藤田祐樹 「南の島のよくカニ食う旧石器人」読了
沖縄県にある約2万年前の旧石器時代の遺跡、サキタリ洞で2016年、世界最古の釣り針が発見されたそうだ。その発見者がこの本の著者である。そしてここには約3万年前の幼児の骨も眠っていた。
サギタリ洞は雄樋川という川の上流にあり、この川の流域にはたくさんの遺跡がある。下流の港川遺跡では約2万年前の人骨がほぼ完全な形で発見されている。
沖縄県は、日本の中では極端に多くの人骨の化石が出土するらしい。その理由は正確にはわかっていないけれども、サンゴ礁が作った石灰岩土壌が多いことで骨のカルシウム分が溶出しないからだと言われている。しかし、本州でもそんな土地(カルスト台地など)がないわけではないがやっぱり沖縄だそうだ。
著者はそのサキタリ洞の採掘を7年におよぶ期間おこない、やたらとカニの殻が多いことに疑問を抱く。
そのカニについて詳しく調べてみると、そのカニが食べられた季節というのが、夏から秋にかけてらしいということがわかった。化石に含まれる酸素同位体の分量を調べるとその生物がどの季節に死んだかということがわかるらしい。科学の進歩に驚かされる。
発見されるカニの種類というのはモクズガニで雄樋川ではいまでも獲れるそうだ。そしてそのうちの3~5%には焦げた跡がある。
著者はそこで想像を豊かに働かす。サキタリ洞に骨を残した人たちは、モクズガニの美味しい季節にだけこの洞窟にやってきて今と同じように蒸し焼きにして食べていたに違いない。数パーセントの殻に焦げ跡がついているのはその時に焚火にこぼれ落ちた名残なのである。
そして釣り針の発見。化石にはウナギの骨の化石も混ざっているので、この釣り針を使ってウナギを釣ったのではないだろうかと推測する。
カエルやトカゲの化石も出るが、この時代にはきっと貴重なタンパク源であったのだろう。それを差し引いてもサキタリ洞の人々はカニにウナギ、時には鹿の肉など、なんとグルメであったことかというお話であった。
著者が言うように、この検証はサキタリ洞の人々に限定した考察であって、広く一般的な旧石器人に当てはまることではないというまことに視野の狭い検証ではあるのだが、それゆえによけいに著者の港川人に対する愛がいっそう感じられるのである。
沖縄では人骨の化石は出土するけれども、石器はほとんど出土した例がないらしい。世界最古の釣り針は貝でできているのだが、ここでは石器の代わりに貝を使っていた痕跡が発見される。石器として貝を使うのではなく、その貝を使って木材を削って槍や銛を作っていたらしいのである。ここからは僕の想像ではあるけれども、南国(といっても当時は氷河期の真っただ中だったそうだが)沖縄には水産物をはじめとして食材がふんだんにあった。大して道具を使わなくても簡単に取れてしまう。モクズガニも簡単に手づかみできるらしい。だから人骨が化石になるほどたくさんの人口がいて、対して本州方面はそれは氷河期だから食料の確保も難しくそして寒いとなればかなり生活はしんどい。だから実はほとんど人が住んでいなかったのではないだろうか。というのがヘッポコ推理なのである。
本州に人が住むようになったのは縄文時代以降だったりするのではないだろうか。沖縄には縄文時代がなくて旧石器時代と弥生時代が共存している時代があったそうだが、文明が西に向かって伝播したのであれば、沖縄で弥生文化が生まれたのであればそれから一気にブーストがかかって西に広がったのではないだろうか。人が全国的に増え始めるのはその時以降なので旧石器時代の人骨の化石も少ない。
まあ、素人が勝手に考えているだけなので多分ウソだと思うが、考えるのは自由だ。これのほうが沖縄の遺跡の重要性が増すのではないかと思うが、ひとつ気にかかるのは、港川人は日本人の直接の先祖ではないということがDNAの鑑定でわかっているそうだから、弥生人はもっと違うところ、東の方からやってきて港川人を滅ぼしてしまったという考えもできそうだ。
そして、サキタリ洞の住人たちは夏の終わりから秋にかけてはここに移住してきたがそれ以外の季節はどこで生活していたかということはまだわかっていないそうだ。
まだまだ調べなければならないことがいっぱいあるらしく、著者の沖縄の旧石器人への愛はますます深くなっているらしい。
沖縄県にある約2万年前の旧石器時代の遺跡、サキタリ洞で2016年、世界最古の釣り針が発見されたそうだ。その発見者がこの本の著者である。そしてここには約3万年前の幼児の骨も眠っていた。
サギタリ洞は雄樋川という川の上流にあり、この川の流域にはたくさんの遺跡がある。下流の港川遺跡では約2万年前の人骨がほぼ完全な形で発見されている。
沖縄県は、日本の中では極端に多くの人骨の化石が出土するらしい。その理由は正確にはわかっていないけれども、サンゴ礁が作った石灰岩土壌が多いことで骨のカルシウム分が溶出しないからだと言われている。しかし、本州でもそんな土地(カルスト台地など)がないわけではないがやっぱり沖縄だそうだ。
著者はそのサキタリ洞の採掘を7年におよぶ期間おこない、やたらとカニの殻が多いことに疑問を抱く。
そのカニについて詳しく調べてみると、そのカニが食べられた季節というのが、夏から秋にかけてらしいということがわかった。化石に含まれる酸素同位体の分量を調べるとその生物がどの季節に死んだかということがわかるらしい。科学の進歩に驚かされる。
発見されるカニの種類というのはモクズガニで雄樋川ではいまでも獲れるそうだ。そしてそのうちの3~5%には焦げた跡がある。
著者はそこで想像を豊かに働かす。サキタリ洞に骨を残した人たちは、モクズガニの美味しい季節にだけこの洞窟にやってきて今と同じように蒸し焼きにして食べていたに違いない。数パーセントの殻に焦げ跡がついているのはその時に焚火にこぼれ落ちた名残なのである。
そして釣り針の発見。化石にはウナギの骨の化石も混ざっているので、この釣り針を使ってウナギを釣ったのではないだろうかと推測する。
カエルやトカゲの化石も出るが、この時代にはきっと貴重なタンパク源であったのだろう。それを差し引いてもサキタリ洞の人々はカニにウナギ、時には鹿の肉など、なんとグルメであったことかというお話であった。
著者が言うように、この検証はサキタリ洞の人々に限定した考察であって、広く一般的な旧石器人に当てはまることではないというまことに視野の狭い検証ではあるのだが、それゆえによけいに著者の港川人に対する愛がいっそう感じられるのである。
沖縄では人骨の化石は出土するけれども、石器はほとんど出土した例がないらしい。世界最古の釣り針は貝でできているのだが、ここでは石器の代わりに貝を使っていた痕跡が発見される。石器として貝を使うのではなく、その貝を使って木材を削って槍や銛を作っていたらしいのである。ここからは僕の想像ではあるけれども、南国(といっても当時は氷河期の真っただ中だったそうだが)沖縄には水産物をはじめとして食材がふんだんにあった。大して道具を使わなくても簡単に取れてしまう。モクズガニも簡単に手づかみできるらしい。だから人骨が化石になるほどたくさんの人口がいて、対して本州方面はそれは氷河期だから食料の確保も難しくそして寒いとなればかなり生活はしんどい。だから実はほとんど人が住んでいなかったのではないだろうか。というのがヘッポコ推理なのである。
本州に人が住むようになったのは縄文時代以降だったりするのではないだろうか。沖縄には縄文時代がなくて旧石器時代と弥生時代が共存している時代があったそうだが、文明が西に向かって伝播したのであれば、沖縄で弥生文化が生まれたのであればそれから一気にブーストがかかって西に広がったのではないだろうか。人が全国的に増え始めるのはその時以降なので旧石器時代の人骨の化石も少ない。
まあ、素人が勝手に考えているだけなので多分ウソだと思うが、考えるのは自由だ。これのほうが沖縄の遺跡の重要性が増すのではないかと思うが、ひとつ気にかかるのは、港川人は日本人の直接の先祖ではないということがDNAの鑑定でわかっているそうだから、弥生人はもっと違うところ、東の方からやってきて港川人を滅ぼしてしまったという考えもできそうだ。
そして、サキタリ洞の住人たちは夏の終わりから秋にかけてはここに移住してきたがそれ以外の季節はどこで生活していたかということはまだわかっていないそうだ。
まだまだ調べなければならないことがいっぱいあるらしく、著者の沖縄の旧石器人への愛はますます深くなっているらしい。