前回の山菜取りでフキを持って帰ってきたとき、僕の奥さんがボソッと「山形でフキを砂糖漬け」にしたものを食べた。エメラルド色をしていてきれいでものすごく美味しかったというのだ。
僕の奥さんのお父さんは山形県新庄市の出身で本家のお嫁さん(お義父さんの義理のお姉さんにあたる人だ)は料理が得意で山菜や収穫物で様々な料理を作るそうだ。僕も一度だけここにお邪魔したことがあるけれども、確かに山菜料理はおいしかった。多分ゼンマイだったのだと思うけれども油の使い方が最高だった。当時はいまほど山菜にも興味がなかったのでいろいろ聞けなかったのが残念だった。
イナゴを食べたのもここが最初で最後だったし、いまでもお義父さん経由でいただく辛味噌は絶品で、唐辛子はうちでも山のようにあるのだからレシピを聞いてくれというのだけれども嫌がって聞いてくれないのだ。ひょっとしたら僕の奥さんはぼくがこういうことをするのが気に入らないのかしらと訝ったりするのである。
それが結婚をして25年も経って突然そんなことを言うもので、じゃあ、フキを採ってきて自分で作ってみようと発作的に準備をして家を出た。
職場が休業状態に入り約3週間。世間では自粛疲れというけれども、僕はその間遊び過ぎた。(一応、3密を避けながら。)
会社では嫌なことがありすぎて今年は磯のチヌ釣りと山菜採りに行くにはモチベーションが低すぎると思っていたけれども、時間がたっぷりできたこととアドラー心理学の本を読んだことでそれも例年通り実現した。
不謹慎だが、コロナ様さまだ。
去年の秋、叔父さんの家からもらってきた鬼ゆずを使って作ったピールが成功したのでフキでもきっとうまく作れるはずだと思い込んで、今日はフキをメインにして採ってきた。
しかし、そんなに料理は甘くない。
フキと同量の砂糖をぶち込んで煮始めたけれども、すごい量の水が出てきて色もエメラルドグリーンとは程遠いどす黒い色になってしまった。あまりの水の多さに辟易してほとんどを捨ててしまって最後の水気を飛ばしてネットの上に広げたけれども、これはどう見ても水あめをまとった藁かサナダムシにしか見えない。
味見をしてみると、かすかにフキの香りは残っているけれども、歯ごたえはまさしく“藁”だ。これは完全に失敗作だ。
奥さん曰く、「こんなに細くなかったし、こんなに硬くなかった。」それを聞いていた母親は、「そのフキってもっと太い奴じゃないの?東北に行ったら傘にできそうなフキがあるっていうやないの。」という見解だ。
じゃあ、最初からこの計画は破綻していたということか・・。約100本のフキを無駄にしてしまった。
そのほかの収穫はというと、ワラビはここ二日間ほどの暖かさのせいか、かなり大きくなっていた。特に第2駐車場の前の斜面はかなり大きい。料亭サイズだ。ほんのわずかな時間でふた握りほどのワラビを採ることができた。
そして今日も暑く、午前7時を過ぎるとヤッケの中が蒸れてくる。しかし、北の斜面を超えてくる風は心地よい。いい気分になれる。
山菜に降りた夜露もまだ残っていて、やっぱり山菜は露がついたみずみずしいやつを採るのがいいなとひとり勝手に思うのだ。
山頂のコシアブラも採り頃を迎えていた。
今日は5連休の初日だが山菜を採っている人は誰もいない。普通なら早朝から人が押し寄せてくると思ってゴールデンウイークのさなかになんか絶対に行かないのだが、今年は様子が違う。そこは思ったとおりだ。年配の人たちが多いとはいえ、そこまで警戒をしなければならないのかしらと思うのである。
都会にいるよりもここで風に吹かれているほうがよほど安全だと思うのであるが・・。
だから新しく見つけたコシアブラの木も前回からは誰も盗った形跡がない。ガードレールからほんの先に見える木なのでそんなことはないと思うのだが・・。
いっそのこと、この山にはいつもウイルスが潜んでいますよとデマを拡散できたらこの一帯の山菜を独占できてしまうのではないかとよからぬことを考えてしまうのである。
僕の奥さんのお父さんは山形県新庄市の出身で本家のお嫁さん(お義父さんの義理のお姉さんにあたる人だ)は料理が得意で山菜や収穫物で様々な料理を作るそうだ。僕も一度だけここにお邪魔したことがあるけれども、確かに山菜料理はおいしかった。多分ゼンマイだったのだと思うけれども油の使い方が最高だった。当時はいまほど山菜にも興味がなかったのでいろいろ聞けなかったのが残念だった。
イナゴを食べたのもここが最初で最後だったし、いまでもお義父さん経由でいただく辛味噌は絶品で、唐辛子はうちでも山のようにあるのだからレシピを聞いてくれというのだけれども嫌がって聞いてくれないのだ。ひょっとしたら僕の奥さんはぼくがこういうことをするのが気に入らないのかしらと訝ったりするのである。
それが結婚をして25年も経って突然そんなことを言うもので、じゃあ、フキを採ってきて自分で作ってみようと発作的に準備をして家を出た。
職場が休業状態に入り約3週間。世間では自粛疲れというけれども、僕はその間遊び過ぎた。(一応、3密を避けながら。)
会社では嫌なことがありすぎて今年は磯のチヌ釣りと山菜採りに行くにはモチベーションが低すぎると思っていたけれども、時間がたっぷりできたこととアドラー心理学の本を読んだことでそれも例年通り実現した。
不謹慎だが、コロナ様さまだ。
去年の秋、叔父さんの家からもらってきた鬼ゆずを使って作ったピールが成功したのでフキでもきっとうまく作れるはずだと思い込んで、今日はフキをメインにして採ってきた。
しかし、そんなに料理は甘くない。
フキと同量の砂糖をぶち込んで煮始めたけれども、すごい量の水が出てきて色もエメラルドグリーンとは程遠いどす黒い色になってしまった。あまりの水の多さに辟易してほとんどを捨ててしまって最後の水気を飛ばしてネットの上に広げたけれども、これはどう見ても水あめをまとった藁かサナダムシにしか見えない。
味見をしてみると、かすかにフキの香りは残っているけれども、歯ごたえはまさしく“藁”だ。これは完全に失敗作だ。
奥さん曰く、「こんなに細くなかったし、こんなに硬くなかった。」それを聞いていた母親は、「そのフキってもっと太い奴じゃないの?東北に行ったら傘にできそうなフキがあるっていうやないの。」という見解だ。
じゃあ、最初からこの計画は破綻していたということか・・。約100本のフキを無駄にしてしまった。
そのほかの収穫はというと、ワラビはここ二日間ほどの暖かさのせいか、かなり大きくなっていた。特に第2駐車場の前の斜面はかなり大きい。料亭サイズだ。ほんのわずかな時間でふた握りほどのワラビを採ることができた。
そして今日も暑く、午前7時を過ぎるとヤッケの中が蒸れてくる。しかし、北の斜面を超えてくる風は心地よい。いい気分になれる。
山菜に降りた夜露もまだ残っていて、やっぱり山菜は露がついたみずみずしいやつを採るのがいいなとひとり勝手に思うのだ。
山頂のコシアブラも採り頃を迎えていた。
今日は5連休の初日だが山菜を採っている人は誰もいない。普通なら早朝から人が押し寄せてくると思ってゴールデンウイークのさなかになんか絶対に行かないのだが、今年は様子が違う。そこは思ったとおりだ。年配の人たちが多いとはいえ、そこまで警戒をしなければならないのかしらと思うのである。
都会にいるよりもここで風に吹かれているほうがよほど安全だと思うのであるが・・。
だから新しく見つけたコシアブラの木も前回からは誰も盗った形跡がない。ガードレールからほんの先に見える木なのでそんなことはないと思うのだが・・。
いっそのこと、この山にはいつもウイルスが潜んでいますよとデマを拡散できたらこの一帯の山菜を独占できてしまうのではないかとよからぬことを考えてしまうのである。