イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「ぼくはいつも星空を眺めていた 裏庭の天体観測所」読了

2022年07月26日 | 2022読書
チャールズ・レアード・カリア/著 北澤 和彦/訳 「ぼくはいつも星空を眺めていた 裏庭の天体観測所」読了

著者は作家なのであるが、ふと思い立ち、子供の頃に好きだった星の観測を再び始めようと考えた。そして、30年の時を経てのその思い付きは自宅の裏庭に天体観測所を建設しようという大掛かりな夢となった。
父親は金型職人であったが著者自身はまったく工作には不向きな性格で、ましてや屋根が開閉するような建物を建設するという知識は少しも持ち合わせていないのだが、義兄や友人の手助けにより完成させる1年間のストーリーだ。この本の中身としてはおそらくこの本を書く大きなきっかけとなっている観測所の建築についての顛末はごくわずかで、季節ごとの星空に関するストーリーや世界の天文学の歴史など、ちょっとだけ星の世界に興味がある僕のような人間にはまことに優しい内容になっている。
そして、「裏庭の天文家」というフレーズが気に入った。

僕もブログによく星の話を書いている。といっても、今朝の夜明け前の空には明るい星があって・・。というような簡単なものだが、本当のところは、あそこには何という名前の星座があって、そこにはこんな神話が語り継がれていて、そのなかの一番明るい星の名前はなんとかで、そこからどちらのほうにどれだけ進むとこんな名前の星があって・・。というようなことを思いながら夜空を眺めたいのだが、そこのところは普通では考えられないほどの記憶力しか持たない僕は全天の星座の名前など覚えることがはなからできないのだ。
ただ、こういった本を読むと、その時だけ知ったふうを装えるので星の話を読むことだけは好きなのである。
夜明け前の空というのはおそらく季節をふた月くらい先取りしている。素人でもわかるオリオン座は冬の星座だが、9月の半ばには見え始める。目立つ三つ星から南の方にはスバルが見えて、さらに南に行くとアンドロメダ星雲を見ることができるそうだ。
今年はそれくらいから改めて初めてみようと思うのだ。

この本に書かれているもうひとつの大きな柱は、趣味についてである。星を見る世界も奥深い。アマチュアといえども天文学上大きな発見につながる実績を残す人たちもいる。そのためには凝った装備が必要だ。望遠鏡の口径もそうだが、読んでもわからない様々な装備が必要になる。というか、欲しくなる。あとは経済的にどこまで許されるかという部分だけだ。
こういったところは魚釣りの世界も同じことで、どれだけお金をかけられるかである程度の釣果が得られるかということが決まってくる。しかし、それだけではなく、運が左右する部分もかなり大きい。お金を腕や知識でカバーできる場合もある。
新しい星を見つけるのも運次第ということがあるのだろうからそこがアマチュアの趣味の面白いところである。
そしてその究極のひとつが、裏庭の天文家にとっては観測所であり、釣り人であれば自分の船を持つことなのかもしれない。
お金のある人はドーム型で雨漏りのしない観測所を建設するし、運転席が複数あるような高速クルーザーを買う。僕の船などは古いし遅いしショボいしその世界で言えば下の下と言わざるを得ないけれども、まだ持つことができるだけ幸せといえば幸せなのかもしれない。
それを著者は「愛」であるというのだが、僕みたいに何に対しても奥深くまで追及できないタイプの人間はふつうならどれだけ釣りが好きでも船を買おうという発想すらおこらなかったであろう。そこまでの「愛」を表現しようにもできないのである。
もちろん、オカネの部分でも当然考えられない。たまたま、祖父の代から船があったということだけが「愛」の代替物であった。それだけで楽しい思いを今もさせてもらっている。もちろん、悔しい思いをすることの方が多いのであるが・・。そういう意味では本当に幸運だったのだと思う。
もし、魚釣りが僕のそばになかったとしたら、僕は一体どんな人生を生きていくことになったのだろうかと想像するだけで身の毛がよだってしまうのだ。仕事に打ち込むこともできず、何の楽しみもなく朽ち果ていったに違いない。
だから、窓際にスッキリ納まってしまったことをいいことに、会社は給料をいただくところと割り切ってひたすら魚釣りのことだけを考えて残りのサラリーマン人生を過ごそうと考えているのである。
これも「愛」である・・。
コメント
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