イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「世界を変えた100のシンボル 上」読了

2022年11月17日 | 2022読書
コリン・ソルター /著 甲斐理恵子/訳 「世界を変えた100のシンボル 上」読了

この本のカバーの裏にはこんな言葉が書かれている。
『このマークはなぜこういう形なのか、どのように生まれたのか?よく知られた記号、サイン、シンボルを整理し、それらの起源や作られた経緯などを詳しく見てゆく。
アイデアの源泉となるヴィジュアル・レファレンス。』
たしかに世の中にはマークやシンボルというものがあふれているように思う。マークというと、道を走ると交通標識、駅にいくとピクトグラム、パソコンの画面にもいっぱい出てくる。文字で書けよ!!とも思うが、こういった記号のおかけで、貿易や海外旅行を阻んでいた地形や言語の壁はなくなったとこの本には書かれている。確かにコツさえわかれば言葉はわからなくても記号ならここには何があるとか、ここでは何をしなければならないかということがわかることもある。
また、「シンボル」でいうと、それを使う目的というのは、物事の解説、方向の指示、特徴の説明、そして明確な警告を混乱なく伝えることである。シンボルの解釈を間違えたら、命を落とすことにもなりかねず、自分たちがどんな場所や集団に属しているか、どこへ行こうとしているか、そこに到着したら何をすべきか、もしくはしてはいけないかを知る手がかりなのである。

ヒトというのは、唯一、実体のない虚構の存在を信じることができる生物だそうだ。そうすることで集団を維持、発展させてきたという。太古からは神話、貨幣、国家というようなものが信じられ、その延長線上にシンボルというものがあるのであろうと思った。
様々なシンボルが人を束ね、人を区別してきた。

上巻のこの本には100のシンボルのうち半分の50が取り上げられている。
印象に残ったもののひとつは十字だ。十字といって思い浮かぶのはキリスト教のシンボルとスイスの国旗であるが、この十字というマークはキリストが生まれるはるか前かヒトが使っていたスンボルダそうだ。確かに簡単に描けるというとこの上ないほど簡単に描ける。
だから文字というものを知らなかったころの人類もお手軽に描けたのだろう。
それはエジプト時代のアンク十字という象形文字から始まる。



なんとも十字には見えないがこれも十字だそうだ。ファラオに与えられた魔よけの意味があったらしい。
本家と思われる、キリスト教が十字をシンボルとしたのは紀元4世紀ごろというのだからキリストが磔にされてから相当後のことだったらしい。主とあがめる人が処刑されたものをシンボルとするというのには当初、抵抗があったという。
そのほか、十字のバリエーションにはロレーヌ十字という横に2本線が入った十字や8個の頂点をもつマルタ十字というものもある。

 

これはどう見ても十字とは言えなさそうだが、やはり起源は簡単な十字のマークだそうだ。
これらもすべてキリスト教が起源になっている。特にそれぞれの時代の十字軍やキリスト教系の騎士団がシンボルとした。

そして、もうひとつの十字というと赤十字だが、これはもともと永世中立国であるスイスの国旗からヒントを得て赤と白を逆転させて考案されたものらしいが、これはきっとキリスト教の思想が含まれているというのでイスラム国家からは不満が出て、今では赤十字と赤い三日月(赤新月)がセットで描かれたシンボルを使うこともあるそうだ。



こんなことは初めて知った。ここにも分断と結束の狭間が見え隠れしている感じだ。

また、最近よく見る、Bluetoothの記号だが、これは「ルーン文字」という、聞いたこともない北欧の文字が起源だそうだ。この文字はナイフや斧で木、石、金属に彫られてきたものらしいが、短い直線が彫りやすかったのと、木目に沿って横線を彫ると木が割れやすくなるのでそれがないという特徴がある。確かにBluetoothの記号には横線がない。



くだんのマークは、デンマーク王であった、ハラルド・ブルートゥースの頭文字を組み合わせたものらしい。なんでそれがデバイスの接続のシンボルになったのかというのは、この人がデンマークを統一したというところから来ているらしいが、別にデンマークでなくてもよかったのではないかと・・。
ちなみに僕のパソコンのBluetooth機能は突然ダウンし、それ以来このマークは僕のシンボルから脱落してしまった・・。。

「プリムソル・ライン」というのも面白い。



これがシンボルといえるのかどうかはわからないが、大型船には貨物を乗せた時に喫水の限界を示すラインが引かれているらしい。今まで撮りためた画像では確認できなかったが、舷側にこんなマークが書かれているということだ。
無茶苦茶な積載で船の運航の危険がないように監視するためにかかれているのだが、これはプリムソルという人物の必死の努力によって乗務員たちの安全を守った証だそうだ。
この画像を探している最中に、こんなマークを見つけた。



これは、「この船はバウバルバス構造になっている。」というマークだそうで、これも接近する小型船に対する衝突防止のためのマークだそうだ。何気なく見ているマークにもすべて意味があるということなのである。

だから、そういった意味のあるシンボルやマークがないとリアリティに欠けるというのがスターウォーズを観ているとなんだかよくわかる。スターウォーズという映画は、世界中の神話や歴史の故事を研究してストーリーが創られたというが、帝国側にも反乱軍側にもそれぞれの属性を示すシンボルというものが見当たらない。唯一垣間見えるシンボルもなんだかよくわからなくて、少なくとも地球上の歴史の中で感じられる宗教やイデオロギーとはまったくの無関係のように見える。



確かに、これを何かを連想させるようなデザインにしてしまうと世界のどこかでは映画を売ることができないという事態になってしまうのだろうが、それがかえってリアリティを失くし、ファンタジーになってしまっている。ここにも分断と結束の狭間が見え隠れしている感じだ。

それほどまでにシンボルというものは必要不可欠であると同時に恐ろしくもある。
日本人も家紋というものに縛られてきた。お家のために生きるというのがお上になんでも従うという国民性を作ってしまった。
下巻ではそういったものもとり挙げられているのだろうか。

小さい頃から、こういった「シンボル」の元に集うというのが苦手だった。制服しかり、草野球でもおそろいの帽子を被るのが嫌で仕方がなく、就職してから職場で無理やり作らされたユニフォームにも辟易していた。どうも集団に属するということに窮屈感を感じるのだ。かといって自分で何もかも完結できるほどの能力も心の太さもない。そうなってくると僕は人間としての基本的な本能に欠けていると思えてくるのである・・。
やはり仲間は欲しいしその仲間は頼りになるし僕も頼りにされたい。SNSの仲間たちとともに海上でお互い識別できるようにフラッグとステッカーを作ったが僕はほとんど掲示をすることはない。



これに限っては集団に属するのが嫌なのではなく、それを掲示することによって、帝国軍に自分を識別されてしまうことが恐ろしいからなのである。心の中にはシンボルを持っているのである・・。
だからこれでも若い頃に比べると少しは人間としての本能を回復しつつあるのではないかと思っているのである。
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