イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「酒から教わった大切なこと  本・映画・音楽・旅・食をめぐるいい話」読了

2022年07月30日 | 2022読書
東理夫 「酒から教わった大切なこと  本・映画・音楽・旅・食をめぐるいい話」読了

読みたい本がない時は図書館の自然科学と日本文学と食文化の書架を行ったり来たりしながら面白そうなタイトルの本を探す。この本は日本文学の書架に入っていた本なのだが、僕が選ぶと大体どの書架でも結局、食や酒に関する本になってしまう。

だから著者のことはまったく知らなかった。奥付を読んでみると、1941年生まれで作家で音楽家だそうだ。
もう少しネットで調べてみると、両親は日系カナダ人二世で、1960年代フォークソングブームの火付け役で、自著のフォークギターの教則本はベストセラーになったというような人らしい。僕の友人にはギターの名人がいるが、彼もこの人の教則本を読んだりしていたのだろうか。
作家としては音楽関係よりも食に関するものが多いようで、この本もその中の1冊だ。

副タイトルのとおり、酒と本、音楽、落語など様々な文化を絡めた短いエッセイを集めている。
こういう本を読むたびに思うのは、もちろん、1冊の本を書きあげる人なら当たり前なのかもしれないが、その博覧強記には驚かされる。そして、この年代の作家の文章は安心ができるというか、僕にとっては読みやすいように思う。それに加えて、ダンディズムというか粋というか、そういう臭いがプンプンと漂ってくるのがうれしい。ひと世代かふた世代上の人というのは憧れをもって見ることができるのだ。これが同世代になってくると、自分の知性の無さにたじたじとするばかりになってしまうのだが・・。

本にまつわる話については63冊の本が登場するが、山口瞳、荻昌弘の著書が複数回出てくる。両名とも酒と食に関しては一流の見識を持つ人でかつ、著者よりも少しだけ世代が上ということでおそらく僕が著者を見るような少しばかりの憧れを持って見ていた人達であったのだろう。
文体はというと、バリバリのダンディズムを押し付けてくるような硬さはなく、もう少し柔らかい印象だ。僕としてはもっとガリガリ来るような文体のほうがよかったのではないかと思ったりしているが、まあ、これも著者の優しさというところなのだろう。


「男としての生き方」という言葉がところどころに出てくるのだが、一人前の男であるというのは、バーと立ち飲み屋とそば屋に堂々と入れるというのがその必要条件であると思っているのだが、未だそれができないでいる。そば屋などは意外と入りやすそうだが、そこで日本酒を注文するとなるとけっこうハードルが高い。バーはもちろん、立ち飲み屋も和歌山駅の周辺に行けば何軒かあるが、なかなか入る勇気が湧かない。
それに加えて、長いこと外で酒を飲むようなことをしていないが、多分、今、外で酒を飲んだらすぐに歩けなくなると思う。普段でも家から駅に向かう途中に目眩を起こすので、本来なら8分で駅まで行けるところを4分の余裕を見て家を出るのだが、それも途中で一服する必要があればギリギリに家を出ていては間に合わないからなのだ。酒を飲んでしまったらてきめんにぐるぐる回ってしまうだろう。
到着した駅でも、階段を上って改札口までの距離が危険だ。必ずといっていいほどここでも目眩をおこす。途中で立ち止まるのはみっともないので惰性で動いてゆくのだが、最近は特にそれがひどく、数日前には完全に目の前が真っ暗になってしまった。死ぬという現象はこういう状態がずっと続くことなのだろうなと思った次第だ。
特にワインを飲んだ翌日は要注意だ。同じ醸造酒でも、日本酒の方が症状は軽いように思っている。目の前が真っ暗になった日の前の晩は300円の白ワインを飲んでいた。安すぎるワインというのも原因だろうか・・・。
これが休日だとまったく症状が出ない。午前2時半に起きて釣具をバイクに積んで海に出るようなハードな動きでもまったくそんな症状には見舞われない。もちろん、海の上でそんなことが起こってしまうと生死にかかわるから人体の危機回避能力というものが備わっているのかもしれないが、それよりも、「またくだらない1日が始まるのか。」という落胆がその原因かもしれない。

だから、自分の命を守るためにも家の外でお酒を飲むという行為はやめておいた方がよいというのが結論だ。家でチビチビ飲んでいるのが関の山だ。と、いうことは、永遠に半人前からは抜け出せないということなのだろう。

最後の章では、父親との酒の思い出を語っている。気恥ずかしさや照れや何やらで、父親とは酒を飲んだことがない著者ではあったが、初めての酒は父親の部屋に置いてあったスコッチウイスキーを盗み飲みしたものであった。父親が亡くなって後、部屋の整理をしていたとき、当時と同じ銘柄のウイスキーが出てきた。父親はずっと同じ銘柄を愛飲していたようで、それをラッパ飲みしたとき、これが自分の中でのウイスキーのひとつのスタンダードであったのだということに気付く。僕の父親は奈良漬を食べただけで気分が悪くなるような人だったからそんな思い出はない。
僕も息子と酒を飲もうなどという気はさらさらないのだが、僕が死んでからも残っているであろうお酒はドラッグストアで処分品として3割引きのシールが貼られた紙パックの日本酒ばかりである。
それについては息子には申し訳ないと思うのである。美味しい酒は自分で買うのだろう。

師について、こんな感想が書かれていた。
『開高健は男にとって、それも心の奥にまだ少年時代を捨てきれないものにとって、長いこと憧れの大人だった。・・・・少年がそうありたいと思う大人の典型だった・・・。』
僕もそういうことを求めてこの本のページをめくっていたのだが、著者も同じような思いを求めてこれらの文章を書いてきたようだ。だからこの人の文章には好感を持てたのだということが最後になって判明したのである。


コメント
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