毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。
「オリンピックの中止プラン」
という話題が
ニュースに上がってくるようになった。
都知事と首相は、
頑として開催する、
と言い張ってはいるが、
いずれ、
「現況を鑑み・・・」
とならざるを得ないかもしれない。
五輪史上、唯一、
世界的感染症の蔓延で
開催されなかったとなれば、
それはそれで
「歴史に残る」
レジェンドになる事だろう。
そうであれば、
その為に確保していた予算を
開発途上国のワクチン費用として
援助してあげるのも
「活きた金の使い方」
ではなかろうか。
無論、幾らかは、
国内の飲食店や
企業支援に回してもいい。
***
中国共産党の
ウイグル族の弾圧で、
民族浄化の手段として
女性に強制不妊手術をさせている、
というのがアメリカの告発により
ジェノサイド(集団殺戮)と認定された。
考えるだに恐ろしく、
吐き気を催す
非人道的行為である。
コロナ禍の元凶として
世界を塗炭の苦しみに
晒しただけでなく、
今尚、ナチス時代のような
悪行をやっている国家は
まさに「偽悪醜邪」を地でゆく
悪魔国家である。
ナチ同様に、
民主・自由主義連合国により、
抹殺しないことには、
安心して暮らしていけない。
ナチが各国との協定を破り、
ポーランド侵攻をしたことが
切っ掛けでWWⅡの開戦となった。
歴史は繰り返されるで、
小競り合いから局地戦、
全面戦争へと事態が
悪化する可能性もあろう。
全人類にコロナ禍をもたらした
怨嗟の念が中国に向いたら、
「過冷却」現象のように
一枚の葉っぱが池に落ちた刺激で
全面が凍結するような
過激な反応が生じるかもしれない。
かの国の途上国への
「ワクチン」外交なぞという
政治的思惑も危ういもので、
その主効果やら副作用の
データ的エビデンスを開示せず、
しかも自国内で未承認のものを
提供しているのである。
やることが一々、
どこまで非人道的なのか、
呆れるのを通り越し
怒りが湧いてくる。
1700年代の古楽器『バリーニ』が
貸し出していた女の子から
礼状と共に返ってきた。
超進学校の安高に合格して、
音大から進路を変更し、
プロのヴァイオリニストになるのを
断念したのは残念だったが、
そうなれば「永代貸与」するけど
変更したら返して欲しいという
「約束」をきちんと守ってくれた。
古楽好きが高じて、
20年ほど前に、
2台あるピアノの一台を
鍵盤を古楽器風に
白鍵・黒鍵を逆に塗装し、
ハンマーに木ピンを刺して
「タンジェント・ピアノ」に
改装した。
今も、
スプリング交換や調律の
メンテを自分でしながら、
古楽器風の雰囲気を楽しんでいる。
冬休み中に、
中世ルネサンス期の漫画
『チェーザレ』や『アルテ』を
読み耽っていたので、
そのBGM用にずいぶんと
CDも買いこんだ。
きのうは、ヤフオクで、
『一千年の響き 美しき中世音楽』
という10枚セットを
1000円で落札した。
音楽教材社による物のようで、
さまざまなコンソートの演奏が
オムニバス形式で編集されている。
送料を入れても、
一枚150円は
安い買い物だった。
皆川達夫先生の
テキストで推奨されている
ジャヌカンやダンスタブル、
ガブリエリのものも
アマゾンで廉価盤を見つけ
購入した。
この冬は、
中世マンガのおかげで
久しぶりに古楽の楽しみに
浸っている。
ゆんべは、
夕飯後にフミが
ラインでライヴ通信を
寄こしてくれて、
リッ君とスマホ・カメラで
初対面をした。
9ケ月では、
まだ本人もワケが
解ってないだろうが(笑)、
画面の向こう側で
「りくぼう。ほら。
ジイチャンだよー」
と言われて
パタパタしていた(笑)。
カメラを通じてではあったが、
ライヴで初孫との
対面ができて
嬉しく思った。
今朝の朝刊のコラムで、
気象と病気の関連性を研究する
生気象学というのがあり、
英語では「バイオメテオロロジー」
(biometeorology)
というんだと知った。
それによれば、
「寒さ」は生体に防御反応として
「怒り」と同じ生理現象を
起こさせるそうで、
副腎髄質からアドレナリンが
分泌されるという。
カラダが縮こまって震えたり、
筋肉が硬化するのも
そのせいなのかもしれない。
今日から「大寒」に入るので、
「ずっと怒ってる」ような
状態が続いていては、
心身の健康にも
良かろう筈もないなぁ・・・。
長引く風邪に加えて、
先週くらいから
右膝の上が腫れていて
正座するとパンパンに
浮腫(ムク)んでいる。
そして、
伸ばし曲げするたびに
ポキポキと音がするので、
どこかでぶつけたのか、
関節炎にでもなったのかしらん・・・
と怪訝に思いながら、
様子見をしている。
もう、これ以上、
カラダのどこも
痛くなってほしくないが、
加齢・老化・衰弱は
否応なしにやってくる。
なので、早く、
この肉体という"着ぐるみ"を
脱ぎ去って"純粋存在"に
回帰したい・・・という願望も
起ころうというものかもしれない。
最近、
よく脳裏に浮かぶ
キーワードに
「受肉」というのがある。
英語では
「Incarnation」
(インカネーション)という。
「リインカネーション」となると、
「輪廻転生」「生まれ変わり」
のことである。
本来は、
キリスト教用語で、
父なる神/神の子(キリスト)/聖霊
の三位一体のうち、
キリストが、ナザレのイエスという
歴史的人間性を取ったことを指す。
自分の思考実験ノート上では、
これを敷衍して、
"純粋存在"の「たましい」が
肉体を持つことをも
「受肉」と操作的定義している。
そして、
この「たましい」は、
「自意識」であり、
「宇宙意識」とも考えている。
「受肉」すると、
いわゆる、肉体的な
快感を得るのと、同時に、
苦痛をも得るのであるが、
その形而上的な意味は
奈辺にあるのか、
今、ノート上で探っている。
<快 ⇔ 不快>は、
動物でも、刺激により、
「正」と「負」の
『走性』を喚起する。
現在、「不快」の代表は、
全人類的には
「コロナ禍」があるが、
個人的には、
「オシリ痛」や
「風邪の症状」などがある。
その原因論ではなく、
なぜ、この「不快」が
厳として在り、
その必要性とは何なのか・・・。
持論の「極性論」で言えば、
「+」と「-」の
対極のひとつに過ぎず、
「不快と感じる」のは、
毎度の『人間中心原理』の
「価値論」となる。
「好悪」にせよ、
「好きな事・物」ばかりでは
対象化されず、「好き」という
感情・快楽さえ認識できなくなる、
ということなのだろうか。
きっと、そうなのだろう。
養老先生の
「自分 = ナビの三角」論でないが、
周囲の相対的な「対象物」によって、
自分というものは定位され、
そこに「目的」性が生じる。
人間関係や諸事も然りで、
相対的に対比・対置・対象化されるから、
「生きている」「活きている」
ということが実感・認識されるのである。
最も簡単な原理では、
陰(影)なくば
光のみでは、
物は視認できないし、
同様に、陰(影)「= 闇」のみでも
物は視認できない。
絵画のモチーフに用いられる
真っ白で真ん丸の
石膏の球体が、
「それ」と認識されるには、
適度の光量で
適度の影のグラデーションを
要するのである。
つまり、
「不快」と「快」の対もまた
「生きている」という
「存在」の実感を得るのに必要な
肉体的性質なのである。
「純粋存在」や「たましい」の
大元である「根源的存在」や
「絶対的存在」(= 神)は、
完全無欠という
絶対状態にあるがために、
「何も始まらず、何も終わらない」
という「無変化」「無為」に
定常・固定してしまう為に、
「変化」「有為」を生じせしめるべく
「相対的存在」や「極性」を
創造したと【魂理学】的には
見ている。
学期末ごとに
白衣を持ち帰り、
カミさんが
クリーニングに出してくれる。
生物学科の学生だった頃から、
白衣を着るようになり、
卒後にも生物教員になったので、
爾来、心理学科の院生時代を除いて、
四十年以上も仕事着として
数着保有している。
ほぼ全てのSCは
白衣を着ていないが、
自分にとっては
作業着のようなものでもあり、
サイコセラピスト(心理療法家)
という「治療者」の
矜持を持つためのアイテムでもある。
「白」は
「死と再生」「浄化」
の象徴でもある。
心理カウンセラーは、
悩みや苦しみを持つ
クライエントにとって、
「死と再生」の「通過儀礼」に
立ち会う「司祭」でもある、
という深層心理学派や
分析心理学派の考えがある。
それゆえに、
希死念慮を抱えている
少なくないケースには、
文字通り"命を削って"
深くコミットしているのである。
アマゾンから
注文していた
ガストルディが届いた。
ルネサンス期に
複雑高度に発展した
多声音楽(ポリフォニー)への
アンチ・テーゼとして、
イタリアのガストルディは
『踊り歌』と意味の
「バレット」という
楽しげな曲を提示した。
たしかに、
耳にやさしく
庶民の生活に根差したような
シンプル感が佳かった。
風邪気味の体調を
復調させようと、
糖質制限食も中断し、
良質タンパク質をも
多く取っている。
リバウンドで
体重が元の木阿弥になったが、
健康優先なので
致し方ない。
ウェッジウッドの
オーヴァルを、
シルバー・オーヴァルを
台座に見立てて
パーティー風に
『グリル・ド・ブッフ』を
ドレッセしてみた。
昨日、退勤時に、
ふと、希死念慮が生じ、
「もう、死んでもいいや・・・」
という思いが湧いて出た。
父が七十一で亡くなったので、
その年齢まで、あと八年だが、
それより前に早く死んでもいいや、
という具体的な思いまで
湧いて出たのは
初めてだった。
一時的な、
マインド・ワンダリング的な
自動思考だろうと高を括って、
ツタヤによって
レンタル・コミックを一冊
借りて帰宅した。
そして、いつものように
浴室のストーヴを点けて
入るばかりに用意したが、
いっこうに入る気にもなれず、
夕飯を呼ぶカミさんの声をも
聞き逃した。
怪訝に思って
呼びに来たカミさんの後から
付いて食卓に着くなり、
「もう、どうでもいい・・・。
死にたい・・・。
コロナ疲れした・・・」
と漏らしてしまった。
カミさんは、
前にも騒ぎを起こしたので、
(またか・・・)
という表情で固まって
ダンマリを続けて
黙々と食べていた。
食欲もなく
いつもの半分しか
食べれなかった。
気力が萎えて、
すべてが面倒くさくなり、
けっきょく、温めていた浴室の
ストーヴを消して
久しぶりに入浴せず
そのまま寝入った。
十分過ぎるほど眠れたので、
今朝も朝一で鍼治療に出かけ、
こうして、ブログを書けるだけには
気力が回復したのだろうが、
なんだか、また、
ストレスが高じて
「うつ」の吹き溜まりに
スタックしたような感じである。
今朝になって、
つらつら分析してみるに、
きのうは「オシリ痛」が全くなく、
幸いであったはずなのに、
長引く風邪の方の
全身痛と倦怠感があり
朝・昼と鎮痛剤を呑んでいた。
そして、
五人のカウンセリング・ケースの中で
「希死念慮」の強い子が一人、
「反抗的態度」の子が一人、
「軽躁的」子が一人、
「プレイ・セラピー」の子が一人、
・・・と、かなり、心的負荷が
重かったようである。
体調が悪い時には、
ある意味、深くコミットの要る
軽くないケースを
カウンセリングするのは
セラピストにとっては
危険でもあり
禁忌なのかもしれない。
まして、このご時世、
アタマの上には
四六時中、
コロナ禍という「大ストレス」が
乗っかっている。
自分は、基礎疾患+高齢という
リスク・ファクターがあるので
「コロナ罹患=重症化致死」
「サイトカイン・ストーム=悶絶死」
という予期不安が
そうとうなストレス「変数」に
なっているのだろう。
そこに、
交通違反で罰金なぞも
あったばかりである。
Holmes & Rahe
(ホームズ/レイ)の
「ストレス度表」
(社会的再適応評価尺度)
のように査定してみたら・・・
「罹ったらアウトのコロナ・ストレス」50
「1年以上の坐骨神経痛」50
「罰金ショック」30
「長引く風邪症状」30
「重いカウンセリング・ケース」30
「初孫に会えないストレス」20
・・・と、
ざっと計算したら、
210点にもなっていて
驚いた。
心身健康被害の危険率は、
150点未満で30%、
150~299点で50%、
と言われているので、
プチ鬱化して
「死にたくなる」のも
さもありなんである。
こうして、
プロだから自己分析できたり、
メタ認知・セルフ・モニタリングできるから
まだいいものの、
「コロナ禍の不安」が
ベース・ラインを高めて、
プラスαのファクターが加われば、
すぐに危険閾値を
オーバーフローしてしまいそうな人が
少なくないように思う。
それが、
昨今の自殺者数の多さを
物語っているのだろう。
朝、目覚めたら、
またまた雪景色になってて
驚いた。
鍼治療に行くにも、
道路がシャーベット状になってて
ノロノロ運転で渋滞気味だった。
鎌田に入ったら、
突然、吹雪いて、
危うく、ホワイト-アウトに
なりそうだった。
K中に3学期の初出勤をしたら、
毎度のことながら、
冬休みの3週間中に
地震が何度かあって、
額縁があちこちで
ひん曲がっていた(笑)。
三年生の
卒業文集委員がやってきて、
原稿を依頼された。
この時季、
PTA新聞などにも
頼まれるので、
もう、決まり文句を書いている。
去年一年、
ペン字と書道をやってたので、
"メメズののたくり"字から
やっとまともになってきた(笑)。
阪神淡路大震災の前年に
フクシマにUターンしたので、
幸いにも、自分は被害には
逢わなかったが、
二ケ月後の卒業式に出向いた時、
被害に逢われた先生方に
お会いして、お見舞いを申し上げた。
幸いにも、犠牲になった
教え子はいなかったが、
生物室で、卒業生たちを前に
「明日の朝、死ぬと思って、
前の晩に寝た人はいなかったろうが、
現実には、6.400人もが
そういうことになってしまった。
人間というのは、
一寸先、一秒先、
どうなるものか解らない
危うい『生』を生きているんだ」
という
レクチャーをした。
あの折の
被害者たちの合言葉は、
「がんばろう神戸!」
だった。
それは、
自分たちへのエールなのであり、
ヴォランティアの人間が
安易に安全圏から
被害者に向かって
言える言葉ではないのである。
事実、
「がんばってね!」
と声をかけられて、
「なんや、むっちゃ、
ハラたってん・・・」
と言った子がいた。
それは、
「頑張れ」の語源が
「眼張れ」・・・つまり、
「眼をしっかり見開け」
そうやって気張れ、
という命令形なのである。
なんでもない人間から、
「しっかりしろ」
と言われたら
そりゃ、腹も立つだろう。
「頑張ろう」
というのは、
あくまでも、
自分に向けられる
エールなのである。
音大に進学希望されていた
知人のお嬢ちゃんに
プロになるなら
自分で買い替えるまで
「永代貸与するよ」として
貸し出していた
1700年代の古楽器『バリーニ』が
返ってきた。
進路変更して、
政経か法科に進むことにしたらしい。
部活だけで、
銘器を使っているのは
心苦しいと思われたのだろう。
2年ぶりで
愛娘が帰宅したようで、
やっぱり嬉しく思った。
早く荷を解いて
再会したいと思っている。
きのうは
ソーちゃんの宿敵
豊島竜王への7度目の挑戦が
ライヴであった。
これまで、
公式戦6連敗と
唯一、勝てない
大きな壁であった
トヨピーに、
斬新な手を繰り出して
やっと初勝利をあげることができた。
全棋士参加の朝日杯では、
過去、二連覇しているので、
来月11日の渡辺名人との準決勝も
見逃せない一戦である。
昨年の
R先生のお祝会に続いて、
また、チーム「YAMAKIYA」での
『ふくの季』新年会を
「三密」で行ってきた。
今回は前回の
倍の予算だったので、
オードヴルには、
フォアグラのフィロ包みが
供された。
トリュフもあしらわれ、
これだけで
「世界の二大珍味」の
揃い踏みである。
美女お二方も
その高貴な超美味に
陶然とされていた。
A5クラスの
「富士幻豚」のクネルは
海鮮スープで供された。
ポワソン(魚)は
鰆(サワラ)のロティ。
珍しい縁高プレートの
ボトムにドレッセされ、
カトラリーがちょいと触れると
「カーン!」と
清んだ音がした(笑)。
リー・ソバージュ
(ワイルド・ライス)を
合わせると、
まるでフレンチ式の
「焼き魚定食」のようでもあった(笑)。
ヴィアンド(肉)は、
富士幻豚のロティで、
その脂身の甘さは
驚くべきものであった。
ポム・ド・テール(馬鈴薯)の
ムースリーヌの
滑らかなテクスチュアにも
お二方とも感激されていた。
「mousseline」は、
モスリン(綿・ウールの平織りの織物)
のように滑らかで
柔らかい食感から
そう呼ばれている。
アヴァン・デセールには、
シェフにお願いして
スフレを焼いて頂いた。
最高級バニーユ(バニラ)を
使っているので、
その香りが際立っていた。
熱々で供されたが、
厨房のオーヴンから
テーブルに運ばれるまでに
少しばかりコック帽のような
山高部分が萎んでしまったのは
いささか残念だった。
【命短し恋せよ乙女】
じゃないが
【命短し はよ喰えスフレ】
というマイ格言は
ここから出来た(笑)。
〆は
ショコラ・ルビをあしらった
ガトー・ショコラと
エクスプレス
(エスプレッソ)。
茶事と同じように、
お菓子を頂いてから
濃茶やお薄をやるように、
デセールも完食してからの
エクスプレスを奨めている。
さすれば、
文末のピリオドのように、
ピシリとコース全体が引き締まり、
尚且つ、余韻が残るのである。
フォアグラに始まった
コースだったが、
楽しい談笑を交えての
アッと言う間の
2時間だった。
***
きのうは
ソーちゃんも
宿敵トヨピーに初勝利するし、
ほんに、良い一日であったなぁ・・・。
╰(*´‿`*)╯彡
『将棋の渡辺くん』に
ソーちゃんの話題が
ちょくちょく出てくるようになり、
棋王戦前に、
「藤井くんが
ヒタヒタと背後に迫ってきてる」
という処で、
漫画の作者の奥さんが
「もう、真後ろにいるよ」
というシーンに
受けてしまった。
目だけの
ソーちゃんが
らしくって、
この後、棋王を奪取される
というのを予感していたかのような
意味深長なひとコマである。
今朝の朝刊で、
画家の安野 光雅さんが
亡くなられたことを知った。
大学時代から、長らく、
FMの『日曜喫茶室』を
毎週録音しては車内で
聞いて通退勤していた。
安野さんは
そのレギュラーで、
温厚朴訥とした語り口が
好々爺然として
とても耳に心地よかった。
先に、マスターの
はかま 満緒氏が亡くなり、
続いて、レギュラーの
池内 紀(おさむ)さんが亡くなって、
そして、とうとう安野さんが
逝ってしまった。
我が家のテープ・ライブラリーには
『日曜喫茶室』が幾本かあるので、
久しぶりに取り出して
往時の雰囲気を楽しんでみたい。
カミさんが
夕飯当番のときに、
鍋いっぱいのクリームシチューを
こさえたので、
二日にわたって
"ぼっちランチ"に片付けている(笑)。
ジャガイモだけでなく、
サツマイモまで入ってるので
食べでがあり、
これだけで腹持ちもいい。
市販のルーを使っていたので、
ちょいと濃厚牛乳とバターを加え、
ブランデーなぞも
香りづけに入れてみたら、
鶏肉入りだったので
フレンチの「フリカッセ」のようになった。
きのうも
まだ風邪っぽい
ダルさがあったので、
仕事前に、クレープをやいて
たっぷりのジャムで
糖分をしっかり補給した。
どうも、
気管支の辺りに
違和感があり、
呼吸もやや苦し目なので、
炎症かアレルギー症状が
抜けきらないようである。
なので、
セルフ・メディケーションで
アレグラとイノリン(気管支拡張剤)で
対症療法している。
そして、
栄養と補液と安静休養を
心掛けているが、
これから、さらに
「大寒」から「立春」にかけて
寒さの「底」になるらしく、
こじれさせないように
注意せねばと思わされた。
重症の小児喘息少年だったので、
気管支炎や肺炎も
何度も掛り、
その独特の違和感には
馴染みがあるものの、
加齢・老化してからは
全身の倦怠感や
節々の痛みが加わった感じがする。
返す返す
コロナじゃないだけ
幸いと言うよりないが、
もし、コロナったら
これのもっとひどい症状に
悩まされ、死に至るのか・・・と、
想像してみたら、これからも
しっかりと予防を怠るまいと
再認識するようだった。
毎週末、
朝のニュースで、
バカのひとつ覚えみたいに、
アサちゃんを見ては、
その声に癒されている。
彼女、どこか、
ノーブルな感じがするのである(笑)。
他の女子アナで、
そんなオーラを持った人は
見た事がない。
かつての、
高橋 美鈴さんには
それがあったが、
最近、とんと見ない。
気になってウイッキってみたら、
今は「甲府」局に
なったらしい。
いつの間にやら
49歳にもなっていた(笑)。