イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

水軒沖釣行

2022年07月11日 | 2022釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 3:01満潮
釣果:ボウズ

今日明日と連続で病院に行かねばならない。今日は10時過ぎには病院に到着していなければならないので朝一だけの釣りだ。課題としているタコ釣りをメインと考えている。

夜明けごろにはこれもいつもの通りルアーを投げてみようと思うのだが、タコ釣りは双子島周辺でやってみようと思っているので紀ノ川には行かず、沖の一文字の前でメタルジグを投げてみようと考えた。

切れ目を過ぎてすぐ北の位置で碇を降ろす。



渡船屋の釣果情報を見ているとアコウが釣れているのであわよくばだが僕のジグにも掛かってくれないかと思っている。
使うジグは以前、ジグを使って初めてはじめて魚を釣ったセリアの110円ジグだ。
キャストをし始めて間もなく少し沖のほうで小さなボイルが出た。すかさずジグを投げるとヒット。小さなツバスだ。



食材にならないとはいえ、あっけなく釣れてしまった。こうやってジグで魚を釣るのが当たり前になってくれるとありがたい。

色々な方向に投げ込んでいるとまたアタリ。今度はチャリコだ。



こんなものまで釣れてしまうとはメタルジグというのは意外と威力があるのかもしれない。
そして最後はガシラ。



これは食べられるサイズで持って帰ろうかどうしようかと悩んだのだが、この先、タコが釣れる確信もなく、1匹だけ持って帰るとかえって面倒になると思いリリース。双子島へ。

タコエギで海底を小突きながら島群を一周したがやっぱりアタリはなく午前7時を待たずに終了。

  

魚は釣れなくても猛暑とはいえこの時間帯はかなり涼しい。散歩の代わりだと思えばボウズでもなんとも思わないということにしておこう。


道具を洗ってシャワーを浴びて病院へ。
「選挙の翌日は混むのである。」という法則でもあるのかと思うほど今日の病院は混んでいる。3層ある立体駐車場のうち2層は満車である。こんな日は初めてだ。
母親が採血をしている場所へ行く途中の診療科はどこも人であふれている。通路にまでパイプ椅子に座って待つ人がいる。



今日はもともと時間がかかる口腔外科の方なので、これは終了は午後3時だなと覚悟を決める。
もう、絶対、自分の診察ならこの時点で放棄をして帰るに違いない。自分の命と待つことに対するストレスを天秤にかければ後者のほうが重いのである。

それでも予想よりも順番は速く回ってきて、10時半の予約時間で診察開始は午後1時。まあ、我慢の範囲である。しかし、これだけのずれがあるとこの予約時間というものには一体何の意味があるのかと思えてくる。これだけ押すのがわかっていれば、予約を取る間隔をもっと長く取ればと思うが、そんなことをすると上の人から、患者の消化率が悪いじゃないかときっと叱られるのであろう。

この病院へは今日の歯科口腔外科と消化器外科に行っているが、消化器外科のほうはかなり回転が速い。歯科口腔外科のほうは確かに時間がかかる。入れ歯の修正でも違和感があると言われれば削っては嵌めてみてまた削りを繰り返す。半分ぼけた老人の言うことを真に受けて一所懸命やってくれるのだから時間がかかる。対して、消化器外科は血液検査の結果を説明されて、良好です、次は〇月〇日に来てくださいと言うだけで、次回の予約票まで印刷を済ませている。よほど時間に余裕があるように見受けられる。腹の中は見えないから何を言われてもわからないし、相手も何を言ってもわからないとでも思っているからちゃっちゃと済ませてゆっくり昼飯を食おうと思っているのだろう。だからあんなに太れるのだ。

思うに、診療科によって一人当たりの単位時間に差があっても、予約システムに入力する30分当たりの予約人数には差はないのではないだろうか。だからこれだけ込み具合に差が出るに違いない。一所懸命患者を診てやろうと考える医師ほど待ち時間が長くなるというジレンマに陥るという状態なのだろう。

こんなもの、簡単な調査で、この医師の平均診察時間はどれくらいというのはすぐにわかるはずだからその医師に合わせて予約人数を調整すれば僕たちの待ち時間は確実に減るはずであるが、そんなことをしてしまうとたくさんの患者を診ることができる医師はは真剣に患者を診ていないのではないかという疑惑や俺はたくさんの患者を回しているのにあいつが少ないのは病院の利益に貢献していないじゃないかと一所懸命やるほど評価が低くなるというこれまたジレンマが発生してしまい、病院にとってはまことに厄介ということになってしまうのだろう。

統計というものは罪で、僕たちはそのために死ぬまで待ち続けなければならないのである・・。

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紀ノ川河口釣行

2022年07月08日 | 2022釣り
場所:紀ノ川河口
条件:長潮 7:20干潮
釣果:ボウズ

今朝の朝焼けは燃えるような赤さだった。今思えば、今日の大事件を予告していたかのようである。

最後にタコを釣ったのは6年前。それ以来、幾度となくタコテンヤを抱えて紀ノ川河口に向かうが川の流れが速すぎてまったく歯が立たなかった。この、「流れが速い」というのは、そもそも船が流されてゆく速度が速いのであってそれさえ克服できれば仕掛け自体はそれほど流されないはずである。そこで一昨年くらいから考え始めたのが、船を固定して仕掛けをキャストして底をズルズル引いてくればタコが釣れるのではないかということだった。
一度は竹竿をアトラトルの代わりにしてタコテンヤを投げられないかと思い試してみたがまったく役に立たなかった。下手な考えは休むに似ているのかとあきらめもしていたのだが、中古の釣具屋を散策していると、タコエギなるものを見つけた。これが生のエサに比べてどれほどの効果があるのかわからないが、竿でキャストするにはやりやすいと考えた。
それが去年で、今年、いよいよそれを試すときが来たのである。
さすがにエギだけでは底を取れないだろうと三又のサルカンにスナップを装着し錘をセットできるように改良したものを作って準備をした。
タックルであるが、これもおあつらえ向きのものがあった。買ってはみたものの、まったく出番がないジギングの竿とスピニングリールだ。勢いあまってジギングの道具を買い集めたがまったく釣れる気がしなくて物置の飾りとなっていた。
ラインはPE3号、竿も相当硬いものだからタコが掛かっても切れたり折れたりすることはないだろう。

この道具といつものルアー釣りの道具を準備して紀ノ川河口に向かった。しかし、いろいろ準備したとはいえ、ほとんど釣れる気がしないので先にクーラーボックスを満タンにしておくべく、「わかやま〇しぇ」に向かった。



時刻は午前3時半、あれれ・・、半分くらいのお店はシャッターが下りている。お目当ての店も同じくだ。
聞いていたのは、午前2時半くらいから営業しているということだったが、今日は臨時休業だったのかしらと買い物を諦めて港に向かった。
予定よりも早く港に到着してしまったことと、夏至から半月以上も過ぎているというので真っ暗の中出港した。



いつもの場所に到着し碇を降ろした頃、少しずつ東の空が明るくなってきたのだけれども、それが赤い。明日は雨の予報となっているので空気中に水蒸気が漂っているのが原因なのはなんとなくわかるけれども、それにしても赤すぎる。それと今日の事件とはまったく関係がないのはわかるが、なにやら不気味だったのである。



今日もトップウォータープラグを投げてみるのだが、まったくアタリはない。そしてボイルもまったくない。少し明るくなってからのほうがボイルは出やすいのかと思ったがそうでもなかった。
しかし一度だけ、テトラの際で大きな水しぶきが上がった。その時は反対方向を向いていたのだが、何か大きな水音がしたので振り返るとまた水しぶきが上がった。相当大きなものが水面を割ったように見えた。例えるなら4,5歳くらいの子供が水の中に飛び込んだという感じだろうか。
急いでルアーを投げ込んだものの何の反応もなかったのだが、あれは一体何なのだったのだろうか・・・。とにかく、魚だったらメーター級に違いない。

結局、というか、当然のことのように獲物はなく、以前、タコが釣れた場所に向かう。この場所だが、衝突事故に遭った時の事情聴取の時に見せられた海図で、コンクリート塊と書かれていた場所と一致する。





この辺には建築廃材のようなものが投棄されていてタコの住処になっているのだろうと思う。
碇を降ろし、さっそくキャストしてみる。最初は35号の錘を使ったが竿が耐えられない。今度は30号に換えてみるとちょうどいい感じだ。3、40メートルは飛んで行く。しかし、根掛かりがひどい。テンヤもいくつか落としたことがあるが、今日はエギはひとつしかない。仕方なくエンジンを始動させ根掛かりした場所の反対側に回り回収。そんなことを2回繰り返し、これは危険だと感じて、少し場所を変え、根掛かりのないところを探ってみたがやはりこんな場所にはタコがいないのか、それとも今日という日が悪いのか、まったくアタリもなく間もなく飽きてしまった。
まだ午前6時を過ぎた頃だ。今から戻ればもう一度「わかやま〇しぇ」を覗けるかなと早々に退散。大きい方の船のビルジ溜まりを掃除して中央市場へ向かう。そしてその頃にはほぼすべてのお店のシャッターが開いていた。小売店としての営業開始は意外と遅いようだ。確かに、午前3時半にこんな場所を訪れるもの好きはいないのは確かだ。仲卸がメインの仕事の人たちばかりで、商売は別のところでやっているのだろうから店舗を開けても開けなくても関係がないので一般客に合わせて営業しているのだろう。
そして、いつものお店で冷凍コロッケを物色するのだが、ここも最近人気が出ているのか品薄気味だ。コロッケは一種類しかなく、お目当ての賞味期限間近の格安ドレッシングは皆無であった。う~ん、ここは僕だけのパラダイスでいてほしいのに・・。
お店の人たちはけっこう顔は覚えてくれているらしく、「今日はどうだった?」と聞いてくれる。「ボウズでした・・。」と答えると、かわいそうに思ったのか、賞味期限切れではあるけれども、ラーメンスープの素というのを恵んでくれた。僕は賞味期限なんて全然気にしないのでありがたい。しかし、同じようにして2年ほど前にもらったラーメンスープを現在消費中なのでこのスープを飲むのは大分先になりそうだ。



そして、新たなネタとして、「カオマンガイの素」というのを買ってみた。なんだかウルトラマンに出てくる怪獣の名前のようだが、タイの炊き込みご飯のようなものらしい。
こういう系統のものを買って帰ると奥さんは必ず、こんなもの使い方が分からないじゃないかとキッチンの片隅でゴミと化すのだが、これは炊いたご飯に混ぜるだけと書いてあったので自分でもできるだろうと思ったのだが、意に反して奥さんの評価は相当高かった。この料理のことを知っていたらしい。僕に内緒でどこかで食したことがあるのだろうか・・。
突然張り切りだして、夕食はこの素を使って本格的な(といってもこれが本格的かどうかというのはまったくわからないのであるが・・)カオマンガイを作ってくれた。
確かにこれは美味しい。鶏肉との相性は抜群だ。次にこのお店を訪れて、この素が残っていたらたくさん買い込んで友人に配ってみようとおもう。このお店では珍しく、賞味期限が来年の1月であるというのもありがたい。アウトレットのようなお店なので売り切れてしまえばそれで終わりなんだろうが・・。

家に帰って、シャワーを浴びてから燃料補給、図書館、歯医者を巡り、戻ってビデオを観ていると、母親が、「アベさん撃たれた。」と言っている。何のことだと思ったら、大事件が起こっていた。安倍元首相が銃撃されたというではないか。
場所は奈良県。僕もよく知っている場所だ。親会社に出向しているとき、ちょうど平城遷都1300年祭というのをやっていたのだが、この駅で土産物屋をやっていた。周辺には仕入れ先があったり、平城宮も近くだったので同業者の視察などでよくウロウロした。事件のあったロータリーもよく知っているが、確かに用心が悪そうなところで、元首相が立っていた場所なんて四方からどこでも狙えそうな場所だ。道を走っている車からでもすぐに狙える。SPさんも警備するには相当苦労しそうな場所というのはよくわかる。
犯人の動画もたくさん撮られていたようだが、どう見ても僕の方が人相は悪そうな気がした。まったく普通の人のように思えた。元首相と一般人というと、相当な距離感があると思うが、そんな普通の人がとんでもない距離間のある人を殺したいと思う程の憎悪を生む原因というのは一体何だったのだろう。それとも全く発作的な思い付きだったのだろうか。まったくわからなかった。

突然のニュースでなんだかピンと来なかったのだが、最初に思ったのが、戦争で人が死ぬということはきっとこういうことなのだろうということだった。直前にそのような本を読んでいたということも影響していたのだろう。
心肺停止状態だという報道がされたとき、なんでこの人が死ななければならないのだろうとまず思った。まあ、恨まれることも多い人だったのだろうが、それでも、誰かの手によって自分の人生を突然終わらせられるということはまったく不自然だし、ご本人も当然ながら思ってもいなかったことだろう。他人のことには極めて無関心であるが、落胆というか、徒労感というか、なんともいえない不快感が残った。

しかし、戦争とはこういったことが日常茶飯事におこなわれている状態でもある。さっきまで笑いながら話していた人が次の瞬間血まみれになって息絶えている。戦場にいる人も、民間人でさえもいつ自分の人生が途切れてしまうかわからないのである。今まで生きてきたことが無に帰すのである。たかが一人の人生だといえばそれまでなのかもしれないが、その人にとってはそれしかないのだからそれは無限大に大きいはずだ。
外国の指導者たちもいろいろな声明と同情を寄せてはいるが、自国民に同じことを強いているのがこの人たちではないのかと思いながら、そうせざるをえないのがこの世界でもあるのだなとも考えるのである。やはり世界は不条理でできているのかもしれないと、魚釣りの記録を書きながらまったく方向違いのことを考えていたのである・・。

今回の選挙はお悔やみ票で自民党が大勝するに違いない。
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「Y字橋」読了

2022年07月06日 | 2022読書
佐藤洋二郎 「Y字橋」読了

図書館の新着図書の中に3冊ほど小説が並んでいて、その中でタイトルが気になった1冊を借りたものだ。著者がどういった作家なのかという予備知識もないまま読み始めた。

書名と同じタイトルの短編を含め、6編の短編を集めた短編集であった。
6作品に共通するのは、人生の玄冬の次期を迎えた主人公が、若い頃に出会った女性に偶然や相手からのきっかけによってふたたび出会うことで自分の人生を振り返るというものだ。
その女性たちはかつての恋人ではない。ただの幼なじみであったり、友人の恋人であったりという程度のひとだ。しかし、なぜか心の奥に澱のように居残り何かのきっかけでその人が浮かび上がってくるような人でもあった。
その人の言葉を一生の励みとしてここまでやってきた主人公もいる。友達以上恋人未満などという言葉はすでに死語となっているのだろうが、まさにそういう人だからこそ強烈な記憶ではないけれども老いを迎えてからの思い出に浮かび上がった時に自分の人生を顧みる軸になったりするのであろうか。
作家に対してうまいプロットを考えたものだというのは失礼極まりないが、これらの短編は作家の経験がふんだんに取り入れられた私小説であるということがわかってくる。
作家を目指すため仕事を捨て、売血をしながら糊口をしのぐシーンや、眠るためだけに一夜を共にした部屋でガス自殺に巻き込まれそうになるというエピソードは数回登場する。
ウイキペディアで調べてみたら、会計士になるために簿記学校に通っていたこと、大学の講師のアルバイトで生計をつないでいたことは事実だったそうだ。舞台となる土地も作家に関係する場所が取り上げられている。

そんなことを読みながら、はて、自分にはそんなひとはいただろうかと振り返ってみるのだが、どうも思い浮かばない。なんとも薄っぺらい人生を生きてきたものだ。そういえば一度だけ、その人は女の子を生んで京都の百貨店で働いていると人づてに聞いたことがあったが、その人からも一生の励みとなる言葉をもらった記憶はなかった。

主人公はおそらく70代前半。体もあちこち悪くなり体力も衰え、様々な悩みを抱えながらも今でも家族を守って立派に生きている。夫人に、「幸せか?」と聞くような場面が出てくるが、僕は恐ろしくてそんなことを聞くことができない。
著者はあとがきで、『人生は孤独を癒すためにあるのではないかと思う時がある。孤独とは淋しいということだが、家族や親しい友人がいても、突然、心に孤独のさざ波が走る。それはわたしたちが複雑な喜怒哀楽の感情を持ち、そのことに翻弄されて生きているからだが、その感情は命があるかぎり消え去ることはない。泣いたり、笑ったり、怒ったり、悲しんだり、荒波に浮き沈みするようにして日々を生きるが、幸福と感じることは少ない。』と書いている。僕は幸せかどうかを聞くどころか、ふと、この人は他人なのにどうしてここにいるのだろうと思うことがある。本当にこの人を心から信頼しているのだろうか。身内?家族?というのはいったいどんな存在なのかときおりわからなくなる。これが孤独のさざ波というのなら確かにさざ波だ。もっとも、相手は相手で、何でこいつの生活費で暮らさなきゃならないんだ。それもたったこれだけで・・。こんなはずではなかっと常に思っているのでないだろうかとも思う。そうなれば子供に期待するしかないというのももっともだ。
『たとえそう感じたとしても、一過性のもので、そこから人生が反転することもある。その苦労や懊悩を生きる手ごたえと思い、人生を全うするしかないはずだ。』と続くのだが、そうまでして全うしなければならないほど貴重な人生でもないのだが・・。と思うしかない。

適当に選んだ本にしてはかなり重い感想を得てしまったのである。

そのほか、時々、これはと思う一言半句が出てくる。少し書き留めておく。
『いい人生はいい人間に出会うことではないか。その人物の言葉を受け入れて、私たちは生きていく。言葉が人生の道をつくるのかもしれない。嫌だと思う人間の言葉は弾くが、好感を抱いた人の言葉は心に響く。あの人の言葉が道をつくってくれたのだ。』
『いい?美しいものを見るには、どうしたら一番いいか、わかる?・・・じゃ、嫌なものを見るには? ・・・ 目を閉じると美しいものや、きれいなものを思い浮かべることができるでしょ?反対に目をしっかりと開けて見ると、みにくいことや嫌なことを見てしまうわ。』
『妻がヘッドライトを上げると、二つの光の帯が遠くまで届き、広々とした田圃を映し出した。人生もこの光を頼りに生きていく。運転する右の光が妻の光。助手席のわたしは左の光だ。本当はこの光と同じように交わることがないのに、交わった振りをしていきているのではないか。・・・』
『彼の心の底に、どんな過去が沈殿しているかわからなかったが、日々の生活に追われていたあの頃が、妙に懐かしい。心がいつもひりひりしているような焦燥感があったが、そんな感覚こそが生きる希望になっていたのではないか。』

あと10年で僕の人生は反転してくれるのだろうか・・。
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「戦争は女の顔をしていない」 読了

2022年07月03日 | 2022読書
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ/著 三浦みどり/訳 「戦争は女の顔をしていない」 読了

この本は、「同志少女よ、敵を撃て」を書いた作家が参考文献のひとつとして挙げていた本だ。
ノーベル文学賞受賞作家が、ロシアでは大祖国戦争と言われる第二次世界大戦での独ソ戦に従軍した女性たちにインタビューした記録である。
確かに、この小説に出てくるエピソードと同じような内容の話がところどころに出てくる。

僕のスットコでヘッポコなブログの感想文に載せるなどということが間違いなくはばかられる本である。簡単に”死ぬ”と書いてしまえるが、その人にとってはその時点で自分が生きてきたことすべてが突然途切れてしまうということを意味する。戦争においては全く自分の責任ではなく他人の都合によってだ。それはあまりにも重すぎることではないかといつも思うのである。

この戦争ではソ連側からは200万人を超える女性が戦争に参加していたそうだ。それは後方支援というようなものだけではなく、前線に立ち、銃を持って戦ったという。
ある人は狙撃兵として、ある人は砲兵隊員として、または斥候部隊、パルチザンとして。それらの指揮官として従軍したひともいた。もちろん、医師や看護婦としても。
そういう経験をした人たちが、当時はどんな思いで参戦し、そして今はそれをどんな思いで回想しているのか、そういったものを、インタビューしたひとりひとりについて短い文章にまとめてつなげられている。

「女の顔をしていない」というタイトルについてであるが、著者はたくさんの取材ののち、自分が戦争について本を書くにあたりこう書いている。
『戦争についての本がまたもうひとつ出るだけなのか?なんのために?戦争はもう何千とあった。小さなもの、大きなもの、有名無名のもの。それについて書いたものはさらに多い。しかし、書いていたのは男たちだ。私たちが戦争について知っていることは全て「男の言葉」で語られていた。わたしたちは「男の」戦争観、男の感覚にとらわれている。男の言葉の。女たちは黙っている。・・・・戦地に行っていた者たちさえ黙っている。もし語り始めても、自分が経験した戦争ではなく、他人が経験した戦争だ。男の規範に合わせて語る。』
しかし、その女性たちが家や戦友たちの集まりのときにだけ少し泣きながら語る戦争は今まで著者が知っていた戦争とはまったく違うものであった。「女たちの戦争」にはそれなりの色、臭いがあり、光があり、気持ちが入っていたという。
近年、女性の地位は向上したにも関わらず、自分の物語を守り切らなかったのだろう。そういう気持ちから女性たちの戦争の物語を書きたいと考えたのである。

これにはおそらくふたつの理由があるのだろうと思う。それは、ソ連は戦勝国であったということと、侵略された側であったということではないだろうか。
勝った側だから武勇伝がまっとうに伝えられ、一方では市街戦では民間人がたくさん殺された。一説では1500万人の民間人が亡くなったとされる。前線に出て行った女性たちも家族を失い、その悲しみはおそらく男性よりも女性の方が大きかったからだろうし、出征する女性たちは父親や夫が出征した後、子供や母親を残して出征していったという。だから、そういった記憶はできることなら思い出したくないという意識があったのだと想像する。また、女性兵士に対する偏見も多く、自らの戦歴を隠して生きてきた人たちも多かったのだとも書かれていた。
これは驚きであったのが、復員してきた女性兵士たちの多くは英雄として迎えられたのではなく、何か違う価値観を持った異人のような扱いを受けたという。そういうことがばれると就職や結婚ができず、また、家族からでさえ遠ざけられることもあった。だから、そういった経歴を隠し、自ら退役軍人として受けるはずの恩恵も放棄して生きてきた人が多かったらしい。この本の中にもそういった経験を語る内容がたくさん書かれていた。こういったことも、この本以前に女性兵士たちの言葉が公に出なかった理由のひとつであった。
それに加えて、女性でありながらその性を捨て、泥まみれ血まみれになり、またシラミに喰われながら戦っていたという自分の姿を他人に伝えるというのを憚ったということもあるのかもしれない。

日本は敗戦国だから、かえって男性自らが悲惨な体験を語ることが恥ずかしくはなかったであろうし、本土で戦闘がおこなわれなかったということは、幸いにしてという表現はおかしいが敵兵が自分の身内を殺す場面に遭遇することはごくまれであったということが大きかったのだろう。それでも、復員してきた人たちの中には亡くなるまで口を閉ざしていた人がたくさんいたというのだから戦場とは想像もできないほどよほど壮絶な場所であったに違いない。
それでも日本の戦争に関する書物のほうが、より市井のひとの目線で書かれてきたものが多いのだと思うのである。だから、ロシアの人々には余計にこういった記録は衝撃的でかつ反政府的であったに違いない。著者はベラルーシの出身だが、本国でも長く出版ができなかったそうだ。

前半は実際に線上に出た女性兵士たちの言葉、後半は家族の死や思いを寄せた人たちの運命、また、戦場にあっても女性らしさを忘れなかった思い出、そういったものが書かれている。
この本に登場する女性兵士たちは自ら志願し前線に立つ。歳も若く、15歳で年齢を偽って戦場に立つ少女もいた。そしてその場所で想像を絶するほどの体験をするのだが、それでも自分の任務を全うしようとする。特に西欧諸国との境目であったウクライナやベラルーシといったところはこの時代以前から領土紛争や民族問題によって戦争が絶えなかった場所だ。自分たちで自分たちの土地を守らないことにはいとも簡単に主権を奪われてしまう。そういった思いが相当強い人たちだったのである。

家族との別れやドイツ兵たちのパルチザン狩り、または拷問、そういった場面は悲惨極まりない。文章はおそらくわざと淡々としたものにしているのだろうが、いたるところに横たわっている死体、また、病室であろうが戦場であろうがひとつの村の中であろうが、どこからでも漂ってくる血の臭いであったり死体の臭いであったり、僕が経験したことのない世界で想像できないのだがその淡々とした表現ゆえその無残さがさらに無残に見えてくる。しかし、一番恐ろしいのは、『憎むということを身につけたあとで、愛するということを学び直さなければならなかった。』という言葉だ。
戦争というのは体だけでなく、心も蝕む。文字で書くのは簡単だが、戦争は恐ろしい。やはり実感がついてこない。

しかし、現実には海の向こうでこの時と同じ行為が行われている。さすがに今の時代、生きたまま足を切り落とすというようなことはしないのだろうが、家を焼かれ、家族を目の前で失うというようなことは頻繁に起こっているに違いない。
あれとこれはべつだとは思うのだが、これほどひどい侵略を受けたロシアという国が今の時代になって今度は侵略する側に回ることができてしまうというのがまったく解せない。
それもウクライナという国はこの戦争を一緒に戦った同朋だったのだからよけいに解せない。確かに属国扱いをされていた国ではあったので立場は弱かったのかもしれないが、それが西側に近づきすぎるのは生意気だという発想で戦争を仕掛けるというのはもっと解せない。たとえこの国がNATOに加盟したとしてもロシアを攻めるなどということがあろうはずはないと思うのだが。
国と国の関係は人間関係と同じというわけにはいかないのだろうが、他人のことなど放っておけばいいのじゃないかといつも思ってしまう。降りかかる火の粉は払わねばならないが、わざわざ他人に火の粉をふりかけることもあるまい。変にちょっかいを出すから出された方も身構えるというものだ。

自分の国を守るためには武器を持たねばならなくて、いざという時には命を落とすことも辞さないという覚悟と実行が必要だというのはわかるのだが、これが今、突然自分の身に降りかかってきたとき、自分から進んで戦場に赴くことはできないだろうとも思うのである。
だから、ウクライナの人々というのはそうとう勇敢な人々なのだと思えるのである。
この国の人々の大半は僕と同じような程度の考え方しか持ってはいないと思う。だからこの国は国際社会から落ちこぼれてゆくというのは仕方がないことなのかもしれないと思うのだ。

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