ブルーノ・ラトゥール/著、川村久美子/訳 「私たちはどこにいるのか:惑星地球のロックダウンを知るためのレッスン」読了
だめだ・・、僕の中のスキーマも文脈もまったく歯が立たない・・。
確かに、タイトルを見て一体何が書かれているのかということがわかるようでわからない。
パンデミックを経験した人類に価値観の変化はあったのか。とか、生きる目的を見直す啓蒙か、それともSDG‘sのような持続可能な世界を実現できるのか、そして人間はどうしたら生き延びられるのかというようなものを想像しながら読み始めたのだが、この本のテーマは、
『惑星地球それ自体がロックダウン状態にあり、(すべての生き物は地表数キロの薄膜=地球生命圏の内側にいわば「幽閉」された状態でしか生きられない)、人類はこの永遠のロックダウン(地球最古の生命以来、すべての生き物はこの薄膜に「包み込まれた状態」を維持しながら生き延びてきた)を肯定し、あらゆる他者との相互生成を共に紡ぎ続けることによって初めてロックダウン状態から抜け出すことができる』というものだそうだ。
この時点で疑問符がいっぱい浮かび上がってくる。それに加えて、カフカの「変身」の主人公が虫に変身してしまって部屋の中に閉じ込められてしまうというストーリーを重ね合わせて展開されてゆくのだからよけいにわからない。「変身」自体が読んでいてもさっぱりわからないものだからわからないのももっともだ・・。
閉じ込められたのに自由になれる・・。う~ん、わからない・・。
読み進めるうちに、唯一僕のスキーマに引っ掛ってきたのは、この本は哲学の本ではないのかのいうことであった。途中で著者のプロフィールを読んでみると、フランス人で科学人類学者で哲学者であるということだった。これだけは当たっていた。哲学者が書いた本なのだからわからなくて当たり前だと納得した。
そして、最終章で著者はこう語っている。この本は『哲学的寓話スタイル』で書いたと・・。わからないのはもっともだ。さらに、各章の理解を深めるためにはこういう本や論文を読みなさいと見たことも聞いたこともないものが並んでいる。論文なんて読む機会もないし日本語じゃない原書なんてもちろん読めるはずもない。この本の中で著者はおそらく、哲学、科学、宗教、政治、社会という、この世のすべての知を統合して人類のたどるべき道を説いているのだろうからそれにふさわしい知識を持っていなければ読めないということだ。
本編を読んでみてもまったく意味がわからなかったので、訳者のあとがきに期待をしていた。
そのあとがきでは、著者のラトゥールは、『今回のロックダウンは人類に重大な教訓を残したと見ている。今回の経験は、私たちがより大きなロックダウンの只中にいるという現実を思い起こさせてくれた。「閉じ込められた」という経験は実は、私たちにとって新奇なものではなく、私たちの常態を表している。「閉じ込められた」という事態、「そこから再び自由になること」がどのような意味を持つのかを今一度問い直す必要があるとしている。』と言っているのだと書いている。
人類はこの地球上で生きていくしか道はないのだから、『この同じ世界にこれまでと異なる居住方法で生きていけるかどうか』ということが問われているのだと言っているのである。
閉じられた空間ではそのまま生き続けることはできない。それを組み替え続けることが必要であるというのは、企業が現状維持では必ず倒産してしまうというのと同じことを言っているのだろう。コロナの前も最中もその後も生活に何の変化もなかった僕にはよくわからないのはもっともな内容であるのは間違いがないのである・・。
だめだ・・、僕の中のスキーマも文脈もまったく歯が立たない・・。
確かに、タイトルを見て一体何が書かれているのかということがわかるようでわからない。
パンデミックを経験した人類に価値観の変化はあったのか。とか、生きる目的を見直す啓蒙か、それともSDG‘sのような持続可能な世界を実現できるのか、そして人間はどうしたら生き延びられるのかというようなものを想像しながら読み始めたのだが、この本のテーマは、
『惑星地球それ自体がロックダウン状態にあり、(すべての生き物は地表数キロの薄膜=地球生命圏の内側にいわば「幽閉」された状態でしか生きられない)、人類はこの永遠のロックダウン(地球最古の生命以来、すべての生き物はこの薄膜に「包み込まれた状態」を維持しながら生き延びてきた)を肯定し、あらゆる他者との相互生成を共に紡ぎ続けることによって初めてロックダウン状態から抜け出すことができる』というものだそうだ。
この時点で疑問符がいっぱい浮かび上がってくる。それに加えて、カフカの「変身」の主人公が虫に変身してしまって部屋の中に閉じ込められてしまうというストーリーを重ね合わせて展開されてゆくのだからよけいにわからない。「変身」自体が読んでいてもさっぱりわからないものだからわからないのももっともだ・・。
閉じ込められたのに自由になれる・・。う~ん、わからない・・。
読み進めるうちに、唯一僕のスキーマに引っ掛ってきたのは、この本は哲学の本ではないのかのいうことであった。途中で著者のプロフィールを読んでみると、フランス人で科学人類学者で哲学者であるということだった。これだけは当たっていた。哲学者が書いた本なのだからわからなくて当たり前だと納得した。
そして、最終章で著者はこう語っている。この本は『哲学的寓話スタイル』で書いたと・・。わからないのはもっともだ。さらに、各章の理解を深めるためにはこういう本や論文を読みなさいと見たことも聞いたこともないものが並んでいる。論文なんて読む機会もないし日本語じゃない原書なんてもちろん読めるはずもない。この本の中で著者はおそらく、哲学、科学、宗教、政治、社会という、この世のすべての知を統合して人類のたどるべき道を説いているのだろうからそれにふさわしい知識を持っていなければ読めないということだ。
本編を読んでみてもまったく意味がわからなかったので、訳者のあとがきに期待をしていた。
そのあとがきでは、著者のラトゥールは、『今回のロックダウンは人類に重大な教訓を残したと見ている。今回の経験は、私たちがより大きなロックダウンの只中にいるという現実を思い起こさせてくれた。「閉じ込められた」という経験は実は、私たちにとって新奇なものではなく、私たちの常態を表している。「閉じ込められた」という事態、「そこから再び自由になること」がどのような意味を持つのかを今一度問い直す必要があるとしている。』と言っているのだと書いている。
人類はこの地球上で生きていくしか道はないのだから、『この同じ世界にこれまでと異なる居住方法で生きていけるかどうか』ということが問われているのだと言っているのである。
閉じられた空間ではそのまま生き続けることはできない。それを組み替え続けることが必要であるというのは、企業が現状維持では必ず倒産してしまうというのと同じことを言っているのだろう。コロナの前も最中もその後も生活に何の変化もなかった僕にはよくわからないのはもっともな内容であるのは間違いがないのである・・。
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