イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「つりが好き: アウトドアと文藝」読了

2020年06月22日 | 2020読書
河出書房新社 「つりが好き: アウトドアと文藝」読了

珍しく釣りに関するエッセイ集が新刊で出ていた。師のエッセイはもちろん、井伏鱒二、幸田露伴、佐藤垢石、福田蘭堂などなど僕も一度は読んだことのある人たちのものが掲載されている。その中にどうしてだか沢野ひとしが入っている。これはどうしてなのかわからない・・。
しかし、すべて往年の作家という人たちばかりのものだが、最近の作家を含めた有名人のエッセイというものはないのだろうか。
思うに、最近の釣りというのは(すくなくとも表に出てくる話題としては)まずは釣果ありき、ギミックありきというような風潮でなんだか自然に親しむとかそれを通して人生を考えるとかそういうひとが少なくなってきたのではないだろうか。ウエアなんかもみんなビシッと決めてボロ服で釣りに来てる人間なんて僕くらいになってしまった。なんだか魚釣りもゴルフみたいに庶民のものから遠ざかってしまったようだ。
シマノのクオータリーに「Fishing Café」というのがあるが、これも昔の釣りを懐かしむような企画が多い。時代もあるだろうが、魚群探知機も出てこないしOOメソッドなんていうのも出てこない。著者たちはそんなに躍起になって釣りをしていない。
いくらでも魚が釣れる時代は魚を釣りながらでもほかのことをいろいろ考える余裕があったのだろうけれども、これだけ魚が釣れなくなると釣ることを考えるだけでほかに余裕がないということかもしれない。


暇なとき、よく釣りビジョンを見ているのだけれども、登場する人たちは馬鹿笑いをしているか、よくわからない英語みたいなものを絶叫しているか、道具自慢、腕自慢しかない。もう、知性というものが感じられない。
唯一、フライフィッシングの放送場面では穏やかな自然の風景が流れているがこれもやっぱりテクニック論に収束してしまっている。
まあ、この辺は放送だから商売がらみでもあるのだろうけれども釣りの世界のほとんどがそんな波に呑み込まれてしまっているように感じてならない。
そんなことがベースにあると、やっぱり読んでいて、う~ん、とうなる作品はなかなか出てこないのだろう。それに加えてこれらの作家に匹敵するような文才を兼ね備えた作家も残念ながらいないのかもしれない。

僕はやはりこれらの作家の世界のほうが居心地がいい。釣れても釣れなくても釣りの世界を楽しみたい。
これはけっして魚が釣れないことに対する言い訳ではない。けっして・・。

コメント
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