イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「アニメと声優のメディア史  なぜ女性が少年を演じるのか」読了

2021年06月15日 | 2021読書
石田美紀 「アニメと声優のメディア史  なぜ女性が少年を演じるのか」読了

日本のアニメーションの黎明期を描いた朝ドラといえば、「なつぞら」だ。主人公の兄である奥原咲太郎は後に声優のプロダクションの経営を始めて成功をおさめる。
この本は、ちょうどその頃から現在にいたるまでの声優の歴史とアニメファンたちは声優をどう捉えてきたのかを描いている。特に、タイトルのとおり、アニメのなかで女性が少年役をするという日本独特のスタイルを中心の成立の過程を中心にアニメの世界では黒子であった声優の人気が上昇していった理由にも言及している。

いい歳をしながらいまだにアニメ好きで、おそらく声優本人がいろいろなメディアに登場し始めたであろう頃もよく知っている。今では世の中の動きについてゆけなくなってしまったが、こういう話には興味がある。
軟派な本を想像していたが、文章の書き方から構成までけっこう硬派な内容であった。

声だけの俳優はラジオドラマから始まる。日本でラジオ放送が始まったのは1925年で、放送開始直後からラジオドラマというのは放送されていたそうだ。1925年がラジオ放送の開始の年度ということは、もうすぐ100年になる。「おちょやん」でもラジオドラマがひとつのキーになっていたが、これも100周年に向かっての何かの布石だったりするのだろうか。
ラジオ放送開始当時のラジオドラマというのは15分の単発放送というのが普通だったそうだ。すぐに戦争の時代に入って行ってしまったので国策放送主体となり放送スタイルの変化というものは硬直化していく。
新しい放送スタイルが生まれ始めるのは戦後だ。GHQの指導が入りながら民主化の拡散のためにという部分も担いながら連続放送ドラマがはじまる。当時はおちょやんのドラマのとおり生放送しかできなかった。
そこで子役の確保が難しくなってくる。法的に規制されるのはもう少し先になるがもともと、夜、遅い時間に子役が働くのは好ましくない。そして子役の成長は早い。放送期間が長くなると特に男子の子役は変声期を迎える。こういうことから女性が少年役を演じるようになる。
この頃から、声だけで演技をする人たちという認識ができてきた。声の演技をする人々は東京放送劇団(NHKの放送用専属劇団)の人たちが携わっていた。(まだ、放送局はNHKしかなかった。)その中で、木下喜久子という女性が最初に少年役を演じたと言われている。
終戦の2年後、1947年に児童福祉法が施行され、午後8時から午前5時までの児童の労働が禁止される。その年に「鐘の鳴る丘」というラジオドラマが始まる。このドラマは非常に人気があったが、このドラマに子役を出演させていた、「シロクマ」というプロダクションでは、放送局にたくさんのファンレターなどが来る中、『出演する子供たちをスター扱いしないこと、学業を何より優先すること』を徹底していたという。この時代ではまだま声優は裏方であったということだ。このエピソードは「おちょやん」の中のエピソードでも語られていた。

日本で1953年にテレビ放送が始まると当初は海外ドラマの放送というのが多かった。僕が子供の頃でもまだ海外ドラマの放送というのはけっこうやっていた。本格的に声優の需要が多くなるのはこのころだ。
声優という仕事について、俳優たちからは一段下に見られていたというのが「なつぞら」でのストーリーであったが、案外そうでもなく、ドラマの中でも出てきた、「白蛇伝」の声優は森繫久彌と宮城まり子だったそうだ。逆に映画会社とテレビ局というのは仲がよくなく、テレビ局が作るドラマに映画俳優を出させなかったというのが海外ドラマの放送が多くなったという理由で、それが声優という仕事を大きくさせる要因にもなったようだ。VTRによる放送が始まるのは1959年、それまでは生本番が当たり前だったのでここでも子供の役を大人がやるということが当たり前になってくる。

大きな転機が訪れるのは1974年放送の「宇宙戦艦ヤマト」だ。当初の放送時、人気がなく、39話の放送予定が26話で終了したが、コアなファンが再放送を望むなど、ファンが自らブームを作り出すという動きがあった。同時に数々のアニメ雑誌が創刊されさらにアニメブームは加速する。
そのなかで声優の存在もクローズアップされてくる。声優が裏方から表舞台に登場するのである。アニメの登場人物はもちろん絵に描かれた人物だから、彼らが興味を持ったのはそれを書いている人、演出する人、そして制作に携わった人たちであった。そういう人たちには声優も含まれていた。まだまだ注目する先は生身の人が対象であったのだ。

アニメのキャラクターと実際の声優にはギャップがあって当然で、少年役が大人の女性であったのだからそれが当たり前だったので僕もそれが当然だと思っていたが時代が進むにつれてファンはそれを許さなくなる。

次の転換期は1995年放送の「新世紀 エヴァンゲリオン」だ。主人は男子中学生であったがこれも女性が演じた。この年齢の少年を女性が演じるのは初めてであったが、ファンたちは声の演者とキャラクターに同一性を求め始めた。
このアニメもじわじわと人気を得てきたが、緒方恵美を見るファンの目はタカラジェンヌを見る目と同じなのである。
それが、”萌え”と表現される。少年役をする女性にも男性的な雰囲気を求めるようになったのだ。これを著者は、ジェンダーとセクシュアリティの問題と結びつける。当時はまだ1990年代。まだまだそういう観念は日本の中では認識されていない。しかし、アニメはなんでもありだ。こういった問題も一気に乗り越えることができる。
古い習慣を脱ぎ捨て自分らしく生きることができるのだという考えが先にアニメの世界に広がりを与えたというところだろうか。
確かに、空想の世界は自由にいろいろなことを考えることができる。それもひとりで限りない世界を垣間見ることができる。そこでは生死はもとより性別の違いも関係ない。そういう意味ではジェンダーやセクシュアリティという考えなどにも順応性が高かかったということだろう。

時代は2000年代、に入り、「キャラ萌え」と言われる現象が出てくる。これは、ストーリーとは関係なくアニメに登場するキャラクターのみを偶像と捉えてファンになってゆくものだ。ドラマ的なものを離れて二次元の世界に浸るファンが出てくる。
ただ、こういう現象は、僕が知る限り、かなり昔からそういうものがあったはずだ。村上隆というアーティストなどはその代表例だろうし、不謹慎なのかもしれないが、仏教が伝来して以来、仏像を拝むということ自体もひとつのキャラ萌えなのかもしれない。
単純化されたモチーフに衝動を覚えるというのは、きっと人間の本能で、それを覚醒させたのが日本のアニメだったということなのかもしれない。

ときたまBSなんかで見かける声優やアニメの主題歌を歌う歌手のコンサートなんかの観客数を見ていると、この世界もえらい盛況だなと思いながら、普通のおじさんが生活している中ではそんな盛況感がまったく感じられないのはなぜだろうかと思う。
昨夜、小林亜星が亡くなっていたというニュースが流れていたが、この人はガッチャマンや魔法使いサリーの主題歌も作曲しているそうだ。こういうアニメは懐かしくてまた観てみたいと思うが、今のアニメなんかにはついていくことができない。「鬼滅の刃」さえこれの何が面白いのかと思ってしまう。だからもう、世の中にもついてゆけないということなのであろうと悲しくもなってくるのである。


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