ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

母の入院

2025年02月13日 | 家族とわたし
90歳になる母に、いつものご機嫌伺いの電話をかけたところ、電話に出た母の声がおかしいのです。
どうしたん、しんどいの?と聞くと、しんどい…と答えます。
なんかあったん?と聞くと、朝ごはん食べて、いつものようにお薬飲もうと思ったら、変なとこに入って激しく咳いて、咳いてるうちに半分ぐらい戻した、と言います。
誤嚥か?とヒヤリとしましたが、もう少し詳しく話せるようだったので、続きを聞くことにしました。
前日の、いつもの夕方散歩の帰り道で、急に足が動きにくくなったらしいのですが、とりあえず無事に家に戻り、いつも通りに食事を済ませ、お風呂も自分で入れたと言います。
なのに今、急にこういうことが起こって、とにかく体がだるくて仕方がないし、指が震えてiPadのキーがちゃんと押せない、と言うのです。
話を聞いている間に、母の呂律がどんどん回らなくなってきたのでそれを夫に伝えると、とにかく今すぐ病院に行くように言え、と言うので、そう母に伝えました。
義父から後で聞いたところによると、母は頑として行かないと言ったようですが、彼が押し切って救急車を呼んだのだそうです。
救急で検査してもらったところ、脳にも血管にも問題は無く大丈夫だと思われるが、症状と年齢からパーキンソン病の疑いがあるので、神経内科で受診するようにと言われ、そこで翌日の朝に、同じ病院の神経内科で詳しい検査を受けたのですが、今のところ問題視する必要のない血栓が一つ見つかったのと、パーキンソン病の有無を確認したいからということで、即日入院ということになりました。
遠く離れた所で気を揉むことしかできないわたしとしては、入院してくれたことは本当にありがたく、それまで心配でろくに眠れなかった夜が続いたので、その日はやっと普通に眠ることができました。

最初の数日間は相部屋でしたが、特別個室という部屋が空いたので、そこに入れてもらうこともできて喜んでいると思いきや、自分だけではもはや一歩も歩くことはできなくなったので、部屋付きのトイレもシャワーも使えないと言います。
だからトイレはベッドのすぐ横に置いてもらったポータブルトイレを使わざるを得ないと不満気に言うので、病院に歩行器を部屋に置いてもらうように頼んでみたら?と話しました。
母が入院してから以降、毎日電話をかけて話をしているのですが、聞こえてくる声はガラガラでさも苦しそうです。
部屋に加湿器を置いてくれてあるのかと聞くと、そんなものは無いと言うので、義父に持って行ってもらうよう頼みました。
義父が持ち込んでくれたのは20年も前の年代物の加湿器で、使ってもあまり意味がないような代物でしたが、お水の補給をする必要があったので、それを看護師さんか義父に頼めないだろうかと聞くと、そんな医療行為でもないことを頼めると思うか、80歳にもなろうという私に、いくら近いからといっても再三水換えに行けとは何事か!とすっかりおかんむりです。
わたしも考えが浅かったことを反省し、何でもかんでも頼めると思っていた甘えがあったと謝ったのですが、ずっと溜め込んでいた不満が噴き出したようで、義父との仲はあまり芳しくありません😅。

入院が1週間に差し掛かった頃に、母が急に、担当医から退院をせがまれたと言い出しました。
あなたのような患者をいつまでも入院させておくと上からお叱りを受ける。
退院に際してかなりの枚数の書類に目を通し、サインなどをしてもらう必要があるので、息子さんか娘さんに病院に来てもらうよう伝えて欲しい。
あなたの夫は、耳が聞こえにくいからか話が通じないところがあるし、受付の方からもクレームが出ているので、この作業を任せることはできない。
というようなことを言われたと言うのです。
これはえらいこっちゃということで、弟にその話を伝えたところ、ちょうど12日が休日なので、その日だったら行けるとのこと。
弟も母から直接電話がかかってきて、同じような話を聞いたそうで、行くつもりでいたようです。
そこでわたしたちは、いろいろと作戦を立てました。
もう25年も前の話になりますが、父がステージ4の胃がんで入院した大阪の成人がんセンターの担当医から、横柄で心無い言葉を何度も投げつけられた弟にとっては、今回のことはあの悪夢の再来かと思えたのでしょう。
医者の心象を悪くしないように、かといって向こうの態度次第ではきっちりとこちらの要望も通すように、そして病院から無碍にされている義父がそのことに気づかないように、そんなこんなについて話し合いました。
そして昨日、弟は大阪から病院に、車で駆けつけてくれたわけですが、なんと、母の話が全くの妄想であったことがわかったのです。
12日の朝に、担当医の方から電話がかかってくる。
担当医からは、あなたのような患者を入院させておくと上から叱られると言われた。
退院に際しての書類作りは、あなたの夫には無理なので、息子さんにお願いしたいと言われた。
書類は受付から受け取るようにと言っていた。
退院後にリハビリ専門の病院が3つほどあるので、そこから選んで移ればよいと言っていた。

…という話を鵜呑みにしたわたしから伝言で聞いた弟は、病院に着いた後、真っ先に受付に直行し、書類のことを尋ねたところ、そんなものは存在しないと言われたそうです。
それで母の病室に上がり、担当医に連絡をとってもらったのですが、担当医も弟が来ることなんて全く知らないわけですから、普段通りの外来診察を行なっていたので、彼の診察が終わるまで待たなくてはなりませんでした。
そして夕方の5時に、4時間の待ち時間を経て、やっとのことで話し合いが始まりました。
母はわたしに、話し合いに混じるなんて以ての外や、絶対に無理と言っていましたが、歩行器を使ってスタスタと歩き、担当医の長い病状説明もちゃんと聞けたそうです。
その場にはケースワーカーさんも加わり、退院後の移転先や、さらにリハビリ病院以降の暮らしをどうするかまでに至る説明もしてくださったのだそうで、結局病院側は母を退院させる気など全くなく、見つかった血栓は今の症状とは関わりがなく治療の必要もないことから、パーキンソン病の投薬を試して様子を見ている最中である、ということがわかりました。
母も義父も、今回のことをケアマネさんに連絡をしていなかったことも判明し、弟がそれではダメだと言ってくれたようです。

母は夢でも見たのかもしれません。
入院してからの母は、入院前後のことをほとんど覚えていないし、言ったこともやったこともすぐに忘れてしまいます。
ご機嫌伺いの電話では、世間話や苦情聞きはもちろん、母がハマっている脳トレパズルのわからない答をわたしが代わりに回答するというのもやっているのですが、彼女自身の解答力が日に日に落ち込んでいることは薄々感じていました。
でも、この記憶のモヤモヤの広がりは初めてのことですし、誰も言っていないことをさも聞いたように話す、というようなことも初めてです。
わたしはとにかく物理的に役立たずなので、オロオロと心配することしかできません。
けれども弟は介護職の要人で、弟のパートナーは介護職のエキスパートさんです。
どちらもそれぞれに重責を背負っているし、だから本当に忙しい人たちなのに、わたしとしては頼らせてもらうしかないので、とても申し訳ない気持ちでいっぱいです。
本当にありがとう。そしてごめんね!

冒頭の写真は、去年の12月、今からほんの2ヶ月前に、お気に入りの宿のミニゴルフを楽しんでいる母を写したものです。
もうやれないだろうと諦めていたのに、やってみたら案外できたと、本当に嬉しそうでした。
その嬉しさをバネに、それ以降、ほんの数日前まで、毎日散歩に出かけ、部屋の中ではストレッチをし、日に日に足腰がしっかりしてきた矢先の入院騒動でした。
彼女が高齢になってから、一番やる気が出て、気分も明るくなっていたところだったので、このことがきっかけで気持ちが落ち込んでしまわないかと心配しています。
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グラウンドホッグとてんこ盛りネギ味噌汁とデジタルピアノと家猫たちと

2025年02月12日 | ひとりごと
今年の冬はドカ雪ならずチョイ雪が多く、積もったとしても15センチ程度で、雪かきもそれほど大変ではないのですが、ちょいちょい降るので気が滅入ります。
今年のグラウンドホッグの天気占いでは、冬はまだあと6週間続くという結果が出たそうです。

以下、ウィキペディアより引用:
グラウンドホッグデー(英語: Groundhog Day, Groundhog's Day)とは、アメリカ合衆国及びカナダにおいて2月2日に催される、ジリスの一種グラウンドホッグ(ウッドチャック)を使った春の訪れを予想する天気占いの行事。
この日、冬眠から目覚めたグラウンドホッグが自分の影を見れば冬はまだ長引くと占われる。

ちなみに、うちの裏庭にもちょくちょくやってくるグラウンドホッグさんは、こんな感じです。
こちらがちょっと油断すると、ちょうど食べ頃に育ってきた野菜を、うっとりと美味しそうにパクパク食べて、見つかると見た目からは想像できないほどの敏速さで逃げていきます。


この冬は特に、インフルエンザやノロウイルス、それから名前を覚えていませんが、とにかく咳だけがひどくて、それが延々と続くという症状に苦しんでいる人が多いような気がします。
生徒たちも毎週数人は何らかの病気に罹っていて、もう治ったからとレッスンを受けに来るのですが、ゴホゴホと咳き込んだり鼻水が止まらなかったりで、こちらとしては気が気ではありません。
昨日の火曜日の最後に来た生徒は、嘔吐と下痢が続くのでと先週のレッスンを欠席したのですが、その後治ったと思ったらまた一昨日から変になってるとあっけらかんと話し、さらに家族が次々に病気になっていると言うので、わたしは慌てて空気清浄機を『強』にしました。

そんなわけで今年の冬は、いつもより3倍増しのネギとアオサを投入した、手作り味噌のお汁を毎朝いただいています。


ピアノ部屋には2台の加湿器が24時間フル稼働していて、それでもやっと30%ぐらいの湿度です。
なので、たまに、隣にあるシャワー室のドアを全開にして、熱いお湯のシャワーを5分ほど出し、湿度を補強したりします。
ピアノに最適な湿度は40%なので、達成にはほど遠いのですけれども…。
ピアノといえば、先日デジタルピアノを購入しました。
以前からずっと、買って欲しいと夫から言われ続けていた物です。
夫は仕事柄、家に居る時間が長いのですが、特に漢方薬剤師の免許を取ってからは、複雑な成分調整をする作業も加わって、静かな環境を要するようになりました。
「レッスンでのピアノの音は仕方がないとして、君自身の練習は僕がいない時にするか、僕が許容できるタイミングを図るか尋ねるかしてからやって欲しい」と言われ、今度はそのことでわたしが悩む日が長く続いていました。
それでとうとう二人の間で折り合いをつけるには、やはりこれしかないということで、デジタルピアノをピアノ部屋に加えることにしたのです。
そこで、まだ小さくて、ピアノをずっと続けるかどうかもわからない初心者の子どもの親御さんから、とりあえず練習用の楽器を買うにはどれがお勧めですかと聞かれることも少なくないので、以前から興味のあった、安価だけども評判の良いデジタルピアノを買ってみることにしました。
家に届いたので早速開封して、さあ組み立てるぞ、と意気込んでいたら…。
ま、曲がってる…。

今度はネジが思いっきり足りない。

メーカーに文句メールを送ると、どちらもホームセンターで売っているので、それぞれに20ドルずつ払うから、自分で買ってきてください、という返事が来ました。
なんだかなあ…という気がしますが、まあそれで済むんならそれでもいいかと思い、これから買いに行くことにします。


夫のなんちゃってオリジナルオーブン料理。

チキンには目がない海が、じわりじわりと近づいてきます。


わたしの寝室でスクスク育ってくれている金柑さん。
今回の実りは、時期がバラバラだったので、実の色が揃うまでにはまだまだ時間がかかりそうです。

雪遊びも平気な空は、まっさらな雪を窓から眺めています。

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ジェットコースターみたいに気温が上がったり下がったりする毎日の中で、ちょっとだけ真面目な話

2025年02月02日 | ひとりごと
先週末に降り積もった雪が昨日の雨ですっかり溶けて、やっと地面が見えてきました。
ここ最近は、気温の上がり下がりが激しくて、気持ちの切り替えが大変です。
人間の順応能力は大したもので、零下16℃が続いた後に0℃になると、まるで春がやってきたような暖かさだと思ってしまって、思うだけじゃなくて実際に汗ばんだりもして、我ながら驚いたり。
三寒四温なんてゆったりしたリズムではないので、毎日寝る前に翌日の気温を調べて、心の準備をしなければなりません。

そんなことは一切できないけれど、やってくる厳しい天候を野生の感覚で察知し備えるであろう小さな動物たち。
けれどもこういう姿を見ると胸が痛みます。


早くどこかの温かい穴ぐらを見つけて避難しておくれ。

雪が積もると夜でも明るい。


翌日には、いろんな動物の足跡を見つけることができます。


さて…トランプ氏が大統領に就任して以降、毎朝ニューヨークタイムズを読んでいる夫は、目次が目に入ってくるだけで気分が悪くなると言います。
彼の取り巻きの連中には、なんでこんな人が?と思わざるを得ない人や、身内やトランプ贔屓の人がウヨウヨ。
こんなんでまともな政治ができるのかと、心配を通り越して恐ろしくなります。
その筆頭人物が国防長官に指名されたヘグセス氏。この任命には共和党の一部の議員からも反論が出ているようです。
さらに、中絶支援団体をはじめとする各種の資金援助を禁止すると発表しましたが、全米で7200万人いると言われている低所得者への医療補助への手続きができなくなってしまったことに多くの批判が集まり、この件だけは撤回に追い込まれています。

そして不法移民の拘束と強制送還。
これによる恐慌の空気感を第一次政権の時にも感じましたが、今回のものは桁が違います。
まずお店や会社から人が明らかに減りました。
近所では実際に拘束された家族もいるし、どこかに身を潜めているという噂も聞いています。
不法移民の中には、とにかくそこにいては身に危険が及ぶという状況で、やむを得ず不法で入国してきた人たちも少なくありません。
けれどもトランプ氏は、そういう移民の人たちを一絡げにして非難をし、それに両手を挙げて賛成する人が増えてきています。
犯罪歴のある不法移民は強制送還する。
(不法移民の)一部は非常に悪質で、収容する国さえも信用できないからグアンタナモに送る。
そのために、不法移民3万人を収容できる施設を、キューバのグアンタナモ米海軍基地に建設する。

こういったことに賛同するネットメディアの、しかも常にトランプ氏の言動を絶賛している人物をホワイトハウスの会見場に入れ一番に指名することにしたそうです。
ファクトチェックもせずに、声高々にトランプ氏を褒め称える声が響く会見室の様子を見ていると、この国が途方もなく暗い穴に落ちて行くようで、言葉を失ってしまいます。

トランプ氏は他に、カナダやメキシコ、そして中国に関税の割り増しを課し、カナダにはアメリカの51番目の州になればよいなどと言ったそうです。
この関税がアメリカ国内はもちろん、世界各国の企業活動や経済にとってどれほどの打撃になるのか、その実態はこれから見えてくるのでしょう。
なんならその打撃が、トランプ支持者であろうが不支持者であろうが、一般市民にも満遍なくもたらされたことに気づいた時、この国の世論に変化が生まれるのかもしれません。

つい最近のトランプ氏のXへの投稿は、
「米国民を攻撃しようとしているISや他の連中に対するメッセージは、『お前を見つけ出し、殺す!』だ」です。
こういう過激で極端で下品なメッセージを繰り返し送り続けるような人間を大統領にしてしまった、米国の有権者の責任は大きいです。
「人間は自分が真実だと思うものに飛びつく」
その結果が今の米国なのです。

気分直しにのんびりと家猫たちの写真を。

呼んでみました。
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黒色すみれと青ひげ公の城

2025年01月21日 | 日本とわたし
心友のあけみちゃんから「友だちの黒色すみれさんが出るショーがマンハッタンのジャパンソサエティであるんだけど、どう?」という連絡をもらいました。
黒色すみれ?え?だれ?
全く知らない名前だったので、インターネットで調べてみました。
黒色すみれは個人名ではなく、ゆかさんとさちさんという、クラシックをしっかり学ばれた音楽家たちによるユニットの名前でした。
一体どうしてあけみちゃんが彼女たちと知り合ったのか、その馴れ初めを彼女から聞かせてもらいました。

それは、あけみちゃんの友人で津在住のカフェのオーナー、マイケルさんと黒色すみれとの出会いから始まります。
宮崎県出身のマイケルさんは、東大大学院で地方都市の再生について研究していた学者です。
彼はマーケティングに詳しく、中性的で、規格にとらわれない人で、ブラスバンドの演奏経験もある音楽愛好家です。
その彼がある場所で、福井県にある年縞博物館でカフェを営むよんよんさんに出会い、その後、彼女のインスタグラムをフォローしていたら、黒色すみれが博物館でライブをやることを知り、福井に出向いて行ったのでした。そしてマイケルさんは彼女たちをぜひ自分のカフェにも呼びたいと思い、津に彼女たちを招いたんだそうです。

余談ですがこの年縞博物館、かなりすごい博物館なんです。
まず、みなさんは『年縞』ってなんのことかわかりますか?
それは湖や沼などの底に、長い年月をかけて堆積した層が描く縞模様の地層のことなんです。
この博物館では、水月湖の湖底から採取された7万年分もの年縞を、ステンドグラス風に加工して展示しています。
その長さ、なんと45メートル!
この年縞ギャラリーでは、年縞の目盛りに沿って過去から現在へ、7万年の間に人類が経験したできごとを振り返ることができるのです。


さて、話を戻します。

黒色すみれのウィキペディアより:
『2004年にデビューした黒色すみれは、日本の音楽ユニット。ボーカル・ピアノ・アコーディオン担当のゆか、ヴァイオリン担当のさちの2人による女性デュオである。クラシック音楽やシャンソン、歌謡曲をベースに、大正ロマンの雰囲気を漂わせたレトロでノスタルジックな曲調を持ち味とした「ネオクラシックユニット」と銘打ち、メンバーは2人とも「永遠の14歳」を自称している』

ゆかさんはフェリス女学院大学音楽学部出身で、歌とアコーディオンとピアノ担当。北原白秋などの日本文学にも詳しく、物事の捉え方が面白い人。
さちさんは国立音楽大学器楽学部出身で、歌って踊れるメルヘンヴァイオリニスト。
彼女たちにはクラシック音楽出身者特有の頑なさがなく、枠にとどまらない音楽性やファッションセンスの幅広さから、オルタナティヴ・ミュージックや「ネオクラシックユニット」として紹介されることもあります。
2007年よりフランスを始めとするEU諸国で海外ツアーを開始、2008年にはアメリカでもライブツアーを行っています。
演劇界でも彼女たちの出演を望まれていて、自作曲はもちろん数多くのレパートリーを持っています。
ちなみに監督のティム・バートンは彼女たちの大ファンだとか。

自身のカフェでの黒色すみれコンサートの本番が近づいてきた頃に、あけみちゃんの家に行ったマイケルさん。彼は彼女のアトリエ(彼女は実に素晴らしい陶芸家です)を見て、ここでもコンサートをしたらいいんじゃないかと思いつきました。
あけみちゃんは30名限定のお客さまをお招きし、そのコンサートのために特別に作ったお菓子をお抹茶と一緒に振舞ったのだとか。
そしてゆかさんとさちさんは、たっぷり1時間半のフルコンサートを行ったそうです。
実にエキサイティングな出会いだと思いませんか?

さて、ここからが本題です。
厳しい寒波の到来間近だった週末の土曜日に、マンハッタンのジャパンソサエティに向かいました。
その日は朝からずっとボケていて、時間の感覚も途切れ途切れで、出かける寸前にちょっとひと眠りしようとしたりして、夫をイライラさせてしまっていたわたし。
あまりの寒さに冬眠でもしたくなったのか、自分でもよくわからなかったのですが、体調はあまり良くありませんでした。
いつもなら渋滞で困り果てる時間帯に行ったにもかかわらず、マンハッタンへのトンネルも街中も道路はスカスカです。
数日前から執行された渋滞税の効果が出ているのかもしれません。

ユニセフの近くにあるジャパンソサエティの建物は、そこだけが急に京都の一画に入り込んだような錯覚を覚えさせます。


この日のショーは、寺山修司の戯曲『青ひげ公の城』。

バルトークの歌劇『青ひげ公の城』を題材に、楽屋裏の事件や不条理なやりとりを描いた、メタフィクショナルな作品です。『青ひげ公の城』のヒロイン「七番目の妻」役を演じるために劇場にやってきた少女は、劇の内容について詳細を知らされないまま楽屋で待機することを命じられるのですが、そこを脱け出して、他の俳優たちや、舞台監督、大道具といった裏方スタッフと関わっていきます。劇中の台詞や場面が挿入されながら、楽屋裏での様々な人間模様や事件が展開されていき、劇と現実が交錯してゆきます。その混乱にマジシャンやエアリアルフープのダンサーの本格的な演技が差し込まれ、劇は実に目まぐるしくエネルギッシュに展開していきます。

そこに黒色すみれのお二人が登場です。



いやもう、ゆかさんの第一声を聴いた瞬間、心地良さと歓喜が同時に押し寄せてきて瞳孔が開きっぱなし。
あの発声の独特さは聴いたことがありません。さちさんのヴァイオリンもノリノリです。
黒色すみれ(ネオクラシックユニット)の音楽と寺山修司による実験的なアングラ演劇のコラボの公演は大成功で、満席の観客も大興奮。


ちなみに出演者は全員女性です。


全員がまさに弾け飛んでいて、楽しくて可笑しくて、元気をいっぱいもらいました。
次回は女性だけの歌舞伎の公演を提げてニューヨークに来る、とおっしゃっていたのでとても楽しみです。
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1月前半の四方山話

2025年01月16日 | 友達とわたし
クリスマスのお祝いに使われたもみの木が歩道に横たわるようになると、年が変わり、もう浮かれた季節は終わったんだなあという気分になります。

うちも息子たちがまだ家に居た頃は、毎年もみの木を買って飾り付けをしていました。
生のもみの木は、家の中に運び入れた瞬間から、それはそれは心地良い森の香りを振りまいてくれます。
ただ、大酒飲み、もとい、大水飲みなので、お水の補充が大変です。
そしてうちには猫が2匹いるので、彼らが飾りにアタックしないよう、しょっちゅう気をつけていなければなりません。
そんなこんなで面倒になって、もう10年ほど前から購入しなくなりました。
毎年もみの木の季節になると、気楽さと共に一抹の寂しさを感じます。
ちなみに、このもみの木を飾って祝うのはクリスチャンの家庭で、うちのように家族の誰かが元クリスチャンだったりしても祝いますが、ユダヤ教の家庭では一切祝いません。
だからクリスマス=もみの木、というわけではないのだということを、こちらに来て初めて知りました。

1月には特別に楽しい行事がありません。
子どもたちも大人も、2日から平常のスケジュールで学校や会社に行きます。
わたしのレッスンも2日から始まりました。
なので親友のAちゃんと、ガールズランチに出かけることにしました。
彼女はわたしより少しだけ年上の、とても優秀な家のトータルデザイナーです。
人気者なので、70歳になるというのにあちこちから依頼が来て、飛び回っています。
元々忙しい上に、ドッグショー運営にも関わっているので(彼女の家にはチャウチャウが3匹とでっかいプードルがいます)、週末も予定がてんこ盛り。
年中暇なしの彼女を誘うのは至難の業なのです。
彼女は絵画や音楽に造詣が深く、その界隈の著名人たちとの関わりも多く、普通では聞けないエピソードをいっぱい持っている人です。
だからわたしは彼女の話を聞くのがすごく楽しくて、なんとかして彼女に会えないかといつも隙を狙っているのです。

隣町のフレンチレストランでブランチを食べてから、坂道を上ったところにある美術館に行きました。
この町で暮らしていた頃に、生徒の発表会をこの美術館のホールを借りて行っていたのですが、使用料金が爆上がりしたのでそれっきりになっていました。
この美術館の近辺に暮らすようになってからもう25年も経つのに、美術品を観に行くのは今回が初めてです。
館内の面積はそれほど大きくないので、美術品の数は限られていますが、だからこそ一品一品を丁寧に、心置きなく楽しむことができました。
もちろんAちゃんが横で、一作一作について話してくれるのを聞きながらですが…。
そしてこの館は、ネイティブアメリカンの美術工芸品の展示に力を入れていることで知られている美術館であることも知りました。
彼らの作品の細やかなことったら!特にビーズ細工の美しさと言ったら!
その素晴らしさを写真に撮ってお見せできないのが残念でなりません。

帰りの階段を降りていたら、こんな作品が。
影が箱の形になるように作られているのが面白い!


週末は、すごく好きな友人カップルに会いに行きました。

なかなか会えなくて、気がついたら2年ぶりとか3年ぶりとか言って会うんですが、だから子どもたちが飛び級に大きくなっていて、会うたびにびっくりさせられます。
息子のK君は16歳。超ハンサムな上に水泳で鍛えたたくましい体と落ち着きのある雰囲気。いやあ、女の子が放っておかないだろうなあ😅。
娘のAちゃんは7歳。恥ずかしがり屋さんだけども、お話を書くのが好きで、今回はわたしたちのために人形劇を披露してくれました。


お父さんのGさんが相手役。お話がとてもよくできていて面白かったけど、何よりこの親子愛あふれる姿に感激しました。
お母さんのKちゃんが作ってくれたお料理を美味しくいただきながら、あれやこれやと話は尽きず、いつものように別れ難い思いを吹っ切って家に戻りました。

翌日の月曜日は、待ちに待ったピアノの鍵盤の修正と調律をしてもらいました。
調律師のマーティンは陽気なイタリア人。
前に長年の間調律をしてもらっていたアルバートのお弟子さんで、アルバートから引き継いでもらった人です。
生徒用のピアノは25歳。
オーバーホールとはいかないまでも、鍵盤のあらゆる部分を点検し、修正してもらうことになりました。
時間は2台で8時間。


響きがうんとまろやかであたたかになり、鍵盤の負荷が少し増したので、小さな音を出すのが今までより容易にできるようになりました。
これで生徒たちから文句を言われることは少なくなるでしょう😅。
たまに言われてたんですよね、先生はずるい!わたしたちのピアノよりうんといい音が出るピアノ弾いてる!って。
いやいや、これは実力と経験の差です、って言いたかったけど、実際にピアノ自体に差があったので、今までは言えませんでした。
これからはほぼ平等です。
文句は言わせないぞ〜!
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2025年、新年のごあいさつ

2025年01月02日 | 家族とわたし
あけましておめでとうございます。
2025年が始まりました。

というところでいきなりですが、ちょっとお見苦しい写真をば。


地下室の味噌壺置きの近くを通るたびに、なんとも言えない嫌〜な臭いがしてたのですが、その原因がコレでした。
いつから始まっていたのか全く知らないのですが、味噌の納豆化と言えばいいのかなあ、見た目も臭いも強烈です。
慌てて重しの塩を取り外し、中を確かめてみました。

色はほぼ黒に近い焦茶ですが、カビ一つ無く、5年間じっくり熟成した美味しそうなお味噌になっていました。
うちには4つの、同じサイズの壺があるのですが、この壺以外は空っぽです。
今月のうちにお味噌を仕込まねばなりません。

年末の30日は、長男夫婦の引っ越しの手伝いに行ってきました。
前日まで雨降りが続いていたのに、いきなりの快晴☀️しかも春先みたいな暖かさです。

彼らがこれまで住んでいたアパートは、セントラルパークのすぐ横にあり、買い物や通勤には便利なのですが、建物がとても古いのでゴキブリの巣窟になっていました。
長男は虫が大の苦手で、ゴキブリはその中でも特別級。
それに加え、なぜか隣近所で工事が頻繁に行われ、その騒音で不眠症になったりと、心身ともにストレスマックス。
それでエイっと決心して、引っ越すことにしたようです。

引っ越した先のアパートメントはいわゆるタワマンと呼ばれる新築ビルで、20階の角部屋の部屋一面の窓の向こうに、空が表情を刻々と変えていくのを見ることができます。


お疲れさん会に連れて行ってもらったホットポットのレストランで、お腹いっぱいいただきました。



翌日の大晦日の夜に、椅子の組み立てを始めました。

これまで愛用していた、まだ就職して間もない息子たちが共同で買ってくれた椅子を、とうとう決心して捨てることにしました。

なんでこんな悲惨な姿になったかというと、一時期、猫たちの爪研ぎ場になってしまったからです。
姿はこんなですが、なにしろ座り心地がとても良く、しかも息子たちからのプレゼントだったので、15年もの間、どうしても捨てきれなかったのでした。
ずっと布を被せて誤魔化してきましたが、とうとうお別れです。
長い間ありがとう。

そして今日は2025年の元旦。
25年前に亡くなった父、2年半前に亡くなった義父、そして1年前に亡くなった伯母に、お祝いのお裾分け。

大晦日の夜中に、餅つき機さんについてもらったお餅を焼いて、黒豆をゴリゴリと押し込み、焼き海苔に包んでいただきました。

お昼からは久しぶりに映画館に行ってきました。
ティモシー・シャラメがボブ・ディラン役を演じた映画『名もなき者 / A Complete Unknown』です。
いやあもう、本当にいい映画でした。
なんかこう、観ている最中も、観終わってからもずっと、映画と現実の狭間から動きたくないような、なんとも言えない余韻が心の中に漂っていました。
ティモシーのディランはもちろんのこと、ミュージシャン役を演じた役者さんたちの演技と演奏がもう素晴らしくて、いやあ、役者さんってほんとすごいなあと、しみじみ感心したのでした。
夫は家に戻ってから長い時間、デュランの昔のインタビュー動画を観たり、自分でギターを演奏しながら歌ったり、浸る浸る、それを見てわたしはギターってやっぱりいいなあ、手軽で、などと僻んだり…。😊
みなさんにも是非是非、ほんとにおすすめの映画です。

街中では、ニューオリンズで起こった事件を悼んでか、新年を祝う国旗が半旗になっていました。
1月6日からはトランプ政権が発足します。
気を引き締めて、けれども平常心を保ってコツコツと、毎日の暮らしを積み上げていきたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願いします!
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信じがたいのですが、今年も残すところあとわずかとなりました。来年もどうぞよろしくお願いします!

2024年12月27日 | 家族とわたし
クリスマス前はすんごい寒さが続きました。

最高でも零下8℃、夜中は零下18℃にまで下がるような日が続き、家の暖房勢がいくら頑張っても冷え冷えとした空気がそこらかしこに居座っていました。
そんな厳しい寒さが少し和らいできたと思ったら雪になり、クリスマスイヴにはうっすらと雪が積もりました。

今年のクリスマスもペンシルバニア在住の夫の姉の家で行ったのですが、今回はイヴィディナーから全員が集まることはせずに各自で過ごそうということになりました。
そうなると、義姉の家から1時間ばかり離れた、同じくペンシルバニア州の家に住んでいるお義母さんは、独りぼっちでクリスマスイヴを過ごさねばなりません。
夫とわたしは彼女の家に行って、イヴディナーを一緒に食べることにしました。

家に着き、まずはイヴのお祝いに、お義母さんとわたしは彼女が作ってくれたカクテルのマンハッタンを、夫はワインを注いで乾杯です。
マンハッタンの最後に、グラスの底に静かに佇んでいる、このチェリーが逸品でした。


お義母さんはわたしたちのために美味しい夕食を用意してくれていました。

翌日の朝、「こんなによく眠れたのは久しぶりだわ、やっぱり誰かが家に居てくれるだけで気分が違うのかもね」と言うお義母さん。
60年以上も連れ添った夫を2年前に亡くし、だだっ広い家で独り住まいをしながら、サービス付きのシニア向け住居の空きが出るのを待っているお義母さん。
車の運転やインターネットの操作もガンガン熟し、陶芸家としてマッサージ師としてその分野の勉強を続け、料理や運動にも手を抜かないスーパーシニアのお義母さん。
彼女は先日85歳になりました。

クリスマスの朝、義姉の家に到着。
家の前の公園の池の氷が、半分くらい溶け始めていました。
あの強烈に寒かった頃はきっと全部凍って、近所の子どもたちがスケートをしに来ていたと思います。


小さな子どもがいなくなった今は、プレゼントの数もずいぶん減りました。

クリスマスディナーの準備をしながら、夫が持ってきたボードゲームに挑戦するわたしたち。


やり方を理解して楽しめるまでにけっこう時間がかかりました😅。

クリスマスツリーはやっぱり夜がいいですね。

見た目はイマイチですが、どれもこれもとても美味しかったです。


さあ、今度はお正月!
今日は食材を買いに出かけました。
平日の昼間だというのに、人出が多くてびっくり!
今年の年末年始はこの家には誰も来ません。
夫と二人だけの年越しと元旦なので、おせち料理もいつにも増してなんちゃっておせちになりそうです。
一応黒豆と数の子、伊達巻のためのはんぺんと昆布巻のための昆布と鮭とニシン、そして筑前煮のための根野菜とこんにゃく、栗きんとんの材料を買い、明日からは餅つき機にも登場してもらい、ぼちぼちと準備を始めようと思います。

みなさま、良いお年をお迎えください!
そして来年もまた、ちょこちょことではありますが書き続けていこうと思っていますので、どうぞよろしくお願いします!
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90歳おめでとう!

2024年12月13日 | 家族とわたし
今年90歳になる母の誕生日を、特別な形でお祝いしたい。
ただそれだけがわたしの望みでした。
母は温泉に浸かるのが好きだったけれど、体がふらついて思うように歩けなくなってからは、従姉妹のKちゃんとわたしが両側から支えて入ったりしていました。
ちなみにKちゃんは母方の従姉妹で、遠くに行ってしまったわたしの代わりにあれこれと母たちを気遣って、一緒に3人でいろんなところに旅行に行っては、何かと不自由な後期高齢者たちの面倒を見てくれている人です。
だから母にとっては娘同然なんですが、ここ最近は、そんなKちゃんやわたしであっても、世話になってまで入りたくないと言って、温泉に行っても大浴場はもちろんのこと、部屋のお風呂にも家と同じような手すりが無いからと入らずに、一人でポツンと部屋で過ごすようになっていました。
そんな母を温泉の湯にゆっくり浸からせてあげられないだろうか。
ということで、客室のお風呂に温泉が出てくる宿を探しました。
ただし、母の家から車で1時間以内のところにある宿でないと、運転する義父に負担がかかるので、見つけるのはなかなか大変でした。
やっと見つけたのが榊原温泉の湯元館でした。
しかもその温泉は1500年も前から湯ごりの地として存在する日本三名泉!
清少納言の枕草子にも詠われた「七栗の湯」!
バリアフリーで手すりがあちこちに設置された、館の中で唯一ベッドが置かれている部屋で、客室のお風呂の蛇口からもその「七栗の湯」が出てくると聞き、ここだ!と思いました。
さらに、要予約ですが貸し切りの露天風呂が3ヶ所あって、そのうちの一つが要介護の人も入ることができるお風呂もあります。
これなら母も喜んでくれるかもしれない。
お風呂の話をしても、「わたしは絶対に入らない」と頑なに断られていたのですが、現地に行って自分の目で見たら気が変わるかもしれないと思い、大阪の弟に頼んで予約を入れてもらいました。
気が利く弟は、誕生日ケーキの注文も済ませてくれて、これでいよいよ本番を待つのみです。

今回の帰省は、母の90歳のお祝いをするために計画した旅でした。
そこに、たまたま同時期に日本を旅することになった次男くんとEちゃん、弟夫婦、そしてKちゃんも合流して、総勢9人が集うお祝いになりました。
母の性格からすると、さらりと、みんなで祝ってくれてありがとう、というわけにはいかないだろうとは思っていましたが、結果は想像していたのより何倍も、悲しく辛いものとなってしまいました。
原因は、まず第一に、わたしが主になって祝ったことです。
母はこれまでにも、わたしがお金を出すことを異常に嫌い、わたしが彼女の家に居る間は、わたし個人の買い物以外の費用のほとんどを彼女が払っていました。
随分前に一度、母が、「わたしはまだ子どもだったあなたたちを置いて家を出て苦労させてしまった。だからその罪滅ぼしとしてお金はわたしが全部払う」と言ったことがあります。
わたしはだから、かなり慎重に、丁寧に、今回のお祝いは特別なお祝いだから、今回だけはわたしに祝わせてほしいとずっとお願いしてきたのでした。
といっても、わたしが払うと言っているのは母と義父、Kちゃん、そして夫とわたしの分だけで、弟夫婦と次男くんカップルは自腹です。
それなのに宿泊直前まで「わたしが払う」、「いや、わたしが払う」と、母娘で譲らなかったのですが、嫌々でも取り合えず納得してくれたと思っていました。
温泉行きの前日に、居間のカーペットの汚れがひどく、あちこちが劣化してして破けているので買い替えようと言うと(これも今回の旅の目標でした)、「汚くて嫌なら出ていけばいい、わたしはこのカーペットがいいんだから絶対に替えない」と、母は烈火の如く怒り出し、それからはものすごく陰険な雰囲気に…ああ大失敗…。
当日の朝は初っ端からご機嫌斜め…行きの道中も遠いだのしんどいだの道が悪いだの、こんなところに来たくなかっただのと、文句が延々と続きます。
それでもまあ、大阪の弟夫婦は次男くんとEちゃんを車に乗せて、夫とKちゃんは同じく大阪から電車で、そして母とわたしは義父の車で、湯元館に集合しました。
それぞれが各部屋に入り、お土産の交換などをして、それでは夕飯までに温泉に浸かろうということになり、Kちゃんとわたしとで何とかして母を露天風呂まで連れて行こうとしましたが、これまた失敗。

仕方がないので、Kちゃんとわたしだけで浸かりに行くことにしました。

日本屈指の「美肌の湯」、浸かった瞬間にわかりました!

ああ、この気持ちよさと景色の美しさを、母にも感じさせてあげたかった…。



ここのお湯は本当に素晴らしいです。
源泉そのものの湯船もあって、けれども湯の温度は31℃ぐらいで、浸かっていても温まらないような気がするのですが、嘘だと思って15分浸かってみてくださいとおかみさんに言われて試してみると、何か不思議な波動のようなものが体の芯に感じられ、体全体がふわりと浮くような気がしました。
湯量は豊かで、湯船からいつも溢れ出ています。
温泉には19時間の間に3回も浸かったのですが、数日後まで肌がツルツルとして気持ちが良かったです。
めっちゃお勧めです!

お祝いのお料理とケーキ。


部屋のすぐ横を流れている小川。

朝ご飯も美味しかったです。


結果から言うと、このお祝い旅行は大失敗に終わってしまいました。
ただし、母以外の参加者はみな、お湯もお料理も最高だったと言って、とても喜んでくれたので、わたしにとってはそれだけが救いになりました。
母が自室のお風呂に入る時、Kちゃんとわたしが待機しているのが嫌で、一人にしてくれと言い張るので、仕方なく部屋を出たのですが、結局湯船から出ることができなくて大変な思いをしたようです。
浴槽周りに取り付けられていた取手の位置が彼女に合わなかったのと、耳がよく聞こえない義父が酔って寝てしまっていたのとで、足のあちこちに打ち身を作るほどもがいていたのでした。
きっとかなりショックだっただろうし、そんな自分にがっかりしたんだろうと思いますが、彼女の機嫌はますます悪くなっていきました。
その勢いで、チェックアウトのカウンターのところで、「誰が払ったのだ」と大きな声で聞き質し始めた母に、「今回のお祝いの企画と清算はわたしではなく全て次男くんが引き受けたから」と言うと、ようやく静かになったのでした。
家に戻ってからも、旅館の料理のこと、ベッドのこと、そしてもちろんお風呂のことで、文句を言い続ける母と、それをそうかそうかと聞く義父の声を聞きながら、わたしはどんどん落ち込んでしまいました。
あまりに悲しく、あまりに虚しかったので、友人にその気持ちを漏らすと、言葉を尽くして励ましてくれました。
夫と弟にも何度も愚痴りましたが、その都度慰めてくれました。
その3人が共通して言ってくれた言葉があります。
「あなたは彼女の感情を引き受ける義務はない。あなたの価値は彼女を満足させることができるかどうかではない」
「自分をしっかり守りなさい。自分をもっと大切にしなさい」

確かにわたしは、彼女に喜んでもらいたいと思う気持ちと同時に、そういうことができるようになった自分の満足のためにこの計画を立て、費用を払おうとしました。
彼女が最初から賛成していなかったのに、それは現地に行けばなんとかなるだろう、みんなの顔を見れば気が変わるだろうとたかを括っていました。
考えが甘かったのですね。

さて、夫とKちゃんを送って行った榊原温泉口という近鉄沿線の駅のすぐ近くに、おもしろい場所を見つけました。
名前が『ルーブル彫刻美術館』!



いきなり三つの立像、サモトラケのニケ、ミロのヴィーナス、自由の女神像が目に入ります。
なんだなんだなんだ?!この寄せ集めは?!
怪しさ100%の気分でよくよく見てみると、「世界的に有名なパリのルーブル美術館から公式に許可を得て運営している由緒正しい美術館」なんだそうです。
次回はぜひ中に入ってみたいと思います。

その美術館の駐車場の周りには、たくさんのカエルさんたちが。



大観音寺への入り口。



そして少し離れたところには、高さ33メートルの純金大観音「南無開運寶珠大観世音菩薩」さまが。

すっかり沈んでいた気持ちが、ふわりと浮かんだ時間でした。

母たちの家で過ごした日数は小旅行を除くと2週間。
朝に目を開けてから夜に目を閉じる直前まで、母と義父とわたしは同じ部屋で一緒に過ごしました。
朝と昼は彼らのいつものルーティーンを守り、夜はわたしが料理を担当しました。
わたしがいる間は、部屋の掃除と食事の後片付けは任せて欲しいとお願いして、好きなようにやらせてもらいました。
母は朝起きて顔を洗い、朝食を食べ、iPadでシニア用の脳トレゲームをし、新聞を読み、お昼ご飯を食べ、足漕ぎ運動をし、膝から下をマッサージ機で揉みながら新聞を読み、ベッドに寝転がってAmazonタブレットでお気に入りの映画を鑑賞し、おやつを食べ、録画しておいたニュース番組を聴きながらマッサージ器具で目をマッサージし、日が暮れる寸前に散歩に出かけ、夕飯を食べ、お風呂に入り、痛みや痺れを感じる部分をマッサージしたりクリームを塗ったりしてから布団に入り、若い頃から大ファンの森進一の曲を3曲聴いてから眠ります。
料理も洗濯干しも掃除も、一切しなくなりました。
そんな彼女の横にいつもいて、母の言うことを聞き逃しては怒鳴られている義父。
確かに、補聴器をつけていても聞こえない人に、同じことを2度3度と言っている間に怒鳴りつけたくなる気持ちはわからないでもないのですが、これでは双方ともに良くないことは明らかで、この問題の解決が次のわたしのテーマになりそうです。

今回の帰省の最後に、この旅行があったのは幸いでした。
この温泉は母のお気に入りで、車で40分ほどのところにあるやっぽんぽんの湯です。
ここはゴルフを楽しむ人、とろりとしたお湯の温泉を目当てに来る人、美味しい日本料理を食べに来る人に人気があります。

部屋からの夕焼けと朝焼けが絶景でした。
夕焼け編



朝焼け編



ここに来ると母の機嫌はいつも良くなり、お天気や体調が良かったら、彼女の大好きなグランドゴルフもできるコースもあります。
幸いにしてお天気も良く、母の体調もまずまずだったので、コースに出てみました。

朝に回った時は足元がおぼつかず、バランスを崩して倒れてしまいましたが、それにもめげずにお昼からも一回りした母。
満足できたようで嬉しそうでした。

足腰を鍛えたい。そうしてこれからもグランドゴルフをできるようになりたい。
そんな願いがわき上がってきたようです。
これから気温がどんどん下がって寒くなりますが、無理のない範囲で、毎日散歩を続けると決心した母。

二人の平安と健康を祈ります。

おまけ写真。
某ファミレスで会ったロボットくん。

日本最後のご馳走、絶品うなぎ。

今回の旅の最後の最後は、ただただ一人になりたくて、羽田空港近くのホテルに泊まりました。
初めて乗った近鉄の特急『ひのとり』。

品川はいつも人でいっぱい。

疲れ過ぎて間違って行ってしまった羽田空港内のホテル。

わたしが予約したホテルは、羽田空港を川向こうに見るホテルでした😅。

ポンポン船がのんびりと。

地産地消の野菜をたっぷり使った朝ごはんがとても美味しかったです。


わたしがいない間、わたしの机の下にある足炬燵の上でずっと眠っていた海ちゃん。

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日本写真日記

2024年12月10日 | 日本とわたし
今朝、goo事務局から、世にも恐ろしいメールが送られてきました。
「長期間ログインされていないので、90日以内にこのブログのアカウントを削除する」というお知らせメールです。
「削除にあたり、これまでに記載された文章はもちろん写真など、全てが抹消される」と言われて、大いに焦ってこれを書いています。

思えば、先月の10日に行われた生徒たちの発表会のすぐ後に日本に行き、先週の金曜日の夜にこちらに戻ってくるまで、ブログを書く時間を作ることができなくてログインしていなかったのでした。

時間が経つのが早くてもうほんとに困ります。
ちょっと前に2024年の幕開けだとか言ってたのに、気がついたら師走になってしまってて、あと2週間もするとクリスマスで、それが終わったらおせち料理の下準備に追われる…ってどゆこと??
この時期、毎回同じようなことを言ってるような気もしますが…😅。

美しかった紅葉もすっかり姿を消し、日が暮れると気温がスルスルと0℃近くにまで下がります。
すっかり冬になった今日この頃、昨日から1ヶ月ぶりにレッスンを再開しました。
今回はなぜか時差ボケの影響が少なくて助かっています。
体はこれまで以上にクタクタに疲れているのですが…。

では、今回の日本滞在の写真日記を始めます。
11月13日から17日までは夫と一緒に横浜→三重→大阪→滋賀と周り、18日から12月5日までの18日間はわたしだけが、母と義父の家に行って家事手伝いをしました。

11月13日
横浜在住の従姉妹と待ち合わせをして、ホテルまで送ってもらいました。
ホテル近くのレストランに入り、日本食第一食目😅




11月14日
横浜のホテルの部屋の窓から見える公園に、朝の散歩に出かけました。

近くまで行くと、ハアハア言いながら駆けてくる園児たちに、先生が盛んにハッパをかけていました。

彼らが駆け上って行った坂道を上っていくと、夫が急に「あ、僕のと同じノコギリ!」と叫び、スタスタとこのおじさんに近づいて行って、「このノコギリ、ほんっとによく切れますよねえ」と嬉しそうに声をかけましたが、おじさんはかなり戸惑っていたようです。

紅葉どころか緑ばっか😅。

丘のてっぺんまで行ったら、ここでもまた園児たちが😳…体力あるなあ。


降りていくと大きな池があり、



ホテルに戻る道が何やら美しく、


かなり時間が経ったのに、まだ走り続けている園児たち…いや、走っているだけじゃなくて坂道や階段を何度も何度も上り下りしてるんです。信じられない…。


散歩の後、ホテルをチェックアウトして、ホテルまで迎えに来てくれた従姉妹の家に行き、彼女の娘ちゃん、そして彼女の母親(わたしの叔母)に会いました。
叔母は新しい物事の記憶をとどめておくことが難しくなりましたが、遠い昔のことはとてもよく覚えています。
時々今と昔が交差したり、目の前にいる人が誰なのかわからなくなったりします。
その時その時の、彼女が見ている世界を、彼女の目を通して見ることができたらどんなにいいだろうか。
従姉妹はそんな母親を大変な思いをして自分の家の近くにある施設に移し、毎日のように世話をしています。
本当に頭が下がります。

11月15日
14日の夜に三重県に移動し、今年の2月に亡くなった伯母のお墓参りに行きました。
お墓までの道中、子どもの頃によく通った道を、伯母の娘である従姉妹と夫、そしてわたしの3人で歩きました。
どの通りも、神社や鳥居も、そして疏水も、子どもの目で見ていたからか、覚えているよりも小さくて、不思議な懐かしさを感じます。



借金の取り立てがいよいよ激しくなり、両親ともにどこかに姿を消してしまったとき、置いて行かれた弟とわたしの面倒を見てくれた伯母と従姉妹が住んでいた家の前を通り、

伯母のお骨が納められているお寺に到着しました。

先ほどの鳥居の前まで戻り、さて、この鳥居は一体いつ建てられたのかとよくよく見てみると、

安永という文字が刻まれていました。安永、安永、安永…と首を捻っていると、


こちらの店先にご夫婦が立っていて、わたしたちに手招きしてくださっているのでお言葉に甘えて入らせてもらいました。

お店の奥のお座敷に上がらせてもらい、中庭を見せていただきました。

このご夫婦は酒屋のオーナーで、この鳥居前に建つ幕末の町屋座敷で、地元のお酒やお茶、銘菓を販売しています。
その商売の傍ら、町の成り立ちや幕末から今日までの歴史を影絵にして上演したり、江戸時代から昭和初期の品々を展示したりして、たくさんの人たちを楽しませてくれるそのご夫婦のやり取りを聞いていると、まるで漫才のように楽しいのでした。




思いがけずに歴史を楽しく学ばせていただき、小腹が空いてきたので、従姉妹が前々から気になっていたというレストランに行ってみました。
そのお店は、大人が一人通れるかどうかというほどの細い路地の奥にありました。

壁には手裏剣が😅。

到着です。

料理も給仕もおあいそも、みんな自分でやってます、という店主は、イタリアに深い愛情を持つ腕利きのコックさんでした。




膨れたお腹をこすりながら歩いていると、どこかから懐かしいお琴の音色が聞こえてきました。
ああ懐かしいと声を上げると、従姉妹が「そりゃそうよ、まうみも通ってたお琴の先生の家の前やもの」と言うではありませんか!


いやいやいやいや、これは懐かし過ぎる!
この家には3歳から7歳までの5年間通いました。
絶対音感を持っていたわたしは、幼いながらもお琴の13弦の調律を任され、いつも重宝してもらっていたのでした。
弾くのが楽しくて、どんどんと進んでいったのですが、7歳の終わりにピアノに進むことになってお琴を辞めなければならなくなり、最後に『六段のしらべ』をどうしても弾きたくてお師匠さんにお願いしたら、「弦を弾けてもあなたの歳では理解できないから」と断られ、大泣きした覚えがあります。
なのに、家から聞こえてきたのは、まさにその『六段のしらべ』!
もう我慢ができなくなって、従姉妹を引っ張って家の中に入ってしまいました。
従姉妹もその家で長い期間お琴を学び、師範の資格を持っている人なので、全くの外部者ではありません。
中に入ると、そこにはわたしが習っていた頃の師匠とそっくりの娘さんが、3人の生徒さんと一緒に座っていて、突然の闖入者にびっくり。
事情を話すと、快く座敷に招いてくださり、みなさんで『六段のしらべ』を演奏してくださいました。


60年前と全く同じ空間で聴く『六段のしらべ』はただ懐かしいというだけでなく、この曲を恋してやまなかった7歳の胸の震えを感じて、涙が込み上げてきました。

秋祭りの屋台が並んだ境内に続く道も、こんなに狭かったんだ。


ちょうど七五三の日でした。

従姉妹がよく遊んだ場所。

ここで松明が焚かれ、甘酒を飲んだ思い出があります。

11月16日
大阪に移りました。
大阪といえばこれ!


江戸堀にお店がある眼鏡屋さん『G-KENEYES』。
大阪に来たのはこのお店が目当てです。
ここには、一度でも通ってしまうと、2度と他のところでは眼鏡を作ってもらう気にならないほどの、懇切丁寧で綿密な検眼と、どんなフレームでもお客の望みを叶えてくれる高い技術力を備えた職人さんがおられます。
今回は、2年前に購入したピアノの読譜用眼鏡の点検と、車の運転用の眼鏡を新たに作ってもらいに行きました。

実は、大阪に移った夜、わたしが予約した部屋がとんでもないことに。
そもそも、日が暮れる中、わたしの代わりに大型のキャリーケースをゴロゴロ引きずっていた夫の機嫌はどんどん悪化していたので、1分でも早く見つけたかったのに見つからない…。
やっと見つけたと思ったら、今度は建物そのものに入るドアの開け方がわからない。
夫の不機嫌度はピークに。
やっとのことでそのドアが開き、わたしが予約したの部屋の前に立つと、またまた不可解な暗号が。


二つの難関を突破して、やっとのことで部屋の中に入るや否や、夫が鼻をつまんで「臭い!」と叫ぶではありませんか。
元々鼻詰まりのわたしは何がそんなに臭いのかわからず、扉という扉を開いては中を点検する夫をただ見つめているだけ。
今さらここをキャンセルして新しいホテルを探す気力もありません。
とにかく今夜はここに泊まって、次の晩は違うホテルに移動しよう、ということになりました。
いっときでも部屋の中に居たくなかったので、夕飯を食べに出発。

ちっちゃいけれどド派手な電車駅を通り過ぎ、

夫が好きそうな食堂を見つけました。


その夜中にふと目が覚めたわたしは、鼻の奥に居座るとても不快な臭いに気づきました。
え?なにこの臭い?下水?
もしかして、夫が大騒ぎしていた臭いってこれだったのか?
それからはもう眠れません。布団の中にもぐって、ただただ朝が来るのを待ちました。

11月17日
翌日の朝、そのトンデモ宿からあまり離れていないホテルに移り、とにかく一安心。
朝ご飯を食べに外に出ましたが、どこもまだ閉まっていて見つかりません。

万博の宣伝してるけど、開催できるのでしょうか…。

もう諦めてコンビニで何か買おうかと思ってたところに、ホテルの入り口が見えました。
もしかしたら朝食バイキングなんかがあるかも…ありました!


この日のメインイベントは大津の友人たちに会いに行くことです。
懐かしい京都駅。


夫がいい塩梅に映り込んでいました😅。


これまた懐かしい、8年間暮らした琵琶湖畔。

久しぶりに会った二組の友人夫婦たちと一緒に、美味しいランチを食べました。

日本の電車は楽しい。

11月18日
ホテルの窓から、電車に乗った乗客の顔まではっきり見えます。

出た!コンビニ朝ご飯!

さて、この日以降は、夫とは別行動になります。
彼は関西在住の友人たちに会いに行き、わたしは母と義父の家に移り、母の90歳の誕生日祝いをする温泉一泊旅行でまた合流し、その後夫はアメリカに、わたしは母たちの家に残るという予定になっています。
二人で気ままに過ごせる最後の日ということで、観覧車に乗りたいと思い行ってみたのですが、残念ながら休止中。
では、何か美味しいものを食べようと、市場に探しに行きました。

甘いもん💜


ほんでもってお寿司❤️

今日はこんな活きのいいのが入ったよ〜と職人さんが見せてくれました。

またまた見つけた楽しい電車。

11月19日以降と「母の90歳のお祝い旅行」のお話はこの後に。
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米国『東海岸の紅葉とハロウィーンと大統領選挙』事情

2024年11月02日 | 米国○○事情
今年の日本の夏は暑さが半端なく厳しくて長かった!と、過去形にすらまだできないって聞いているのですが、さて、流石にそろそろ秋らしくなってきたのでしょうか?
こちらは雨が全く降らない日が続いていて、ここ数日はインディアンサマー現象で生暖かい気候でしたが、明日からまた秋が戻ってきそうです。
風が強く吹くと、大小様々な枯葉が舞い散ってきます。
うちの中庭と裏庭は、恒例の落ち葉踏みが楽しめる、まるで奥深い森の中のような様相で、外遊びの猫でさえ、得意の抜き足差し足忍び足ができません。

もう2週間前になりますが、散歩をしながら撮った紅葉の様子です。
この頃はまだ緑の方が優っていました。






少し日が経って、






こういうのも好きなので、



ご近所さんのお裾分けコーナー。
  


昨日はハロウィーンでした。年々凄まじくなってくるこのお家のデコレーション👻




わたしはこちらのシンプルな飾り付けの方が好きです。









これは目立たないけどけっこう怖い。


いよいよ大統領選挙の投票日が近づいてきました。
今回は特に期日前投票を済ませた人が多いような気がします。
トランプ氏は大統領就任までにガザ戦争を終わらせる!と宣言していて、それをイーロン・マスク氏などがSNSで大々的に拡散していますが、結局は彼もバイデン氏と同じく『シオニスト・イスラエル支持者』なので、イスラエルに表向きの終結宣言をさせて後は好きにやれ、ということになると思います。
マスク氏は財力に任せて、自分が買収したX(元ツイッター)などでトランプ氏への投票をするよう大金を有権者たちに与えていますが、選挙法違反にならないのが不思議です。
わたしの周りには民主党支持者が圧倒的に多いのですが、彼らはみな、もしハリス氏が当選したら、トランプ陣営は前回のようにまた、敗北を認めず、不正選挙を訴えて、大きな騒動になるのではないかと恐れています。
とんでもない嘘や妄想が、あたかも本当のことのように拡散されてしまうのを、数えきれないほど見聞きしてきたので、この選挙はどちらにしても純粋には喜べないだろうなと思います。






気分直しに、これを紹介します。

これは日本語では「仏手柑(ぶっしゅかん)」と呼ばれているオレンジです。
といっても、見た目でもわかるように、中には果肉がほとんどありません。
仏手柑は主に観賞用として栽培されていて、お正月飾りやお茶席の生け花などにも使われているそうですが、わたしはこれまで見たことがありませんでした。
皮をマーマレードに利用したり、砂糖漬けにして食べるそうです。
この写真には『Goblin Hand』って書かれていますね。
ハロウィン用の売り名でしょうけども、仏が小鬼になっちゃってます😅
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