イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「開高健短篇選」読了

2020年06月20日 | 2020読書
開高健/箸 大岡玲/選 「開高健短篇選」読了

2019年度の岩波文庫にこんな本があった。師の短編を文壇へのデビューから晩年に至るまでを発表年順に選んでいる。撰者は大岡玲。これまでもいくつかの師にまつわる本にかかわってきた人だ。

多分、全部どこかで読んだことがある作品であるが、こうやって連続して読んでみると、作風というか、事象の捉え方の変遷といくのは、素人の僕が読んでみても大きく変遷していっているのがわかる。
しかし、すべての短編のなかに通奏低音のように流れているのは、「人間の内面の醜さとすべての人はそれに巻き込まれることなく生きてゆくことはできない。」という一種諦観諦めにも似たような感覚のように感じる。編者が解説で書いているように、人間の脆さ、不可解、残虐、卑屈、悲惨、無残、そういったものからは逃れられないということだ。
それぞれの作品の主人公、おそらくそれは師の分身であるのだが、それでもひとは人の中でしか生きてゆけないことを前提にしてその苦しみが懊悩と無力感となって物語は進んでゆく。
初期の作品、「パニック」「裸の王様」はそんな世間をあざ笑う、もしくは一矢報いるような内容で、どんな形でもそれに対して立ち向かおうというエネルギーを感じるが、後半になってゆくほどそういうことに対して逆らわずに流されてゆくような気持に変わっていくようだ。
「なまけもの」では主人公とは真逆の、世の中の逆手を取ってやろうとする友人の行動におののいて自分ではそんなことはできないと逃げ出そうとする。
「森と骨と人たち」はビルケナウの描写、「兵士の報酬」はベトナム戦争を戦う米兵の休暇でのできごとだが、前者では主人公は大量虐殺の記録から人はそこまで非情になることができるのだということの証明を見る。そして、「兵士の報酬」ではその非常になる原因のひとつを友人である米兵の休暇中の行動から見つけてしまう。それは心優しいアメリカ人の中に潜む『ひとを殺したいのだ。』という感情だった。ひとは残酷に慣れてしまえばそれが快感になってゆく。そんな心のシステムがどんな人にも備わっている。
師はそういうことを極限の状況を観察することによって知ってしまったのかもしれない。
おそらく、仏教的な思想を持っていればそういったことをすべて受け入れてなおかつ心の底に深く沈めてしまうこともできるのであろうけれども、主人公たちは無神論者である。達観できるまでにはまだ時間が必要だ。

「飽満の種子」「貝塚を作る」はベトナム滞在中に体験する阿片と釣狂の大金持ちの使用人の子供である若い逃亡兵の生活の描写だ。一転してその現実にから逃避をすることを決めた人たちのエピソードだ。主人公はそれをうらやましいとは思わず、その逃避のために費やしたエネルギーに対して感慨を持つ。

「玉、砕ける」「1日」にはひとの命のはかなさがにじみ出ている。「玉、砕ける」は垢すり風呂のお土産にもらった自分の垢の玉が手のひらの中で壊れてしまったときと同じくして老舎という中国人作家の死を知る。それはひとの命も垢の玉のようにあっけなくこの世から消えてしまうということであった。「1日」でも、ベトナムで同じように取材活動をしていたジャーナリストが、一緒に酒を飲んだ翌日、ロケット弾の破片であっけなく死んでしまう。そこからやはり人の死というものの簡単さを痛感するのである。

「掌の中の海」は、それまでの短編からかなり時間が経過した最晩年の作品だが、そこには人の世や人生への憂いや生きてゆくことへのあきらめや苦しみは消えてしまっている。
ここには息子が行方不明になった医師が登場し、息子のために涙を流すのであるが、それを見た主人公には特にこみあげてくるものはなさそうである。もう、何の感覚もない平坦な世界が広がっているようなイメージだ。
仏教に例えると諦観の域に達したというところだろうか。
そうやって読み進めてみると、大岡玲はバランスよく作品を選び出していると言えるのかもしれない。


「1日」の中で、主人公は、最前線の砦のベッドの中で『じっとよこたわって汗にまみれつつ殺されることだけをまっていた』気持ちで一晩を過ごす。生きることに疲れて、『常に死ぬことだけを考えていた』と独白もしている。
そこからどうやって諦観の気持ちを得たのだろうか。おそらく最後の短編は師が今の僕と同じ年齢の頃にそれを書いていたはずだ。僕には何もかもにたいする諦めと絶望の気持ちはあってもそれは諦観には昇華しない。常に死ぬことを考えていなくても笑えることのないここからなんとか逃げ出す方法はないものだろうか、いっそのこと強制排出してくれないものだろうかと常に考えている。

いま、この時、僕にとってこの本を読むことは酷すぎると感じるのである。情けないことだが・・。

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