(英語版)
(アラビア語版)
(目次)
第2章 民戦後世界のうねり:植民地時代の終焉とブロック化する世界(6)
044.ラ・マルセイエーズとインターナショナルの歌(3/3)
両方の歌詞が余りにも似通っていることに読者は驚かれるであろう。種を明かせば両方とも作詞はフランス人で、歌が作られた背景は、「インターナショナル」は1871年のパリ・コミューンの時に「ラ・マルセイエーズ」の歌詞として作られたものであり、その10数年後に現在の曲が作曲されたものである。一方、「ラ・マルセイエーズ」はフランス革命のときに作詞作曲されたものである。
つまり両方の歌詞は双子と言って差し支えないほど似通っているのである。と同時に歌詞の内容は現代人の感覚ではとてもついていけないようなどぎついものと言えよう。フランス人たちが今でも国民的一体感を醸し出すような事件あるいはイベントに際して「ラ・マルセイエーズ」を歌うようであるが、彼ら自身がどのような気持ちで歌詞を読み込んで歌っているのかちょっと不思議な気がするほど激越な歌詞なのである。
フランスの支配地シリアで駐屯兵たちは「ラ・マルセイエーズ」を歌い、兵舎の外では現地のアラブ人たちが「インターナショナル」を歌う。自国領土内ならともかくフランス兵たちが外地で武器を取れなどと誰に向かって歌っているのであろうか。現地のアラブ人たちにとっては歌詞の対象となる明白な敵(フランス)が目の前にいる。
どちらの戦意が鼓舞されたかは言うまでもないであろう。仏軍の戦意は萎え彼らは撤退するのである。その後釜にシリアに入り込んできたのはソ連である。敵対する米国の手前自ら派兵するリスクは大きいためソ連は地中海沿岸のタルトス港の一部を借り受け軍港とした。ロシアは帝政時代の昔からバルト海とは異なる不凍港を求めて常に南進政策に取りつかれてきた。それが黒海のセバストポール軍港であるが、そこから地中海に出るにはトルコのボスポラス海峡を通過しなければならず何かと不都合である。タルトス軍港はソ連にとって地中海における橋頭保である。ソ連崩壊の後を受けて生まれた現在のロシア共和国にとってもタルトは死守すべき軍港であることは間違いない。
(続く)
荒葉 一也
E-mail: Arehakazuya1@gmail.com