イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

紀ノ川河口釣行

2018年08月05日 | 2018釣り
場所:紀ノ川河口
条件:小潮 6:14干潮
釣果:ボウズ

もうすでに崩れ去った僕の法則だが、8月1日から15日までは必ずスズキが釣れる。(と言いながらもう5年くらいはまともに釣れていない・・)前の読書記録で僕にはスポーツフィッシングは似合わないと書いたけれども、スズキ釣りだけは特別だ。スズキがルアーにアタックしてくる瞬間は刺激的だ。

今日は気合を入れて午前4時に出港だ。日の出は午前5時12分。明るくなるまでにそこそこの時間ルアーを投げられる。前回はヤジを飛ばされたので今日はいつものポイントからスタート。
暗いうちは魚の反応がなかったが、太陽が昇ったころから魚の気配が現れてきた。



トップウオーターにアタックしてきたり、リップレスミノーの後ろでヒラを打ったりしている。しかしフッキングには至らない。そして何投目かのリップレスミノーにヒット。ちょっと型がよさそうだ。ラインがどんどん引き出されてゆく。少しドラグを締めたのが悪かったか、残念ながらバラしてしまった。その後はアタリがなく午前6時でタコ釣りに切り替え。もうすぐ満ち潮に変わるので流れが緩やかになるのを期待したけれどもなかなか緩くならない。ここを諦めて青岸堤防の内側、男島の北側と移動してみたがアタリはなく、午前8時に終了。


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「闇の奥」読了

2018年08月04日 | 2018読書
辻原登 「闇の奥」読了

この小説は、戦後まもなくボルネオで消息を絶った昆虫学者で民族学者でもある三上隆の消息を求めて主人公が現実とも幻想ともわからない世界を旅する物語である。

物語の始まりは熊野に伝わる小人族伝説である。キリシマミドリシジミという蝶を求めて山奥深く分け入った高校生の三上隆は友人ふたりとともに大塔山系の山中で小さな岩穴の奥に小人=矮人の姿を見つける。
成人した三上は同じ矮人族伝説が残っているボルネオに向かい消息を絶つ。
その後、三上の友人であった彼の行方を求めて何度かの捜索隊をボルネオに向けて編成するが、まだ生きているのか、すでに死亡しているのかそれさえもわからなかった。
しかし、その友人のひとり村上三六の息子のが三六宛に届いていた隆の友人からの手紙をもとに再度三上の捜索に向かう・・・。

というようなあらすじである。
小説全般を通して、フィクションなのか、ノンフィクションなのかそれさえも解らないようなしつらえで物語は進む。それは三上と大塔山系に分け入った友人の一人は丸正百貨店地階の果物店の店主であり、毒入りカレー事件の巻き添えを食って死亡する。というような現実の世界のエピソードが時折挟み込まれていたり、「空白の5マイル」で描かれた、実在するツァンポー渓谷への道のりが詳しく書き込まれていたりする。
僕はおもわず、三上隆という人物が実在の学者なのだろうかとグーグルで調べてしまった。

そして物語は熊野、ボルネオ、チベットを時空を超えて進んでゆく。著者は印南町の出身。おそらく、三上隆のモチーフは南方熊楠であるように思う。熊楠がイギリス、北米、南米を渡り歩き、そして熊野の地に戻ってきたように、三上もまた熊野からボルネオ、チベットとその足跡を残してゆく。
そういう風に物語を読んでゆくと、この小説は、人と自然のつながりとは何なのか、そういうものを考えさせられるようにできているのではないかと思い始めてくる。
作家は主人公をいつしか“息子”という言葉で著すようになっていく。それは特定の個人の息子ということではなく、あたかも大地の息子というような意味合いを持たせているように感じる。
ありきたりの結論ではあるのだろうが、人は自然とのつながり、そして過去、現在、未来のつながりの中で生きてゆかなければならないと説いているように思う。

そしてその核ともいえる場所がこの熊野の地ではないのかと思えるのである。かの地を訪れるひとはすべてそんな感覚を覚えるのだろうが、自分も目に見えない何かとつながっているのではないか、そして何ものかと一体になることができるのではないかと・・。
フィクションの物語をあたかも現実のように感じさせるのは作家の力なのか、それとも熊野の力なのだろうか。
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初島沖釣行

2018年08月01日 | 2018釣り
場所:初島沖
条件:中潮 8:27満潮
釣果:ホウボウ 2匹 カスゴ 2匹 マルアジ 14匹 小鯖 3匹

今日もヨタ話からスタートだ。

1週間ほど前、突然、メールで屋上のお稲荷さんでお祓いをするから集合するようにとの指示が出ていた。初午でもないのになんで?と訝しくも命令なので猛暑の中参加した。



あとからどうしてお祓いなんかやったのかというのを聞いたら、最近、停電になったり、火災報知器が鳴ったり、エスカレーターのチャンバーの中の化粧石が落ちてきたりと不吉なことが起っているからこれは何かの祟りかもしれないということでお祓いをしたというのだ。
この文明社会で効率優先の企業行動の中にこんな古風なことをやるとは思わなかった。しかし、一体誰がお祓いをしようと言い出したのか。僕なんか会社でそんな不吉なことが起ってもここは会社だからと他人事で済ましてしまう。会社のことを我が事のように思える人がやっぱり出世するのだろうなと感心した。

しかし、聞くところによると、去年も8階の倉庫に出るからというのでお祓いをやったそうだ。僕の職場は魑魅魍魎幽霊お化けいろいろいるようだ。まあ、考えてみると、ここは大阪城と茶臼山のちょうど中間地点、大阪冬の陣と夏の陣の戦場の真っ只中だ。無念の内に死んでいった侍は数知れず、そりゃぁ出てもおかしくはないわな。二駅先には大化の改新の時、中大兄皇子に裏切られた孝徳天皇が悶死した難波の宮もあるのだ。そう見ると、日本の歴史の最初から最後まで呪われた地であるともいえるのだ。


そして翌日、約2週間ぶりの翠勝丸での出撃だ。
今回も前回同様たくさんの道具立てで出港した。

夜明けはだんだん遅くなって午前5時台になっている。しかし、もたもたしていたので出港したときはかなり明るくなってしまっており、初島到着の前に太陽が昇ってきてしまった。



この時間は潮は下りだが、すぐに上りに転じる。それを見越して初島の西側からスタート。イワシの群れの出現を期待するがまったく現れない。とりあえずタイラバからスタート。
これはすぐにアタリがあった。しかしあまりにも小さすぎるチャリコ。これはリリース。その後は大磯の前から沖ノ島の西側を行ったりきたりするが時たまくるアタリも鉤には乗らない。まだ潮が動き始めていないからなのだろうか。
そして大きなアタリは午前8時を回った頃。カスゴが当たり、その後はホウボウ。これはいい物が来た。前回釣ったやつを少し薄い目で引いて造りにするとかなりいける味だった。
その後カスゴ、再びホウボウ。これはかなり大きなサイズであった。

この時すでに午前8時半。今日も暑くなってきた。もう少しおかずがほしいので沈船エリアに向かってチョクリをすることにした。前回と同じパターンで食ってくれればうれしかったのだが、掛かってくるサバは小さなサイズばかりだ。しかし一瞬、そのサバを追ってきたか、シイラの姿が見えた。これは今年の必殺仕掛け、たたき釣りの出番だ。思い切り仕掛けを遠くに投げてリトリーブしてくると本当にアタリがあった。おお、やっぱり釣れるのだ。しかし、上がってきたのはチョクリと同じサイズの小鯖であった。でも、釣れたことには変わりはない。次につなげることができた。



ただ、このサイズでは釣っても仕方がない。今日はホウボウがあるのでよしとして帰途についた。
その道中、水深40メートル付近を通過したとき、魚探に反応があるのを見てしまった。これはおかずの追加になるかもしれないとガイドに道糸を通しなおして仕掛けを投入するとすぐにアタリが出た。生け簀を開くのが面倒なので魚を締めながら釣りを続けると40分ほどで2軒分のおかずを確保できた。
しかしここで時間をロスして港に帰り着いたのが午前10時半を回っていた。もう暑くて暑くて仕方がない。快川和尚のように火もまた涼しくは感じない。本当の修行のような有様だ。


一文字の切れ目を通過したとき、船尾でけたたましい音が鳴った。うわぁ・・。また流木を引っ掛けてしまったかと焦ってしまったが犯人はボラであった。こんな大きなボラが水軒の海にいるんだね~。すぐにお帰り願ったが、お騒がせなボラだ。



これも夏らしい出来事だ。



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