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イシュタル門へ 年表(後) メトロポリタン美術館にもあった!

2019-07-21 12:05:51 | Weblog
ペルガモン博物館より。中近東の遺跡の品物の数々が並んでいる。

【イシュタル門発掘 年表・後編】

1925年 発掘者のロベルト・コルデヴァイ死去。
1926年 ドイツ・ベルリンの古代中近東博物館(後のペルガモン博物館の一部門)所長がイシュタル門の     再建という大胆なプロジェクトに決断を下す。

1927年 までに木箱500箱がベルリンに輸送される。
1928年 ベルリンの博物館で復元作業を開始。膨大なかけらからぴったり合う断面2つを探す作業の繰り返し。2年間で30のライオン像、26の雄牛像、17のドラゴン像・・を復元。
1930年 ペルガモン博物館開館

【消えた木箱】
さて、長々と年表を見ていきましたが、まとめるとイシュタル門は、バグダッドで発見され、全線開通とはいかないまでもイスタンブールまでバグダード鉄道で輸送、おそらくそこから船で地中海を通過して、ポルトガル沿岸を北上し、最終的にドイツのベルリンに輸送されたのではないでしょうか。

『ナショナルジオグラフィック』で木箱がバビロンで900箱、と書かれているのに、ペルガモン博物館の掲示板では500箱の木箱がベルリンに輸送された、と書かれていることを見ると、残りの400箱が気になります。
イスタンブールの博物館にイシュタル門の一部が展示されているのは、やはり輸送の途中のものなのでしょうか。

もう一つ、アメリカのメトロポリタン美術館にもありました。古代中近東美術コーナーにあるそうです。写真を見ると、ライオンのレリーフです。いつごろから展示されているかは分かりません。ちなみに米軍キャンプはフセインが再建したイシュタル門周辺にあったそうです。

 発掘者のロベルト・コルデヴァイが、第一次世界大戦によってバビロンを離れる際に、発掘は半分しか行われていないと、後に発表しているように、また、私が1999年にバビロンを訪れた際に実際に発掘は続いていたように遺跡の発掘は引き続き行われ、レリーフは各所に存在しうる可能性はあるのでしょう。

『ナショナルジオグラフィック』では何度となく、イラクのバビロン遺跡を特集していて「サダム・フセインは宮殿を観光の名所とするため、自分の名前を刻印したレンガを使って修復させた」と書かれていました。私が観光したのも、まさに必然だったわけです。それにしてもレンガに彼の名前が刻まれていたとは気づきませんでした。独裁者というのは、ときに繊細な発想をするもののようです。
(つづく)
※次週はイシュタル門の最後の編です。
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