片岡義男 「珈琲が呼ぶ」読了
僕が飲むコーヒーといえば、1キロ1,000円の、アマゾンでもこれほど安い豆はないぞというくらいのチープなもので、喫茶店の椅子なんてここ数年座ったことがないのだが、片岡義男が飲むコーヒーとはどんなものだろうかという興味からこの本を手に取ってみた。
片岡義男というとかつて、「スローなブギにしてくれ」で一世を風靡した作家だ。多分あの頃、僕も角川文庫を読んだことがあったのではないだろうか。それとも、映画のテーマソングがあまりにもヒットしたので読んだ気になっているだけだろうか・・・。
内容はコーヒーそのものではなく、コーヒーが出てくる一場面、それはアメリカの映画であったり音楽であったりするのだが、当時の作家の思い出であったりその後数十年を経てあらためて思うことなどを書いている。アメリカの文化に造詣が深い作家なので取り上げられている映画や音楽については日本の歌謡曲と怪獣映画にしか興味がなかったぼくにはほとんど共感できるものがなかった。
そういえば、今年はDA PUMPの人気が復活してよかった。ずっと前から、SMAPよりも彼らの方が歌も踊りも数倍上手いと誰でも思っていたのだろうか。これにはDonald Trumpも貢献していたりして・・。
ただ、その詳細な記載内容には驚かされる。音楽ではそのレコードが録音された日時まで、映画ではこの本のテーマになっている、コーヒーが出てくるシーン。それはほとんどメインのストーリーには関係ないようなシーンにまで及ぶ。
多分片岡義男の小説も、これほどのディテールの裏打ちがあってその小説に厚みがでてきているのだろう。
なので、本書に関する感想を書きたくても元になっているネタのことがほとほとわからないので、代わりに
「もし、片岡義男がタチウオを釣ったら・・」という風に作文を作ってみた。
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それは2018年12月◇×日のことだった。私はタチウオを釣るために沖へ出た。タチウオの釣り方というものにはいくつかの方法がある。その中で、今回はテンヤ釣りを選んだ。英語で表現すると“TENNYA”。Nは英語の雰囲気が出るかもしれないとわざと重ねてみた。古い漫才師に、「てんやわんや」というコンビがいたけれども、その人たちと何か関係があるのかどうか、そしてこの釣りがいつ、どこから始まったのかということは判然としない。その意味をもう一度追うためにも私は再びネットの海原を模索しなければならない。
エサは冷凍にしたイワシをまるのまま1匹そのテンヤに括りつける。テンヤの大きさは約15センチ。重さは40号である。40号というのは現代の重さに換算すると170グラムとなる。
括りつけるためにつかうのは直径0.15ミリのステンレスの針金である。これは0.1ミリでも、0.3ミリでもいけない。0.15ミリでなければならないのである。そしてイワシはとあるスーパーで1パック100円のものを買い、冷凍前に塩を当てる。その分量がどれほどが適当なのか、いっそのこと生の方がよいのか、味の素を振りかけると集魚効果が増すのか私にはわからない。
イワシを括りつけられたテンヤを海底まで落とす。水深は約100メートル。そこへ2分ほどの時間をかけて下りてゆく。リールのカウンターの数値は110メートルを示している。すこし船が流されているようだ。
底に下りると少しずつリールを巻き上げながらタチウオのアタリを待つ。おや、あたりらしきものがあった。しかし外れた、。次にアタリがあったら僕は合わせを入れるよ。でもそれは無駄な行為だった。
相変わらず下手くそなものだ、と僕は思った。
括りつけてあったイワシは頭だけを残して跡形もなく消えてしまっていた。
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あ~。やっぱり出来が悪いや・・・。
僕が飲むコーヒーといえば、1キロ1,000円の、アマゾンでもこれほど安い豆はないぞというくらいのチープなもので、喫茶店の椅子なんてここ数年座ったことがないのだが、片岡義男が飲むコーヒーとはどんなものだろうかという興味からこの本を手に取ってみた。
片岡義男というとかつて、「スローなブギにしてくれ」で一世を風靡した作家だ。多分あの頃、僕も角川文庫を読んだことがあったのではないだろうか。それとも、映画のテーマソングがあまりにもヒットしたので読んだ気になっているだけだろうか・・・。
内容はコーヒーそのものではなく、コーヒーが出てくる一場面、それはアメリカの映画であったり音楽であったりするのだが、当時の作家の思い出であったりその後数十年を経てあらためて思うことなどを書いている。アメリカの文化に造詣が深い作家なので取り上げられている映画や音楽については日本の歌謡曲と怪獣映画にしか興味がなかったぼくにはほとんど共感できるものがなかった。
そういえば、今年はDA PUMPの人気が復活してよかった。ずっと前から、SMAPよりも彼らの方が歌も踊りも数倍上手いと誰でも思っていたのだろうか。これにはDonald Trumpも貢献していたりして・・。
ただ、その詳細な記載内容には驚かされる。音楽ではそのレコードが録音された日時まで、映画ではこの本のテーマになっている、コーヒーが出てくるシーン。それはほとんどメインのストーリーには関係ないようなシーンにまで及ぶ。
多分片岡義男の小説も、これほどのディテールの裏打ちがあってその小説に厚みがでてきているのだろう。
なので、本書に関する感想を書きたくても元になっているネタのことがほとほとわからないので、代わりに
「もし、片岡義男がタチウオを釣ったら・・」という風に作文を作ってみた。
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それは2018年12月◇×日のことだった。私はタチウオを釣るために沖へ出た。タチウオの釣り方というものにはいくつかの方法がある。その中で、今回はテンヤ釣りを選んだ。英語で表現すると“TENNYA”。Nは英語の雰囲気が出るかもしれないとわざと重ねてみた。古い漫才師に、「てんやわんや」というコンビがいたけれども、その人たちと何か関係があるのかどうか、そしてこの釣りがいつ、どこから始まったのかということは判然としない。その意味をもう一度追うためにも私は再びネットの海原を模索しなければならない。
エサは冷凍にしたイワシをまるのまま1匹そのテンヤに括りつける。テンヤの大きさは約15センチ。重さは40号である。40号というのは現代の重さに換算すると170グラムとなる。
括りつけるためにつかうのは直径0.15ミリのステンレスの針金である。これは0.1ミリでも、0.3ミリでもいけない。0.15ミリでなければならないのである。そしてイワシはとあるスーパーで1パック100円のものを買い、冷凍前に塩を当てる。その分量がどれほどが適当なのか、いっそのこと生の方がよいのか、味の素を振りかけると集魚効果が増すのか私にはわからない。
イワシを括りつけられたテンヤを海底まで落とす。水深は約100メートル。そこへ2分ほどの時間をかけて下りてゆく。リールのカウンターの数値は110メートルを示している。すこし船が流されているようだ。
底に下りると少しずつリールを巻き上げながらタチウオのアタリを待つ。おや、あたりらしきものがあった。しかし外れた、。次にアタリがあったら僕は合わせを入れるよ。でもそれは無駄な行為だった。
相変わらず下手くそなものだ、と僕は思った。
括りつけてあったイワシは頭だけを残して跡形もなく消えてしまっていた。
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あ~。やっぱり出来が悪いや・・・。
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