場所:紀ノ川河口
条件:大潮 5:40満潮
釣果:キス48匹 マゴチ1匹
この前のKさんとの反省会のなかで、型はちいさいものの紀ノ川河口でキスが釣れているという情報を教えてもらった。
もうかなり前、先代の翠勝丸に乗っていた頃にはキスを釣りに出かけていてそれなりに数も釣っていたが、最近は行くたびにほとんどエサを捨てて帰るということが続いていた。また、キスを釣りたいがここ数年はどこも釣れず20匹ほどを釣るのが精一杯という感じで、もし紀ノ川で釣れるならありがたいとKさんの情報を信じて行ってみた。
指定されたポイントは百円橋の上流側ということだった。僕がかつてキスを釣っていたところよりもかなり上流なのだという話も信じるに足る情報だった。
大潮でさらに干潮に向かう時刻に釣りをすることになるから流れすぎるのが心配だがそればかりはどうしようもない。
いつもよりも少し時間を遅らせて出港。それでもポイントに到着したのは午前5時前、港から近いとありがたい。
さて、仕掛けをセットして投げ込もうと周りを見てみるとすでに百円橋の下まで船が流されてしまっている。やっぱり大潮で引き潮だと流れが速いようだ。こんな時にもキスは釣れるのだろうか・・・。
また上流に戻って仕掛けを投入。あまり流れすぎたら錨を下して釣りをしようと思っているのだが、まずは流れの状況の確認しながら釣れる場所を探してみたいと考えている。
そして、流れが速いなかでキスは釣れるのだろうかということは杞憂に終わった。すぐにアタリがあり、型はちいさいものの、キスが釣れた。確かにキスはいる。2本の竿に交互にアタリがあったが、橋の下を越えた辺りでぱったりとアタリがなくなった。すぐに上流に戻ったので短時間での検証だけなのだが、橋を境にしてキスが居なくなるかもしれない。理由はわからないが下流のほうは水深が浅くなったりしているのだろうか。それとも橋脚が障害となって上流側は流れが緩くなったりしているのだろうか・・。
まあ、理由はどうであれKさんの言うとおり、橋の上流がポイントに間違いはない。そうとわかれば錨を下してこの辺りを重点的に探りたい。
そして結果はすぐに出た。アタリは間断なく出る。型は小さいがほぼ1投で1匹という感じだ。ただ、これも流れがあることが原因なのだろうか、あまりキス独特の小気味よい引きが感じられない。きっとエサを食ったキスは流れに逆らって上流に向かって泳ぐからなのだろう。仕掛けを回収したら魚が掛かっていたということもしばしばだった。そこはもう少しキス釣りの醍醐味を味わいたいところだ。
結局、3時間足らずの釣りでキスが48匹と小さなマゴチ1匹。
何年ぶりかで持って行ったエサをすべて使いきって終わることができた。
今日は奥さんがいないので天ぷらを自分で作ってみる。奥さんがいない理由なのだが、妹が子宮筋腫でダヴィンチを使って手術をするのだ。数日前、もともとあった筋腫が検査をしてみると肥大していて緊急に手術することになったという。えらい素早く予定を立ててくれるんだねと聞くと、他の予約がキャンセルになって空きができたからというのだが、これを幸運というのだろうか、それとも恣意的にそうなったのだろうかと疑問に思えてくる。もちろん身内なのですぐに対処してもらえるというのはありがたいのだが、妹の旦那が開業医をしているということが影響していたのだとしたら、世間一般に言われている「上級国民」とまでは言わなくても、いろいろなところでいろいろな恩恵を受けることができる人と受けられない人が対極的に存在しているということになるのではないだろうかと気になるのである。
何か買い物をするときに割引をしてくれるとかそんなことならどうでもいいが、命にかかわることとなると話は違ってくる。そういえば、義父も肺がんの治療の後、腎臓に転移が見つかってダヴィンチで手術を受けた時も、高齢でしかも転移したがんに対して普通はこんな手術まではしないのだが、最初の治療の効果がものすごくよかったので特別にダヴィンチを使うのだという説明を受けて手術に臨んだ。その後も、甲状腺に小さな腫瘍が見つかったということでさらに年間1400万円費用がかかるという分子標的薬というものの投与も決まった。(これは確かに、投与してくれないなら俺が行くと妹の旦那が直談判に行ったのだが。)最初は、義父は運のいい人だと、この人の人生には善人という言葉しか当てはまらないのだから神様も見捨てはしないのだろうと思っていたが、いろいろなルートが存在するのかもしれない。もしくは、身内に医者がいるということで病院側の忖度というものが働いたのかもしれない。義父も体調は万全とは言えないが今も元気だ。しかし、どんな理由であれ、身内が手厚い治療をしてもらえるというのはありがたいことなのである。
もちろん、これは僕の勘繰りでしかないので、以上のことは医師の判断で適切と思われる普通の治療であったはずである。
僕の父親はすい臓がんで、告知を受けてから半年足らずで死んでしまった。20年前とは技術の水準も違うのかもしれないが、あの時は医者から、「もう、何をしても無駄。」と言われたけれども、父や僕が上級国民の類の人間だったなら別のルートがあったのだろうか。まあ、父も僕も上級国民だったなら、父がやってきたような、そして今の僕がやっているような下種な楽しみをすることができなかったかもしれないからこれはこれで僕たちの人生だったのだろう。
僕は父よりもひねくれものだから息子の世話にはなろうなどとは思っていない。俺のコネでこんな治療をしてあげることができるけどどうする?と聞かれたら、「それがどうした。」と答えるだろう。
父親の年齢までは生きるとしてあと10年と少し。その頃には今では松コースの治療もひょっとした竹コースくらいのお手軽さになっているかもしれないからそれに期待をしておこう。
そして、天ぷらのほうはどうなったかというと、やっぱり奥さんが揚げるようなふっくらとした仕上がりにはならなかった。食べてみるとほんのりと油の臭みが漂い、煎餅のように堅い・・。
僕が言うのもなんだが、うちの奥さんは料理が上手い。とくに天ぷらというのはレシピに書いてあるとおりにやれば上手くできるというものではない。油の温度の確認、種を入れるタイミングと引き上げるタイミング、衣の濃度も混ぜ具合もどれくらいがいいのかというのは文章だけでは見えない。
定年離婚いうのが世間で言われているが、あまり奥さんを大切にしていない僕にもそういうことがあるかもしれなく、その時には潔く従おうと思うのだが、別れる前にひとつだけ、天ぷらの上手な揚げ方だけは教えてくれとすがってみようと思うのだ。そして、奥さんに美味しいキスの天ぷらを揚げてもらうべく、もう一度紀ノ川に行こうと思うのである。
条件:大潮 5:40満潮
釣果:キス48匹 マゴチ1匹
この前のKさんとの反省会のなかで、型はちいさいものの紀ノ川河口でキスが釣れているという情報を教えてもらった。
もうかなり前、先代の翠勝丸に乗っていた頃にはキスを釣りに出かけていてそれなりに数も釣っていたが、最近は行くたびにほとんどエサを捨てて帰るということが続いていた。また、キスを釣りたいがここ数年はどこも釣れず20匹ほどを釣るのが精一杯という感じで、もし紀ノ川で釣れるならありがたいとKさんの情報を信じて行ってみた。
指定されたポイントは百円橋の上流側ということだった。僕がかつてキスを釣っていたところよりもかなり上流なのだという話も信じるに足る情報だった。
大潮でさらに干潮に向かう時刻に釣りをすることになるから流れすぎるのが心配だがそればかりはどうしようもない。
いつもよりも少し時間を遅らせて出港。それでもポイントに到着したのは午前5時前、港から近いとありがたい。
さて、仕掛けをセットして投げ込もうと周りを見てみるとすでに百円橋の下まで船が流されてしまっている。やっぱり大潮で引き潮だと流れが速いようだ。こんな時にもキスは釣れるのだろうか・・・。
また上流に戻って仕掛けを投入。あまり流れすぎたら錨を下して釣りをしようと思っているのだが、まずは流れの状況の確認しながら釣れる場所を探してみたいと考えている。
そして、流れが速いなかでキスは釣れるのだろうかということは杞憂に終わった。すぐにアタリがあり、型はちいさいものの、キスが釣れた。確かにキスはいる。2本の竿に交互にアタリがあったが、橋の下を越えた辺りでぱったりとアタリがなくなった。すぐに上流に戻ったので短時間での検証だけなのだが、橋を境にしてキスが居なくなるかもしれない。理由はわからないが下流のほうは水深が浅くなったりしているのだろうか。それとも橋脚が障害となって上流側は流れが緩くなったりしているのだろうか・・。
まあ、理由はどうであれKさんの言うとおり、橋の上流がポイントに間違いはない。そうとわかれば錨を下してこの辺りを重点的に探りたい。
そして結果はすぐに出た。アタリは間断なく出る。型は小さいがほぼ1投で1匹という感じだ。ただ、これも流れがあることが原因なのだろうか、あまりキス独特の小気味よい引きが感じられない。きっとエサを食ったキスは流れに逆らって上流に向かって泳ぐからなのだろう。仕掛けを回収したら魚が掛かっていたということもしばしばだった。そこはもう少しキス釣りの醍醐味を味わいたいところだ。
結局、3時間足らずの釣りでキスが48匹と小さなマゴチ1匹。
何年ぶりかで持って行ったエサをすべて使いきって終わることができた。
今日は奥さんがいないので天ぷらを自分で作ってみる。奥さんがいない理由なのだが、妹が子宮筋腫でダヴィンチを使って手術をするのだ。数日前、もともとあった筋腫が検査をしてみると肥大していて緊急に手術することになったという。えらい素早く予定を立ててくれるんだねと聞くと、他の予約がキャンセルになって空きができたからというのだが、これを幸運というのだろうか、それとも恣意的にそうなったのだろうかと疑問に思えてくる。もちろん身内なのですぐに対処してもらえるというのはありがたいのだが、妹の旦那が開業医をしているということが影響していたのだとしたら、世間一般に言われている「上級国民」とまでは言わなくても、いろいろなところでいろいろな恩恵を受けることができる人と受けられない人が対極的に存在しているということになるのではないだろうかと気になるのである。
何か買い物をするときに割引をしてくれるとかそんなことならどうでもいいが、命にかかわることとなると話は違ってくる。そういえば、義父も肺がんの治療の後、腎臓に転移が見つかってダヴィンチで手術を受けた時も、高齢でしかも転移したがんに対して普通はこんな手術まではしないのだが、最初の治療の効果がものすごくよかったので特別にダヴィンチを使うのだという説明を受けて手術に臨んだ。その後も、甲状腺に小さな腫瘍が見つかったということでさらに年間1400万円費用がかかるという分子標的薬というものの投与も決まった。(これは確かに、投与してくれないなら俺が行くと妹の旦那が直談判に行ったのだが。)最初は、義父は運のいい人だと、この人の人生には善人という言葉しか当てはまらないのだから神様も見捨てはしないのだろうと思っていたが、いろいろなルートが存在するのかもしれない。もしくは、身内に医者がいるということで病院側の忖度というものが働いたのかもしれない。義父も体調は万全とは言えないが今も元気だ。しかし、どんな理由であれ、身内が手厚い治療をしてもらえるというのはありがたいことなのである。
もちろん、これは僕の勘繰りでしかないので、以上のことは医師の判断で適切と思われる普通の治療であったはずである。
僕の父親はすい臓がんで、告知を受けてから半年足らずで死んでしまった。20年前とは技術の水準も違うのかもしれないが、あの時は医者から、「もう、何をしても無駄。」と言われたけれども、父や僕が上級国民の類の人間だったなら別のルートがあったのだろうか。まあ、父も僕も上級国民だったなら、父がやってきたような、そして今の僕がやっているような下種な楽しみをすることができなかったかもしれないからこれはこれで僕たちの人生だったのだろう。
僕は父よりもひねくれものだから息子の世話にはなろうなどとは思っていない。俺のコネでこんな治療をしてあげることができるけどどうする?と聞かれたら、「それがどうした。」と答えるだろう。
父親の年齢までは生きるとしてあと10年と少し。その頃には今では松コースの治療もひょっとした竹コースくらいのお手軽さになっているかもしれないからそれに期待をしておこう。
そして、天ぷらのほうはどうなったかというと、やっぱり奥さんが揚げるようなふっくらとした仕上がりにはならなかった。食べてみるとほんのりと油の臭みが漂い、煎餅のように堅い・・。
僕が言うのもなんだが、うちの奥さんは料理が上手い。とくに天ぷらというのはレシピに書いてあるとおりにやれば上手くできるというものではない。油の温度の確認、種を入れるタイミングと引き上げるタイミング、衣の濃度も混ぜ具合もどれくらいがいいのかというのは文章だけでは見えない。
定年離婚いうのが世間で言われているが、あまり奥さんを大切にしていない僕にもそういうことがあるかもしれなく、その時には潔く従おうと思うのだが、別れる前にひとつだけ、天ぷらの上手な揚げ方だけは教えてくれとすがってみようと思うのだ。そして、奥さんに美味しいキスの天ぷらを揚げてもらうべく、もう一度紀ノ川に行こうと思うのである。