とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

ぎっくり腰になる

2009-10-21 20:37:17 | 呟き
今朝、会社に行って更衣室で着替えをしようとしてシャツを脱ごうとした時、腰にギクッと痛みが走った。重いものを持ち上げたのではないのに何でだろう。以前にも重い布団を持ち上げようとして腰を痛めたことがあったが、今回はそんなでもないのに急に腰が痛くなった。

歩けないというほど酷くはないので、安静にしているしかない。いちおう湿布などして、おとなしくしていたほうがいいのかな。腰って本当に大事である。重症だと何にも出来なくなってしまうので、これからも気をつけないといけない。

蓼科山と北八ヶ岳を歩く

2009-10-20 22:55:00 | 山登り
先週末の土曜日は、雨が心配だったが午前中は曇りで何とかもちそうな予想なので、八ヶ岳連峰の最北端にある蓼科山(たてしなやま)に行ってきた。標高2,530mの火山で、円錐形の美しい山容から諏訪富士(すわふじ)とも呼ばれ。日本百名山の一つでもある。この山域では、針葉樹林帯が帯状に枯れる縞枯れ現象が見られ、北八ヶ岳を象徴する景色が楽しめる。

蓼科山は2回目の登山となるが、初めての人のリクエストに答えての登山となった。ただ、前と同じではつまらないので、今回は大河原峠からの最短ルートで蓼科山まで登り、下山後は北八ヶ岳らしい苔むした樹林帯や伝説の池めぐりのコースを加え、最後になだらかな双子山を登り、大河原峠に戻るコースにした。

大河原峠は、白樺湖畔から女神湖の横を抜け、曲がりくねった夢の平林道を車で1時間ほど走った所にある峠だ。全線舗装されており、けっこう走りやすい。大河原ヒュッテのある大河原峠は標高2100mにあり、蓼科山への最短ルートとなる。峠に着いたのは午前2時半で気温はかなり下がっていた。寝袋に包まり朝6時まで眠る。起きて外に出ると雲は厚くなっていたが、遠くの景色はまだよく見えており午前中の天気は持ちそうだった。

寒さに震えながらも防寒対策を整え、登山口へと向かった。駐車場には数台の車が止まっており既に何人もの登山者が出発していたようだ。

登山口から蓼科山荘のある将軍平まではコースタイムで1時間20分ほどとなっていた。既に標高2100m以上もあり、登山道は大きな岩がごろごろして歩きにくい。縞枯れ現象の見られる針葉樹林帯の間から蓼科山が見えてきた。

一がんばりして将軍平の蓼科山荘につく。コースタイムよりは10分ほど早く着いた。

ここから更に30分ほどで山頂である。ますます大きくなった岩だらけの道を進む。

振り返れば、縞枯れ現象の針葉樹林帯や蓼科山荘の屋根がよく見えた。


蓼科山頂ヒュッテの横を抜けると、数分で頂上三角点に到着した。

風当たりが強く記念写真だけとって直ぐに下山したくなったが、反対側の景色も見たいと思い、岩だらけのやたらに広い山頂の反対側に行くことにした。

ほぼ真ん中には、蓼科神社の奥社があり、せっかくきたので登山の無事を祈願した。

反対側の山頂の縁からは、下界の女神湖等の景色がよく見えていた。


ひとしきり景色を楽しんだ後、再び将軍平までもと来た道を下る。そして、ここからは天祥寺原の方向に下山する。ほぼ1時間ほどで天祥寺原につき、亀甲池方面に向かう。

このあたりはカラマツの黄葉がすばらしい。絵葉書になりそうな景色がいくらでもある。

まさに秋の北八ヶ岳を歩いているという気分が実感できる場所だ。天気が曇り空になってきたので、光がやや足らなかったが、太陽の光を浴びたカラマツの黄葉はもっとすばらしいことだっただろう。

天祥寺原からは40分ほどで亀甲池に着く。

亀甲池(標高約2030m)は亀甲構造土が見られるためにそのような名前がついている。亀甲構造土とは、岩石が徐々に移動して甲羅のような多角形に並んだ模様の構造土のことを言う。池の水は多く、残念ながら甲羅のような池底の様子はよくわからなかった。鬱蒼とした森の中にある静かな雰囲気の池である。

亀甲池から双子池までは苔むした岩や樹木に覆われた薄暗い道が続く。登山道にも苔むした岩が多く滑りやすい。

ここも静かで鬱蒼とした雰囲気で荒涼とした蓼科山山頂とは一味ちがう山域である。2番目に見えてきた池が双子池の雌池である。湖面に映る紅葉の景色がまたいい感じだ。

雌池をぐるっと回ると反対側には雄池がある。雄池は双子池ヒュッテの水源地となっている。


双子池には悲しい伝説が伝わっている。「八ヶ岳・北八つ双子池の伝説」を紹介しておこう。

八ヶ岳の最北にそびえる蓼科山。そのふもとに双子池という池がある。名前の通り同じような池がふたつ。この池には悲しい伝説がある。豪農の家の息子・与七郎は、父が雇っている作男の娘・お染と恋仲になるが、与七郎の両親は2人の結婚は「身分違いだ」と怒り、作男の親娘を家から追い出し、となり村の名主の娘との婚約話をすすめるのであった。悲しんだ与七郎は、おりからの大干ばつで雨乞いの人身御供の身代わりとなり、双子池の片方の雄池に投身自殺をしてしまう。それを伝え聞いたお染も落胆のあまり、与七郎のあとを追って池に飛び込んでしまう。しかし、悲しいかな入水したのはとなりの雌池の方だったのである。それ以来年1度、5、6月ごろになるとふたつの池は増水してつながるという。

双子池ヒュッテで、しばらく昼食休憩をとり、最後の一登りで双子山に向かう。道は険しくなく、ハイキング気分で歩ける楽しそうな山だ。

山頂の標高は2224mとなだらかな山頂だ。晴れていれば、のんびり出来そうな山頂だが、生憎雲が厚くなってきていた。

そろそろ雨が降ってきそうな予感がしていた。山頂から駐車場までは15分程度だ。急いで下山をしていくと駐車場のある大河原峠が見えてきた。

あと5分くらいというところで、雨がポツポツ降り始めてきた。せっかくここまできたので雨具は着たくない。走るようにして下山し、車に着いた。なんとかギリギリセーフだ。車に乗り込み走り出すと大粒の雨が降ってきた。登山の間は天気がもって本当に良かった。その後、白樺湖畔にある「すずらんの湯」に入り、帰路についた。

胃カメラで検査を受ける

2009-10-19 21:21:10 | 呟き
先日、胃カメラでの検査を行った。検査は半日で済んだ。一ヶ月ほど前、お腹が痛くなって医者に行った時、胃と腸の内視鏡検診を勧められたのだが、その第一弾として胃の検査がやっと終わったのである。ほぼ一ヶ月以上待たされて今頃になってしまった。腸のほうは、来週になる。

しばらく前に人間ドックに行ったのだが、バリウムを飲む胃の検査だったので、それだけはやりたくなくて断り胃カメラでの検診にしたのである。胃カメラは、近くにある専門医で受診した。最近は、鼻から内視鏡というのも流行っているようだが、私が受けたのは口からである。ただし、麻酔をかけて行われるので、気持ち悪い思いをすることはなかった。検査着に着替え、ベッドに横たわり検査室に入ると喉への麻酔薬を吹き付けられた。その後、点滴を受けながら先生の説明を聞いていた。点滴の中にも麻酔薬が加えられたようで、実際に検査を行ったことはまったく覚えがない。声をかけられ目を覚ますと、いつの間にか小一時間ほど過ぎており検査も無事終わっていた。辛い思いはなく、一眠りしている間に終わっているので楽な検査である。

しばらく休憩してから、写真を見ながら先生の説明を受けた。写真をみると胃の内壁に炎症があるのがわかった。ただ、炎症以外は特に問題はないようで、炎症を抑える薬を当分飲みましょうという話で終わった。お腹が痛くなった原因は、胃ではなく腸のほうにあったかもしれない。次の腸の検査ではっきりしたことがわかるだろう。

四国百名山めぐり 3日目

2009-10-18 18:39:55 | 観光
石鎚山登山後は、松山まで足を伸ばし道後温泉に宿泊した。前日は、遍路宿でもある手ごろな温泉旅館に宿泊したのだが、この日は、娘の会社の関係で予約が取れた豪華なホテルに宿泊した。道後温泉本館の直ぐ前にあるホテルで、最上階の部屋となり、食事も部屋出しと贅沢な気分で宿泊できた。料金自体は、補助が出るようでお手ごろの値段になっていた。


道後温泉に来たからには、本館のお湯に入らなければならない。道後温泉本館は明治時代に建築された歴史ある建物(近代和風建築)で、街のシンボル的存在であり、国の重要文化財として指定されている。あのミシュランガイド(観光地)日本編においても2つ星に選定されているそうだ。朝6時から開館されるということで、早起きして本館に向かった。最上階にある振鷺閣(しんろかく)で太鼓が打ち鳴らされ入館受付が始まった。写真の上部の赤い灯篭が灯されたところが振鷺閣である。


入館料は、400円から1500円までサービス内容によって変わってくる。我々は、とりあえず下から2番目の「神の湯2階」(800円)という券を買った。この券では、神の湯に入浴し、2階の大広間で休憩ができる。また、浴衣、茶菓のサービスがある。早速朝風呂に浸かり、さっぱりした後、浴衣に着替え、大広間で茶菓のサービスを受けた。明治時代にタイムスリップしたような気分になった。


また、この道後温泉は明治の文豪夏目漱石がこよなく愛した温泉としても知られている。3階一番奥の個室に夏目漱石ゆかりの資料の置かれた部屋があり、開放されている。この部屋はだれでも見学が出来る。

周辺には、夏目漱石の「坊ちゃんの碑」や記念写真用の看板なども置かれ、観光に一役買っている。


小一時間ほど居てから本館を出たが、周辺の宿に宿泊していた観光客が、続々と本館に詰め掛け大いに賑わっていた。


道後温泉本館には、又新殿(ゆうしんでん)という日本で唯一の皇室専用浴室がある。御影石の最高級品、庵治石を使った浴槽の他、控え室、トイレ等があり有料で見学が出来るそうだ。もちろん一般の人は入ることが出来ない。これまでに10人の皇族が入浴したそうだが、ここ50年ほど使用されていない。今は重要な観光資源になっているようだ。中まで入って見学はしなかったが、外から見るだけにした。やはり、皇族と一般庶民との待遇はまったく違うものである。

その後、ホテルに戻り朝食をとって帰路に着いた。約600キロ以上の長い道のりを一日かけて浜松に戻る。途中渋滞もいくらかあったが、おもったほど酷くはなくほぼ順調に帰ることができた。三日間ともいい天気に恵まれ楽しく過ごすことができてよかった。

四国百名山めぐり 2日目(後編)

2009-10-17 23:06:05 | 山登り
これから、3箇所のクサリ場を登ることになる。下から「一の鎖」(33メートル)、「二の鎖」(65メートル)、最後は「三の鎖」(67メートル)と続く。それぞれ迂回路はあるが、かなりの人がクサリに挑戦していた。

まず「一の鎖」の様子が次の写真だ。親子連れで子供も果敢に挑戦している。33メートルなので小手調べといったところだ。ここも岩が濡れていて滑りやすく足場を探すのに苦労した。



「一の鎖」「二の鎖」をクリヤーすると石鎚山の岩壁が目前に迫ってきた。垂直に気切り立った壁に圧倒される思いだ。そして、岩壁に目を凝らすと何人もの人影が見えた。垂直の岩壁をよじ登っているロッククライマーが何人も見えた。あんな壁をよく登るものだと呆れるやら感心するやらだった。


そして、最後の「三の鎖」が見えてきた。

こちらも数珠繋ぎの状態だ。

最後の一頑張りで登りきると石鎚神社頂上社だ。

石鎚神社頂上社は弥山という山にある。石鎚山とは天狗岳(てんぐだけ、標高1,982m)・弥山(みせん、標高1,974m)・南尖峰(なんせんぽう、標高1,982m)の一連の山々を総体として呼ぶ。ほとんどの登山者は、この弥山まできて引き返す。弥山の山頂は、落ち着いて休憩できる場所がないほどの大混雑だった。


だが、我々は、はるばるここまで来たからには、最高峰の天狗岳をパスするわけにはいかない。急峻な岩尾根伝いに天狗岳を目指した。

左の岩壁からはロッククライマーが何人か登りきっていた。岩場を這い上がるようにしてやっとの事で天狗岳山頂に着いた。1982mの山頂は西日本の最高地点だ。日本百名山のうち第61番目の頂である。

岩壁側にはガスが湧き出し、背後から照らされた自分の影がガスの中に投影されるブロッケン現象が見られた。久々に見ることができた自分のブロッケンだ。

他の人たちも手を振り回して自分のブロッケンを何度も確認していた。


天狗岳周辺の紅葉も見事な色を醸し出していた。特にもみじの赤が一際目立っていた。



また、トンでもない場所で紅葉の写真を撮っているカメラマンがいたりして心配した。


紅葉と山頂の景色を充分楽しんで下山することにした。帰りはさすがにクサリは使わず安全な迂回ルートで帰ることにした。クサリがなければ楽なものである。帰りは順調に下山し、神門のある中宮成就社まで戻った。

神門にはお疲れ様と書かれ、遥拝殿で無事下山できたことのお礼参りをしにいった。その後ロープウェイ乗り場に向かい、駐車場に着いたのは午後5時近くになっていた。そして、この日の宿である道後温泉のホテルに着いたのは午後6時半となっていた。まるまる一日充実した登山が出来た日であった。



四国百名山めぐり 2日目(前編)

2009-10-16 19:50:54 | 山登り
湯之谷温泉の朝食は7時からということだったが、石鎚山に登るという事で、早い朝食にしてくれて助かった。石鎚山の登山口までは20数キロほどあり、できるだけ速く行きたかったのだ。いそいで朝食を済ませ、登山口まで車を走らせた。8時ちょっと前に駐車場につくと、駐車場は既に7~8割方埋まっていた。天気がよく紅葉見物には最高の日であり混雑が予想されていたので、ギリギリ間に合ってホッとした。いそいで支度をして、ロープウェイ乗り場に向かった。


石鎚山(いしづちさん)は、四国に位置する標高1,982mの山で、白山以西の西日本最高峰の山である。石鎚山は、山岳信仰(修験道)の山として知られ、日本百名山、日本百景の一つであり、日本七霊山のひとつとされ、霊峰石鎚山とも呼ばれる。開山は「役の行者」とされ、ロープウェイ乗り場の下には「役の行者」の像が建てられている。

乗り場に入ってすぐにロープウェイが入ってきた。

可愛い色使いのロープウェイにのり山頂成就駅までの標高差1300mを一気に登りきる。

山頂成就駅から木立の道をしばらく上がっていくと大きな鳥居に出る。鳥居のはるか先にこれから目指す石鎚山が見えた。まだ先は長そうだった。

鳥居の先には石鎚神社の中宮成就社があり、ここで安全登山を祈願した。これから先には、神門があり、いよいよ神々が住む領域に入ることになる。石鎚山全体が御神体になるのだ。

神門から緩やかな下りとなり、せっかく登ってきたのにもったいないとみんなから愚痴がでる。

このルートで一番標高が低い八丁に着くと、これから本格的な登りとなる。原生林の続くジグザグ道を登っていく。結構キツイのぼりである。キツイといってもここまではよくある登山道である。相当登ったかと思う頃、ついに石鎚山の名所である「試しの鎖」に到着した。クサリに自信がない人には迂回ルートが用意されているのだが、もちろん迂回する気などない。このクサリを登りたくてわざわざ石鎚山に来たのだ。この「試しの鎖」は約74mあり、石鎚山では最も急勾配なクサリだ。ここで自信がつけば、この後に控える三つのクサリは間違いなく登れる。

早速クサリに取り付くことにした。この日は、すごい人出で写真のように数珠つなぎである。急ぎたくても前が詰まりなかなか先に進むことが出来ない。足場がないとこで止まると大変である。



時間をかけてやっと登りきるとちょっとしたピークがあり素晴らしい展望だった。

だが、ここで安心してはいけない。ここクサリ場は下りもあるのだ。下りのクサリもなかなか前が空かない。女性登山者が怖がってなかなか下りられないようだった。




なんとか無事に全員下りたところに前社ヶ森小屋がある。

ここが山頂までの中間地点である。ここの小屋で「力あめゆ」という飲み物を飲む。これは、しょうが味の甘い飲み物つまりは生姜湯のことである。これを飲むと何か力がついたような気がした。そして、しばらくはなだらかな道が続き、夜明かし峠に着いた。

昔、まだ石鎚登山が容易でなかった頃はここで夜が明けるのを待ってから先に進んだという場所である。ここから先がさらに難所が出てくるのであるが、紅葉が美しく目を見張った。まずは、写真を撮って先に進んだ。

徐々に高度を上げ、振りかえると夜明かし峠がはるか下になっていた。登山道には、たくさんの登山者の列が見え、賑わってきたのがよくわかった。


さて、下の景色を楽しんだ後は、石鎚山の最大の難所、三つのクサリを登ることになる。「試しの鎖」をクリアーしてきたからには、何としても残りのクサリも登ってみたいものだ。この続きは二日目(後編)に譲ることにする。



四国百名山めぐり 1日目

2009-10-15 22:56:31 | 山登り
9日の夜から12日まで四国の山登りに出かけていた。今回は妻と娘、娘の会社の先輩の4人のパーティである。神戸の須磨あたりの駅で落ち合う予定だった娘が、残業で遅くなり間に合わないということで、我々夫婦だけで淡路島のSAまで車を走らせ、車中泊をすることにした。深夜2時過ぎくらいに、娘たちが車でSAに到着して無事合流することが出来た。その後、私の車1台で徳島県の剣山に向かった。

剣山(つるぎさん)は、標高1,955mの山で、西日本第二の高峰であり、徳島県の最高峰である。日本百名山の一つであり、別名を太郎笈(たろうぎゅう)という。私にとっては60番目の百名山となる。剣山の名前は安徳天皇ゆかりの剣が由来であるとされるが、頂上直下にある剣岩が由来とする説もあり、定かではない。

淡路島から鳴門海峡を渡り、徳島道から美馬ICを降り、さらに40キロ以上走って、剣山の登山口の見ノ越まで着いた。見ノ越に着いたのは10時半となり、この日は、ほとんどドライブになった。下山して次の目的地に向かうまでの時間を考えると時間がないので、まずは楽をして、リフトで標高1700m地点まで向かうことにした。

リフトに乗り山の上を見ると既に美しい紅葉が始まっていた。

赤や黄色のまだら模様の山並みが遥か先に確認できた。


大いに期待できる風景だった。

リフトのお陰でだいぶ楽をさせてもらい終点の西島駅に着いた。ここから登山が始まる。

数10分で「刃掛ノ松」と呼ばれる場所に着いた。

昔、刀をこの松の木に立て掛けて休憩をとったことから名前が付いたようだ。ここから真っ直ぐ上がれば、簡単に山頂に着くようであったが、あまりにも簡単についてしまうのも、もったいないので、“一般向きではない”とされる行者が行を行ったという行場コースに向かった。行場には不動の窟、オクサリ、胎内くぐり、蟻の搭わたりといった難所が幾つもあるらしかった。ただ、すべて回るほどの余裕はなかったので、一番スリルがありそうなオクサリを登ることにした。細く狭い幅に削られた岩壁の隙間にあるクサリを掴み垂直に這い上がっていくのである。

約80mものクサリ場を這い上がるのはかなりの労力を要する。背中の荷物も重いし、きつかったが、何とか頑張って這い上がった。妻や娘もなんとか這い上がることが出来たが、かなり息が切れたようだ。


オクサリからさらに進むと一般向けのコースと合流し、山頂直下の剣山本宮に着く。本宮で安全登山の祈願をして山頂に向かった。

山頂はクマザサの緩やかな広がりとなっており、木道がいくつも連なっている。

山頂は四国全体を丸ごと見回せれるような素晴らしい展望である。

瀬戸内海や周辺の山々が一望でき、しばし展望を楽しんだ。また、剣山の双耳峰ともいえる次郎笈(1929m)の山並みも素晴らしかった。


山頂の天気は、まずまずだったが気温が低く、休憩するには寒すぎるので、山頂小屋まで戻ることにした。小屋の横の看板には初霜初氷の文字がかかれ、寒かったことが裏付けられた。

小屋前で、熱いコーヒーとお茶を沸かし暖を取って下山をすることにした。下山は、大剣神社経由のコースとした。こちらのコースからも素晴らしい紅葉を見ることができた。

奇岩の向こうに見える紅葉もなかなか絵になる。

大剣神社の下には剣神社の御神体である御搭石の根元より湧き出た「御神水(おしきみず)」という湧き水がある。ミネラル分に富んでおり、病気を治す若返りの水としても知られている名水である。さっそく若返りの効能を期待して飲ませていただいた。

その後も、落ち葉が敷き詰められた緩やかな登山道を下り、

リフト終点の西島駅に着いた。ここで、リフトに乗って下山することも出来たのだが、多少時間の余裕もあり、もっと歩こうということで見ノ越まで歩くことにした。下りはやはり早い。リフトの横をすり抜け見ノ越の剣神社に着いた。ここには、「さわやかな月光の花は凛として気高い」という宮尾登美子のレリーフがあった。

剣山に咲くキレンゲショウマという花が「天涯の花」という宮尾登美子の小説で有名になったことから、このようなレリーフが造られたらしい。今回は、キレンゲショウマの咲く時期は終わっていたので残念ながら見ることはできなかったが、剣山を代表する花でこれを目当てに登るハイカーが多いそうである。

剣神社から数分で駐車場に戻った。ほぼ午後3時であった。さて、ここから更に2時間半ほどかけて、この日の宿泊地である愛媛の湯之谷温泉に着いた。いよいよ翌日は、西日本第一の高峰「石鎚山」を目指すことになる。続きは2日目に。

東京マラソン落選

2009-10-14 21:44:08 | マラソン
昨日、こんなメールが来た。

『東京マラソン 抽選結果(落選)のお知らせ』

===============================================================
○○○○ 様
受付番号:*****

このたびは東京マラソンにご応募いただき誠にありがとうございました。
お陰様をもちまして定員を大幅に上回る申込があり厳正なる抽選を行いました
ところ、誠に残念ながら今回はご意向に沿えない結果となりました。
今後、参加料の未入金者が多かった場合には、追加当選者を出すことがございます。
その場合、11月下旬頃に再度『東京マラソン追加当選のお知らせ』にて通知させて
いただく予定です。
つきましては、下記に記載される『追加抽選のスケジュールについて』を
ご一読ください。なお、追加当選の状況に関する問い合わせには対応できません。
また、追加当選に該当しなかった方には再度の通知はお出ししませんので、
何卒ご了承ください。

===============================================================


やはり、今回もダメだった。もともと当るとは思ってなかったので、それほど落胆はしてない。まあ、1回目と2回目に出られたから、あきらめも早い。別の大会参加を改めて考えることにしよう

「明るく生きる」松岡浩さん講演

2009-10-13 21:01:56 | 社会人大学
先週の木曜日に、第9回の社会人大学を受講した。通常は金曜日に浜松で受講するのだが、今回は都合が悪く前日の木曜日に島田会場で受講することにしたのだ。今回の講師は、㈱タニサケの会長である松岡浩さんだった。松岡さんのプロフィールを紹介しておこう。

■職歴・経歴
脱サラして家業であるスーパー店形式の店を引き継いだが、近くに大型量販店が進出し、売上げがガタ落ちになり、廃業したという苦い経験を持つ。
41歳の時に、街の発明家と(株)タニサケを設立。玉ねぎとホウ酸を原料としたゴキブリ殺虫剤「ゴキブリキャップ」を開発、商品化し、これを爆発的な大ヒット商品とさせる。
社員38名ながら売上高9億6千万円、経常利益が2億8千万円という高収益優良企業。自己資本率94%の秘訣は「工場の床がピカピカ」「営業マンのお客様へのお礼のハガキ書き」「感じの良い挨拶」「改善提案件数が毎月300件前後の日本一の知恵工場」「ありがとうカード」「社内報(フレッシュタニサケ)の3000部発行」等、平凡なことだが10年以上やり続けている。
「中小企業のお手本になる会社を目差したい」と語り、2000年 社長職を辞し、会長となる。現在は、講演活動や社会活動に積極的に取り組む


プロフィールだけを読んだだけで、凄い会社があるものだと感心させられる。この経営方法を学ぶために、常に会社見学を希望する人が後を絶たないという。大ヒット商品となった「ゴキブリキャップ」はゴキブリ駆除剤である。この製品は特許をとっているそうだが、製法は一般公開されている。材料から分量、作業手順まですべて公開しているのでその通りに作れば誰でも同じものが作れる。製法を知ったお客は自分で作ってみて、その効果を実感する。ただし実際に作るのはかなり面倒くさく結局、「これなら買ったほうがいい」となり、売り上げは落ちない。また、従業員の改善提案が毎月数百件あり、常に改善を進めているという。いい提案には報奨金が出て、従業員のやる気を落とさない。従業員は自分の提案が採用されることで、さらに良い提案を考え、仕事に活かしていく。いい方向にサイクルが回っていくという様子が感じられる。

また、松岡さんは「長たる者は部下の誰よりも損すべし」で、経営者自ら動くことが重要として一番早い出社と、みなのいやがるトイレ掃除を日課としていたという。ここまで出来る経営者はまずいないだろう。そして、もう一つなるほどと思ったのは、「幸運の女神は準備した時舞い降りる」という言葉だ。幸運を掴むには、それを掴むための準備をしてない者には、舞い降りてこないということである。つまり、何もしないでただ待つだけの者には幸運などないのだ。努力なくして、幸運はありえない。

いろいろ参考になる話は多かったが、松岡さんが会社で特に大事にしている三つの事を紹介しておこう。これを実践していくだけで、会社が発展することは間違いない。
①時を守れ
 約束を守ることが大事であり、一度破ると信用を取り戻すには何倍ものエネルギーが必要になる。
②床の光は、会社の光。
 床をピカピカに磨くことで、周りも整理整頓され、やがては会社全体が光ってくる。
③明るい雰囲気
 常に人より先に挨拶をする。恥ずかしくても、自分から明るく挨拶することで明るい雰囲気が作られていく。

そして、これらの決まりごとは続けることが大事だという。つまり習慣にしてしまえば何の苦労もいらないのだ。とはいえ、これをやり始めるまではなかなかエネルギーが要ることだ。簡単なことだが、実践するとなるとなかなか出来ない。平凡なことを続けるということが如何に大事かといういうことを改めて思い起こされた。


水の話 その4

2009-10-12 20:14:09 | サイエンス
4回目は、水道水をおいしくのむ方法である。殺菌剤の塩素剤のカルキ臭を取り除く方法でもある。

(1)市販の浄水器を使う
塩素は取れて当たり前だが、一定期間使うと取れなくなるので交換が必要となる。
(2)炭による吸着除去
効果はあるが、30時間以上放置しないと除去できない。
(3)原水沸騰
沸騰させると減少するが、塩素が熱で分解するのではなく、もとの水質や容器から溶け出す成分の種類によって減少率は異なる
(4)直射日光 紫外線による分解
(5)レモンを加えると瞬時で0になる
(6)お茶の葉や茶汁で0になる

以上のような方法で、世界一安全だといわれる日本の水道水をおいしく飲むことができる。