千葉雅也 「現代思想入門」読了
以前に読んだ、「センスの哲学」の著者である。
「現代思想入門」のほうが先に出版された本であり、著者の専門分野らしい。
この本に書かれている、「現代思想」とは「脱構築」という考えである。哲学の思想の歴史では「構造主義」の次に出てくる思想である。
著者は、ジャック・デリタ、ジル・ドゥルーズ、ミシェル・フーコーの3名の哲学者をその代表として登場させている。この3人の哲学者の著作や考え方を統合すると現代を生きる人たちの思想の原点と言えるものが見えてくるというのである。
しかし、哲学を知るにはその部分だけを読んでもダメで、その流れというか、歴史を知らなければならない。だから、結局、この本を読んでみてもリンクに書いている感想文のところまでしか理解ができない。
要は、何冊読んでも頭の中には何も残らないので知識の蓄積ができていないのである・・。
この本の位置付けとしては入門書のためのさらに入門書ということだそうだ。初歩の初歩ということになるがそれでも1回読んだだけではよくわからない。
著者は最後に現代思想の読み方として哲学書の攻略法というものを書いてくれている。
それによると、哲学の本というのは1回読んだだけではわからないものだという。たしかにその通りだと思うが、だから、1冊の本を何度も読み返したり、同じような本を何冊も読み継ぐということが必要となる。理解の薄皮を1枚ずつ重ねていくと、その途中で、突然それがわかるときがくるらしい。
だから、僕のような本の読み方をしているかぎり哲学を理解することはできないということだ・・。
そもそも、哲学書というのはわざとわかりにくく書いているという。難解だということが著者のステイタスでもあるというのである。そのわかりにくさの元になっているのが「レトリック」と「カマし」だそうだ。本題とは関係のないところで複雑な言い回しを使うことでわかりにくくなった文章をかいくぐっていくと著者が言いたいことが浮かび上がってくるというのだ。
本題の、「脱構築」というのを簡単にいうと古くからある二項対立的な思考を壊して多様性を生み出そうという思考だ。1960年代から90年代に生まれた思想であるが、それは今の時代を予測していたかのようである。いや、予測していたというのではなく、様々な分野で人の生き方の多様性を引っぱってきた人たちはこういう思想をよすがにして新たな世界を切り開いてきたのだというほうが当たっているのかもしれない。
二項対立の成立は、キリストとアウグスティヌスが人民に罪の意識を植え付けたことから始まったという。それ以来、2000年の時を経て人の心が変わっていく時代をわれわれは今生きているということになる。
しかし、日本の政治はある意味、野党の躍進によって多様性に舵を切ったかに見えるが、自由や多様性の象徴であるはずのアメリカはどうもそうでもなさそうである。
二項対立の果てというのは勝者と敗者、もしくは支配者と被支配者が明確に分かれるマッドマックスのような終末世界を想像してしまうが、かといって、多様性の世界というのは泥のような混沌としたなかで何も生まれてこない世界にも見えてしまう。
人は自由を求めることを忘れない。しかし、人は自由よりも支配された方が生きやすいともいう。しかし、そうなってくると、今回のアメリカ大統領選挙の結果というのは、早くも脱構築から、別の新たなフェーズに入ってきたことを表しているのかもしれない。
以前に読んだ、「センスの哲学」の著者である。
「現代思想入門」のほうが先に出版された本であり、著者の専門分野らしい。
この本に書かれている、「現代思想」とは「脱構築」という考えである。哲学の思想の歴史では「構造主義」の次に出てくる思想である。
著者は、ジャック・デリタ、ジル・ドゥルーズ、ミシェル・フーコーの3名の哲学者をその代表として登場させている。この3人の哲学者の著作や考え方を統合すると現代を生きる人たちの思想の原点と言えるものが見えてくるというのである。
しかし、哲学を知るにはその部分だけを読んでもダメで、その流れというか、歴史を知らなければならない。だから、結局、この本を読んでみてもリンクに書いている感想文のところまでしか理解ができない。
要は、何冊読んでも頭の中には何も残らないので知識の蓄積ができていないのである・・。
この本の位置付けとしては入門書のためのさらに入門書ということだそうだ。初歩の初歩ということになるがそれでも1回読んだだけではよくわからない。
著者は最後に現代思想の読み方として哲学書の攻略法というものを書いてくれている。
それによると、哲学の本というのは1回読んだだけではわからないものだという。たしかにその通りだと思うが、だから、1冊の本を何度も読み返したり、同じような本を何冊も読み継ぐということが必要となる。理解の薄皮を1枚ずつ重ねていくと、その途中で、突然それがわかるときがくるらしい。
だから、僕のような本の読み方をしているかぎり哲学を理解することはできないということだ・・。
そもそも、哲学書というのはわざとわかりにくく書いているという。難解だということが著者のステイタスでもあるというのである。そのわかりにくさの元になっているのが「レトリック」と「カマし」だそうだ。本題とは関係のないところで複雑な言い回しを使うことでわかりにくくなった文章をかいくぐっていくと著者が言いたいことが浮かび上がってくるというのだ。
本題の、「脱構築」というのを簡単にいうと古くからある二項対立的な思考を壊して多様性を生み出そうという思考だ。1960年代から90年代に生まれた思想であるが、それは今の時代を予測していたかのようである。いや、予測していたというのではなく、様々な分野で人の生き方の多様性を引っぱってきた人たちはこういう思想をよすがにして新たな世界を切り開いてきたのだというほうが当たっているのかもしれない。
二項対立の成立は、キリストとアウグスティヌスが人民に罪の意識を植え付けたことから始まったという。それ以来、2000年の時を経て人の心が変わっていく時代をわれわれは今生きているということになる。
しかし、日本の政治はある意味、野党の躍進によって多様性に舵を切ったかに見えるが、自由や多様性の象徴であるはずのアメリカはどうもそうでもなさそうである。
二項対立の果てというのは勝者と敗者、もしくは支配者と被支配者が明確に分かれるマッドマックスのような終末世界を想像してしまうが、かといって、多様性の世界というのは泥のような混沌としたなかで何も生まれてこない世界にも見えてしまう。
人は自由を求めることを忘れない。しかし、人は自由よりも支配された方が生きやすいともいう。しかし、そうなってくると、今回のアメリカ大統領選挙の結果というのは、早くも脱構築から、別の新たなフェーズに入ってきたことを表しているのかもしれない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます