写真は、放射能汚染で失われた石造記念碑教会前でトローヒメンコ・ヴァレ-リイさんと握手。役場前 0.17sv/h。行政長は大統領の任命制。
佐藤 訪問趣旨。福島の実情 16万人避難、自治体議員グループ、援護法制定に向けて 学びたい。
木村 森ゆうこさんの時にも住民の1人としてお話ただいたが、今日は福島原発事故の被災者自身ですので現実をお話ししていただきたい。
行政長 原発事故は日本でもウクライナでも悲惨、住民にとって不幸なことだ。汚染地域の人のために法律を制定されるということだが、住民、土地が被害を受けたことが大前提になっている。勿論、人命が一番重要。大事なことは、汚染程度。土壌の調査を精密に行い、住める場所かどうかを決める。
住むのに適さないのであれば 住居を提供することが必要。400世帯が移住の権利を持っているが国が提供できない。もし住める程度であれば、暮らしていく条件を整える必要がある。汚染されていない食品を確保するということだ。ナロージチ地区に、1992年まで非汚染食品の提供が行われた。それによって内部被ばく線量は事故直後より下がったという結果が出ている。
汚染されていて、農業に適しない土地については実験が行われてきた。なたねの栽培だ。直接食べるのでなく、菜種の油をバイオ燃料にする、この可能性が出てきている。なたねを栽培する場合、セシウムを吸収する性質があり農地を改善していく効果が出ている。
汚染程度の低いところについては、人が住んでいけるという判断のつくところは除染で 土地を洗う、農地であれば汚染物質の吸収を下げるとか。そのようなナロージチ地区内の住居の屋根とか、柵とか、汚染されたものを廃棄物処理場で処分し、新しいものを作ってきた。
この住民の子どもの健康については、1年一度は汚染されていない地区で保養する。病気の場合はサナトリウムで保養する。キエフの00先生の検診が行われてきた。
この地域は冬場の寒さが厳しいことがあって、森が多く薪を使っていた。樹木の汚染にかんがみて、事故以前ガスが引かれていなかった地区にもガス管を敷設することになった。ほとんどガスが来ている。井戸は汚染の危険性がある。深さ75メートル、100メートル以上の掘りぬき井戸を作って安全な地下水をとってきた。住民の健康リスクを減らすということだ。皆さんに注意を促したいのは出入り車両について、出る時に放射線測定をした方がいい。車輪等に付着した放射能の拡散をチェックした方がいい。
このような除染、非汚染食品の提供措置がとられてきた。地区の汚染は残っている地区内でも土壌の汚染測定も行われてきた。ゾーンの見直しだが、26年たって線量は下がって来ていて、昨年も調査した。まだ結果を見ていないが、5年前の結果では住んでいくのに危険はないという結果がでている。除染の成果や時間がたって放射線が減ってきた。いま第二から第三に格下げをしようとしている政策が出てきている。
玉ねぎ、にんじん、ジャガイモなどは基準以下、森林、きのこ、ベリー、野生動物の肉はまだかなり高い値が出ていて食糧に適さない。一方、水系では川とか池についてのジトーミル州の調査では地区内の川の魚は基準値以下で食べても大丈夫、売ってもいい結果が出た。
1991年ソ連が崩壊する直前、社会保障は国の対応の可能性に応じてやるべきであるが ソ連の崩壊でウクライナが対応せざるを得ず、今日 補償は十分にやられておらず被災者の中に不満が出ている。法律自身は悪い内容でなく法律を実施するだけの予算がないということで実施されていないということだ。短く すべての問題に触れた。あとは質問に答えたい。
岩佐 移住できない世帯400があり二万人くらいが移住したとのことであるが、優先順位、こまかい規定があったのか、また、移住先はどれくらい自由があったのか。
行政長 優先規定はあった。子どもいるところを優先している。400世帯のうち 60数世帯は子どもがいる。移住できないうちに子どもが生まれたとか。400世帯が移住できない事実であるが、5年前、10年前とか 意識も変わって 汚染されていてもこの地域に生きていくんだと切り替わって来ている。
今現在、国の方から26のアパート移住先として割り振られた。移住したいができない世帯から15世帯 処理手続きを進めている。見通しがないというわけではないが、希望者を移住させるためには5,6年はかかる。
しかし、国の方から見ると、移住した人も保障していくことになるが、こちらに住んでいて移住の権利で移住したが戻ってきた人 汚染後に移住してきた人たちには権利はないが、移住を保障しなければならないという問題が出てきた
移住先の選択の問題については 農村地帯で似通った場所、ジトーミル州内、それにつけたす形で住居を作った。その後 国の予算がなくなってきた。都会のアパートを提供することになっていた以前のように 村のようなコミュニティがまとまってのものができなくなってきた。日本で移住をする場合の配慮が必要となる。
松谷 ICRP、ECRRの被ばくによる健康被害の認識のちがいについてどうみているか。
行政長 地区病院の方々が正確かと思うが、地区住民に関して内部被ばく線量の測定しているが、地区内の子どもは100%病気のない子どもはいない。 私も新しい財源を国として作るべきであると考える。州、政府に対して、何度も陳情しているが、補償を切り下げようとしているかどうかは私からは言えないが、少なくも彼らは今やめるとはいわない。財政が苦しいのは事実だ。
医薬品については、おりてくる予算は地区病院に必要な医薬品のうち、1カ月に必要なものうち3分の1にしかならない。法律では無料となっていても実際は、住民が有料で医療を受けざるを得ない。チェルノブイリは次第に忘れられて行く傾向にあって、医薬品以外にも解決すべき問題がある。廃屋の解体処分、その後に処分場に埋めるとか、そのあとに植林をすべきとか。うち捨てられている状態である。
松谷 財源の問題についてであるが、必要であるなら税金の増税とか、あるいは、金融危機の後に金融取引への課税、国際連帯税も議論されている。チェルノブイリ-福島の原発事故を考えると国際的な原子力災害対策費をIMFのような国際的な損害賠償協定による財源確保という国際的な機関の設置も必要になるのではないかと考えるが、いかがか。
行政長 興味深い。地区レベル、政府レベル、州レベル、影響力がない。市民団体「チェルンブイリの人質たち」は、ジトミール州で日本の市民団体と連携している。国際的支援で新しい円借款で村の医療機関の改善も進んでいる。
古市 事故前の人口構成や事故後の人口構成はどのような常態か。
行政長 現在、3万人だった人口は、1万1500人、正式に9675人で子どもたちは1800人で増えている。移住した人が2万人、戻ってきた人が1500人くらい。与えられた住居に住んでいたが、子どもが大きくなって子どもに住居を渡して戻って来ている人たちもいる。90年代に多くの移住が行われていたが、公営住宅は40㎡、息子たちが 嫁さん、孫もできた、狭いので戻るというような。しかし、戻ってきた子どもはほとんどいない。移住先でお金に困って売って戻ってきた人たちもいる。
古市 自動車のチェックはどのように、当時の除染のレベルは。
行政長 正確には覚えていない。今はやっていない。地区内の幹線道路に検問所をおき、チェルノブイリ方向から来る車については厳重な検査があって拡散防いでいた。地区内の農産物の持ち出しは禁止されていた時期もある。
現在でもキエフへつながる30キロゾーンの道路のあるポーリスキでは、現在も検問所がある。勝手に30キロ圏内に入っていかないようにと。かつて、チェルンブイリの方にいっていたことがあって、自分が車で行った時は車の車輪を特殊な洗浄液によって除染する装置があって車の車輪の放射線測定をやっていた。ちなみに豚インフルエンザの問題が 起きた時、ベラルーシからのくるまの検疫をやった。
佐藤 子どもたちの保養は年間、1回ということだが実態はどのようなものか。
行政長 保養の場所については、ウクライアン各地、黒海近く、いろいろ。 年間ジトーミル州で年24日、近年は健康診断の結果、腸が悪ければ、それに応じたサナトリウムに国が保養させることになっているが、これら以外にもスポンサーを見つける努力をしている。一般的に国が負担をする。
岩佐 移住できなかったら外で遊べない。ソフトのフォロー、映画館とか、ジムがあった方がいいとか、ストレスを解消する意味で、こういうものがあればよかったとか、あるか。
行政長 精神的なケアに関しては ウクライナの場合は残念ながらケアはなかった。マスコミ報道を通じて食べていけないものとか、食品が汚染されているとか 啓もう活動は行われたがストレスの方はなかった。カウンセラーが家庭訪問したり、テレビ新聞等通じてストレスを和らげるとかは。
ヂィードフ(農業大学の先生、途中から) 事故の86年時代はソ連時代で共産党のイデオロギーでは精神分析、心理学は懐疑的でカウンセリングン制度はなかった。今日はカウンセリングは改善されている。
松谷 昨日の非常事態省で住民保護課は、放射線被ばくした地域は「改善」しており、法律の「改正」が必要だ述べている。社会保障費の浮いた財源は地域の復興に使うべきと述べているが、この地区での産業の育成に関してお考えがあるのか。また、改正できないのは政治家が 大衆迎合主義で改正を訴えない姿勢が大きな問題であると指摘されていた
行政長 事故前、産業は農業以外にパン工場、レンガ工場、縫製工場があった程度であった。縫製工場はいまでもあるが、レンガもパンも長らくなかった。パンは再開のメドがでている。木の製材所の廃棄物でペレット作る木製工場ができた。国の方で復興の方向に向かっているというが、地区に住み続けている人たちで子どもたちの学校、生活の必要に迫られて自分たちで工場も起こそうとしている。改正したいけれども、議員が動こうとしないというが、彼らはそう考えているかもしれないが、地元で生活を何とか成り立たせるためにもやっている。
ヂィードロフ 第2ゾーンは投資できない、人が住まない地域だ。
行政長 例えば 幼稚園の園舎の改装時、第2ゾーンだと国からは予算は付かない。100人定員に135人も希望ある。日本の支援を受けて子どもたちがいま通っている。国の方針とは別に住民生活の改善に努力している。
ヂィドロフ 付け加えると、この汚染地域の農村地帯というのは 非汚染地帯の農村部に比べると保守的だ。ウクライナの非汚染地区の農業も悲惨な状態にある。ここはそういうわずかな補償もあるが農業は苦しい。わずかな保証ではあるが第3ゾーンになるとなくなるとわけで、すがる気持ちは当然である。見方や考え方の違いである。
佐藤 自治体の長としていいたいことは。
行政長 国に求めたいことはいろいろあるが、一番簡単なことだ。赴任して2年たつが非常事態省は誰1人も来たことがない。 非常事態省のゴトフィッチさんがいた時は、被災程度が大きかったこともあるが、毎月のように来て情報収集してきた。我々の方からも、絶え間なく陳情をしているがはかばかしい強い反応がない。
最後に、私個人としても住民に変わってご支援に感謝申し上げたい。日本との協力を続けていて、なたね栽培も州の要請で予算を出すという話になって来、JAICA申請している。 特に 福島の事故の悲劇が起きてしまったが、皆さんの問題の解決に努めていきたい。