イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「最澄と空海」読了

2020年08月13日 | 2020読書
梅原猛 「最澄と空海」読了

梅原猛先生の、最澄と空海について、その思想や生き方を比較して書かれたものだ。
どこかで講義をした内容を文章に起こしたというような構成で、以前に読んだ、「最澄瞑想」という本と相当かぶっている感じがした。
最澄と空海の違いをひとことで言うと・・。それはきっと一言では言えないのかもしれないが、それでも一言で言うと、最澄は様々な知恵を取り込んでひとつにまとめ上げてゆくタイプで空海は自分の才能を信じてその能力にすべてを託して走り抜けるというタイプだろうか。
最澄はその知恵を次の代に様々な形で花開かせた。四宗兼学といって天台、密教、禅、律の勉強をする場所として延暦寺を作った。そこから法然や親鸞、道元ほかにもたくさんの弟子が新しい教団を作った。対して空海はひとつの教えを自分の代で極限にまで高めた。それが空海にとって究極の完成形であったから真言宗からは宗派の分離はあったけれどもまったく新しい教団は生まれていない。
また、空海が最澄に送った手紙の中には、「天台の教えは利他にとらわれて本当の喜びを得られないが、密教の教えは自利の教えでありもっと高い喜びの思想である。」と語っているのに対して、最澄の文章には、「たえず他人のためにしようとしてそれができない悲しみ」があふれているという。ここにも自信家の空海と、学んでも学んでも満たされることのない最澄の謙虚さという対比がある。
最澄は自分の思想が完成できない中でも衆生の救済をしていかねばならないと考えていたが、空海は、まず自分が完全体とならなければ衆生を救えないと考えた。それが自利の教えであるということになり、即身成仏という考えはそういうところから出てくるのだろうけれども、ここにも空海の自信というか、確信というものがうかがえる。
「衣食足りて礼節を知る」ということわざのとおり、まずは自分が足りていないと人のことを考える余裕がないだろうという考えのほうが人間的だと思うのは僕が薄情すぎるからなのだろうか・・。

どちらがどうとかいうことはないけれども、それぞれの教団を会社組織とたとえて、どっちが上司ならいいだろうかと考えると、最澄のほうが優しそうだなどと思ったりする。
わが社のボスはどっちのタイプだろうか。いつも自分は偉大な人間だと言いふらししていて、他人をバカにしていたから、最澄も空海も飛び越えて、「天上天下唯我独尊」と言ったお釈迦さまか大日如来だったりするのだろうか・・。それではお釈迦様と大日如来に失礼か・・。

しかし、優しそうな最澄も、山家学生式の中で、これは、比叡山での僧侶の育成を規定し、比叡山自身に戒壇を設けたいことを嵯峨天皇に奏上した文書なのだが、その一部に、人の質について書かれた部分がある。
よくいい、よく行うことができる人、は国の宝である。(「いい」とは学識があるということ。「行う」とは行動力がある人のことである。)“国の宝”というのはまあ、自分のことを指しているらしい。
そして、よくいってよく行うことができない人は国の師すなわち学者になればよい。よくいうことができないがよく行うことができる人は国の用になる。すなわち実際人(政治家や実業家)になればよいと書いている。しかし、よくいうこともよくおこなうこともできない人はどうすればよいのか、それは書かれていない。そんな人は救われないということだろうか・・。
これでは僕みたいな人間は使い物にならないからすぐにリストラをされてしまうということだったりするのだろうな。
これはこれで手厳しい。
空海は空海で、自分があまりにもできすぎるからまったく仕事ができない人間の哀しみなどというものに同情してくれそうにない。
どちらにしても天才のもとに仕えるのは大変なようだ。凡人は地べたを這いつくばって生きるしかない・・。

即身成仏というと、最近よく聞く、“3密”というのは密教の用語だそうだ。その3つとは、身密,口密,意密(肉体、言葉、意識)といい、人間の生命を構成するものと定義されている。誰でも持っているその三密は大日如来とつながっており、そのつながりを認識することで即身成仏、すなわち、生きながらにして仏になることができるというのが密教の基本的考えだ。身、口、意には大日如来と一体になれる秘密が隠されている。だから三密なのだ。
それを誰がコロナ対策に転用したのかしらないが、お大師様も困っているに違いない。
そして、普通の仏教(顕教)では、その身、口、意は欲望の元であるからそれらから逃れるために諦観という境地になるまで修行をしなければならないとしているのだが、密教の考えは、その、“逃れたい”と思う心自体が欲望であるのだからそれさえも超越した、“空”の心が必要でそれを得るためにはすべての欲望を肯定するべきだということになる。
まったく斬新すぎる考えに恐れ入ってしまう。そしてそれが発展してくると、親鸞の肉食妻帯もかまわないということになるらしい。

話は全く変わるが高野山では、今年の10月16日からいろいろな場所の拝観料が値上げされるらしい。
霊宝館は600円が一気に1300円になるらしい。金剛峯寺も1000円になる。駐車場の有料化は回避されたようだが、この値上げはきつい。奈良や京都の施設の料金と比較した結果ということだが、もう、生涯霊宝館には行けなくなってしまう。
金剛峯寺では投資ファンドにお金をつぎ込んで失敗したというようなニュースがあったし、高野町もふるさと納税で派手にやりすぎて対象から外されていた。みんなそこまであくせくしてお金儲けをしなくてもいいだろう。空海は京都の廃頽した仏教から距離を置くために高野山にこもったのではなかったのか。その廃頽した世界をまねる必要はなかろうと思うのだ。いくら欲望を全開にしてもいいからという教えでも聖地にお金の臭いは似合わないのだ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

貧すれば鈍する・・。

2020年08月10日 | Weblog

今日は久々に和歌山にやってくる友人と釣りに行く予定であった。そのうちのおひとりはイラストが得意で、安直に「僕の船も描いてくださいよ。」とお願いしてしまったら、本当に描いてくれた。それを届けてくれるというのでそれならいっそ、釣りにも行きましょうよということになったのだ。

夜明け前にタチウオを釣ってみてそれからキスを釣りに行きましょうという計画であったが、今日の予報は南風が強く吹くとなっていて、とりあえずタチウオだけでもということになっていた。

集合時刻は午前4時半。彼らは奈良県内に住んでいるので午前2時の出発になるそうだ。時間通りに集合して、さあ、出発だとギアをリバースに入れたらエンストを起こした。あれ、また舳先のロープをひっかけたかと思ったがどうもおかしい。もう一度エンジンをかけてリバースに入れるとまたエンスト。嫌な予感がした・・。その予感は的中していて、隣のフライングダッチマン号の錨のロープを巻き込んでしまった。
以前からそのロープは浮き気味になっていて、特に南風が吹いているときには僕の船の真下を横切るようなかたちになる。いつも気にしながら、船尾を少し沖に出してからギアを入れるようにしていた。
今日は南風が強かったので船尾を沖に出すとすぐに流されてしまうと思い、代わりに間隔を取るためにフライングダッチマン号の船尾を押してからギアを入れたのだがそれでも流され度合いが強かったようだ。この港ではこういうことが起こらないようにロープに錘をつけて沈めておくものなのだが、以前からこのブログで何度も書いている通り、この船のオーナーはまったく放置状態なのだ。ご奇特なふたつ先に係留している船のオーナーさんがときたま面倒を見てくれているようだが、そこまでは気が回らないようでロープは浮いた状態のままだった。

まったくの不覚だった。なんとかロープをほどこうとのぞき窓からボートフックを差し込んでみるがまったくどうにもならない。スクリューの端を押してもシャフトが回らない。友人には申し訳ないが今日は船を出せませんと説明してどこか陸っぱりで釣りをできるところを探してくださいとお願いしてお帰りいただいた。

少し明るくなってきたのでもう一度トライしてみるが状況は変わらず、まったくお手上げだ。
これはもう、最後の手段しかない。家に帰って海水パンツにはき替え、水中メガネとシュノーケルを持って港へ舞い戻った。去年の夏から水質がよくなってきたとはいえ、決してきれいとは言えない海水の中に飛び込んでロープをまさぐってみた。2周くらいは順調にほどけたが、そのあとは締まり具合が硬くて動かなくなってしまった。もっと深く潜って間近で確かめてみると、ロープがシャフトとブラケットの間に食い込んでしまっていた。これは難儀だ。
シャフトとスクリューを足場にして踏ん張って引っ張るが、抜けたのはわずかに10センチほどだ。仕方がない。これは端のほうからロープをしっかり握ってほどいたほうがよかろうとダッチマン号のデッキによじ登ろうとするのだが、船って一度落ちてしまうと意外と這い上がれない。もちろん僕の船の方が大きいのでそっちにも登れない。そんなパニック映画があるというのが紹介されているテレビを見たことがあるが、まさしくそれだ。仕方がないので港の端にあるスロープまで泳いで元に戻った。(調べてみると、それは「探偵ナイトスクープ」だった。ヨットから、泳ぐために飛び降りた人たちがハシゴを下すのを忘れていて、這い上がれずに溺れながらひとりまたひとりと死んでいくという、ただそれだけの映画だったと思う。)

フライングダッチマン号のデッキにあるロープの端を探してみるのだが、その名の通り(一応、ちゃんとした名前があるはずなのだが、この惨状をみると、フライングダッチマン号というほうがうまく合っているように思う。)でどこに何があるのかがわからない。やっと探し出したロープをほどいてもう一度水の中に入り力を入れてみるがやっぱり動かない。



仕方がない、切ろう。またデッキに戻らなければならない。また泳いでスロープまで行くのは嫌だと思いながら立ち泳ぎのまま考えて、僕の船の舵に足をかけて登る方法を編み出した。なんとか這い上がれた。僕もそこそこ歳だが、必要に駆られると意外と力と知恵が出るものだ。

ナイフを手にしてまたダイブ。まずは巻き付いていない部分を切って繋ぎなおす。これでダッチマン号への応急対応はできた。今度はシャフトに巻き付いて固着したロープを削ぐように切り出してゆく。
シャフトも自由に動くようになった。
所要時間約2時間。腕や肩に擦り傷を作りながらなんとか終了。自分の船をきちんとした位置に固定し、また同じことが起こらないようにダッチマン号のロープを沈める錘も取り付けておいた。
錨のロープなんかを切ってしまうと普通ならえらいお叱りを受けてしまうものなのだが、こんな放置状態の船なら文句を言われる筋合いはない。むしろ、きちんと管理してくれていないからこんなトラブルが起こるのだということを責めたいと思うくらいだ。

このブログは翌日に書いているのだが、昨日の夜に赤く腫れてきた擦り傷は一晩で治まったのに対して、足の付け根や太ももの筋肉痛がひどくなってきた。



あの汚い海水に対しての免疫力はそこそこあるものの、筋力は相変わらずのようだ。というか、意外なほど水中で体を動かしていたらしい。
2回はやりたくない作業であった。

毎日もやもやしたことを考えているからこんなミスをしてしまう。釣れない、へまをする、すべてはひとつに収束する。いつになったら抜け出せるのだろうか・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加太沖釣行

2020年08月07日 | 2020釣り
場所:加太沖
条件:中潮 7:59満潮
潮流:8:48 上り1.1ノット最強 11:30転流
釣果:ボウズ

7月から今日までの釣りを振り返ってみると、魚が釣れたのが3回だけで、竿で魚を釣ったのは1回だけということになった。
ほかの人の情報を聞いてみると釣れないどころか爆釣が続いている。
一体どこに原因があるのか・・。どうしても、テクニックがないことに言及したくないのでいろいろ考えてみた。
ひとつ、これはどうだろう。
春から渡船屋が週に2日休業するようになり、港が閑散とする日が増えた。人がいない日は野鳥の楽園となっている。スズメが水浴びをしていたり、トンビが日向ぼっこをしていたりするのを港に入る通路から見ることがある。僕の船でもやたらとデッキの上で鳥の羽を見るようになった。



多分その主はサギだ。(アオサギという種類のようだ。)



こいつがこの辺を縄張りにしているらしい。

休憩場所になっているのか、獲物が通過するのを待つ狩場になっているのかわからないがオーニングの下から飛び立っていく姿を2回ほど見たことがある。
その殺気が船に残っていて、それが魚にも通じているので僕の船の下を通過する魚がおびえて仕掛けに食いついてこないのだと考えることはできないだろうか・・。
などと思いを巡らせながら、どちらにしても船を出さない限りは魚は釣れない。今日もとりあえず港に向かった。

家を出るころ、かなり風が吹いていた。この季節、台風でも来ない限り、まあ、たいしたことはなかろうと思い港まで行くとけっこう吹いている。船が完全に横を向いている。時折フッと風は止むけれどもこの状態では出港できたとしても着岸は無理だ。
少し待ってみるがいっこうに風は止まない。保険のタチウオを確保するため、夜明け前には船を出したいと思っていたが辺りはだんだん明るくなってきた。これで万事休す。
あきらめて港を後にした。



こんなとき、新しくできた「わかやま〇シェ」がありがたい。午前5時前でもお店が開いている。今日は1キロ150円の冷凍肉団子と10匹入り冷凍エビフライ300円というのを見つけた。クーラーの中は魚ではなく冷凍食品が占拠してしまった。
それから釣具屋を覗き、家の近くにオープンした24時間営業スーパーで買い物をして帰宅。とにかく早朝でも営業している店はありがたい。



しかし、そのころになると風をまったく感じなくなった。予報でも夜明け過ぎに風が治まるとなっていたので友ヶ島の風速の現況を調べてみると一気に風が治まっている。



この時点で午前6時。氷もクーラーにそのまま残しているので港に戻ることを決断。
潮も上り潮なので田倉崎周辺で釣りができるはずだから最短時間で加太まで行ける。午前7時過ぎには田倉崎沖に到着した。



しかし、これはまさしく神様が仕掛けたトラップであった。予定通り田倉崎沖から仕掛けを下したがまったくアタリがない。その後ナカトシタ周辺まで北上してみたけれどもその間にビニールを2回引きちぎられたことと、ビニールにはみ跡が少し残ったことがあっただけであった。



魚はいることはいた。しかし、神様は僕には恵みを与えてはくださらなかった。
上潮が異常に速く1.1ノットとは思えない。その速度に僕の腕が追い付かなかったのだけれども、やはり、アオサギの殺気のせいにしておきたい。


家に帰ると、奥さんが、「今日は何の日か知ってる?」と聞いてくる。「ん?」「今日はお父さんの命日やないの!」
ああ、忘れていた。確かに今日は父親の命日だった。お墓のあるお寺は図書館から信号に引っ掛かることなくバイクで2分ほどしかかかからないところにある。最低2週間に1回は図書館に行くくせに墓参りなんて正月からこっち行ったことがない。
あわてて墓参りに出かけたわけなのだが、いっこうに墓参りにも来ないことに業を煮やした父親が今日のトラップを仕掛けたのかもしれない・・。




まったく魚が釣れない理由は別のところにあるということは薄々僕自身が感づいている。しかし、それを認めてしまえばこれから先、ずっと魚が釣れないような気がする。だから、わざとそれには気付かずにいとこうと思うのだ・・。実はそれがこのボウズスパイラルの原因なのだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「外道クライマー」読了

2020年08月05日 | 2020読書
宮城公博 「外道クライマー」読了

2012年7月15日、那智の滝に登ろうとした登山家たちが逮捕されるという事件が起きた。
その時の記事の内容がネットに残っていたのでブログのいちばん最後に転記することにして、著者はそのグループのひとりである。

逮捕から4年後の出版になっているが、その時の心情とその後の国内、海外での登攀の記録が書かれている。
著者についてどんな人なのかということを書くと、クライミング界では異色ではありながらかなりの有名人であるらしい。
世界最高峰というような一般人にはよくわかる登山ではなくキャニオニングという分野で活躍しているそうだ。キャニオニングとは文字のとおり、沢すじを遡行する登山のことだ。彼らは自分たちのことを「沢や」と呼ぶそうだ。僕も少しだけ渓流釣りをしていたが、川には両岸が崖になっているゴルジュという場所がある。釣り人はそこで引き返すか、泳いでそこを通り抜けるか、高巻きといっていったん川から離れてやぶの中を迂回して蒸留を目指す。ちなみに僕はすぐに引き返す。そういうところや滝を登るのがキャニオニングという。
そして、このひとは、角幡唯介の本に出てくるのだが自らを「セクシー登山部の舐め太郎」と名乗っている(いた?)らしい。確かにそのブログは残っていて、雪景色のなかで全裸で滝登りをしていたり、なぜだかわからないが、モデルらしき女性が裸で山の中に立っていたり、下着を丸出しにした女性が海岸線を歩いたりしている。元々が映像作品を作るために始めたのが登山だったということで、著者にとってはこういうことも自己表現のひとつであったのかもしれない。
ふざけているように思うが、その実力は相当なものらしく、日本の有力な登山家の中でも一目置かれていて、あるひとの評価では、「昔の素浪人ような男だ」ということになる。今のところは仕官先はないものの、いつでも仕官できるように刀と腕を研ぎ澄ましているような人という意味らしい。登山界では、『一番偉いのは冬期登山、2番目が普通の岩登り、3番目が沢登りでだれでもできるのがハイキング』と言われているらしいのだが、その3番目に命をかけているというのも異色の所以のひとつである。

そんなひとがどうして神域である那智の滝を登らねばならなかったか・・。それはただ単に、一段の滝としては落差が日本一、それも1枚岩でできている。そしてなにより、誰も登ったことがない滝であるということが彼らを引き付けたという、ある意味ものすごく純真な動機であったということだ。
普通なら道義的には許されるものではなく、事実、滝を登った3名は会社を辞めることになったりスポンサーから契約を解除されたりして世間から制裁をうけている。
しかし、この本を読んでいると、僕はなせだか同じようにこの人たちを非難できなかった。まあ、非難するような人はこの本を読もうとは思わないだろうが・・。
「そこに山があるから登るのだ。」というのは有名な言葉だが、誰も登ったことにない滝に是が非でも登りたいという衝動が起き、それを実行してしまうというのは、確かに自分の心の思うままに生きているということにほかならない。そういうことができること、やってのけてしまうということにどこかうらやましいという気持ちがあるのだろう。
加えて、彼らが那智の滝に登ろうとしたきっかけが、「ゴルジュ感謝祭」という、池原ダム周辺を舞台にしてキャニオニングの愛好家が集まったイベントの一環であったことが僕の変な共感につながっている。
かつて、アルミボートを車の屋根に積み込んで通いまくったところだ。ダム湖は広大で支流のバックウォーターまでさかのぼると何百メートルあるのかわからないくらいの岸壁を見ることができる。ぼくは登山家ではないので、そこを登ってみようかとか、ボートを降りてこの流れ込みの先まで行ってみようかとは思わなかった(少しだけ、アマゴが釣れるのかなとは思ったことはあったが・・)がその同じ場所に集った人々の行為であったということもその理由のひとつだ。

このイベントの主催者は別にいて、著者に乗せられたとはいえ、所属していた大学のクラブが廃部になるという制裁を受けている。もちろん、著者は、すべての責任は自分にあるのだからそれを大学に説明してお前は罪をかぶるなというのだが、主催者もそれをよしとしなかった。クライマーの絆の強さというのも僕の共感のひとつになっているのかもしれない。

ここからは本題からすこし外れるが、著者はその世間の反応に対して恐ろしさを感じる。それは、そのバッシングの矛先が自分たちだけではなく、その関係先にまで及んでいったという恐ろしさだ。2012年というとインターネットで情報が飛び交うということが当たり前になっているころだ。そういうところから関係先を割り出して攻撃を仕掛けてくる。
いまでいう、自粛警察というところだろうか。彼らの本質は、自分たちがやりたくてもできないことをやった人に対して嫉妬をするということだ。もしくは自分は我慢しているのにそれをしない人に対して怒りををする。彼らは自分の考えを持たず、周りの情報だけを頼りにしている。常に人の考えを気にしなければいられないのだ。
そんな輩に比べたら、犯罪とはいえ、彼らの行動のほうが自らの考えを自らの判断で実行したという意味では人の生き方としては真っ当なのではないだろうか。
この本には、単行本にもかかわらず解説がついている。それを書いたのが角幡唯介なのであるが、彼もこの行為を知った時、「やられた。」と思ったそうだ。そんなことを公の場で語ると大炎上必至なのは明白だから登山家のうちでもそんなことを言った人はいなかったがほぼすべての登山家はそう思ったに違いないと角幡は書いている。登山家にとって「初登攀」という言葉は並々ならぬ魅力があるらしい。
登山に限ったことではないが、趣味の世界、特に自然の世界でおこなう趣味の世界は反社会的なものである。釣りもしかり、事故が起これば人に迷惑をかけるし、ゴミや海底に引っかけて落とす仕掛け。船に乗ると排ガスも出す。それを知りながらだれもそこに目を向けたがらない。それならいっそ、そういうことをすべて飲み込んで自分がやりたいことをその心のままにやってのけられる人がうらやましいと思い、嫉妬する。だからそれをやらずにいられないのだ。
それがこの本の本質であると思うのである。

那智の滝の一件は1章分しか使われておらず、残りはタイのクウェーヤイ川の46日間に及ぶ探検、富山県にある称名滝の上流のゴルジュ地帯、台湾のチャーカンシー川のゴルジュ地帯の走破の記録が書かれている。特にクウェーヤイ川の46日間は素人が読んでもこれは恐ろしく破天荒な冒険だと思うけれども、先のことを考えずにそういうことができる人というのはいちばん幸せな人なのではないかと思うのだ。
釣りでもしかり、人が釣ったからと聞いて釣りに行くというのは愚の骨頂だ。明日は天気が悪くて危ないから釣りに行くのはよそうと思う釣り人は失格だ。それと同じことなのだ。

*******************************************
新聞記事は以下のとおり。著者は逮捕されたひとのうち、“愛知県春日井市の団体職員”である。

『著名登山家ら3人「那智の滝」に登り逮捕
世界遺産「那智の滝」でロッククライミングをしたとして現行犯逮捕された佐藤裕介容疑者(左端) 和歌山県警新宮署は15日、世界遺産の「那智の滝」でロッククライミングをしたとして、軽犯罪法違反の疑いで、男3人を現行犯逮捕した。新宮署は同日夜までに3人を釈放。今後は任意で事情聴取を続ける。

新宮署が逮捕したのは、アルパインクライマーとして世界的にも著名な佐藤裕介さん(32)=甲府市西高橋町=らで、滝を所有、管理する熊野那智大社は敷地内への立ち入りを禁止していた。
 「なぜ、あなたはエベレストを目指すのか」と問われ、「そこに山があるからだ」と答えたのは英国の登山家、ジョージ・マロリー。
かたや「なぜ、那智の滝を目指したのか」と警察に捕まり、「ごめんなさい」となったのは世界でも名を知られるアルパインクライマーだった。
 和歌山県警新宮署によると、佐藤裕介さんらの逮捕容疑は、15日午前8時半ごろ、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する「那智の滝」(立ち入り禁止区域)に無断で侵入し、滝の岩を登った疑い。
 ほかに逮捕されたのは、東京都国分寺市の会社員(35)と愛知県春日井市の団体職員(28)で、3人とも「那智の滝に登ったことは間違いありません。入っていけないことは知っていたが、日本一の滝に登りたかった」などと容疑を認めている。
 ただ、3人は深く反省もしており、逃亡の恐れもないことなどから、同日夜までに釈放された。新宮署によると、今後は任意で事情聴取を続け、容疑が固まれば書類送検する方針という。
15日早朝に車1台で現地入りした。那智の滝の滝つぼ近くにある「立入禁止」の札がかかった柵を乗り越え、岩の隙間に入れる“カム”と呼ばれる道具を使いながら、滝の約3分の2の高さ約100メートルまで登った。
 この地点で、ちょうど休憩していたヘルメット姿の3人を、熊野那智大社の見回り職員が発見。仰天して宮司の朝日芳英さん(78)に報告し、朝日さんが近所の交番に通報した。
 新宮署によると、すぐにパトカーで警官が駆けつけ、滝つぼ付近から大型拡声器を使い「そこでナニをしているのか!」「ただちに降りなさい!」と呼び掛けたところ、佐藤さんら3人は抵抗することなく、あっさり“投降”した。岩などに傷はついていない。
 佐藤さんは、山梨県出身。山岳地域で岩壁や氷壁を登り切ることを目標とするアルパインクライミングの分野で日本を代表するクライマー。2009年には、世界の最も優れたクライミングに贈られる「ピオレ・ドール(金のピッケル)」賞を他の登山家らとともに日本人で初受賞した。』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「魚の文化史」読了

2020年08月04日 | 2020読書
矢野憲一 「魚の文化史」読了

魚にまつわる生活、文化、風習に関する様々なことを書いた本である。著者は伊勢神宮に奉仕する人ということで特に三重県周辺の話題が多い。そして食習慣というものには一切触れられていない。あくまでも文化史だ。

日本は海の囲まれた国だから魚食文化が発達してきた。しかし、魚は鮮度を保つのが大変だ。だから、海岸周辺では普通に食べる魚も内陸部に行くと非常に貴重なものになってくる。だから日本の大半の地域では魚食に対するあこがれというものがあった。
今では魚が好きという日本人はどんどん少なくなっているのだろうけれども、どうだろう、おそらく戦前くらいまでは今日は尾頭付きだなどと魚を食べることがものすごく幸せだという時代が長く続いたのではないだろうか。
“なまぐさもの”とよばれた魚は祝い事や祭事に使われた。対して、葬式などの仏事にはそういうもの特殊な儀式を除いては使われなかったというのも海産物は貴重な食材でそれを食べることは非常な喜びにつながったということから来ているのだろうと思うのだ。

仏教の古い信仰に仏足石を拝むというものがあるけれども、その足の裏には2匹の魚が刻まれているそうだ。その理由はわからないけれども、2匹の魚というと、うお座もそうで西洋と東洋で同じモチーフが使われているということに著者は疑問と驚きを感じる。
その理由を考えるとき世界の最初の文明の発祥の地である古代バビロニア文明が関係しているのではないかと推察するのだが、これにかぎったことではなく、イザナナギの命とオルフェウスの話なども非常によく似ていることで有名だ。バビロニアから東西に同じ話が伝搬したというのはなんだか納得がいく。こういうことが最初の2章に書かれている。

ここまでは本当の歴史の部分だがそれ以降は歴史とはいえ、今につながっているものとして地方に伝わる習慣や神事、魚の種類ごとにそれぞれにまつわる記述が続く。
有名な山の神とオコゼのはなし。そのほかナマズと地震にまつわるはなしなどが続くのであるが、もっとも興味を引いたのはボラに関する話だ。このブログでは何度も書いてきたけれども、僕はボラに対しては並々ならぬ愛着を持っている。なにしろ、僕の魚釣りのルーツのひとつはボラ釣りなのである。
今では泥臭いということで釣り人たちにも人気はないけれども、三重県の伊勢志摩や熊野では正月の行事にボラが登場するそうだ。それも、重要な真魚箸神事というものに使われるそうだ。これは鯉を使って魚体を素手で触らずに魚を捌く神事としては有名だ。
日本ではかつて高級魚といえば鯉であった。内陸でも育てることができ、中国からはいってきた文化の中では滝を登り切って龍になるという縁起のいい魚であったからだ。そしてボラはその次に叙せられるほど貴重な魚であったので三重県の各地ではボラが使われたというのだ。真鯛がそういう地位を占めるようになったのは室町以降であったらしい。
それを読むとうれしいではないか。また、20年以上前だと思うが、「探偵ナイトスクープ」でも、おばあさんの思い出の味としてボラの炊き込みご飯を食べたいという調査依頼があったけれども、これも三重県ででのロケであった。僕はどうも三重県とは相性が悪く、シートベルトをしていなくて検問で捕まったり、釣りに行けば荷物を持って帰るのを忘れて渡船屋さんに着払いで送ってもらったり、もちろん釣りに行ってもボウズばかりであった。しかし、このボラに対するリスペクトを知ると相性が悪いと言っていられない。
くら寿司では、定置網にかかった魚を丸ごと買い上げてたとえ少ない漁獲の魚でも店頭に出す工夫をしているそうだが、テレビのレポートではボラをどうやって料理するかということを放送していた。
近海で大きな群れをなして泳いでくるボラは幾度となく沿岸の人々の飢えを救った魚だったのだろうと僕は想像している。アイヌの世界ではそれはサケであったのだろうが、それ以外の地域ではボラがその代わりをしていたのだと思う。ボラ見櫓といって大きな櫓を作って海上を常に監視して漁獲していたそうだし、典型的な出世魚であるということも人々のあいだに親しまれた証拠だろう。だから、今のボラの扱われ方と凋落ぶりには悲しいものがある。しかし、そうやってボラが少しずつ復権していってくれることはうれしいことだと思うのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水軒沖釣行

2020年08月02日 | 2020釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 4:34満潮
釣果:タチウオ 5匹

今日は小船での釣行だ。もうすでに法則ではなくなったが、8月1日から8月15日まで、双子島のワンドでスズキが釣れるということを信じて調査に出てみた。結果はまったくダメだ。この法則はやっぱり6年ほど前に終わってしまったようだ。

日が昇る前に素早く撤収して紀ノ川河口で太刀魚の調査。青岸のテトラには山のようにルアーマンが貼りついている。日曜日とはいえ何かが釣れているのだろう、そうでなければこんなに人が集まって来ないはずだ。
さっそく仕掛けを下してみるがアタリがない。すでに朝日が顔を出し始めている時刻だ。太刀魚がいるとしてもこの時刻ではダメか・・。しかし、今日の朝焼けはいつもに増してきれいだ。



今日はもうひとつの禁断の仕掛けを持ってきている。渡船屋さんの情報では大きなサワラが釣れているらしい。さっさと仕掛けを回収して移動しようとしてと一つ目のてんやを巻き取ったところでアタリがあった。今年最初のタチウオだ。
となると、獲物はかなり底の方に沈んでいるということだ。シーズン終了後に開発したニューウェポンの登場だ。少しだけだが深い棚を探れる。
それで4匹まで数を稼いだ。今度こそサワラ狙いだと仕掛けを回収しているとまたアタリ。これで5匹。型もよくてこれだけあれば叔父さんの家にも持って行ける。

サワラの方は不発。小さなツバスは掛かるがそれまでだ。

港に戻りエンジンをチルトアップさせるとエンジンマウントの下の方からクモが出てきた。長らく乗っていなかったらクモが巣を作っていたらしい。彼(彼女かもしれないが・・)は僕が海上を疾走している間も必死に踏ん張って振り落とされないように頑張っていたようなのだ。その踏ん張りに敬意を表して追い出さずにそっとしておいてあげよう。



家に帰って伊太祈曽神社へ。
毎年7月30日・31日に茅輪祭(ちのわまつり)というものが催されているらしいのだが、 今年はコロナ平癒を願って今日までそれが残っているらしいので僕も厄払いにくぐってみた。

 

世間の人がこれほど恐れるというのも不思議だと思うのだが、それはまたの機会に考えてみたいと思う。
そして、ここは木の神様だ。境内には梛の木も植わっていた。「ナギ」という語呂から葉っぱを持っていると海上安全のご利益があるそうだ。さすがに枝を折るのは気が引けるので下に落ちていた梛の木の皮をいただいてきた。



釣果よりも安全第一なのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする