亡き父のいのちうけつぎ
六十一の生まれ日迎えし
今日のわがいのち
瓢 水
年寄りにはあらずと思へ
六十一歳の生まれ日のわれ
若くはあらぬ
碧 水
毎年、
碧水先生の御歌を剽窃して
一文字だけ変えて
我が歌としている(笑)。
(^▽^)>テヘヘ…♪
亡父は名前の「明」と
水道屋だったので
「水明」という号で
雑俳を多く残していた。
自分は私淑する碧水先生と
「瓢げる」のが好きなので
「瓢水」と号している。
***
昨晩も今朝も、
今日が誕生日ということを
失念していた。
もう、自分の歳に
感心がなくなったんだろうか。
おとつい、
幼稚園のミニコンで
エネルギーを消耗して
オフ日の昨日は完全休養が
要るほどに披露困憊だった。
もう、若くないんだ・・・と、
あらためて思い知らされた。
今朝は左の下腹部痛で目が覚めた。
左腿のオデキが癒えてきたら、
こんどは左背中の脂肪腫が
化膿してきた。
なんでもかでも、
左ばっかり患っている。
でも、
80%ブルーライト・カットの
メガネを着用するようになってから、
三年越しの左首痛が
自覚されなくなって
喜んでいる。
もっとも、
Tちゃん先生に
「完治願い」のお届けをしているので、
蔭祈念と神様のおかげを頂いたと
ありがたく思っている。
過去ログを見てみると
毎年、誕生日の朝は
どこか患ってる(笑)。
去年は
風邪気味と
プチうつ気味で、
痛み止めと
頓服の抗うつ剤を呑んでる。
ヽ(;▽;)ノ ハハハー
ビョーキノ タンジョービダーイ

還暦スヤーの二大イベントは、
5回目の『復興支援リサイタル』と
『公認心理師』の資格取得だった。
どちらも
自分に課した個人的大事業だったが、
なんとか無事にやり遂せられた。
これもひとえに、
神様、御霊様の御加護と
家族はじめ周囲の方々の
ご理解、ご支援の賜物であると
ありがたく思っている。
「還暦+1」イヤーは、
『復興支援ファイナル・リサイタル』
という大事業が4ケ月後の
4/14にある。
準備は万端だが、
共演者との練習も
これからである。
***
3.11後に購入した
「祈る母」という
テラコッタを見ながら
「すべてに礼を言う心」を忘れまい、
と毎日、思っている。
そして、
今、辛い闘病生活や
精神的苦悩の渦中にいる
クライエントや知人の方々が
一日も早く「癒える」ことを
願い、祈っている。
すべてに禮をいふこころ
神をあらはし
神になるこころ
・・・と、
碧水先生は
言われた。
ひとり助ければひとりの神
十人助ければ十人の神
・・・と、
金光教祖は
言われた。
自分にとって
「自己実現の道」とは
「生神の道」を辿ることでもある。
「日々が更(さら)」で、
「毎日が晩年」
という思いで生きている。
賜はりし大切なわが役柄に
こころつくして
仕へさせ給へ
と願い、祈って、
出勤させて頂いている。
何事も我が力でやっていると
思っていると、
神は見ているしかできないが、
何事もありがたくやらせて頂きますと
思い替えをすると、
神は手助けして下さるという。
ちかごろ、やっと、
「在る物みな美しく
起こる事みな良し」
という究極を
段々と受け容れられるつつある
ような気がしている。
あの腹立たしい
高速道路での「あおり運転」事件も
自分もヤンキーに土下座させられた事件も
なんらかの必然だったのだろう、
という思いが何処かにある。
60才の還暦の歳に
ちょうど60点で合格した
資格試験も、なんだか
神惟(かんながら)であるなぁ・・・と、
思わせて頂いた。
まさしく、
神慮(かんはからい)は
奇(くす)しくて
人の思いぞ及ばざる、
である。

ギター以外に
同じ撥弦(はつげん)楽器の
リュートという楽器も
嗜んでいる。
これは16~18世紀に
栄えた古楽器で、
現存のものは少ないが、
昨今の古楽ブームで
現代作家によって
レプリカが作られている。
自分も何本か作っては
コンサートで披露してきた。
奏法はギターとは
まったく異なり、
独特の弾き方をする。
羊の腸から出来たガット弦が
2本ずつ張られており、
それを爪を用いずに
指の頭で弾くと
丸い胴体に共鳴して
なんとも床しい音いろがする。
西欧の王侯貴族、宮廷音楽家、
辻楽師などに愛されるも
滅びてしまった楽器である。
それゆえに、
現代に奏でるのは
ロマンがある。

T中3年生の
卒業文集委員から
原稿を頼まれて
鉛筆書きして渡した。
これにも
師の碧水先生のお歌を
借用した。
六十一の生まれ日迎えし
今日のわがいのち
瓢 水
年寄りにはあらずと思へ
六十一歳の生まれ日のわれ
若くはあらぬ
碧 水
毎年、
碧水先生の御歌を剽窃して
一文字だけ変えて
我が歌としている(笑)。
(^▽^)>テヘヘ…♪
亡父は名前の「明」と
水道屋だったので
「水明」という号で
雑俳を多く残していた。
自分は私淑する碧水先生と
「瓢げる」のが好きなので
「瓢水」と号している。
***
昨晩も今朝も、
今日が誕生日ということを
失念していた。
もう、自分の歳に
感心がなくなったんだろうか。
おとつい、
幼稚園のミニコンで
エネルギーを消耗して
オフ日の昨日は完全休養が
要るほどに披露困憊だった。
もう、若くないんだ・・・と、
あらためて思い知らされた。
今朝は左の下腹部痛で目が覚めた。
左腿のオデキが癒えてきたら、
こんどは左背中の脂肪腫が
化膿してきた。
なんでもかでも、
左ばっかり患っている。
でも、
80%ブルーライト・カットの
メガネを着用するようになってから、
三年越しの左首痛が
自覚されなくなって
喜んでいる。
もっとも、
Tちゃん先生に
「完治願い」のお届けをしているので、
蔭祈念と神様のおかげを頂いたと
ありがたく思っている。
過去ログを見てみると
毎年、誕生日の朝は
どこか患ってる(笑)。
去年は
風邪気味と
プチうつ気味で、
痛み止めと
頓服の抗うつ剤を呑んでる。
ヽ(;▽;)ノ ハハハー
ビョーキノ タンジョービダーイ

還暦スヤーの二大イベントは、
5回目の『復興支援リサイタル』と
『公認心理師』の資格取得だった。
どちらも
自分に課した個人的大事業だったが、
なんとか無事にやり遂せられた。
これもひとえに、
神様、御霊様の御加護と
家族はじめ周囲の方々の
ご理解、ご支援の賜物であると
ありがたく思っている。
「還暦+1」イヤーは、
『復興支援ファイナル・リサイタル』
という大事業が4ケ月後の
4/14にある。
準備は万端だが、
共演者との練習も
これからである。
***
3.11後に購入した
「祈る母」という
テラコッタを見ながら
「すべてに礼を言う心」を忘れまい、
と毎日、思っている。
そして、
今、辛い闘病生活や
精神的苦悩の渦中にいる
クライエントや知人の方々が
一日も早く「癒える」ことを
願い、祈っている。
すべてに禮をいふこころ
神をあらはし
神になるこころ
・・・と、
碧水先生は
言われた。
ひとり助ければひとりの神
十人助ければ十人の神
・・・と、
金光教祖は
言われた。
自分にとって
「自己実現の道」とは
「生神の道」を辿ることでもある。
「日々が更(さら)」で、
「毎日が晩年」
という思いで生きている。
賜はりし大切なわが役柄に
こころつくして
仕へさせ給へ
と願い、祈って、
出勤させて頂いている。
何事も我が力でやっていると
思っていると、
神は見ているしかできないが、
何事もありがたくやらせて頂きますと
思い替えをすると、
神は手助けして下さるという。
ちかごろ、やっと、
「在る物みな美しく
起こる事みな良し」
という究極を
段々と受け容れられるつつある
ような気がしている。
あの腹立たしい
高速道路での「あおり運転」事件も
自分もヤンキーに土下座させられた事件も
なんらかの必然だったのだろう、
という思いが何処かにある。
60才の還暦の歳に
ちょうど60点で合格した
資格試験も、なんだか
神惟(かんながら)であるなぁ・・・と、
思わせて頂いた。
まさしく、
神慮(かんはからい)は
奇(くす)しくて
人の思いぞ及ばざる、
である。

ギター以外に
同じ撥弦(はつげん)楽器の
リュートという楽器も
嗜んでいる。
これは16~18世紀に
栄えた古楽器で、
現存のものは少ないが、
昨今の古楽ブームで
現代作家によって
レプリカが作られている。
自分も何本か作っては
コンサートで披露してきた。
奏法はギターとは
まったく異なり、
独特の弾き方をする。
羊の腸から出来たガット弦が
2本ずつ張られており、
それを爪を用いずに
指の頭で弾くと
丸い胴体に共鳴して
なんとも床しい音いろがする。
西欧の王侯貴族、宮廷音楽家、
辻楽師などに愛されるも
滅びてしまった楽器である。
それゆえに、
現代に奏でるのは
ロマンがある。

T中3年生の
卒業文集委員から
原稿を頼まれて
鉛筆書きして渡した。
これにも
師の碧水先生のお歌を
借用した。