『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

移動時間活用

2018-12-11 04:01:00 | ギター
先週、ミニコンをやった
幼稚園の園長先生が
わざわざDVDにして
届けてくだすった。

二台の固定カメラで
アングルを変えて
撮影されていたようで
園児の様子や表情を
よく捉えていて
面白かった。

真剣に喰らいつくように見ている子、
パクリ、パクリあくびばっかしてる子、
アタマを動かして曲に合わせてる子、
チョロチョロして先生に頭を押さえられてる子(笑)、
200名の幼児が見せてくれる
生き生きした姿が
愛おしくもあった。





視認することのできない、
自分の後ろ姿には、
背中が丸まって、
脇の下のお肉がムッチリしてて、
(ウワーっ!! デブぅ・・・。
 醜くいぃ・・・)
と、やんだぐなった(笑)。
(福島弁)

これを機に、
反省して、また、
ダイエットに精進しなっきゃ・・・。

オデキが二つもできて
難儀してるのも
デブのせいかも・・・。

デブは万病のモトである(笑)。

(・Θ・)ブヒッ




棚倉への
片道1.5時間の通勤は
「移動隙間時間」なので、
国試勉強には大いに役立ってくれたが、
もう受験からは解放されたので、
今はユーチューブから
識者の講演やトークを
何十枚ものCDに焼いて
雑学勉強に当てている。

老賢者の三婆(ババ)
「曽野綾子・佐藤愛子・瀬戸内寂聴」
らは元より、養老猛司・加藤諦三・三浦朱門・
福岡伸一・宮台真司・中野信子・秋山仁・
鈴木光司・村山斉・香山リカ・・・など、
文系理系まぜこぜで聞いている。

でも、
1時間番組では
本一冊文の情報量はなく、
いいとこワン・テーマの
雑学知識が身につくだけだが、
中にはインスパイアされるものもある。

もう、
落語や朗読は
40年で聴き尽くして
新しいソフトが見当たらないので、
もっぱら講演やトークを
聞くしかない。




市内には
「シルク」「ダイソー」「セリア」
と三種の百均店舗があり、
若干品揃えも違うので、
時々、巡ってはのぞいている。

化膿止めを塗って
オデキに貼るパッドを
「シルク」と「ダイソー」の
二店で買ってきた。

どっちのが使い勝手がいいか、
試しているところである。

去年から、
簡易ゴム式で短い
キッズタイを蒐集しており、
冬時のVネックセーターの
インナーに着るポロシャツに
ワンポイント・オシャレとしている。

時折、
女子中学生の前で
「ビヨヨ~ン」
と引っ張ってみせて
笑いのネタにもしている。

各百均によって
ちがったデザインがあるのは
ありがたい。

もう、
十本くらい
集まった。








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寒波到来

2018-12-10 08:18:00 | 風景
吾妻山も冠雪し、
きのうは市内も
一日風花が舞っていた。





外はゾクリとするほど寒かったが、
久しぶりに老母のホームを
カミさんと訪ねてきた。

ロールケーキを持参すると
何度もなんども
「美味しい、オイシイ」
といってペロリと平らげた。

2016年の
脳溢血での救急搬送から、
旧大原病院救命センター、
大原医療センター、
あづま脳神経外科を経て、
近所にある今のホームに収まるまで
一度も家には帰っていない。

入院当初こそ、
家に帰ると駄々をこねて
周囲を困らせたが、
さすがに長期の治療・リハビリの
病院暮らしで、自らも
病気だと悟って観念したのか
それ以降は家に帰りたいとは
言わなくなった。

プチ認知と
脳溢血、脳梗塞の両方をやり、
とうてい夫婦共稼ぎで
日中留守にしている家には
放置しておけない状態なのである。

介護離職する人たちもいるが、
それによる経済的困窮や
精神的ストレスは
並大抵ではないとも聞いた。

幸い、
キャリアウーマンのハシリだった老母は
年金をしっかり納めてくれていたので、
今よりも遥かに高額支給の時代ということもあり、
毎月のホーム費を支払って
まだ余禄があるので助かっている。

市からは
毎月介護給付費が
1.5万ほどが振り込まれるが
それはこっちの生活費に
賄わせてもらっている。

ホームは
個室の冷暖房完備で、
三食付き、入浴介護、身辺介護が
なされて、保育園のように
季節ごとのレク行事もあり、
まさに入居者にとっては
介護天国である。

もっとも、
全部の高齢者が
このような恩恵を
受けられるわけではないので、
自己責任で老後対策をした者のみの
特典なのであろう。

その伝では、
自分なぞはスズメの涙の年金で
貯えもないので、
ホーム入居なぞは夢のまた夢で、
いいとこ“野垂れ死に”であろう(笑)。

毎日が晩年のつもりで、
その覚悟はできているので、
老母よりも先に逝っても心配はない。

親父は71歳で亡くなったが、
自分はそれよりも早いかも・・・と、
ふと思うことがある。

来年のファイナル・リサイタルを
終えたら、満足して、
「予定終了」でも
さほど悔いはない。

もはや、
十分生きた、である。

もっとも、
憎まれっ子、世に憚る・・・タイプかもしれず(笑)。

この厭世気分と希死念慮は、
“持ったが病”の「うつ気性」なんだろう。

これからも、
「死にたい。消えたい」
という愚痴は
グチグチ垂れ流していくんだろうけど、
それも溜め込まないようにするという
カウンセラーを持たないカウンセラーの
アウトプットによる
表現セラピーだと思っている。





老母の部屋の壁に
光っちゃん(叔母さん)が
貼ってくれた去年の
リサイタルの新聞記事がある。

思えば、
第一回目には、
老母も自分でタクシーに乗って
会場に居た。

その後に、
脳溢血、脳梗塞と
立て続けに起こったが、
今はどちらも全治して
後遺症もないので、
85歳過ぎても人間には
自然治癒力があるのだ・・・と、
感心している。

もっとも、
同年齢でも
プチ認知症もなく、
矍鑠として
社会活動している人たちもいるので、
まさに生命力には個人差があるのだろう。





日曜の昼に、
滅多に家に居たためしがない
カミさんが、
部活もテニスもなく居たので、
久しぶりにフレンチの
デジュネ(ランチ)を
こさえてやった。

前日に、
120円のフォワ・ド・プーレ(鶏肝)を
シノワゼ(裏漉し)して、
80℃のオーヴンで
1時間火入れして
パテにしたものを
メインにした。

市販のパイ生地の切れっ端を
フライパンでカリリと焼き上げて
室内栽培のハーブと一緒に
ドレッセした。

ガルニ(添え物)は、
赤蕪マリネの熟柿ソースと
柿のコンフィチュールである。

自家製レバーパテは
フォア・グラには及ばないものの
新鮮なものの出来たてだったので
香りよく胡桃トーストによく合って、
誕生日に開け損ねた
シャンパンにもよく合った。






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模写

2018-12-09 09:06:00 | 趣味
朝目が覚めると
窓の外は銀世界。

初雪だ。

Winter has come.

Der Winter ist gekommen.

今朝方、
『ヒトラーの子どもたち』
というショッキングな
ドキュメント録画を
視ていたので、
アタマん中が独語化していた。

と言っても、
大学時代の第二外国語は
ギターに関連する
スペイン語だったので、
ドイツ語は自学途中で
放り投げた。

なので
「イッヒ・リーベ・ディッヒ」
(I love you)
くらいしか覚えていないが(笑)、
ドイツ・ワインは沢山飲んだので
それ関連の単語はずいぶんと覚えた。





ドイッチャー・ヴァインは、
ラインガウとモーゼルが代表的で、
壜の色が茶色と緑なので
一目瞭然である。

フランケン地方のは
ポルトガルの
「マテウス・ロゼ」に似た
扁平な壜に特徴がある。

あとは、
ナーエ、ミッテルライン、
ファルツ、バーデンという
地方のみなので、
これらの七地方を制覇するのは
案外たやすい。

いずれもヴァイス(白)で
リースリングというブドウが
主なものである。

ローツ(赤)も
稀少ながらあるが、
冬季のホットワイン用が
知られている。

80年代の京都の
フレンチ・レストランでは
フェダー・ヴァイスなる
「ハシリの微発泡濁りワイン」
が国内初輸入され、
それが珍しくって、
毎年、飲みに出かけていた。

ドイツ・ワイン法では、
QmP、QbA、
Deutscher Landwein(地酒)、
Deutscher Tafelwein(テーブル・ワイン)、
の4つに分類するが、
「QmP」の
「クヴァリテーツヴァイン・
ミット・プレディカート」(称号ワイン)
なんて今でも覚えている。

日本でも
2018年からようやく
「ワイン法」が施行され
原材料名/原産地名の記載が
義務付けられるようになったが、
ヨーロッパに遅れること300年である。

なので、
ワインにおいては
新興国ということになる。





昨晩は、
名手ハッキラの弾く
古楽器によるモーツァルトの
ピアノ・ソナタを聴きながら、
1789年頃にヨーゼフ・ランゲによって
描かれた未完の肖像画を模写した。

ランゲは
モーツァルトの妻コンスタンツェの
姉アロイージアの夫で(つまり義兄)、
宮廷劇場の俳優で、
素人画家である。

百均の顔彩とクレパスで
滲ませたり、塗り重ね部分を
油彩用パレットナイフで削ったりしながら、
18世紀画風を試みたが、
やけに肌艶のいい
健康そうなモーツァルトに
なっちまったい(笑)。

これでは
小林秀雄の『モオツアルト』にある
「病み期」の陰影が
払拭されたかのようである。

ま、いくらか
健康感があっても、
いっか・・・と、
思うことにした。

モーツァルトだって、
心身の調子のいい日だって
あったろうから。

「模写る」ときは、
美術漫画の『ゼロ』に出てくる
実在する稀代の贋作者
メーヘレンになったような気分で
描いている。

「これを、馬鹿な金持ちに
高く売りつけて、儲けてやる。
ヒッヒッヒ・・・」
という
感じである(笑)。

$゛ヽ(`w´メ) ☆! ← 贋作者ゴッコ




鍵盤の黒白を塗り替え、
ハンマーに木ピンをさし
音も変えた
タンジェント・ピアノの方に
モーツァルトの肖像を掛けてみた。

ショパンは
モダン・ピアノ側にあり、
これら『楽聖』たちを前に
それぞれの曲を弾いていると、
下手クソでも
情緒的に気分がいい。

ファイナル・リサイタルの
リハーサルのときに、
音楽堂の格納庫にある
スタインウェイをこっそり弾けるので
(今年も弾いた・・・)
それまで、いくつか
暗譜しておきたい。





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モーツァルトの天才

2018-12-08 04:32:00 | 風景
4/14ファイナル・リサイタルの
ソロ・プログラムは、
50年も弾いてきた
十八番集をとりあげたので、
殊更に練習する必要もない。

でも、
音楽に対するモチベーションを
そろそろ加速させて
上げていかないとなので、
コンサートに関係ないピアノでも
弾きたい曲を練習している。

毎日、お風呂掃除して
湯を張るまでの20分間が
どういうわけか
いちばん集中して練習できる
隙間時間である(笑)。

時には、
興に乗って
1時間過ぎることもあるが・・・。





T中に飾ってあった
ドラクロワによる
ショパンの肖像画を
引き上げてきて、
またピアノ前に飾った。

これは、
大学1年の時、
模写したものであり、
この年に敬愛する祖父が
亡くなったので
想い出深い作品でもある。

この冬休みには、
中断していた
『幻想即興曲』の練習を
再開しようと思っている。

今は、
モーツァルトの
ソナタK.545の第二楽章に
どっぷりハマッていて、
昨晩も仕事から帰宅後、
カミさんが
テニスでいないのをいいことに
シンとした静かな居間で
しみじみと弾いていた。

もう少しで
暗譜できるくらい
オキニになって、
演奏しながら胸キュンになっている。

モーツァルトは
やっぱ天才だなぁ・・・と、
変幻自在の旋律美に酔わされている。

だいぶ以前に、
グランドピアノをお持ちの
T&S先生の新築祝いに
モーツァルトの肖像画の模写を
差し上げてしまったので、
爾来、自分ちのピアノ前が
ショパンとベートーヴェンだけになってしまい
寂しくなった。

また、冬休みに
ランゲの描いた肖像画を
模写しようかと思っている。

モーツァルトの数ある
肖像画のなかで
いちばん憂いにみちた
物思いに耽ったような表情が
なんだか、光と影が瞬時に交錯する
彼の曲に相応しい気がしている。

小林秀雄の『モオツァルト』には、
ランゲの描いた肖像画を評して
音楽そのものに対する
深い洞察が秀逸に表現されている。

「それは、巧みな絵ではないが、
美しい女のような顔で、
何か恐ろしく不幸な感情が
現われている奇妙な絵であった。

モオツァルトは、
大きな眼をいっぱいに見開いて、
少しうつ向きになっていた。



人間は、人前で、こんな顔が
できるものではない。

彼は、画家が目の前にいることなど、
全く忘れてしまっているに違いない。

二重瞼の大きな眼は
なんにも見てはいない。

世界はとうに消えている。

ある巨(おお)きな悩みがあり、
彼の心は、それでいっぱいになっている。

眼も口もなんの用もなさぬ。



なんというたくさんの悩みが、
なんという単純極まる形式を発見しているか。

内容と形式との見事な一致
というような尋常な言葉では、
言い現わし難いものがある。

全く相異なる二つの精神状態の
ほとんど奇蹟のような合一が
行なわれているように見える。

名付け難い災厄や
不幸や苦痛の動きが、
そのまま同時に、どうしてこんな
正確な単純な美しさを
現わすことができるのだろうか。

それがすなわち
モオツァルトという天才が
追い求めた対象の深さとか
純粋さとかいうものなのだろうか。

ほんとうに悲しい音楽とは、
こういうものであろうと僕は思った。

その悲しさは、
透明な冷たい水のように、
僕の乾いた喉をうるおし、
僕を鼓舞する、
そんなことを思った。」

蓋し名文である。





福大ギター部
OBOG会長として
先日の定演後に
全国にいる300人のOBOGの
篤志を届けてきた。

定演20周年記念には、
全国から有志OBOGが集合して
「記念ステージ」で
『マカレーナの乙女』を
フラメンキッシュに弾いて喝采を浴びた。

今年が
37回目の定演だったので、
それも17年も前なんだねぇ・・・と、
先日のミニOBOG会で
当時参加した四人で
懐かしく振り返った。





数日前に、
木枯らし一号のような
強風が吹きまくり、
粗大ゴミ搬出に
玄関前に出していた
老母の化粧台が倒れ、
鏡が粉々に砕け散って
片付けに難儀した。

***

誕生日の日付で
「公認心理師」登録の申請書類を
登録機関に発送した。

登録免許税 15.000円
手数料 7.200円
戸籍抄本 450円
書留郵送費 430円
・・・という諸経費が
かかった。

東京での4泊5日の
現任者講習会(必須)が77.000円で、
受験料が28.700円・・・と、
ここまで随分な
出費をしたものである。

これに宿泊費、
交通費、食費なぞが
さらに加算されるから、
なんだかんだで
20万弱になっている。

ボンビー・カウンセラーには
たいそう高価な
「資格」になったものである。






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誕生祝い

2018-12-07 04:33:00 | 食物・飲物
きのうは誕生日で
多くの方々から
祝福を頂いた。

まことに、
ありがたいことである。





カミさんが
パティスリーから
小さいホールの
マロン・タルトを買ってきてくれた。

記憶にある限りの
もの心ついてから
この歳になるまで、
バースデイ・ケーキを
欠かした歳がない。

これを
幸福な国に生まれた
幸福な人生と言うのだろう。

還暦過ぎてケーキもないが、
稚気なれど、
我が家は結婚来、
お互いにケーキだけは
欠かしたことがない。

きのうは
シャンパンも
買ってきてくれたが、
生憎と胃腸の具合がわるく
開栓は見送った。





大阪からは
むかしの教え子から
好物の「高槻城」という
高槻銘菓を送って頂いた。

 ギャンブラーは一瞬の楽しみ
  農夫は一年の楽しみ
   教師は一生の楽しみ

・・・というが、
元生徒であった子ぉたちは、
いくつ何十になっても、
「先生、せんせい・・・」
と思ってくれるのは、
実にありがたいことである。

白餡に卵黄、水飴、
葛や寒梅粉をいれて
焼き上げた「桃山生地」の菓子は、
こちらでは
とんとお目にかかれない。

切り分けて
お薄の主菓子にもいい。





アートセラピーを
毎回取り入れている
Mちゃんが、
カウンセリング室用に
家で装りやカードを
こしらえてきてくれ、
飾りつけもやってくれた。

二本のゴムの樹は
さながら
南国のクリスマスの如しである。

これまで、
多くの卒業生たちが
飾り付けたり、
葉っぱを拭いてくれたり、
関わってくれた大事な
セラピー・アイテムでもある。

動物こそいないが、
カウンセリング室内で
唯一の生き物なので、
それとの交流も大切な
ヒーリング効果がある。

クリスマスカードを作る過程で
仲の悪かった子と
一緒に楽しく作ったという
Mちゃんの報告を聞いて
嬉しくなり
大いに誉めてあげた。

 仲よきことは
  美しき哉
       実篤
…である。

(カボチャの絵ぇ思い出すなぁ)

前回も製作過程を
プリントアウトしてあげたら
喜んでくれた。

喜びや楽しみ、
そして、
自己効力感の自己認知にこそ
「癒しの過程」があると
信じている。



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