたので、
こりゃ一雨くるなと期待していたら
退勤時ころに
雷と共に夕立となった。

それで
茹だるように暑かったのが、
一気に爽快になって
よかった。





帰宅したら、
心理サイトのカウンターが
ちょうど「100000」になっていた。

2016/10/25に開始して、
一日も休みなく書いてきて
1年9ケ月でやっと
大台に乗った。

この一週間では
一日1000人を越える日が
三日もあった。

顔が見えない読者ながら、
毎日のアクセス数が
執筆の励みとなっている。






今月から開始する
「宗教臨床セミナー」のために
河合先生の未読の共著物を
5冊アマゾンから購入した。

これで、
ほぼほぼ「河合物」は
コンプリートのはずであるが、
まだ買い漏らしてるものがあるか
河合先生の『公式サイト』で
チェックしてみたい。

時節柄、
オウム事件の再分析も
セミナーで採り上げてみたい。




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雲間をダイヴ

2018-07-10 04:34:00 | 風景
七夕を終えると、
祇園祭の室礼に直すのが
我が家の習いとなっている。

京都に八年住んでいた
名残りでもあり、
フミとアキは
京都生まれである。

あの
コンコンチキチキという
祇園囃も耳に懐かしく、
そのCDも四条烏丸の十字屋で
祇園祭の最中に購入して、
この時季になると、
部屋で流している。

東北の地に居て
京の都の祭り日に
思いを巡らすのも
我が夏の風物詩である。



青交趾風の
イタリア製鉢カバーを
水指に見立て、
真塗の蓋を
茶道具屋さんで設えた。

まだ梅雨明け前だが、
盛夏も近いので、
染竹の筏竹簀に合わせて
涼しさを演出した。




最初は
色紙に描いていた月鉾を
短冊に仕立て直した。

竹籠に
白い墨田の花火と
青紫陽花、紅花色の野花を
夏の夜空に咲く
花火に見立てて
活けてみた。

夏だなぁ・・・。

何処からか
蚊遣りの香が
漂ってきそうである。






退勤時に、
一天にわかに掻き曇り、
雷鳴が轟き
夕立となった。

それまで、
蒸すような暑さだったので、
山肌に降り注いだ雨は
すぐさま蒸散し
山あいに雲が棚引き流れた。

川俣路を下ってくると、
その雲間を縫って、
飛行機で降下しているような
気分を味わえた。



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夏の花々

2018-07-09 07:50:00 | 季節
梅雨の晴れ間に
背嚢を背負って
散歩に出た。

休日の日課でもある。

濁川沿いの土手は
夏草が凄まじく繁茂していて、
1㍍進むのにも
地を這う頑健な茎が絡みついて、
フーフー息があがるほどだった。

短パン姿だから、
草剣で皮膚が裂かれ
血が出る箇所もある。

それでも
ワタシは進む
藪漕ぎの道はつづく

・・・なーんて、
脳内で自己満調、ナルっぽい
駄詩に酔いながら、
その実、
あーあ・・・ナニやってんだか・・・と
カンレキ馬鹿おやじ!!
と自嘲、自罵する
内言もある。

ʅ(-"-;)ʃ



そんでも・・・

藪ん中に
ひそむ
可憐な花あり
吾、邂逅す
君なり

ワタシヲミツケテ(人'∀'*)☆*:.。ヾ(♡θ♡)ノ~~☆ ミッケ~  

・・・なーんて、
ワケわからん古文調の
昭和歌謡みたいな
屁みたいな脳内独言を、
バッカじゃなかろーか、
と嘲笑する
セルフモニタリング者もいる。

┐(´Д`|||)┌

金光大阪高時代の同僚で
生物室に同居していた
田中先生(蜘蛛学博士)も
「ぼく。時々、独り言いうから、
気にせんとってなぁ・・・」
と仰っていた。

一緒にいて、
幾度かその独り言を
聞いたことがある。

あれも
観察・研究に没頭されていて
つい内言に応答されていたのかな
と思われる。

先生は、その後、
女子大教授に
キャリア・アップなされ、
今は定年退官されて
悠々自適の
研究生活を送っておられる。

学会で福島に来られた時には
旧交を温め、今も、
メールや年賀状での
音信のやりとりを
させて頂いている。





近所のお宅の塀越しに
ノウゼンカズラと
へクソカズラが
混在していて、
「屁糞」と命名された側は
なんとも気の毒なものだ、
と同情を禁じ得なかった。

ウィキに拠れば、
「ノウセウ(陵苕)」が訛って
「ノウゼン」となり、
古くは
「まかやき(陵苕)」とも呼ばれた、
とあるが、
原義についての説明はなかった。

英語の
トランペット・フラワーの方が
よくわかりやすい。

夏の季語で、
子規の句がある

 家毎に凌霄咲ける温泉(いでゆ)かな




西日本の大洪水による
災害を見ていて、
先日、海行きしたときの
防潮堤を思い出した。

松川裏沿いの
臨海道の一部は
海の眺めが
まったく遮断されて、
景観が損なわれ
息苦しさを感じた。

5mほどの防潮堤では、
3.11の15m級の大津波では
屁の突っ張りにもならないのだが。

***

100名以上の犠牲者を出した
今回の七夕豪雨だが、
民報各局の報道番組を見て
大いに違和感を感じた。

と言うのも、
なぜ、悲惨な光景や
悲しむべき人の姿に
BGMを施す必要があるのだろうか。

永らく視聴してきて
先日、見るのをやめた
『サンデーモーニング』にしても
然りである。

厳粛悲惨な光景に
長調のBGMと
協賛スポンサーのテロップを被せる。

これでは、
まさに『不幸ショー』ではないか。

ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ ヤメローっ!!

その無神経さ、
無配慮さ、鈍感さは
唾棄すべき愚行である。

NHK以外の
他民報局においても
五十歩百歩である。

そして、
どの局でも一様に、
創始者の手法をパクッたのだろうが、
涙目や落涙のシーンを
わざと寄りのアップで映す。

そのあざとさに
辟易する。

これまた、
何処そこスポンサー様ご提供による
『不幸ショー』である。

かつて大宅某が
テレビの普及で
「一億総白痴化」
という際どい名言を吐いた。

今はスマホの普及が
まさにその言葉どおりであるが・・・。

テレビを全く見ないという事は、
その娯楽の恩恵に与ってきた
昭和世代としては
なかなか出来がたいが、
SOC理論に従って、
コンテンツを精選し、
録画を早送りして時短に努め、
PC情報と相補的に
活用することにしている。


我が師・碧水先生の
お歌にこうある。

 使ひ方に上手下手あり
 いのちの時間
 出来るだけ上手に使はねばと思ふ


 出来るだけ
  無駄のなきやう過ごしゆかん
 つづくいのちのわが持ち時間



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洒落た厠

2018-07-08 08:47:00 | 風景
昨日の法要では、
西日本水害と大阪震災で
亡くなられた御霊様たちの
供養も行われた。

昨日から、
我が家のご神前でも
御霊様たちの幽界での
お取立てと立ち行きを
お祈りさせて頂いた。

千葉で震度5の地震もあり、
久しぶりに
3.11の時に感じた
超巨大地震・長巨大津波・超規模原発事故
という「超複合災害」という
言葉を思い起こした。

「踏んだり蹴ったり」
「泣きっつらに蜂」
ということわざには、
人生には時として
思いもかけない
不条理な出来事が
重なって起こることがある、
という古人の経験則を
後世人への心得として伝えている。

今回の
線状降水帯による被害は
数十年に一度と
「特別軽快警報」が出されたが、
それでも100名近い犠牲者が出た。

アッという間に、
一気に広域に、
というのが災害特徴に見える。

ある意味、
巨大地震、巨大津波、原発事故が
いっぺんに襲った
3.11の構図にも似ている。

東南海大地震・大津波・大火災・
交通路寸断・都市機能の麻痺という
複合災害に備えよ、という、
ある意味、シュミレーションを
見せられているようにも感じた。



法要の席で
隣席した叔母も、
自分と同じヘバーデン結節で
指が曲がり、常時、
疼痛に悩まされていて、
同病相哀れむで、
おおいに共感しあい
盛り上がった。

ひと時の法要会食で、
駄弁に口角泡を飛ばしあって
「なんで、私たちだけ、
こんな目になったのか?」
という因果説の分析では、
祖母方の遺伝だという外因説と
自分たちの境遇性格が似ていて、
末っ子で甘えん坊で
わがままで口が悪いからだ・・・という、
内因説におちついた(笑)。

もっとも、
この変形性関節炎は
指を酷使するギタリストや
ピアニストには多く、
泣き所でもある。





棚倉への出勤途中で、
久しぶりに鏡石に寄って、
「田んぼアート」を見てきた。

ただ、平地からでは
全体像が把握できず、
古代米の稲の色が鮮明に違うのに
感心するばかりだった。

隣接する図書館3階の展望室が
鑑賞ポイントで、
いちどだけ直通エレベーターで
あがったことがある。

町おこし的イベントでもあり、
全体像の写メを撮ろうと
けっこうな人が
寄ってくるようでもある。







先日の海行きで、
はじめて寄った
霊山道の駅のトイレが
ユニークで面白かった。

便器がゆるやかな
弧を描いて配置され、
その奥には
青竹と和傘のオブジェが
設置されていて、
まことに用を足すに
雅な風趣があった(笑)。

上方落語に
「小便担桶(しょんべんたご)も百丁」
というフレーズがある。

つまり、
きちゃないものでも
ズラリと百丁も並ぶと
壮観で面白い
ということである。

外国人観光客が
来日すると
洋の東西を問わず、
まず空港や観光施設の
トイレの美しさに感激するという。

トイレは不浄な処であるがゆえに、
キレイにするというのが
日本人の美意識なのであり、
普段、学校で
小中学生が清掃の時間に
便器内までタワシで
ゴシゴシやっているのを見ると
なんだか感激することがある。

学校清掃は外部業者の仕事、
という欧米人には
この光景は信じがたいものに
映ることだろう。

***

最近読んだコラムに、
日本人は神棚も仏壇もなく
毎日お祈りをしない人がほとんどなのに、
どうしてこんなに
親切で正直で道徳的なのか
不思議である、と外国人の目には
映るらしい。

イスラム教徒は一日5回もの
拝礼をしているのに、
嘘はつくし、物は盗むし、
ずるいことはする、
というのである。

それは、
クリスチャンとて
同じかもしれないが。

フセイン政権が倒れた時だったか、
民衆がこぞって宮殿等に押し入って、
それこそタイヤだのチリ紙にいたるまで
収奪、略奪してきた様が
全世界に動画配信された。

それを見た日本人の子が、
やはり同様の疑問を抱いて
ネットに投稿したら、
それを恥じて
盗品を返却した人たちが
わずかにいたようだ。

オウム事件で殺害された坂本弁護士が
「人を幸福にしない宗教は
 本物の宗教ではない」
と言っていた。

げに尤もな事である。

「宗教者のための宗教」
ということがあったり、
「本質的な宗教性を
いちばん毀損しているのが
既成宗教である」
という現象が
至る処で見らていれる。

オウムのタントラ・ヴァジラヤーナ
とかいうマヤカシの邪教は、
世界人類のために
正当化される殺人があってもよい、
というものであった。

それは、
ユダヤ人はアーリア民族のために
抹殺すべきである、
というヒトラーの狂信と同じである。

ヒトラーは
独自の創造神を狂信していた
という説もあるが、
神戸連続児童殺傷事件のサカキバラも
独自のバモイドオキ神なるものを創りあげて、
殺害はその神に対する「聖なる儀式」である
と語っていた。

人の深層心理には
原始的宗教性へ傾倒する性質がある。

これを「ヌミノース親和性」と
『魂理学』では命名した。

ユング心理学では、
人間が根源的に持つ
「普遍的悪(コレクティヴ・シャドウ)」と
抑圧された劣等機能から分化した
「個人的悪(パーソナル・シャドウ)」があるという。

そして、教育心理学や臨床心理学では
子どもにとって家庭・社会という養育環境が
生育歴において重要であることを示唆している。

一方、サイコパスのような
脳神経生理学的な脆弱性と
行動障害を持つ病的一群が存在し、
時として高い知性を伴って
狂信的リーダーや教祖に
収まる事がある。

これらが、
複合的な自然災害と同様に、
ある人物の特異的個人要因として
複合化し目覚めると、
「悪魔」や「鬼」が
我われの現前に
実体化して現われるのである。

「聖なる自爆テロ」を実行すると
天国で100人の美人処女が
妻として待っている・・・という、
夢のような神話や物語に動かされて
貧困層や無教育層の若者たちが
至る処で妄信自殺の兵器に
仕立てられている。

その大元には
サイコ・デビルの存在と
洗脳・集団感応・ヒステリー
という病的精神現象がある。

このような
社会病理的現象や
個人・家庭に生じる
精神病理の解析や処方のためにも
「宗教臨床セミナー」を
今月から立ち上げた。














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七夕法要

2018-07-07 16:49:00 | 風景
西日本に
数十年に一度の
「大雨・特別警戒警報」が
発令された。

最近、しばしば耳にする
「線状降水帯」というのに
掛かったようである。

次々と発生、発達した雨雲が
列をなして組織化し、
数時間にわたり同じ所を
通過または停滞する
降雨域のことである。

もうすでに、
百名近い死者や
行方不明者が
出ているようである。

昨日は、
大荒れの西日本の天気の日に
「オウム事件」の首謀者たちの
死刑執行が行われた。

今朝の朝刊の
二大ニュースである。

教祖・麻原は
「すべては弟子たちが勝手にやったこと」
と嘯いていたという。

なんという
卑劣極まりない男であろうか。

たしか、
逮捕時にも、
ひとり大金の入ったトランクを抱えて
秘密の隠し部屋に横たわっていた。

そして、
「目の見えない私が、
どうしてそんな大それたことが
できると思うのか」
と高言した。

多くの高学歴の信者たちが
尊師と崇めた男の正体は、
権力欲と自己保身の汚泥に塗れた
糞野郎だったのである。

いたいけな1才の乳児
坂本タツヒコちゃんまで
大の男達が絞殺し、
あげくは、
お父さん、お母さんと
別々の沼地に遺棄した。

ほんとうに
こんな鬼畜たちは
地獄に落ちろ!!
である。

ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ Go to Hell!!





大好きだった
二つ上の従兄タカヒロ君と
ヒロシ叔父ちゃんの
十三回忌と一年忌の法要に
七夕雨のなか、
カミさんとお寺に出向いた。

本堂内の
大仏様のお顔を拝し、
永らく京都住まいで
あちこち訪ねた
お寺巡りの日々を
思い起こした。





昨日、今日と
梅雨前線が停滞して
気温が20℃を下回り、
いったん箪笥にしまった
長袖と長パンを
ひっぱり出すほどだった。

この寒暖差で、
また風邪っぴきのような
ダルさに襲われた。

梅雨が明けたら
明けたで真夏日や猛暑日、
寝苦しい熱帯夜に
襲われるのだろうが・・・。

それでも
西日本の歴史的豪雨で
被災され亡くなれた方たちが
大勢いるので、
3.11の時にも思った
「生きてるだけで丸儲け」
である。





ソータが昨日の棋戦で
イケメン棋士シンタローに
力負けした。

午前10時から
退勤時の5時までは、
職員室の共用PCで
休み時間のたびに観戦していた。

高速をスッとばして
いつもより数十分早く帰宅して
続きを観戦した。

決着がついたのは
10時過ぎだったが、
終盤は、900、2000と
優劣の大差がついた。

ソータが粘りにねばって、
一発逆転のチャンスに賭けるも、
シンタローの冷静な差し回しに
ついに「玉」の逃げ場がなくなり、
ギブアップした。

見事な熱戦ではあった。

ソータが今季に
残されたタイトル戦は
ひとつだけになった。

でも、まだ
15歳の高1なのである。

必ずや、
高校在学中には
タイトルを取ることは
間違いなかろう。


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