ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

母のことを想うと

2025年03月07日 | 家族とわたし
退院する、と自分で決めた母は、わたしにその気持ちを伝えたのですが、その前に担当医の先生や看護師さんに相談していたわけではなかったようです。
わたしだけではどうにもならないので、大阪の弟に連絡をしました。
すると、弟から、こんな返事をもらいました。

午後2時ごろ、病院のコーディネーターさんから電話があった。
お母さんが昨日の夜くらいから退院すると言い出した。
旦那さんはそのことに反対している(わたしには義父も賛成していると母は言っていたのですが…)。
転院することになっているリハビリ病院には、うまく行けば2〜3週間後に転院できるかもしれない。
今から退院手続きをしても、自宅の設備(手すりやベッド歩行器などを揃えるべくプランを組み工事をしてもらう)が整うまでは、担当医から退院の承諾が出ない。多分それだけで2週間はかかる。
何よりも、今退院してしまうと、この病院の先生からの紹介で転院するのだから、次の病院への転院の話は全て失くなる。
とのこと。

午後4時半ごろ、今度は主治医から電話があった。
パーキンソン病は今もなお、薬を投与しながら様子を観ている状態。
全体的な動きが緩慢で、ベッドから起き上がるのにも難儀している。
筋力も低下しているので、自宅からの通院治療は難しい。
訪問介護やデイサービスは、毎日受けることができない。
尻もちなどで骨折する、という事態が起こることも十分あり得る。
予定通りここで毎日リハビリを行い、少しでも体力と筋力を回復してからの転院が良いと思う。
というような内容を、母にも話をしたところ、母は「先生にお任せします」と答えたらしい。


弟とも言っていたのですが、こんなに丁寧な対応をしてくれる病院と医師、それから病院のスタッフさんたちに恵まれて、母は幸運だったと思います。
そして2週間から3週間かかると言われていた退院が、来週の火曜日に叶うことになり、またまた病院から大阪の弟に、退院と転院の手続きをしに来て欲しいとの連絡があったようです。
彼の仕事先で急な移動があり、今はとても大変な時なのに休んだりしても大丈夫なのかと聞くと、なんと奇跡的にその日だけが休みだったそうです。

先日、母とLINE電話で話をしていると、転院先のコーディネーターさんが部屋に入って来られて、母にいろいろと話を聞かせてくださいとおっしゃるので、わたしもその輪の中に入れてもらうことにしました。
母の受け答えする様子を聞いていると、やはり入院前の面影はなく、かなりぼんやりしています。
そして記憶違いもあちこちに見られるので、わたしが時々横から訂正を入れながら、話は進んでいきました。

それからというもの、母は見るからに気落ちして、またいつもの悲観的な思いが心の中いっぱいに広がってしまいました。
そしてどんどん呂律が怪しくなってきたのです。
昨日の夜中に目が覚めて、そういうタイミングで考え事をするのは良くないと思いつつ、ついつい母のことを考えてしまいました。
果たして、このまま母を病院の中に閉じ込めておくことは、本当に良いことなんだろうかと。
確かに母は、救急車で運ばれる日の前日の、夕方散歩の時から急に、足や手に問題が生じました。
翌日の朝に、薬を飲もうとして誤嚥し、激しい咳き込みから嘔吐に至り、それから徐々に意識が朦朧とし初めました。
ちょうどその真っ最中にわたしが電話をかけ、母の呂律が回らないことに気がついて、すぐにでも救急車で病院に行って欲しいと伝えたのでした。
病院では詳しい検査を受けましたが、小さな血栓が二つ見つかっただけで、他は何も異常がなく、全て良い数値が出てきました。
けれども、体幹がぶれて一人では歩けないこと、手に震えが生じていることなどから、パーキンソン病の疑いがあると診断されて、今の入院に至ったわけです。
入院してから1ヶ月以上が経ち、わたしは毎日朝の10時過ぎに電話をかけるのですが、母はいつも寝起きのような声で出て、しばらくは呂律も怪しい状態で、けれども30分も話していると少しずつ言葉がはっきりとしてきます。
ベッドに寝た瞬間に眠ってしまうと言うので、もしかしたら薬の副作用なのかもしれないと思うのですが、そのことを担当医に聞いてみたら?と言っても、いつも忘れてしまいます。
体力も筋力もみるみる落ちて、今はベッドから起き上がることすら億劫だと言います。
あれほど嫌がっていたポータブルトイレでの排便も、今はなんとも思わなくなったと言います。
母があれほどしっかりしていたのは、朝から晩まで義父のやることなすことに目を光らせ、その都度文句を言いまくっていたからだと思います。
なのにその関係性がスッパリと消えてしまいました。
母にも義父にも日頃から付き合いのある友人は無く、彼らはいつも二人だけで、小さな家の中に居るか、近くのスーパーに買い物に行くかのどちらかしかない、とても小さな世界で生きていました。
とても和やかなどとは言えない、義父にとっては何をやっても非難される、母からすると何かとイライラさせられる、それこそ側から見たらこの二人はなぜ一緒にいるのだろうと首を傾げざるを得ないような関係でしたが、こうやって家と病院にそれぞれ独りにされた彼らを見ていると、どういう形であれ、過ごしてきた年月と繋がりの深さを感じさせられます。

母がいつか家に戻り、朝から晩まで義父を怒鳴りつけるようになったら、また元の彼女に戻れるのでしょうか。
大のお気に入りの全自動のウォシュレットを使い、湯船の中で簡単な体操ができるようになったら、自分で歩くということに意欲を持てるようになるのでしょうか。
それとも今回のこの選択は、彼女の人生の終末に、後悔と共に思い出されることになるのでしょうか。
その人にとってどれを選ぶことが正解なのか、それを見極めることができないことはわかっています。
できないならできないで、最良の選択をしたいと思うけれども、それもまたとても難しい。
母は11日に退院し、その足で転院先に運ばれることになりました。
その病院から家に戻れるのか、そのことについても考え始めなければなりません。
今日の電話中に、初めて母が、「わたしはもう、このまま家には戻れへんようになるかもしれんなあ」とポツリと言いました。
その言葉に何も応えることができない自分が申し訳なかったです。
こんな遠くに行ってしまってごめんね。
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「わたし、退院するわ」

2025年03月02日 | 家族とわたし
なにやら日本もこのところ天候が激しく変わり、雪が降ったり雨が降ったり、気温がグッと上がったかと思ったら真冬のような寒さになったりしているそうですが、こちらも負けていません、20℃以上の気温の上下が頻繁に起こっています。
天候不順は健康にも影響するのでしょうか、今年の冬は例年よりも咳に悩まされている人が多く、それも1週間から3週間も続く長期戦で、ビデオレッスンに切り替えている生徒が何人もいます。

それでもやはり3月は3月。枯れ色の中から顔を覗かせる緑に春を感じます。
なぜか一年草のシラントロが越冬しました。

それと隣町からここに一緒に越してきたこの子も、例年より元気で葉をいっぱい増やしています。


母が救急車で運ばれ、入院してから早一ヶ月が経ちました。
毎回病院食が不味いという文句を聞きながら、その声から感じ取ることができる彼女の体調を見守るしかないわたしは、日に日にストレスが溜まり、よく眠れない日が続いています。
入院してからずっと「しんどくてたまらん」と言い続けているのですが、パーキンソン病の治療薬の副作用かもしれないし、これほど長くベッドの上で寝ているのですから、体全体の筋力も落ち、同時に体力も無くなってきているのでしょう、ここ数日は電話で話すだけでも疲れるので、長くて20分ほどで「もう疲れた、寝る」と言って切ってしまいます。
声もだんだん低くなり、たまに呂律が怪しくなったりもします。
自由な行動が取れなくなり、好きな報道番組を観ようにも1枚1000円のカードを入れないと観られないので億劫になり、病院関係者が入室してくる時間以外はほとんど眠ってしまうと言います。
なぜだかわからないが、とにかく眠くて眠くて仕方がないのだと。
個室であるからこそのプライベートの尊重は、裏返してみると完全な孤立です。
母は別に手術を受けたわけでもなく、入院の発端であった脳梗塞の血栓は今すぐ治療が必要な状況ではなく様子を見ていこうということだし、パーキンソン病の初期症状が見られるということで、これもまた彼女に合う薬とその量を投薬しながら様子を見ている状態です。
それならば、家で暮らしながら定期的に病院に通えばいいのではないかと思い、それを母に伝えようとしたら、母が、「あんな、昨日の夜にな、えらいことが起こってん」と言うではありませんか。
夜はいつもベッドの脇に置いてあるポータブルトイレで用を足すようにしていたのですが、その日はなぜか歩行器を使ってトイレまで行こうと思ったそうで、その歩行器の取手を掴もうとした際に手が滑り、そのまま部屋の中のテーブルなどをなぎ倒しながら床に倒れたのだそうです。
ものすごい音がしたからか、すぐに看護師さんたちが駆けつけてくれましたが、側頭部を強打していたことからCTスキャンで詳しい検査をしてくれたようです。
その夜の当直医が脳外科であったことも幸いでした。
母はこれまでにも、家の中や散歩中に何度も転倒していて、その度に頭や膝や太ももを強打しているのですが、ありがたいことに一度も骨折までには至っていません。
今回も血腫はなく、大きなたんこぶができただけで、吐き気も頭痛もなかったと言います。
母に電話をしている最中に、バイタルサインを測りに来る看護師さんや、リハビリに連れて行ってくれる介護士さんが入ってきて、母に話しかけてくれるのを聞くことがよくあるのですが、どの方もとても優しく親切で、転倒後の母の様子をすごく気にかけてくれているのがありがたくて、やはり退院は急がない方がいいのかなあと、心は大きく揺れ動いていました。

そして昨日、母が突然、「わたし、退院しようと思ってんねん」と言い出しました。
前にもお話ししたように、母はベッドの上に寝るのは夜の10時半以降のみで、その他の時間は何が何でも服を着て起きていなければならないという掟を頑なに守ってきた人です。
なので、1ヶ月にもわたる今の入院生活は、彼女にとっては掟破りの30日間なのでした。
この1ヶ月の間に失われた体力や筋力、そして生きる気力を、いったいどうやって取り戻すことができるのか、いや、そんなふうには考えていないでしょう、多分、もう戻せないと悲嘆しているに違いありません。
彼女は極めて悲観的な性格の持ち主ですから。
わたしは毎晩彼女に電話をして、なんとか元気になって欲しいと願ってきましたが、入院する数ヶ月前ごろから全く口にしなくなっていた「なんでこんな歳まで生きてんのやろ、死んだ方がマシや、死にたい」という台詞がそっくりそのまま戻ってきてしまいました。

「退院、あんたはどう思う?」と聞かれたので、「わたしは賛成やよ」と答えました。
母は義父にその気持ちをもう伝えてあるらしく、それを聞いた時の彼はかなり動揺していたそうです。
そりゃそうでしょう、母に何かあったら、その場で対処しなければならないのは彼一人なんですから。
そして彼は難聴で、かなり大きな音がしても気がつくことができないし、食事の世話もスーパーの惣菜やお弁当を買ってくることしかできません。
それを思うと心配がゾワゾワとわき上がってくるのですが、長年住み慣れた家で暮らすことが、母にとっては一番の励みになると信じて、母の無事を祈ろうと思います。
退院の話を何度も繰り返す母の声に張りが戻ってくるのを感じながら、「じゃあまた明日」と言って電話を切りました。

おまけ
バレンタインデーに夫と行ったインド料理店の写真です。







おあいそはこちらで😌
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唯一無二の歌姫、谷本綾香の臨月コンサート

2025年02月22日 | 音楽とわたし
谷本綾香、大好きな心友の一人娘、メゾソプラノのオペラ歌手です。
ちっちゃい時からの彼女を知ってます。
まさかこんな、稀有で、唯一無二で、艶があって、温かみがあって、歌い始めた途端に会場全体を超心地よい空間にしてしまえる、とんでもなく素晴らしい歌姫さんになるとは、全く想像していませんでした。
以下、引用:
京都 インターナショナルスクール卒業
大阪 インターナショナルスクール卒業
英国王立音楽大学 (Royal College of Music) 学士課程修了
英国王立音楽大学 (Royal College of Music) 大学院修了
英国王立スコットランド音楽大学オペラ研修所 (Royal Conservatoire of Scotland)大学院修了
イギリス在住15年

京都インターナショナルスクールを卒業。
国際バカロレア資格、及び同バイリンガル資格を取得し、大阪インターナショナルスクールを卒業。
同年に奨学金を受け、英国王立音楽大学声楽専攻に入学。
2009年、英国王立音楽大学学士課程を修了。
2011年、英国王立音楽大学大学院を修了。
2012年、英国王立スコットランド音楽院オペラ研修所で、奨学生として、王立スコットランドオペラハウスの指揮者やコーチの下で2年間の研修を受け、2014年にオペラ研修所を修了。
 
オペラのレパートリーは20役を超え、オペラ研修所で在学中に、ロンドンのピーコックシアターにて『British Youth Opera』のメインキャストとしてデビュー。
『Grimeborn Opera Festival』や『Bury Court Opera』にて、「蝶々夫人」のスズキ役で出演し、『OperaHolland Park』の専属歌手として、毎年約20公演に出演。
イギリスの『Opera Holland Park』、『English National Opera』や、フランスの『Opéra de Baugé』の専属オペラ歌手として活躍する。
日本では、大阪フィルハーモニー交響楽団や大阪交響楽団のソリストとして共演している。
 
第三回『International Ernest Bloch Competition』での優勝を始め、第19回『日本クラシック音楽コンクール全国大会一般の部』第三位 (一位、二位該当者なし) など、数々の賞を受賞。
現在は京都を拠点に、一般社団法人英国音楽協会の代表理事を務め、日本でのイギリス音楽の普及と音楽家の育成にも取り組んでいる。

歌うことを通じて精神と身体のバランスにも興味を持ち、ロンドンにて「パーソナルトレーナー・ジムインストラクター・栄養学 Level 3」の資格を取得。
また、トレーニング方法の一つであるアニマルフローのインストラクターの資格も取得。
オペラ歌手やパフォーマーのためのパーソナルトレーナーとしても活動中。

とまあ、素晴らしい経歴の持ち主でもある綾香の、久々のクラシックコンサートが、3月9日の日曜日、京都の府立府民ホール「アルティ」で開かれます。
共演者さんは以下の通り。

チケットは、プログラムの下にあるQRコードから購入することができます。

で、あとひとつ、どうしてもお伝えしておかなければならないことがあります。
綾香は第二子の臨月を迎えた妊婦さんで、大きなお腹を抱えながら毎日練習に励み、このコンサートに臨みます。
舞台の上で産まれちゃったりして😅、などとジョークのつもりで言うのも憚れるほどの見事なお腹の中には、彼女の歌を一等席で聴いている赤ちゃんがいるのです。



綾香の歌声は、一度聴いたら忘れられない、深海のように深く、おくるみのように温かく、漆硝子のように艶やかで美しい。
いっぺんに推しになることでしょう。
演奏会、ぜひお近くの方、ちょっと遠くても電車や車で行こうと思えば行ける方は、是非是非聴きに行っていただきたいと思います。
なんともすてきで気持ちのいい時間を過ごせることをお約束します。
そして、産まれやしないかという、クラシックコンサートでは滅多に味わえないドキドキも😅。
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一難去らずにまた一難

2025年02月21日 | 日本とわたし
母の入院が続いています。
脳や首の詳しい検査をしようにも、5年前に受けた頸椎の手術で金属が埋められてあるために、MRIの精度を上げることができず、精密な画像を撮ることができません。
脳梗塞の血栓がどの場所に、どの程度の大きさで存在するのか、担当医の話ではある程度わかっているようですが、今度また新たに血栓ができるとまずいことになる、と言われました。
パーキンソン病の疑いもあるので、症状を軽減する薬も併せて飲んでいますが、それがよく効いているのかはまだ不明です。
毎日電話をかけていますが、母はいつも開口一番、「しんどい」と言います。
意識ははっきりしている時もあるし、突然妙なことを口走ったりする時もあります。
彼女はこれまで、どんなにしんどくても、高熱が出るような病気に罹っていても、ベッドで寝ずに起きて何かをしているような人だったので、これほど長く寝続けていると、頭も足もぼんやりとしてしまって、日に日に弱ってきているような気がします。
個室にはトイレが付いていますが、そこまで歩くこともままならず、ベッドのすぐ横に置いてもらったポータブルトイレで用を足しています。
そんなことは彼女の90年の人生で初めての経験で、それだけは絶対にしたくない、そんなことをするぐらいなら死んだほうがマシやと言っていた人だけに、かなりのストレスになっていると思います。
脳梗塞患者用の減塩メニューは全く口に合わないらしく、ほとんどを残してしまっているようです。
母の気分は上がったり下がったりで、わたしが電話をかけている時はいつもダダ下がり。
まあでも、いい格好をしなくてもよい相手はわたしぐらいでしょうから仕方がありません。
でも母は、とても頑張っていると思います。
リハビリは午前と午後に一回ずつ、歩行器を使って歩いたり、腕の上げ下げをしたり、お箸で小さなものをつまんだりという簡単な動作ですが、週日の5日間、毎日続けています。
インターネットは使用禁止なので、彼女の日課であり楽しみでもあったパズルゲームができず、退屈で仕方がないようです。
それならラジオでも聞いたら?と言うと、パッと明るい声になって、そうや、ラジオやったら目も疲れへんしいいなと言って喜んだのも束の間、聞こえてくるのはザーザーという不快な雑音ばかり役に立ちません。
別に怪我をしたわけでもなく、内臓は健康そのものなので、できたら1日でも早く家に帰りたいのでしょうけど、まだまだ寒いし、歩行器無しでは歩けないので、バリアフリーでもない狭い家では危険なことだらけ。
だから今は入院を続けることが最善なのだと言い聞かせています。
担当医は話は長いけれども誠実な人で、母のことをよく診てくださっています。
看護師さんやリハビリなどのスタッフさんたちも、本当に親切な人たちばかりで、母はいつもありがたいと言います。

そんな母を見舞いに行くのは義父一人だけ。
彼は毎日、それこそ大雪が降って車で走れない日も、1時間以上も歩いて通っていました。
ところがその義父が、なんとコロナウイルスに感染してしまい、一人ぼっちで熱と咳、そしてとてつもない倦怠感と闘っています。
重なる時は重なる、というか、重なる理由はあるわけで、義父にとっては青天の霹靂とも言える母の病の発症だったので、そのショックがどれほど大きかったか…そういうストレスや疲れも重なって、ウイルスにつけ込まれてしまったのだと思います。
けれどもしんどいからでしょうか、LINEチャットで嫌なことをいっぱい言ってくるようになりました。
もしかしたら、もともと、それもかなり前から、わたしのことをあまり良く思っていなかったのかもしれないな、などと考えたり、いやいや、わたしの言い方が良くなかった、思いやりが足りなかった、考えが浅かった、などと反省したり。
病室の母とは電話で、耳が遠い義父とはチャットで、これからはこんなふうに二人と会話していくことになりそうです。

二人から遠く離れたところで暮らしているわたしの身の上にも、母が倒れてから以降、大小合わせてうまくいかないことが連続して起こり、これは一体なんなんだろう…と、さすがに心が折れそうな気分になりますが、いやいや、どこまで落ちるかはわからないけど、とことん落ちたらあとは上がるだけだと、その折り返し点を楽しみに、こつこつ一日一日を過ごしていくしかありません。

なるようになる、なるようにしかならない。
大波小波に乗ったり打ちつけられたりしながら、ぼちぼちやっていこうと思います。
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米国『2.28.2025・24時間経済プラックアウト』事情

2025年02月21日 | 米国○○事情
投稿者はジョン・スチュワートだが、発案者はジョン・クレメンスである。
『24時間の経済封鎖』

最初の行動として、我々はそれを止める。
一日だけ、誰が本当に権力を握っているのかを彼らに見せつけるのだ。
いつ?
2月28日金曜日、午前12時から午後11時59分まで。

やってはいけないこと
買い物をしないこと。
オンラインでも店頭でも買い物をしないこと。
アマゾンもウォルマートもベストバイも利用しないこと。
どこにも行かない!
食費やガソリン代にお金を使わない。
クレジットカードやデビットカードを使わない。
家の周りの仕事などを人に頼まない。

あなたにできること
絶対に必要なもの(食料品、医薬品、緊急用品)だけを買う。
どうしても買い物をする必要がある場合は、小規模な地元企業のみを支援する。
メッセージを広める。
このことについて話し、投稿し、その日の行動を記録しましょう!

なぜこれが重要なのか?
DT(ドナルド・トランプ)とその手下たちは、自分たちの懐具合しか気にしていない。
企業や銀行は、自分たちの利益のことしか考えていない。
金融市場は、消費者の消費に依存している。

たった1日でも経済を混乱させれば、強力なメッセージになる。
もし彼らが言うことを聞かなければ(聞かないだろう)、我々は次の封鎖を長くする(するだろう)。

これが最初の行動だ。
2月28日。
24時間経済ブラックアウト開始。

このメッセージを伝えてください。
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母の入院

2025年02月13日 | 家族とわたし
90歳になる母に、いつものご機嫌伺いの電話をかけたところ、電話に出た母の声がおかしいのです。
どうしたん、しんどいの?と聞くと、しんどい…と答えます。
なんかあったん?と聞くと、朝ごはん食べて、いつものようにお薬飲もうと思ったら、変なとこに入って激しく咳いて、咳いてるうちに半分ぐらい戻した、と言います。
誤嚥か?とヒヤリとしましたが、もう少し詳しく話せるようだったので、続きを聞くことにしました。
前日の、いつもの夕方散歩の帰り道で、急に足が動きにくくなったらしいのですが、とりあえず無事に家に戻り、いつも通りに食事を済ませ、お風呂も自分で入れたと言います。
なのに今、急にこういうことが起こって、とにかく体がだるくて仕方がないし、指が震えてiPadのキーがちゃんと押せない、と言うのです。
話を聞いている間に、母の呂律がどんどん回らなくなってきたのでそれを夫に伝えると、とにかく今すぐ病院に行くように言え、と言うので、そう母に伝えました。
義父から後で聞いたところによると、母は頑として行かないと言ったようですが、彼が押し切って救急車を呼んだのだそうです。
救急で検査してもらったところ、脳にも血管にも問題は無く大丈夫だと思われるが、症状と年齢からパーキンソン病の疑いがあるので、神経内科で受診するようにと言われ、そこで翌日の朝に、同じ病院の神経内科で詳しい検査を受けたのですが、今のところ問題視する必要のない血栓が一つ見つかったのと、パーキンソン病の有無を確認したいからということで、即日入院ということになりました。
遠く離れた所で気を揉むことしかできないわたしとしては、入院してくれたことは本当にありがたく、それまで心配でろくに眠れなかった夜が続いたので、その日はやっと普通に眠ることができました。

最初の数日間は相部屋でしたが、特別個室という部屋が空いたので、そこに入れてもらうこともできて喜んでいると思いきや、自分だけではもはや一歩も歩くことはできなくなったので、部屋付きのトイレもシャワーも使えないと言います。
だからトイレはベッドのすぐ横に置いてもらったポータブルトイレを使わざるを得ないと不満気に言うので、病院に歩行器を部屋に置いてもらうように頼んでみたら?と話しました。
母が入院してから以降、毎日電話をかけて話をしているのですが、聞こえてくる声はガラガラでさも苦しそうです。
部屋に加湿器を置いてくれてあるのかと聞くと、そんなものは無いと言うので、義父に持って行ってもらうよう頼みました。
義父が持ち込んでくれたのは20年も前の年代物の加湿器で、使ってもあまり意味がないような代物でしたが、お水の補給をする必要があったので、それを看護師さんか義父に頼めないだろうかと聞くと、そんな医療行為でもないことを頼めると思うか、80歳にもなろうという私に、いくら近いからといっても再三水換えに行けとは何事か!とすっかりおかんむりです。
わたしも考えが浅かったことを反省し、何でもかんでも頼めると思っていた甘えがあったと謝ったのですが、ずっと溜め込んでいた不満が噴き出したようで、義父との仲はあまり芳しくありません😅。

入院が1週間に差し掛かった頃に、母が急に、担当医から退院をせがまれたと言い出しました。
あなたのような患者をいつまでも入院させておくと上からお叱りを受ける。
退院に際してかなりの枚数の書類に目を通し、サインなどをしてもらう必要があるので、息子さんか娘さんに病院に来てもらうよう伝えて欲しい。
あなたの夫は、耳が聞こえにくいからか話が通じないところがあるし、受付の方からもクレームが出ているので、この作業を任せることはできない。
というようなことを言われたと言うのです。
これはえらいこっちゃということで、弟にその話を伝えたところ、ちょうど12日が休日なので、その日だったら行けるとのこと。
弟も母から直接電話がかかってきて、同じような話を聞いたそうで、行くつもりでいたようです。
そこでわたしたちは、いろいろと作戦を立てました。
もう25年も前の話になりますが、父がステージ4の胃がんで入院した大阪の成人がんセンターの担当医から、横柄で心無い言葉を何度も投げつけられた弟にとっては、今回のことはあの悪夢の再来かと思えたのでしょう。
医者の心象を悪くしないように、かといって向こうの態度次第ではきっちりとこちらの要望も通すように、そして病院から無碍にされている義父がそのことに気づかないように、そんなこんなについて話し合いました。
そして昨日、弟は大阪から病院に、車で駆けつけてくれたわけですが、なんと、母の話が全くの妄想であったことがわかったのです。
12日の朝に、担当医の方から電話がかかってくる。
担当医からは、あなたのような患者を入院させておくと上から叱られると言われた。
退院に際しての書類作りは、あなたの夫には無理なので、息子さんにお願いしたいと言われた。
書類は受付から受け取るようにと言っていた。
退院後にリハビリ専門の病院が3つほどあるので、そこから選んで移ればよいと言っていた。

…という話を鵜呑みにしたわたしから伝言で聞いた弟は、病院に着いた後、真っ先に受付に直行し、書類のことを尋ねたところ、そんなものは存在しないと言われたそうです。
それで母の病室に上がり、担当医に連絡をとってもらったのですが、担当医も弟が来ることなんて全く知らないわけですから、普段通りの外来診察を行なっていたので、彼の診察が終わるまで待たなくてはなりませんでした。
そして夕方の5時に、4時間の待ち時間を経て、やっとのことで話し合いが始まりました。
母はわたしに、話し合いに混じるなんて以ての外や、絶対に無理と言っていましたが、歩行器を使ってスタスタと歩き、担当医の長い病状説明もちゃんと聞けたそうです。
その場にはケースワーカーさんも加わり、退院後の移転先や、さらにリハビリ病院以降の暮らしをどうするかまでに至る説明もしてくださったのだそうで、結局病院側は母を退院させる気など全くなく、見つかった血栓は今の症状とは関わりがなく治療の必要もないことから、パーキンソン病の投薬を試して様子を見ている最中である、ということがわかりました。
母も義父も、今回のことをケアマネさんに連絡をしていなかったことも判明し、弟がそれではダメだと言ってくれたようです。

母は夢でも見たのかもしれません。
入院してからの母は、入院前後のことをほとんど覚えていないし、言ったこともやったこともすぐに忘れてしまいます。
ご機嫌伺いの電話では、世間話や苦情聞きはもちろん、母がハマっている脳トレパズルのわからない答をわたしが代わりに回答するというのもやっているのですが、彼女自身の解答力が日に日に落ち込んでいることは薄々感じていました。
でも、この記憶のモヤモヤの広がりは初めてのことですし、誰も言っていないことをさも聞いたように話す、というようなことも初めてです。
わたしはとにかく物理的に役立たずなので、オロオロと心配することしかできません。
けれども弟は介護職の要人で、弟のパートナーは介護職のエキスパートさんです。
どちらもそれぞれに重責を背負っているし、だから本当に忙しい人たちなのに、わたしとしては頼らせてもらうしかないので、とても申し訳ない気持ちでいっぱいです。
本当にありがとう。そしてごめんね!

冒頭の写真は、去年の12月、今からほんの2ヶ月前に、お気に入りの宿のミニゴルフを楽しんでいる母を写したものです。
もうやれないだろうと諦めていたのに、やってみたら案外できたと、本当に嬉しそうでした。
その嬉しさをバネに、それ以降、ほんの数日前まで、毎日散歩に出かけ、部屋の中ではストレッチをし、日に日に足腰がしっかりしてきた矢先の入院騒動でした。
彼女が高齢になってから、一番やる気が出て、気分も明るくなっていたところだったので、このことがきっかけで気持ちが落ち込んでしまわないかと心配しています。
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グラウンドホッグとてんこ盛りネギ味噌汁とデジタルピアノと家猫たちと

2025年02月12日 | ひとりごと
今年の冬はドカ雪ならずチョイ雪が多く、積もったとしても15センチ程度で、雪かきもそれほど大変ではないのですが、ちょいちょい降るので気が滅入ります。
今年のグラウンドホッグの天気占いでは、冬はまだあと6週間続くという結果が出たそうです。

以下、ウィキペディアより引用:
グラウンドホッグデー(英語: Groundhog Day, Groundhog's Day)とは、アメリカ合衆国及びカナダにおいて2月2日に催される、ジリスの一種グラウンドホッグ(ウッドチャック)を使った春の訪れを予想する天気占いの行事。
この日、冬眠から目覚めたグラウンドホッグが自分の影を見れば冬はまだ長引くと占われる。

ちなみに、うちの裏庭にもちょくちょくやってくるグラウンドホッグさんは、こんな感じです。
こちらがちょっと油断すると、ちょうど食べ頃に育ってきた野菜を、うっとりと美味しそうにパクパク食べて、見つかると見た目からは想像できないほどの敏速さで逃げていきます。


この冬は特に、インフルエンザやノロウイルス、それから名前を覚えていませんが、とにかく咳だけがひどくて、それが延々と続くという症状に苦しんでいる人が多いような気がします。
生徒たちも毎週数人は何らかの病気に罹っていて、もう治ったからとレッスンを受けに来るのですが、ゴホゴホと咳き込んだり鼻水が止まらなかったりで、こちらとしては気が気ではありません。
昨日の火曜日の最後に来た生徒は、嘔吐と下痢が続くのでと先週のレッスンを欠席したのですが、その後治ったと思ったらまた一昨日から変になってるとあっけらかんと話し、さらに家族が次々に病気になっていると言うので、わたしは慌てて空気清浄機を『強』にしました。

そんなわけで今年の冬は、いつもより3倍増しのネギとアオサを投入した、手作り味噌のお汁を毎朝いただいています。


ピアノ部屋には2台の加湿器が24時間フル稼働していて、それでもやっと30%ぐらいの湿度です。
なので、たまに、隣にあるシャワー室のドアを全開にして、熱いお湯のシャワーを5分ほど出し、湿度を補強したりします。
ピアノに最適な湿度は40%なので、達成にはほど遠いのですけれども…。
ピアノといえば、先日デジタルピアノを購入しました。
以前からずっと、買って欲しいと夫から言われ続けていた物です。
夫は仕事柄、家に居る時間が長いのですが、特に漢方薬剤師の免許を取ってからは、複雑な成分調整をする作業も加わって、静かな環境を要するようになりました。
「レッスンでのピアノの音は仕方がないとして、君自身の練習は僕がいない時にするか、僕が許容できるタイミングを図るか尋ねるかしてからやって欲しい」と言われ、今度はそのことでわたしが悩む日が長く続いていました。
それでとうとう二人の間で折り合いをつけるには、やはりこれしかないということで、デジタルピアノをピアノ部屋に加えることにしたのです。
そこで、まだ小さくて、ピアノをずっと続けるかどうかもわからない初心者の子どもの親御さんから、とりあえず練習用の楽器を買うにはどれがお勧めですかと聞かれることも少なくないので、以前から興味のあった、安価だけども評判の良いデジタルピアノを買ってみることにしました。
家に届いたので早速開封して、さあ組み立てるぞ、と意気込んでいたら…。
ま、曲がってる…。

今度はネジが思いっきり足りない。

メーカーに文句メールを送ると、どちらもホームセンターで売っているので、それぞれに20ドルずつ払うから、自分で買ってきてください、という返事が来ました。
なんだかなあ…という気がしますが、まあそれで済むんならそれでもいいかと思い、これから買いに行くことにします。


夫のなんちゃってオリジナルオーブン料理。

チキンには目がない海が、じわりじわりと近づいてきます。


わたしの寝室でスクスク育ってくれている金柑さん。
今回の実りは、時期がバラバラだったので、実の色が揃うまでにはまだまだ時間がかかりそうです。

雪遊びも平気な空は、まっさらな雪を窓から眺めています。

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ジェットコースターみたいに気温が上がったり下がったりする毎日の中で、ちょっとだけ真面目な話

2025年02月02日 | ひとりごと
先週末に降り積もった雪が昨日の雨ですっかり溶けて、やっと地面が見えてきました。
ここ最近は、気温の上がり下がりが激しくて、気持ちの切り替えが大変です。
人間の順応能力は大したもので、零下16℃が続いた後に0℃になると、まるで春がやってきたような暖かさだと思ってしまって、思うだけじゃなくて実際に汗ばんだりもして、我ながら驚いたり。
三寒四温なんてゆったりしたリズムではないので、毎日寝る前に翌日の気温を調べて、心の準備をしなければなりません。

そんなことは一切できないけれど、やってくる厳しい天候を野生の感覚で察知し備えるであろう小さな動物たち。
けれどもこういう姿を見ると胸が痛みます。


早くどこかの温かい穴ぐらを見つけて避難しておくれ。

雪が積もると夜でも明るい。


翌日には、いろんな動物の足跡を見つけることができます。


さて…トランプ氏が大統領に就任して以降、毎朝ニューヨークタイムズを読んでいる夫は、目次が目に入ってくるだけで気分が悪くなると言います。
彼の取り巻きの連中には、なんでこんな人が?と思わざるを得ない人や、身内やトランプ贔屓の人がウヨウヨ。
こんなんでまともな政治ができるのかと、心配を通り越して恐ろしくなります。
その筆頭人物が国防長官に指名されたヘグセス氏。この任命には共和党の一部の議員からも反論が出ているようです。
さらに、中絶支援団体をはじめとする各種の資金援助を禁止すると発表しましたが、全米で7200万人いると言われている低所得者への医療補助への手続きができなくなってしまったことに多くの批判が集まり、この件だけは撤回に追い込まれています。

そして不法移民の拘束と強制送還。
これによる恐慌の空気感を第一次政権の時にも感じましたが、今回のものは桁が違います。
まずお店や会社から人が明らかに減りました。
近所では実際に拘束された家族もいるし、どこかに身を潜めているという噂も聞いています。
不法移民の中には、とにかくそこにいては身に危険が及ぶという状況で、やむを得ず不法で入国してきた人たちも少なくありません。
けれどもトランプ氏は、そういう移民の人たちを一絡げにして非難をし、それに両手を挙げて賛成する人が増えてきています。
犯罪歴のある不法移民は強制送還する。
(不法移民の)一部は非常に悪質で、収容する国さえも信用できないからグアンタナモに送る。
そのために、不法移民3万人を収容できる施設を、キューバのグアンタナモ米海軍基地に建設する。

こういったことに賛同するネットメディアの、しかも常にトランプ氏の言動を絶賛している人物をホワイトハウスの会見場に入れ一番に指名することにしたそうです。
ファクトチェックもせずに、声高々にトランプ氏を褒め称える声が響く会見室の様子を見ていると、この国が途方もなく暗い穴に落ちて行くようで、言葉を失ってしまいます。

トランプ氏は他に、カナダやメキシコ、そして中国に関税の割り増しを課し、カナダにはアメリカの51番目の州になればよいなどと言ったそうです。
この関税がアメリカ国内はもちろん、世界各国の企業活動や経済にとってどれほどの打撃になるのか、その実態はこれから見えてくるのでしょう。
なんならその打撃が、トランプ支持者であろうが不支持者であろうが、一般市民にも満遍なくもたらされたことに気づいた時、この国の世論に変化が生まれるのかもしれません。

つい最近のトランプ氏のXへの投稿は、
「米国民を攻撃しようとしているISや他の連中に対するメッセージは、『お前を見つけ出し、殺す!』だ」です。
こういう過激で極端で下品なメッセージを繰り返し送り続けるような人間を大統領にしてしまった、米国の有権者の責任は大きいです。
「人間は自分が真実だと思うものに飛びつく」
その結果が今の米国なのです。

気分直しにのんびりと家猫たちの写真を。

呼んでみました。
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黒色すみれと青ひげ公の城

2025年01月21日 | 日本とわたし
心友のあけみちゃんから「友だちの黒色すみれさんが出るショーがマンハッタンのジャパンソサエティであるんだけど、どう?」という連絡をもらいました。
黒色すみれ?え?だれ?
全く知らない名前だったので、インターネットで調べてみました。
黒色すみれは個人名ではなく、ゆかさんとさちさんという、クラシックをしっかり学ばれた音楽家たちによるユニットの名前でした。
一体どうしてあけみちゃんが彼女たちと知り合ったのか、その馴れ初めを彼女から聞かせてもらいました。

それは、あけみちゃんの友人で津在住のカフェのオーナー、マイケルさんと黒色すみれとの出会いから始まります。
宮崎県出身のマイケルさんは、東大大学院で地方都市の再生について研究していた学者です。
彼はマーケティングに詳しく、中性的で、規格にとらわれない人で、ブラスバンドの演奏経験もある音楽愛好家です。
その彼がある場所で、福井県にある年縞博物館でカフェを営むよんよんさんに出会い、その後、彼女のインスタグラムをフォローしていたら、黒色すみれが博物館でライブをやることを知り、福井に出向いて行ったのでした。そしてマイケルさんは彼女たちをぜひ自分のカフェにも呼びたいと思い、津に彼女たちを招いたんだそうです。

余談ですがこの年縞博物館、かなりすごい博物館なんです。
まず、みなさんは『年縞』ってなんのことかわかりますか?
それは湖や沼などの底に、長い年月をかけて堆積した層が描く縞模様の地層のことなんです。
この博物館では、水月湖の湖底から採取された7万年分もの年縞を、ステンドグラス風に加工して展示しています。
その長さ、なんと45メートル!
この年縞ギャラリーでは、年縞の目盛りに沿って過去から現在へ、7万年の間に人類が経験したできごとを振り返ることができるのです。


さて、話を戻します。

黒色すみれのウィキペディアより:
『2004年にデビューした黒色すみれは、日本の音楽ユニット。ボーカル・ピアノ・アコーディオン担当のゆか、ヴァイオリン担当のさちの2人による女性デュオである。クラシック音楽やシャンソン、歌謡曲をベースに、大正ロマンの雰囲気を漂わせたレトロでノスタルジックな曲調を持ち味とした「ネオクラシックユニット」と銘打ち、メンバーは2人とも「永遠の14歳」を自称している』

ゆかさんはフェリス女学院大学音楽学部出身で、歌とアコーディオンとピアノ担当。北原白秋などの日本文学にも詳しく、物事の捉え方が面白い人。
さちさんは国立音楽大学器楽学部出身で、歌って踊れるメルヘンヴァイオリニスト。
彼女たちにはクラシック音楽出身者特有の頑なさがなく、枠にとどまらない音楽性やファッションセンスの幅広さから、オルタナティヴ・ミュージックや「ネオクラシックユニット」として紹介されることもあります。
2007年よりフランスを始めとするEU諸国で海外ツアーを開始、2008年にはアメリカでもライブツアーを行っています。
演劇界でも彼女たちの出演を望まれていて、自作曲はもちろん数多くのレパートリーを持っています。
ちなみに監督のティム・バートンは彼女たちの大ファンだとか。

自身のカフェでの黒色すみれコンサートの本番が近づいてきた頃に、あけみちゃんの家に行ったマイケルさん。彼は彼女のアトリエ(彼女は実に素晴らしい陶芸家です)を見て、ここでもコンサートをしたらいいんじゃないかと思いつきました。
あけみちゃんは30名限定のお客さまをお招きし、そのコンサートのために特別に作ったお菓子をお抹茶と一緒に振舞ったのだとか。
そしてゆかさんとさちさんは、たっぷり1時間半のフルコンサートを行ったそうです。
実にエキサイティングな出会いだと思いませんか?

さて、ここからが本題です。
厳しい寒波の到来間近だった週末の土曜日に、マンハッタンのジャパンソサエティに向かいました。
その日は朝からずっとボケていて、時間の感覚も途切れ途切れで、出かける寸前にちょっとひと眠りしようとしたりして、夫をイライラさせてしまっていたわたし。
あまりの寒さに冬眠でもしたくなったのか、自分でもよくわからなかったのですが、体調はあまり良くありませんでした。
いつもなら渋滞で困り果てる時間帯に行ったにもかかわらず、マンハッタンへのトンネルも街中も道路はスカスカです。
数日前から執行された渋滞税の効果が出ているのかもしれません。

ユニセフの近くにあるジャパンソサエティの建物は、そこだけが急に京都の一画に入り込んだような錯覚を覚えさせます。


この日のショーは、寺山修司の戯曲『青ひげ公の城』。

バルトークの歌劇『青ひげ公の城』を題材に、楽屋裏の事件や不条理なやりとりを描いた、メタフィクショナルな作品です。『青ひげ公の城』のヒロイン「七番目の妻」役を演じるために劇場にやってきた少女は、劇の内容について詳細を知らされないまま楽屋で待機することを命じられるのですが、そこを脱け出して、他の俳優たちや、舞台監督、大道具といった裏方スタッフと関わっていきます。劇中の台詞や場面が挿入されながら、楽屋裏での様々な人間模様や事件が展開されていき、劇と現実が交錯してゆきます。その混乱にマジシャンやエアリアルフープのダンサーの本格的な演技が差し込まれ、劇は実に目まぐるしくエネルギッシュに展開していきます。

そこに黒色すみれのお二人が登場です。



いやもう、ゆかさんの第一声を聴いた瞬間、心地良さと歓喜が同時に押し寄せてきて瞳孔が開きっぱなし。
あの発声の独特さは聴いたことがありません。さちさんのヴァイオリンもノリノリです。
黒色すみれ(ネオクラシックユニット)の音楽と寺山修司による実験的なアングラ演劇のコラボの公演は大成功で、満席の観客も大興奮。


ちなみに出演者は全員女性です。


全員がまさに弾け飛んでいて、楽しくて可笑しくて、元気をいっぱいもらいました。
次回は女性だけの歌舞伎の公演を提げてニューヨークに来る、とおっしゃっていたのでとても楽しみです。
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1月前半の四方山話

2025年01月16日 | 友達とわたし
クリスマスのお祝いに使われたもみの木が歩道に横たわるようになると、年が変わり、もう浮かれた季節は終わったんだなあという気分になります。

うちも息子たちがまだ家に居た頃は、毎年もみの木を買って飾り付けをしていました。
生のもみの木は、家の中に運び入れた瞬間から、それはそれは心地良い森の香りを振りまいてくれます。
ただ、大酒飲み、もとい、大水飲みなので、お水の補充が大変です。
そしてうちには猫が2匹いるので、彼らが飾りにアタックしないよう、しょっちゅう気をつけていなければなりません。
そんなこんなで面倒になって、もう10年ほど前から購入しなくなりました。
毎年もみの木の季節になると、気楽さと共に一抹の寂しさを感じます。
ちなみに、このもみの木を飾って祝うのはクリスチャンの家庭で、うちのように家族の誰かが元クリスチャンだったりしても祝いますが、ユダヤ教の家庭では一切祝いません。
だからクリスマス=もみの木、というわけではないのだということを、こちらに来て初めて知りました。

1月には特別に楽しい行事がありません。
子どもたちも大人も、2日から平常のスケジュールで学校や会社に行きます。
わたしのレッスンも2日から始まりました。
なので親友のAちゃんと、ガールズランチに出かけることにしました。
彼女はわたしより少しだけ年上の、とても優秀な家のトータルデザイナーです。
人気者なので、70歳になるというのにあちこちから依頼が来て、飛び回っています。
元々忙しい上に、ドッグショー運営にも関わっているので(彼女の家にはチャウチャウが3匹とでっかいプードルがいます)、週末も予定がてんこ盛り。
年中暇なしの彼女を誘うのは至難の業なのです。
彼女は絵画や音楽に造詣が深く、その界隈の著名人たちとの関わりも多く、普通では聞けないエピソードをいっぱい持っている人です。
だからわたしは彼女の話を聞くのがすごく楽しくて、なんとかして彼女に会えないかといつも隙を狙っているのです。

隣町のフレンチレストランでブランチを食べてから、坂道を上ったところにある美術館に行きました。
この町で暮らしていた頃に、生徒の発表会をこの美術館のホールを借りて行っていたのですが、使用料金が爆上がりしたのでそれっきりになっていました。
この美術館の近辺に暮らすようになってからもう25年も経つのに、美術品を観に行くのは今回が初めてです。
館内の面積はそれほど大きくないので、美術品の数は限られていますが、だからこそ一品一品を丁寧に、心置きなく楽しむことができました。
もちろんAちゃんが横で、一作一作について話してくれるのを聞きながらですが…。
そしてこの館は、ネイティブアメリカンの美術工芸品の展示に力を入れていることで知られている美術館であることも知りました。
彼らの作品の細やかなことったら!特にビーズ細工の美しさと言ったら!
その素晴らしさを写真に撮ってお見せできないのが残念でなりません。

帰りの階段を降りていたら、こんな作品が。
影が箱の形になるように作られているのが面白い!


週末は、すごく好きな友人カップルに会いに行きました。

なかなか会えなくて、気がついたら2年ぶりとか3年ぶりとか言って会うんですが、だから子どもたちが飛び級に大きくなっていて、会うたびにびっくりさせられます。
息子のK君は16歳。超ハンサムな上に水泳で鍛えたたくましい体と落ち着きのある雰囲気。いやあ、女の子が放っておかないだろうなあ😅。
娘のAちゃんは7歳。恥ずかしがり屋さんだけども、お話を書くのが好きで、今回はわたしたちのために人形劇を披露してくれました。


お父さんのGさんが相手役。お話がとてもよくできていて面白かったけど、何よりこの親子愛あふれる姿に感激しました。
お母さんのKちゃんが作ってくれたお料理を美味しくいただきながら、あれやこれやと話は尽きず、いつものように別れ難い思いを吹っ切って家に戻りました。

翌日の月曜日は、待ちに待ったピアノの鍵盤の修正と調律をしてもらいました。
調律師のマーティンは陽気なイタリア人。
前に長年の間調律をしてもらっていたアルバートのお弟子さんで、アルバートから引き継いでもらった人です。
生徒用のピアノは25歳。
オーバーホールとはいかないまでも、鍵盤のあらゆる部分を点検し、修正してもらうことになりました。
時間は2台で8時間。


響きがうんとまろやかであたたかになり、鍵盤の負荷が少し増したので、小さな音を出すのが今までより容易にできるようになりました。
これで生徒たちから文句を言われることは少なくなるでしょう😅。
たまに言われてたんですよね、先生はずるい!わたしたちのピアノよりうんといい音が出るピアノ弾いてる!って。
いやいや、これは実力と経験の差です、って言いたかったけど、実際にピアノ自体に差があったので、今までは言えませんでした。
これからはほぼ平等です。
文句は言わせないぞ〜!
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