退院する、と自分で決めた母は、わたしにその気持ちを伝えたのですが、その前に担当医の先生や看護師さんに相談していたわけではなかったようです。
わたしだけではどうにもならないので、大阪の弟に連絡をしました。
すると、弟から、こんな返事をもらいました。
午後2時ごろ、病院のコーディネーターさんから電話があった。
お母さんが昨日の夜くらいから退院すると言い出した。
旦那さんはそのことに反対している(わたしには義父も賛成していると母は言っていたのですが…)。
転院することになっているリハビリ病院には、うまく行けば2〜3週間後に転院できるかもしれない。
今から退院手続きをしても、自宅の設備(手すりやベッド歩行器などを揃えるべくプランを組み工事をしてもらう)が整うまでは、担当医から退院の承諾が出ない。多分それだけで2週間はかかる。
何よりも、今退院してしまうと、この病院の先生からの紹介で転院するのだから、次の病院への転院の話は全て失くなる。
何よりも、今退院してしまうと、この病院の先生からの紹介で転院するのだから、次の病院への転院の話は全て失くなる。
とのこと。
午後4時半ごろ、今度は主治医から電話があった。
パーキンソン病は今もなお、薬を投与しながら様子を観ている状態。
全体的な動きが緩慢で、ベッドから起き上がるのにも難儀している。
筋力も低下しているので、自宅からの通院治療は難しい。
訪問介護やデイサービスは、毎日受けることができない。
訪問介護やデイサービスは、毎日受けることができない。
尻もちなどで骨折する、という事態が起こることも十分あり得る。
予定通りここで毎日リハビリを行い、少しでも体力と筋力を回復してからの転院が良いと思う。
というような内容を、母にも話をしたところ、母は「先生にお任せします」と答えたらしい。
弟とも言っていたのですが、こんなに丁寧な対応をしてくれる病院と医師、それから病院のスタッフさんたちに恵まれて、母は幸運だったと思います。
そして2週間から3週間かかると言われていた退院が、来週の火曜日に叶うことになり、またまた病院から大阪の弟に、退院と転院の手続きをしに来て欲しいとの連絡があったようです。
彼の仕事先で急な移動があり、今はとても大変な時なのに休んだりしても大丈夫なのかと聞くと、なんと奇跡的にその日だけが休みだったそうです。
先日、母とLINE電話で話をしていると、転院先のコーディネーターさんが部屋に入って来られて、母にいろいろと話を聞かせてくださいとおっしゃるので、わたしもその輪の中に入れてもらうことにしました。
母の受け答えする様子を聞いていると、やはり入院前の面影はなく、かなりぼんやりしています。
母の受け答えする様子を聞いていると、やはり入院前の面影はなく、かなりぼんやりしています。
そして記憶違いもあちこちに見られるので、わたしが時々横から訂正を入れながら、話は進んでいきました。
それからというもの、母は見るからに気落ちして、またいつもの悲観的な思いが心の中いっぱいに広がってしまいました。
そしてどんどん呂律が怪しくなってきたのです。
昨日の夜中に目が覚めて、そういうタイミングで考え事をするのは良くないと思いつつ、ついつい母のことを考えてしまいました。
果たして、このまま母を病院の中に閉じ込めておくことは、本当に良いことなんだろうかと。
確かに母は、救急車で運ばれる日の前日の、夕方散歩の時から急に、足や手に問題が生じました。
翌日の朝に、薬を飲もうとして誤嚥し、激しい咳き込みから嘔吐に至り、それから徐々に意識が朦朧とし初めました。
ちょうどその真っ最中にわたしが電話をかけ、母の呂律が回らないことに気がついて、すぐにでも救急車で病院に行って欲しいと伝えたのでした。
病院では詳しい検査を受けましたが、小さな血栓が二つ見つかっただけで、他は何も異常がなく、全て良い数値が出てきました。
けれども、体幹がぶれて一人では歩けないこと、手に震えが生じていることなどから、パーキンソン病の疑いがあると診断されて、今の入院に至ったわけです。
入院してから1ヶ月以上が経ち、わたしは毎日朝の10時過ぎに電話をかけるのですが、母はいつも寝起きのような声で出て、しばらくは呂律も怪しい状態で、けれども30分も話していると少しずつ言葉がはっきりとしてきます。
ベッドに寝た瞬間に眠ってしまうと言うので、もしかしたら薬の副作用なのかもしれないと思うのですが、そのことを担当医に聞いてみたら?と言っても、いつも忘れてしまいます。
ベッドに寝た瞬間に眠ってしまうと言うので、もしかしたら薬の副作用なのかもしれないと思うのですが、そのことを担当医に聞いてみたら?と言っても、いつも忘れてしまいます。
体力も筋力もみるみる落ちて、今はベッドから起き上がることすら億劫だと言います。
あれほど嫌がっていたポータブルトイレでの排便も、今はなんとも思わなくなったと言います。
母があれほどしっかりしていたのは、朝から晩まで義父のやることなすことに目を光らせ、その都度文句を言いまくっていたからだと思います。
なのにその関係性がスッパリと消えてしまいました。
母にも義父にも日頃から付き合いのある友人は無く、彼らはいつも二人だけで、小さな家の中に居るか、近くのスーパーに買い物に行くかのどちらかしかない、とても小さな世界で生きていました。
とても和やかなどとは言えない、義父にとっては何をやっても非難される、母からすると何かとイライラさせられる、それこそ側から見たらこの二人はなぜ一緒にいるのだろうと首を傾げざるを得ないような関係でしたが、こうやって家と病院にそれぞれ独りにされた彼らを見ていると、どういう形であれ、過ごしてきた年月と繋がりの深さを感じさせられます。
とても和やかなどとは言えない、義父にとっては何をやっても非難される、母からすると何かとイライラさせられる、それこそ側から見たらこの二人はなぜ一緒にいるのだろうと首を傾げざるを得ないような関係でしたが、こうやって家と病院にそれぞれ独りにされた彼らを見ていると、どういう形であれ、過ごしてきた年月と繋がりの深さを感じさせられます。
母がいつか家に戻り、朝から晩まで義父を怒鳴りつけるようになったら、また元の彼女に戻れるのでしょうか。
大のお気に入りの全自動のウォシュレットを使い、湯船の中で簡単な体操ができるようになったら、自分で歩くということに意欲を持てるようになるのでしょうか。
それとも今回のこの選択は、彼女の人生の終末に、後悔と共に思い出されることになるのでしょうか。
それとも今回のこの選択は、彼女の人生の終末に、後悔と共に思い出されることになるのでしょうか。
その人にとってどれを選ぶことが正解なのか、それを見極めることができないことはわかっています。
できないならできないで、最良の選択をしたいと思うけれども、それもまたとても難しい。
母は11日に退院し、その足で転院先に運ばれることになりました。
その病院から家に戻れるのか、そのことについても考え始めなければなりません。
今日の電話中に、初めて母が、「わたしはもう、このまま家には戻れへんようになるかもしれんなあ」とポツリと言いました。
その言葉に何も応えることができない自分が申し訳なかったです。
こんな遠くに行ってしまってごめんね。