イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「マリアビートル」読了

2022年07月15日 | 2022読書
伊坂幸太郎 「マリアビートル」読了

この本は2010年に発刊された本なのでもう12年前のものということになる。なぜ今更こんな本を読もうと思ったのかというと、9月に、この本を原作として「ブレット・トレイン」というタイトルでハリウッド映画が上映されると知ったからだ。主演はブラッド・ピットだ。

さっそく借りようと図書館の蔵書を検索してみたら、書架ではなく、書庫に戻されている本にも関わらず貸し出し中になっていた。さすがに話題になる本は古くてもすぐに貸し出されてしまうらしい。ちなみに、僕の後にも予約を入れている人がいる。

借りてきた本は昔から相当な貸し出し回数があったようで、綴じの部分は歪んでいるし、ページによっては飲み物の汁が飛び散っているところもある。古本屋なら間違いなく100円均一のワゴンに放り込まれてしまうほど傷んでいる。当時からかなり人気がある小説だったのだろう。



ストーリーはというと、東北新幹線「はやて」が舞台となり、その中に偶然というか、必然というか、裏稼業の人たちが一緒に乗り込んだことから物語は動き出す。東京から森岡まで、2時間半のストーリーだ。

登場人物はざっとこんな感じだ。
七尾・・運の悪い殺し屋。真莉亜の指示で、あるスーツケースを奪うために乗車
麻莉亜・・七尾の仕事の仲介者
木村・・元裏稼業。腕はあまりよくない。息子が王子に大怪我をさせられ意識不明となる。その復讐のために乗車
王子・・生意気な中学生。どんな人でも恐怖と猜疑心を使って操れると考えている。自尊心を傷つけられた犯罪組織の親玉に復讐すべく乗車。自分では手を下せないので木村の息子の命を人質に取り、木村を操って成し遂げようと考えている。
槿(あさがお)・・押し屋。交差点や駅のホームでターゲットの背中を押すことで殺してしまう稼業。
「いい知らせと悪い知らせ」が口癖の男・・仕事の仲介業者。元裏稼業。
峰岸・・犯罪組織の親玉
檸檬と蜜柑・・峰岸からの依頼で拉致された峰岸の息子を助け出し、準備した身代金と共に峰岸の元に送り届けるために乗車。
スズメバチ・・峰岸を狙っている殺し屋。毒針で人を殺す。
狼・・かつてスズメバチに恩義を感じていた人物を殺され、復讐のために乗車。

ここまで書いてしまうとなんだかストーリーが読めてしまう雰囲気もあるが許していただきたい。
もちろん、最後のどんでん返しはやっぱり書かないでおこうと思うが、こういった一癖も二癖もありそうな登場人物が峰岸とスーツケースを巡ってやり取りをする物語なのである。七尾の不運が物語をどんどんややこしくしてゆく。一体誰が生き残れるのかというのも読みどころである。
もう、絶対にこんな偶然は起こりえないと思いながらも、次の展開はどうなっていくのだろうかと先を読まずにはいられないのである。
タランティーノやブルース・ウィリスの映画のように、登場人物たちの会話と行動がパズルのピースのように組み合わされ、伏線もいたる所に貼り廻られていてそれが最後に一気に回収されるという、きっと、アメリカ人はこういうストーリーが大好きなのだろうなと思えるような感じだった。

伊坂幸太郎の作品は10年以上前に1冊だけ読んでいた。まったく内容は忘れてしまったが、同じようなスピードと偶然のような必然が折り重なったようなストーリーだったのだと思う。売れる本は違う。


こいうったエンターテインメント性の高い作品に何かメッセージが込められているとは思わないが、王子の言葉や考え方は人を食っているというか、逃げられない監禁被害者の心理をよく描写している。学習性無力感というらしいが、尼崎の監禁事件というのはこの本が発行された後で起こったのだと思うが、まったくその予言のような内容だった。
そして、大人たちを試すように、「どうして人を殺してはいけないのか。」という質問を浴びせかける。各裏稼業の人たちも自分なりの答えを出すのだが、取って付けたように登場する塾の講師がこんな答えをする。『殺人をしたら、国家が困るんだよ。例えば、自分は明日、誰かに殺されるかもしれない、となったら、人間は経済活動に従事できない。そもそも、所有権を保護しなくては経済は成り立たないんだ。そうだろう?自分で買ったものが自分の物と保護されないんだったら、誰もお金を使わない。そもそも、お金だって、自分の物とは言えなくなってしまう。そして、『命』は自分の所有しているもっとも重要な物だ。』
著者は、ドストエフスキーに対して何か答えを提示したかったのだろうか。
それはわからないが、こういった問答さえもストーリーのギミックとして使われているのだから本当に巧妙な組み立てになっている。

どんな映画ができ上がるのかものすごく楽しみである。
しかし、木村の父親役が真田広之というのはどうもピンとこない。柄本明やダンカンのほうがぴったりくるように思う。
物語の締めにはこの父親が大きく関わってくるのでこの人の演技も見どころである。

タイトルの由来であるが、主役級ではない槿がテントウムシを眺めながら思ったことからきている。
テントウムシは英語ではレディバグ、レディビートルと呼ばれている。この“レディ”というのはマリア様のことを指す。マリア様の七つの悲しみを背負って飛んでいくのでレディビートルというのである。
テントウムシはこれより上に行けない、というところまで行くと、覚悟を決めるためなのか、動きを止めて一呼吸を空けた後、赤い外殻をパカリと開き、伸ばした翅を羽ばたかせて飛んでいく。見ているものは、その黒い斑点ほどの小ささであるが、自分の悲しみをその虫が持ち去ってくれた、と思うことができる。そして、それを思うと、自分の仕事は正反対だと感じるのである。
主役と思われる七尾はそこから名付けられ、相棒の真莉亜と合わせてタイトルと同じになるのであろうが、テントウムシとこの小説のストーリーにはどんな関連がるのかというのは僕にはわからなかった。しかしこれも、もっと深いところの伏線であったりするのだろうか・・。


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