『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

講演依頼

2021-12-21 04:30:00 | 仕事
今日で、
自分の2学期勤務も
終了である。

なので、出勤前に
Tちゃん先生の教会に寄せて頂き
「お礼参り」をさせて頂こうと思う。

一日も病休もなく
仕事を全う出来たのは、
ほんに有り難いことである。

明日から、
一足早い3Wの冬休みである。






狐狸庵先生の
未発表作が発見されて、
それが『沈黙』のモチーフを
先駆けたものであった、
というニュースを聞いて、
『知の超克』という論文を
読んでみた。

その中で
「インカルチュレーション」
(inculturation)
という神学用語を初めて知った。

「文化内受肉」「文化内開花」
と訳されるが、その意味は、
西欧型のキリスト教や文化を
一方的にそのまま土着化させるのではなく
それぞれの地域の文化との対話を
積極的に肯定し、
その対話の「プロセス」における
「変容」を容認していこうとするものである。







昼間は仕事の隙間時間に
キリスト教の論文を読み、
夜は中村先生の『龍樹』の
『中論』の解釈論文を読んだ。

平易な解説ではあるが、
中村先生独特の
微に入り細を穿つ解説を
丹念に読み込んでいると
電気毛布の床中ともあって、
いつの間にやら寝落ちしていた(笑)。







きのうのベジ弁には
焼き芋を半分詰めていった。

これに、プチ・マイブームの
野菜のポタージュスープで
お昼としている。









今朝の朝刊で、
アメリカで年間10万人もが
OD(オーバードーズ/薬物多飲)で
死んでいると知って驚いた。

日本でも、先日、
女子高生が
薬物多飲をさせられて
死亡したニュースが
あったばかりである。

記事にあるように、
誰しも
「悩みがあるのは当たり前」
なのであって、
先週、中一生への
カウンセリング・ガイダンスでも、
まず、その一言から始めた。

それと、
誰もが、いつもキラキラと輝いて
リア充してなきゃ…
なんていうネットのイメージなぞは
幻想であって、
それと比較してイケてない自分に
落ち込むのはナンセンスである、
という話もした。

それでも、
それが要因となって
薬物やゲーム、スマホ依存になる
というは、けっこう多い。

コロナ前よりも
そのパーセンテージが
明らかに増えている。

先日のレクチャーでも
一年間で小中高生の499人もの
自殺があったことを話題にし、
健全なストレス解消法を紹介した。

そしたら、
不思議なタイミングで
昨日、大学の同級生で
小学校長のNから連絡がきて、
9月にコロナ禍キャンセルになった
父兄講演会を2月にやってほしい、
との事だった。

私的に大事な
ソーちゃんの「王将戦」
第4局の初日とかぶってはいたが、
第3局までで「3-0」で
ストレート勝ちすると読んでいるので、
引き受けた(笑)。








『王様の仕立て屋』のオチに
チャーリーブラウンが登場する
秀作コミック『ピーナッツ』から
箴言が二つ引用されていた。

どちらも、
含蓄のある言葉である。



















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狐狸庵センセイ幻の作品

2021-12-20 09:18:00 | 音楽
昨晩のNHKニュースで、
狐狸庵先生の未発表作発見
というのが報じられ、
全巻を読んできたファンとしては
驚きと喜びを感じた。

2月頃、
出版されるというので、
その日を楽しみにしている。






1955年頃に
地方新聞に連載された
『稔と犬』という小編だが、
後の代表作『沈黙』に通ずる
モチーフが見られるという。

隠れキリシタンや司祭が捕縛され、
踏み絵をふまねば
凄惨な拷問死に処せられる
という極限場面で、
踏み絵のキリストが語りかける。

「踏むがいい。
 お前の足の痛さを
 この私が一番よく知っている。

 踏むがいい。
 私はお前たちに踏まれるため、
 この世に生れ、
 お前たちの痛さを分つため
 十字架を背負ったのだ」

この感動的な部分には、
キリスト教学者のあいだで
ずいぶんと物議を醸し、
あからさまに批判された事もある。

こたびの新発見小説には、
主人公のミノルが
悪童にそそのかされて、
聖なる対象を空気銃で撃てるか、
というシーンがあるらしい。










きのうは雪解け道を
散歩&ツタヤ・ブラウジング
に出向いてきた。

中古外盤コーナーで
3枚組817円の
『ジュスティーニのピアノソナタ』
を買ってきた。

1700年頃、
クリストーフォリが
チェンバロのプレクトラム(爪)に
代えてハンマーを使用した
ピアノの元型「アルピシェンバロ」を
発明する。

後に、それは
「ピアノフォルテ」と
呼ばれるようになるが、
その語源はピアノ(弱音)も
フォルテ(強音)も出せる、
という意味である。

実際にチェンバロを弾いてみても
実感することだが、
鍵盤のタッチ如何に関らず
プレクトラムが弦を弾くのは
一定の強さなので
この楽器には音の強弱がつけられない。

その欠点を解消したのが
ハンマーの導入なのである。

ここにおいて、
管弦楽器のように
鍵盤楽器にも
繊細な強弱の表現が
可能になったのである。







ジュスティーニを調べてたら、
バッハとスカルラッティと
同じ生まれ日で、
しかも、バッハもスカルラッティも
フォルテピアノの演奏をしている、
というのを知って驚いた。










着道楽の教科書である
『王様の仕立て屋』の
最新刊が出ていた。

今号では、
アスコットタイが出てきて、
まだ、それを持っていないので
アマゾンでこれから
注文しようと思っている。









ウィキってみたら、
イギリスのアスコット競馬場が
名前の由来らしく、
当時の紳士が棒状にしたり
リボン状にして
装っていたという
フォーマルスタイルだが、
現今では専ら
インフォーマルスタイルと
されている。













ブックオフでも
未読コミックの"背取り"
(面白そうな物の試し買い)
をしてきたが、
半分はB級以下の内容だった。

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天才といふもの

2021-12-19 07:14:00 | 藤井 聡太
毎日を濃密に生きる
ひとつの手段として、
2004年からブログという
公開日記を始めた。

その後、Twitterやら
Instagramなどが登場したが、
どうも自分には
旧態依然としたブログ形式が
合ってるようだ。

「よく毎日続きますね」
とか
「書いてて、飽きませんか」
と尋ねられるが、
生きてる限り、
出来事は付いて回るので(笑)、
要はそれを掬い取るだけなのだ。

自分は生来のメランコリー気質で、
「鬱」持ちで、
希死念慮があり、
自尊感情が低く、
カラダもワルイ処だらけなので(笑)、
自身を常に鼓舞して
自愛していないと
すぐにネガティヴ・マインドに
陥ってしまうから
始末におえないのである。

だから、日々、
自画自賛を繰り返すべく、
自転車操業のような、
泳ぎ続けるマグロなような
生き方をしている。

おかげで、時に、
手段と目的が転倒して、
何も無いノッペリした一日なぞ、
(ブログネタでも
探しに行くべぇか・・・)と
「今日用(教養)と
今日行く(教育)処」
を捻り出したりもしている。

日常でも、
馬鹿みたいに
新聞やテレビ画面を
スマホで写しては、
せっせと画像処理している。

そんでも
【習い性となる】で、
ただ読む、ただ視る、
というよりも一段深く
対象にコミットしているような
気はしている。

自分だけのブログ・カテゴリーに
「新聞ネタ」「テレビネタ」
というのが
あるくらいである(笑)。

前日に意識をフォーカシングした事を
翌日、文章で言語化し、
画像処理で再イメージングをし、
さらに、翌々日に
「作品」として「その日」を
鑑賞する。

実際には、
一日に体験したことの
何十分の一かを切り取ったに過ぎないが、
それでも、その日の象徴的な出来事には
違いないので、さらに数日してから、
Facebookでは
「いいね」をして下さった方々の目線から
もう一度、「その日」を振り返る。

それにより、
当日、翌日、翌々日、数日後・・・と、
「その日」を
四度も生きることに気付いた。

これがブログの効用で、
「味わひ深き日々」
をクリエイトしている。

自分は、
根っからのタレカ(横着者)で
ヘタレ(惰弱者)だが、
そんなんでも
「生きる」という事に関しては、
誰よりも貪欲で
意気軒昂なのかもしれない。

だからこそ、
あっちイタイ、
こっちワルイ・・・と(笑)、
不平・不満・不足を撒き散らし、
堂々と自虐的に
自嘲してるのだろう(笑)。


モウシニテ~ッ ! ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ









普段は素通りしている
朝刊の観戦記に、
ソーちゃんの
清々しい姿が目に留まり、
初めて、その記事を読んでみた。

そしたら、これが、
「ソータ愛♡」に溢れた(笑)
なかなかの名文だった。

(そうだよなぁ・・・。
 彼の歩いた跡には、
 新しい歴史が
 紡がれているよなぁ・・・)
と思った。

(そっかぁ・・・。
 あの、はにかみが
 こんなにも心惹かれるんだ。

 透き通った瞳が
 見るものをも浄化させるんだ・・・)
と識った。

(好きな対象に
 誰よりも夢中になれる・・・)

これこそが、
彼の座右の銘
【盤上没我】なんだ・・・。

(関心の的は、
 理解を深め、力を付けること・・・。
 そうだよなぁ・・・。
 もっと、理解を深め、
 生きる力を付けなっきゃだなぁ・・・)

(ーωー).oO ウーン








朝刊の書評に、
『星 新一論』を見つけ、
久しぶりに、書棚にある
幾冊かを再読してみようかな
という気になった。

評文のように、
ほぼ全作品を二十代までに
読了して自分も
「卒業した気分」になっていた(笑)。

でも、彼の天才性は
紛れもないもので、
その講演での肉声と内容を聞いても
確信した。

なので、稀有な
ショートショートの天才性を
いまいちど"味わって"みるのも
自分の人生を振り返る
糧になるやもである。





老境に入りつつある今、
更なる老境の深淵におられる
老賢者たちの言葉に
素直に耳を従えている。

医大の献体ヴォランティア
「志らぎく会」の総会で、
養老先生が記念講演に来られ、
その謦咳に接することができた。

ヨ―ローせんせも、
心酔し私淑している
老賢者のお一人である。

先生の出られている
YouTubeサイトは
全部視たが、
そのご著書となると
膨大な数になるので、
まだまだ全部は
目が通せていない。

代表的な『唯脳論』は
幾度も精読しているが、
『壁シリーズ』は
軽くサラッと一読のみである。

その新刊が
朝刊で広告されたので、
さっさくAmazonをポチッた。

***

なんだか、最近、
高校時代に周囲から
馬鹿にされた記憶が蘇って
不愉快な気分を味わっている。

きっと、
過去の残滓なのだろうが、
深層心理分析家としては、
定期点検の自己分析をせよ、
という説目(せつもく/ソーちゃん語)
なのかもしれない。

「進学率100%」
「国立大現役合格180人」
「同級生の4人が東大合格」
「同級生の数名が大学教授と医師」
というトンデモナイ
超進学校だったので、
自分よりも成績がよく
心ない輩(やから)からは、
ずいぶん馬鹿にされ
「お前、頭悪いな」
と真顔で言われたことが
幾度もある。

なので、劣等感に陥り、
欝々しながら、
加藤 諦三の『高校生日記』に
痛く共感した記憶がある。

自分を露骨に馬鹿にした輩は、
たしかに自分よりも
偏差値の高い大学に行った。

当時の彼らなら、
勝ち誇った上から目線で
「お前、やっぱり馬鹿だな」
と言って、
こちらの価値下げを図るだろう。

そして、当時の自分なら、
(俺は、やっぱり、
馬鹿なんだ・・・)
とガッカリして、
鬱屈したかもしれない。

でも、あれから
半世紀も過ぎてみると、
さすがに、
「馬鹿でけっこう。
 けっこう毛だらけ猫灰だらけ」
と開き直れる自分が
出来てきた。

孔子は「年齢の妙」を
よく言ったもので、
『不惑』の四十代から
ひと目が大して気にならなくなった。

そして、還暦を過ぎた今、
亡父が71歳で寿命尽きたので、
そこから逆算して
残り時間をカウントダウンして
毎日を暮らしている。

まさに、
【メメントモリ・カルペディエム】
(死を忘れな 今を生きよ)
を地で生きている。

孔子に倣えば
『知命』の五十代で、
心理職という
人の心を救うのが
天命と弁えた。

だが・・・
六十代にして
「耳順」とは
まだまだ、なっていない(笑)。

だからこその、
ネガティヴ・メモリーとの
対峙を無意識の自己(セルフ)から
意識の自我(エゴ)に
迫られているのかもしれない。

出来得るなら、
父の生きれなかった
【七十にして
心の欲する処に従いて
矩(のり)を踰(こ)えず】
という地平の景色を
見てみたいとは思うが、
それも成り行きまかせが
よかろう。





このコロナ禍で
世界を塗炭の苦しみに陥れた
張本人の風刺画を見た。

今朝の朝刊の
新刊広告欄である。

タイトルも
コピーも
なかなかに溜飲が下がる思いだが、
そうは言っても
侵略加害者国としては
いろいろと物言いも言い難い
国情があるのかもれしない。

何の因果か、
教員時代に三度にわたって
修学旅行の引率で
中国に行く機会があった。

むこうの生徒や先生たちと
それは気持ちを通じ合わせて
交流したのを昨日の事のように
胸に残っている。

同じ生物教師で
能書家の「単先生」から
二つも作品を頂いて、
それは今も玄関室礼や
茶室に掛けられている。

院生時代には
同じ心理教室の
○○さん(名前ど忘れ・・・笑)を
自宅に招いては、
茶かいを催し、
やはり能書家だった彼女から
作品を頂いたこともある。

かくばかりに、
中国の人々はそれそれに
よき人なのだが、
共産党一党独裁政権と
その「皇帝」がよろしくない(笑)。

多くの故事・名言を産んだ
『三国志』を読んだだけでも、
如何に、漢民族は殺し合いに
明け暮れていたか、というのが
嫌でも解らされる。

そして、
賢帝ならぬ愚帝や
その奥方(西太后など)が
いかに残忍だったか・・・
というのも、漢文の教科書にさえ
出てきたものである。

最近、『ゴルゴ13』を
再読していると、
誰か大金を払って
この愚帝を始末してくれないか、
と漫画チックな妄想を
抱いてしまう(笑)。






北米で
未曾有の超巨大竜巻が
大被害をもたらしたと、
連日、報道されている。

そしたら、偶然にも
『コズミック フロント』で、
「ミランコビッチ・サイクル」なる
ものを初めて知った。

これは、セルビアの地球物理学者
Milankovitch が提唱した学説で、
公転軌道の太陽からの離心率の
の周期的変化と
自転軸の傾きの周期的変化、
自転軸の歳差運動、
という3つの要因により、
日射量が変動する周期があり、
それに拠り、寒い氷期と
温かい間氷期が繰り返される
というものである。

産業革命来、
人類が排出した
二酸化炭素やフロンガスなど
もろもろの大気汚染のせいで
地球規模の気候変動の周期が
大きくズレてしまっているという。

北米をたびたび襲う
巨大なトルネードやタイフーンは、
グリーンランドの氷床消失が
大西洋の環境を激変させ
それが南極にまで影響が及び、
そことの間で負のスパイラル的な
悪循環が発生しているから、
という気象・地象的な
解析が示されている。

こういう科学的分析や
明解なエビデンスを
トランプのような馬鹿や
陰謀論者たちは
「一要因には帰せられず、
温暖化もデタラメと」
妄言を吐き続けている。





今年のノーベル物理学賞の
気象学者・眞鍋 淑郎は
50年代から地球温暖化を説き、
このままだと、
数十年後には「ホットアース」化し、
平均気温が3.6℃上昇する、
と計算している。

産業革命来、
100数十年で
地球の平均気温が
1.2℃上昇したことを
世界気象機関(WMO)が
公表している。

昭和の幼少期の頃、
夏はいまほど激甚に暑くはなかった。

たしかに
「日射病」という言葉はあり、
麦わら帽子を被ってはいた(笑)。

それでも、
今のように
38℃だの、40℃だの、
という猛暑日はなかった。

この半世紀で
体感的にも、
なんだか暑くなり、
暖冬があり、
サンマが獲れない年があり、
南の海の生き物が北上している、
という現象を
目の当たりにしている。

永久凍土圏が解凍してくると、
地中に休眠していた
バクテリアやウイルスが
目覚めて、動物を介して
ヒトに憑りつく危惧も
十分に有るかもしれぬ。

だのに、
各国のエゴで
温暖化対策は、
さっぱり前進しない。

それどころか、
更なる領土拡大を目論んで
軍備拡張をしているのだから、
【馬鹿は死ななきゃ治らない】
である。

こーやって、
人類は自縄自縛で
ジワジワと運命共同体で
滅亡の淵に向かって
「死の行進」をしているのかもしれない。


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大阪大火

2021-12-18 07:33:00 | 家族
寒気がやってきて、
今朝はすっかり
雪景色となった。

まだ1㎝ほどの積雪だが、
今も降り続けているので、
数十㎝の予報である。

雪の日も出来るだけ
「不要不急」の外出は
控えた方が、交通事故に
遭うのを避けられる。






そんでも、
ずっと腕の痛みの治療で
接骨院に通ってるので、
どうしようか
迷っている。







きのうの
大阪の大火で、
フミ家族の事を心配したが、
火元が西梅田の
メンタルクリニックと聞いて、
ひとまず安心したものの、
24人も亡くなったというので
大惨事となった。

またもや、
京アニ事件のような
放火殺人のようである。

クリニックへの恨みが
動機なのかもしれないが、
正気の沙汰とは思えない。

朝刊で見た
ビルディングは
きちきちの処に建っており、
しかも出入り口が
一つだったという。

待合室が火元で
奥まった治療室で
グループセラピーをしていた
人たちが犠牲になったようだ。

どうして逃げ遅れたのか
疑問に思ったが、
高濃度の一酸化炭素中毒は
一息吸っただけで
意識を消失することがあるそうな。

毎朝、目を通している
『編集手帳』には、
カミュの真っ当ではなかった頃の
告白文が引用されており、
「人間の最も自然な性向は、
自分を破壊し他人をも
道連れにすることだ」
という
自傷他害の狂気を
語っている。

コロナ禍もあって、
どのクリニックも今、
鬱の患者が増えている。

中には、
職を失って
生活が成りたたず
自暴自棄に走る弱者もいよう。

かと言って、
罪のない他者を巻き込むのは、
テロ以外の何ものでもない。

最近、電車など
密室空間での放火や
刃物三昧の凶行が、
たて続けに起きている。

これは銃を持たない日本人の
「乱射事件」に
匹敵するものである。

カミュの言うように、
人は正常であるために
それほどに並外れた努力が
必要とするものだろうか・・・。

(ーωー).oO ウーン






インド哲学の世界的泰斗・
中村先生のお話を
毎日のように
録音テープで聞いたり、
ご著書を拝読させて頂いて
勉強している。

我が生涯で最も心酔し
私淑した師でもあられるので、
その御言葉には
謹聴する気持ちで接している。

最新の量子力学の
世界観にも通ずる
「空」の概念を
2世紀に説いた仏僧・
龍樹(ナーガールジュナ)の
『中論』を中村先生が
平易に詳述されている書を
Amazonに注文した。

慧眼の老賢者・中村先生が
文明批評をした一文には、
「このままでは、
人類は滅亡するであろう・・・」
とあって、
暗澹たる気分にさせられた。

その処方箋は、
仏教的な「慈悲の心」にある
という事も示して下さっているが、
強権国家や大国のリーダーたちが
果たしてそれに目覚め
人類を善導できるかは、
甚だ疑問でもあるので、
人民・国民が高い意識を持って
行動せねばならない
「無血革命の時」が
到来するやもしれぬ。






『ゴルゴ13』の
初期の頃の冊子が、
経年劣化で頁が剥離してきたので、
製本で用いる「木工ボンド」で
"背綴じ"をしている。

長年、超零細ながら
製本業をやっていると、
こういう修復にも
役立つものである。




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魂理学試論

2021-12-17 08:01:00 | 
私的5連休の二日間を
玄関脇のカーポートの
不燃ごみの片付やら、
自宅カウンセリング室玄関前の
敷石の設置やら、
肉体労働に費やしていた。

きのうは、
改造したタンジェント・ピアノの
外装にチーク材のプリントシールを
張るのに数時間費やした。

普段なら、
なかなか面倒くさがって
やらない事だが、
先日の仕事でのポカの
「過剰訂正」のつもりで
"罰として"自分に課した
労働作業である(笑)。

そしたら、
きょう、あす、あさって…は、
何すべぇ・・・と、
急に手持ち無沙汰感に襲われた。

いま現在、
プチ・マイブームらしきもなく、
困ってしまって
♪ワンワン、ワワー♪
である(笑)。

なので、昨晩、
冬休みの作業予定としていた
『魂理学試論』の
書き散らしてきた断片を
プリントアウトしてみた。

今朝はそれを通読したが、
これから、大きな紙に
マッピングして構成を考え、
さらに補足を書き足していこうか
と考えている。

これは、
大学時代来40年もの
自分のライフワークでもあり、
己れの"持ったが病"
『知のカルマ』への挑戦でもある。

学部時代に学んだ生物学と、
院時代に学んだ心理学に、
独学した宗教哲学や
量子力学の知見から
学際的アプローチで
「自意識」と「存在」
という究極の謎に
自身の腑に落ちる仮説を
構築している。

最終的には
ファンタジー・レベルながら、
「神秘」のベールの一端を
覗けるような気がしている。

実用的には、
中高生の高知能HSCクライエントの
「実存的悩み」に
「形而上的な視点」を提供し、
彼らの安心立命に役立つという
臨床的効果もある。






オフ日の"ぼっちフレンチ"を
創っては画像に保存してあるが、
そのファイルが数百もある。

暇な折に、
一作品ずつ鑑賞しているが、
なかなか冒険できていないなぁ・・・
と振り返ってみて
感じることがある。

さりとて、
決まった素材で
大胆・斬新なものというのは、
そうそう出来るものでもない。

それでも、
日々、ネット勉強や
調味料の開拓で
「ヌーヴェル(新しい)」なものを
模索してはいる。







寒くなってきたら、
生来の出不精が
さらに深刻になり、
カラダも"デブ症"になりそうで、
とりあえず、動き回らなきゃ、
と思っている。

小6で小児喘息が治って、
中学から教員時代まで
部活でのテニス三昧だったので、
もう、運動は
一生分やっちゃったような気がして、
生活習慣病(メタボ)と
フレイル(虚弱高齢者)回避に
必要な今、
運動に嫌悪感があるのが
恨めしくもある。







クルマで出る時は、
無駄に多く装着した
計器類を前に、
パイロットになったつもりで
"離陸ごっこ"や"着陸ごっこ"を
している(笑)。

本格的な操作を真似るべく、
YouTubeサイトでの
コクピット動画で
離着陸シーンを飽きずに視ている。

そのうち、
【病膏肓に入る】で、
シミュレーター・ソフトと
操縦桿セットを買って、
PCでもやり始めるかもしれない(笑)。








散歩コースにある
ツタヤ・ブラウジングで、
ちょいちょい中古外盤を
買っているが、
そのほとんどがオランダの
廉価CDレーベルの
『ブリリアント・クラシック』で、
もう棚には200枚を超えている。

ここは、
全集物のボックスセットも
多く出しているので、
ウィキってみたら、
知らない作曲者が二人いて、
当然ながら、このふたりの作品も
まったく知らないものである。

京都在住の折は、
帰省するたびに、
秋葉原の『石丸電気』で
外盤CDを買っていたが、
この頃にも、未知の作曲者が
沢山いる事を知らされた。

しかし、さすがに
海の者とも山の者とも分らない
それらに大枚をはたいでまで
研究・勉強する気にもなれず
今日に至っている。

マイナー作曲家の
マイナー作品に
お金と時間をかけるくらいなら、
メジャーなマエストロの音楽を
隈なく楽譜でチェックした方が
勉強としては実が多いに違いない。

要は、
好奇心の問題かもしれないが…。





アイスラーは
シェーンベルクの弟子だったらしいが、
後年、弟子の方から師匠を破門した・・・
という自分みたいな事をしてるので
なんだか親近感があった。

マルティヌーは
多作家だったようだが、
ロボス、ミヨー、タンスマン
のように著名作も知らず、
したがって手元にCDも一枚もない。

残念ながら、
もう、自分の残り時間が少ないので、
この二人とは
縁がなかったと諦めて、
死ぬまで、その音楽を聴くことも
譜面に当たることもないだろう。






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