ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

1月前半の四方山話

2025年01月16日 | 友達とわたし
クリスマスのお祝いに使われたもみの木が歩道に横たわるようになると、年が変わり、もう浮かれた季節は終わったんだなあという気分になります。

うちも息子たちがまだ家に居た頃は、毎年もみの木を買って飾り付けをしていました。
生のもみの木は、家の中に運び入れた瞬間から、それはそれは心地良い森の香りを振りまいてくれます。
ただ、大酒飲み、もとい、大水飲みなので、お水の補充が大変です。
そしてうちには猫が2匹いるので、彼らが飾りにアタックしないよう、しょっちゅう気をつけていなければなりません。
そんなこんなで面倒になって、もう10年ほど前から購入しなくなりました。
毎年もみの木の季節になると、気楽さと共に一抹の寂しさを感じます。
ちなみに、このもみの木を飾って祝うのはクリスチャンの家庭で、うちのように家族の誰かが元クリスチャンだったりしても祝いますが、ユダヤ教の家庭では一切祝いません。
だからクリスマス=もみの木、というわけではないのだということを、こちらに来て初めて知りました。

1月には特別に楽しい行事がありません。
子どもたちも大人も、2日から平常のスケジュールで学校や会社に行きます。
わたしのレッスンも2日から始まりました。
なので親友のAちゃんと、ガールズランチに出かけることにしました。
彼女はわたしより少しだけ年上の、とても優秀な家のトータルデザイナーです。
人気者なので、70歳になるというのにあちこちから依頼が来て、飛び回っています。
元々忙しい上に、ドッグショー運営にも関わっているので(彼女の家にはチャウチャウが3匹とでっかいプードルがいます)、週末も予定がてんこ盛り。
年中暇なしの彼女を誘うのは至難の業なのです。
彼女は絵画や音楽に造詣が深く、その界隈の著名人たちとの関わりも多く、普通では聞けないエピソードをいっぱい持っている人です。
だからわたしは彼女の話を聞くのがすごく楽しくて、なんとかして彼女に会えないかといつも隙を狙っているのです。

隣町のフレンチレストランでブランチを食べてから、坂道を上ったところにある美術館に行きました。
この町で暮らしていた頃に、生徒の発表会をこの美術館のホールを借りて行っていたのですが、使用料金が爆上がりしたのでそれっきりになっていました。
この美術館の近辺に暮らすようになってからもう25年も経つのに、美術品を観に行くのは今回が初めてです。
館内の面積はそれほど大きくないので、美術品の数は限られていますが、だからこそ一品一品を丁寧に、心置きなく楽しむことができました。
もちろんAちゃんが横で、一作一作について話してくれるのを聞きながらですが…。
そしてこの館は、ネイティブアメリカンの美術工芸品の展示に力を入れていることで知られている美術館であることも知りました。
彼らの作品の細やかなことったら!特にビーズ細工の美しさと言ったら!
その素晴らしさを写真に撮ってお見せできないのが残念でなりません。

帰りの階段を降りていたら、こんな作品が。
影が箱の形になるように作られているのが面白い!


週末は、すごく好きな友人カップルに会いに行きました。

なかなか会えなくて、気がついたら2年ぶりとか3年ぶりとか言って会うんですが、だから子どもたちが飛び級に大きくなっていて、会うたびにびっくりさせられます。
息子のK君は16歳。超ハンサムな上に水泳で鍛えたたくましい体と落ち着きのある雰囲気。いやあ、女の子が放っておかないだろうなあ😅。
娘のAちゃんは7歳。恥ずかしがり屋さんだけども、お話を書くのが好きで、今回はわたしたちのために人形劇を披露してくれました。


お父さんのGさんが相手役。お話がとてもよくできていて面白かったけど、何よりこの親子愛あふれる姿に感激しました。
お母さんのKちゃんが作ってくれたお料理を美味しくいただきながら、あれやこれやと話は尽きず、いつものように別れ難い思いを吹っ切って家に戻りました。

翌日の月曜日は、待ちに待ったピアノの鍵盤の修正と調律をしてもらいました。
調律師のマーティンは陽気なイタリア人。
前に長年の間調律をしてもらっていたアルバートのお弟子さんで、アルバートから引き継いでもらった人です。
生徒用のピアノは25歳。
オーバーホールとはいかないまでも、鍵盤のあらゆる部分を点検し、修正してもらうことになりました。
時間は2台で8時間。


響きがうんとまろやかであたたかになり、鍵盤の負荷が少し増したので、小さな音を出すのが今までより容易にできるようになりました。
これで生徒たちから文句を言われることは少なくなるでしょう😅。
たまに言われてたんですよね、先生はずるい!わたしたちのピアノよりうんといい音が出るピアノ弾いてる!って。
いやいや、これは実力と経験の差です、って言いたかったけど、実際にピアノ自体に差があったので、今までは言えませんでした。
これからはほぼ平等です。
文句は言わせないぞ〜!
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2025年、新年のごあいさつ

2025年01月02日 | 家族とわたし
あけましておめでとうございます。
2025年が始まりました。

というところでいきなりですが、ちょっとお見苦しい写真をば。


地下室の味噌壺置きの近くを通るたびに、なんとも言えない嫌〜な臭いがしてたのですが、その原因がコレでした。
いつから始まっていたのか全く知らないのですが、味噌の納豆化と言えばいいのかなあ、見た目も臭いも強烈です。
慌てて重しの塩を取り外し、中を確かめてみました。

色はほぼ黒に近い焦茶ですが、カビ一つ無く、5年間じっくり熟成した美味しそうなお味噌になっていました。
うちには4つの、同じサイズの壺があるのですが、この壺以外は空っぽです。
今月のうちにお味噌を仕込まねばなりません。

年末の30日は、長男夫婦の引っ越しの手伝いに行ってきました。
前日まで雨降りが続いていたのに、いきなりの快晴☀️しかも春先みたいな暖かさです。

彼らがこれまで住んでいたアパートは、セントラルパークのすぐ横にあり、買い物や通勤には便利なのですが、建物がとても古いのでゴキブリの巣窟になっていました。
長男は虫が大の苦手で、ゴキブリはその中でも特別級。
それに加え、なぜか隣近所で工事が頻繁に行われ、その騒音で不眠症になったりと、心身ともにストレスマックス。
それでエイっと決心して、引っ越すことにしたようです。

引っ越した先のアパートメントはいわゆるタワマンと呼ばれる新築ビルで、20階の角部屋の部屋一面の窓の向こうに、空が表情を刻々と変えていくのを見ることができます。


お疲れさん会に連れて行ってもらったホットポットのレストランで、お腹いっぱいいただきました。



翌日の大晦日の夜に、椅子の組み立てを始めました。

これまで愛用していた、まだ就職して間もない息子たちが共同で買ってくれた椅子を、とうとう決心して捨てることにしました。

なんでこんな悲惨な姿になったかというと、一時期、猫たちの爪研ぎ場になってしまったからです。
姿はこんなですが、なにしろ座り心地がとても良く、しかも息子たちからのプレゼントだったので、15年もの間、どうしても捨てきれなかったのでした。
ずっと布を被せて誤魔化してきましたが、とうとうお別れです。
長い間ありがとう。

そして今日は2025年の元旦。
25年前に亡くなった父、2年半前に亡くなった義父、そして1年前に亡くなった伯母に、お祝いのお裾分け。

大晦日の夜中に、餅つき機さんについてもらったお餅を焼いて、黒豆をゴリゴリと押し込み、焼き海苔に包んでいただきました。

お昼からは久しぶりに映画館に行ってきました。
ティモシー・シャラメがボブ・ディラン役を演じた映画『名もなき者 / A Complete Unknown』です。
いやあもう、本当にいい映画でした。
なんかこう、観ている最中も、観終わってからもずっと、映画と現実の狭間から動きたくないような、なんとも言えない余韻が心の中に漂っていました。
ティモシーのディランはもちろんのこと、ミュージシャン役を演じた役者さんたちの演技と演奏がもう素晴らしくて、いやあ、役者さんってほんとすごいなあと、しみじみ感心したのでした。
夫は家に戻ってから長い時間、デュランの昔のインタビュー動画を観たり、自分でギターを演奏しながら歌ったり、浸る浸る、それを見てわたしはギターってやっぱりいいなあ、手軽で、などと僻んだり…。😊
みなさんにも是非是非、ほんとにおすすめの映画です。

街中では、ニューオリンズで起こった事件を悼んでか、新年を祝う国旗が半旗になっていました。
1月6日からはトランプ政権が発足します。
気を引き締めて、けれども平常心を保ってコツコツと、毎日の暮らしを積み上げていきたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願いします!
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信じがたいのですが、今年も残すところあとわずかとなりました。来年もどうぞよろしくお願いします!

2024年12月27日 | 家族とわたし
クリスマス前はすんごい寒さが続きました。

最高でも零下8℃、夜中は零下18℃にまで下がるような日が続き、家の暖房勢がいくら頑張っても冷え冷えとした空気がそこらかしこに居座っていました。
そんな厳しい寒さが少し和らいできたと思ったら雪になり、クリスマスイヴにはうっすらと雪が積もりました。

今年のクリスマスもペンシルバニア在住の夫の姉の家で行ったのですが、今回はイヴィディナーから全員が集まることはせずに各自で過ごそうということになりました。
そうなると、義姉の家から1時間ばかり離れた、同じくペンシルバニア州の家に住んでいるお義母さんは、独りぼっちでクリスマスイヴを過ごさねばなりません。
夫とわたしは彼女の家に行って、イヴディナーを一緒に食べることにしました。

家に着き、まずはイヴのお祝いに、お義母さんとわたしは彼女が作ってくれたカクテルのマンハッタンを、夫はワインを注いで乾杯です。
マンハッタンの最後に、グラスの底に静かに佇んでいる、このチェリーが逸品でした。


お義母さんはわたしたちのために美味しい夕食を用意してくれていました。

翌日の朝、「こんなによく眠れたのは久しぶりだわ、やっぱり誰かが家に居てくれるだけで気分が違うのかもね」と言うお義母さん。
60年以上も連れ添った夫を2年前に亡くし、だだっ広い家で独り住まいをしながら、サービス付きのシニア向け住居の空きが出るのを待っているお義母さん。
車の運転やインターネットの操作もガンガン熟し、陶芸家としてマッサージ師としてその分野の勉強を続け、料理や運動にも手を抜かないスーパーシニアのお義母さん。
彼女は先日85歳になりました。

クリスマスの朝、義姉の家に到着。
家の前の公園の池の氷が、半分くらい溶け始めていました。
あの強烈に寒かった頃はきっと全部凍って、近所の子どもたちがスケートをしに来ていたと思います。


小さな子どもがいなくなった今は、プレゼントの数もずいぶん減りました。

クリスマスディナーの準備をしながら、夫が持ってきたボードゲームに挑戦するわたしたち。


やり方を理解して楽しめるまでにけっこう時間がかかりました😅。

クリスマスツリーはやっぱり夜がいいですね。

見た目はイマイチですが、どれもこれもとても美味しかったです。


さあ、今度はお正月!
今日は食材を買いに出かけました。
平日の昼間だというのに、人出が多くてびっくり!
今年の年末年始はこの家には誰も来ません。
夫と二人だけの年越しと元旦なので、おせち料理もいつにも増してなんちゃっておせちになりそうです。
一応黒豆と数の子、伊達巻のためのはんぺんと昆布巻のための昆布と鮭とニシン、そして筑前煮のための根野菜とこんにゃく、栗きんとんの材料を買い、明日からは餅つき機にも登場してもらい、ぼちぼちと準備を始めようと思います。

みなさま、良いお年をお迎えください!
そして来年もまた、ちょこちょことではありますが書き続けていこうと思っていますので、どうぞよろしくお願いします!
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90歳おめでとう!

2024年12月13日 | 家族とわたし
今年90歳になる母の誕生日を、特別な形でお祝いしたい。
ただそれだけがわたしの望みでした。
母は温泉に浸かるのが好きだったけれど、体がふらついて思うように歩けなくなってからは、従姉妹のKちゃんとわたしが両側から支えて入ったりしていました。
ちなみにKちゃんは母方の従姉妹で、遠くに行ってしまったわたしの代わりにあれこれと母たちを気遣って、一緒に3人でいろんなところに旅行に行っては、何かと不自由な後期高齢者たちの面倒を見てくれている人です。
だから母にとっては娘同然なんですが、ここ最近は、そんなKちゃんやわたしであっても、世話になってまで入りたくないと言って、温泉に行っても大浴場はもちろんのこと、部屋のお風呂にも家と同じような手すりが無いからと入らずに、一人でポツンと部屋で過ごすようになっていました。
そんな母を温泉の湯にゆっくり浸からせてあげられないだろうか。
ということで、客室のお風呂に温泉が出てくる宿を探しました。
ただし、母の家から車で1時間以内のところにある宿でないと、運転する義父に負担がかかるので、見つけるのはなかなか大変でした。
やっと見つけたのが榊原温泉の湯元館でした。
しかもその温泉は1500年も前から湯ごりの地として存在する日本三名泉!
清少納言の枕草子にも詠われた「七栗の湯」!
バリアフリーで手すりがあちこちに設置された、館の中で唯一ベッドが置かれている部屋で、客室のお風呂の蛇口からもその「七栗の湯」が出てくると聞き、ここだ!と思いました。
さらに、要予約ですが貸し切りの露天風呂が3ヶ所あって、そのうちの一つが要介護の人も入ることができるお風呂もあります。
これなら母も喜んでくれるかもしれない。
お風呂の話をしても、「わたしは絶対に入らない」と頑なに断られていたのですが、現地に行って自分の目で見たら気が変わるかもしれないと思い、大阪の弟に頼んで予約を入れてもらいました。
気が利く弟は、誕生日ケーキの注文も済ませてくれて、これでいよいよ本番を待つのみです。

今回の帰省は、母の90歳のお祝いをするために計画した旅でした。
そこに、たまたま同時期に日本を旅することになった次男くんとEちゃん、弟夫婦、そしてKちゃんも合流して、総勢9人が集うお祝いになりました。
母の性格からすると、さらりと、みんなで祝ってくれてありがとう、というわけにはいかないだろうとは思っていましたが、結果は想像していたのより何倍も、悲しく辛いものとなってしまいました。
原因は、まず第一に、わたしが主になって祝ったことです。
母はこれまでにも、わたしがお金を出すことを異常に嫌い、わたしが彼女の家に居る間は、わたし個人の買い物以外の費用のほとんどを彼女が払っていました。
随分前に一度、母が、「わたしはまだ子どもだったあなたたちを置いて家を出て苦労させてしまった。だからその罪滅ぼしとしてお金はわたしが全部払う」と言ったことがあります。
わたしはだから、かなり慎重に、丁寧に、今回のお祝いは特別なお祝いだから、今回だけはわたしに祝わせてほしいとずっとお願いしてきたのでした。
といっても、わたしが払うと言っているのは母と義父、Kちゃん、そして夫とわたしの分だけで、弟夫婦と次男くんカップルは自腹です。
それなのに宿泊直前まで「わたしが払う」、「いや、わたしが払う」と、母娘で譲らなかったのですが、嫌々でも取り合えず納得してくれたと思っていました。
温泉行きの前日に、居間のカーペットの汚れがひどく、あちこちが劣化してして破けているので買い替えようと言うと(これも今回の旅の目標でした)、「汚くて嫌なら出ていけばいい、わたしはこのカーペットがいいんだから絶対に替えない」と、母は烈火の如く怒り出し、それからはものすごく陰険な雰囲気に…ああ大失敗…。
当日の朝は初っ端からご機嫌斜め…行きの道中も遠いだのしんどいだの道が悪いだの、こんなところに来たくなかっただのと、文句が延々と続きます。
それでもまあ、大阪の弟夫婦は次男くんとEちゃんを車に乗せて、夫とKちゃんは同じく大阪から電車で、そして母とわたしは義父の車で、湯元館に集合しました。
それぞれが各部屋に入り、お土産の交換などをして、それでは夕飯までに温泉に浸かろうということになり、Kちゃんとわたしとで何とかして母を露天風呂まで連れて行こうとしましたが、これまた失敗。

仕方がないので、Kちゃんとわたしだけで浸かりに行くことにしました。

日本屈指の「美肌の湯」、浸かった瞬間にわかりました!

ああ、この気持ちよさと景色の美しさを、母にも感じさせてあげたかった…。



ここのお湯は本当に素晴らしいです。
源泉そのものの湯船もあって、けれども湯の温度は31℃ぐらいで、浸かっていても温まらないような気がするのですが、嘘だと思って15分浸かってみてくださいとおかみさんに言われて試してみると、何か不思議な波動のようなものが体の芯に感じられ、体全体がふわりと浮くような気がしました。
湯量は豊かで、湯船からいつも溢れ出ています。
温泉には19時間の間に3回も浸かったのですが、数日後まで肌がツルツルとして気持ちが良かったです。
めっちゃお勧めです!

お祝いのお料理とケーキ。


部屋のすぐ横を流れている小川。

朝ご飯も美味しかったです。


結果から言うと、このお祝い旅行は大失敗に終わってしまいました。
ただし、母以外の参加者はみな、お湯もお料理も最高だったと言って、とても喜んでくれたので、わたしにとってはそれだけが救いになりました。
母が自室のお風呂に入る時、Kちゃんとわたしが待機しているのが嫌で、一人にしてくれと言い張るので、仕方なく部屋を出たのですが、結局湯船から出ることができなくて大変な思いをしたようです。
浴槽周りに取り付けられていた取手の位置が彼女に合わなかったのと、耳がよく聞こえない義父が酔って寝てしまっていたのとで、足のあちこちに打ち身を作るほどもがいていたのでした。
きっとかなりショックだっただろうし、そんな自分にがっかりしたんだろうと思いますが、彼女の機嫌はますます悪くなっていきました。
その勢いで、チェックアウトのカウンターのところで、「誰が払ったのだ」と大きな声で聞き質し始めた母に、「今回のお祝いの企画と清算はわたしではなく全て次男くんが引き受けたから」と言うと、ようやく静かになったのでした。
家に戻ってからも、旅館の料理のこと、ベッドのこと、そしてもちろんお風呂のことで、文句を言い続ける母と、それをそうかそうかと聞く義父の声を聞きながら、わたしはどんどん落ち込んでしまいました。
あまりに悲しく、あまりに虚しかったので、友人にその気持ちを漏らすと、言葉を尽くして励ましてくれました。
夫と弟にも何度も愚痴りましたが、その都度慰めてくれました。
その3人が共通して言ってくれた言葉があります。
「あなたは彼女の感情を引き受ける義務はない。あなたの価値は彼女を満足させることができるかどうかではない」
「自分をしっかり守りなさい。自分をもっと大切にしなさい」

確かにわたしは、彼女に喜んでもらいたいと思う気持ちと同時に、そういうことができるようになった自分の満足のためにこの計画を立て、費用を払おうとしました。
彼女が最初から賛成していなかったのに、それは現地に行けばなんとかなるだろう、みんなの顔を見れば気が変わるだろうとたかを括っていました。
考えが甘かったのですね。

さて、夫とKちゃんを送って行った榊原温泉口という近鉄沿線の駅のすぐ近くに、おもしろい場所を見つけました。
名前が『ルーブル彫刻美術館』!



いきなり三つの立像、サモトラケのニケ、ミロのヴィーナス、自由の女神像が目に入ります。
なんだなんだなんだ?!この寄せ集めは?!
怪しさ100%の気分でよくよく見てみると、「世界的に有名なパリのルーブル美術館から公式に許可を得て運営している由緒正しい美術館」なんだそうです。
次回はぜひ中に入ってみたいと思います。

その美術館の駐車場の周りには、たくさんのカエルさんたちが。



大観音寺への入り口。



そして少し離れたところには、高さ33メートルの純金大観音「南無開運寶珠大観世音菩薩」さまが。

すっかり沈んでいた気持ちが、ふわりと浮かんだ時間でした。

母たちの家で過ごした日数は小旅行を除くと2週間。
朝に目を開けてから夜に目を閉じる直前まで、母と義父とわたしは同じ部屋で一緒に過ごしました。
朝と昼は彼らのいつものルーティーンを守り、夜はわたしが料理を担当しました。
わたしがいる間は、部屋の掃除と食事の後片付けは任せて欲しいとお願いして、好きなようにやらせてもらいました。
母は朝起きて顔を洗い、朝食を食べ、iPadでシニア用の脳トレゲームをし、新聞を読み、お昼ご飯を食べ、足漕ぎ運動をし、膝から下をマッサージ機で揉みながら新聞を読み、ベッドに寝転がってAmazonタブレットでお気に入りの映画を鑑賞し、おやつを食べ、録画しておいたニュース番組を聴きながらマッサージ器具で目をマッサージし、日が暮れる寸前に散歩に出かけ、夕飯を食べ、お風呂に入り、痛みや痺れを感じる部分をマッサージしたりクリームを塗ったりしてから布団に入り、若い頃から大ファンの森進一の曲を3曲聴いてから眠ります。
料理も洗濯干しも掃除も、一切しなくなりました。
そんな彼女の横にいつもいて、母の言うことを聞き逃しては怒鳴られている義父。
確かに、補聴器をつけていても聞こえない人に、同じことを2度3度と言っている間に怒鳴りつけたくなる気持ちはわからないでもないのですが、これでは双方ともに良くないことは明らかで、この問題の解決が次のわたしのテーマになりそうです。

今回の帰省の最後に、この旅行があったのは幸いでした。
この温泉は母のお気に入りで、車で40分ほどのところにあるやっぽんぽんの湯です。
ここはゴルフを楽しむ人、とろりとしたお湯の温泉を目当てに来る人、美味しい日本料理を食べに来る人に人気があります。

部屋からの夕焼けと朝焼けが絶景でした。
夕焼け編



朝焼け編



ここに来ると母の機嫌はいつも良くなり、お天気や体調が良かったら、彼女の大好きなグランドゴルフもできるコースもあります。
幸いにしてお天気も良く、母の体調もまずまずだったので、コースに出てみました。

朝に回った時は足元がおぼつかず、バランスを崩して倒れてしまいましたが、それにもめげずにお昼からも一回りした母。
満足できたようで嬉しそうでした。

足腰を鍛えたい。そうしてこれからもグランドゴルフをできるようになりたい。
そんな願いがわき上がってきたようです。
これから気温がどんどん下がって寒くなりますが、無理のない範囲で、毎日散歩を続けると決心した母。

二人の平安と健康を祈ります。

おまけ写真。
某ファミレスで会ったロボットくん。

日本最後のご馳走、絶品うなぎ。

今回の旅の最後の最後は、ただただ一人になりたくて、羽田空港近くのホテルに泊まりました。
初めて乗った近鉄の特急『ひのとり』。

品川はいつも人でいっぱい。

疲れ過ぎて間違って行ってしまった羽田空港内のホテル。

わたしが予約したホテルは、羽田空港を川向こうに見るホテルでした😅。

ポンポン船がのんびりと。

地産地消の野菜をたっぷり使った朝ごはんがとても美味しかったです。


わたしがいない間、わたしの机の下にある足炬燵の上でずっと眠っていた海ちゃん。

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日本写真日記

2024年12月10日 | 日本とわたし
今朝、goo事務局から、世にも恐ろしいメールが送られてきました。
「長期間ログインされていないので、90日以内にこのブログのアカウントを削除する」というお知らせメールです。
「削除にあたり、これまでに記載された文章はもちろん写真など、全てが抹消される」と言われて、大いに焦ってこれを書いています。

思えば、先月の10日に行われた生徒たちの発表会のすぐ後に日本に行き、先週の金曜日の夜にこちらに戻ってくるまで、ブログを書く時間を作ることができなくてログインしていなかったのでした。

時間が経つのが早くてもうほんとに困ります。
ちょっと前に2024年の幕開けだとか言ってたのに、気がついたら師走になってしまってて、あと2週間もするとクリスマスで、それが終わったらおせち料理の下準備に追われる…ってどゆこと??
この時期、毎回同じようなことを言ってるような気もしますが…😅。

美しかった紅葉もすっかり姿を消し、日が暮れると気温がスルスルと0℃近くにまで下がります。
すっかり冬になった今日この頃、昨日から1ヶ月ぶりにレッスンを再開しました。
今回はなぜか時差ボケの影響が少なくて助かっています。
体はこれまで以上にクタクタに疲れているのですが…。

では、今回の日本滞在の写真日記を始めます。
11月13日から17日までは夫と一緒に横浜→三重→大阪→滋賀と周り、18日から12月5日までの18日間はわたしだけが、母と義父の家に行って家事手伝いをしました。

11月13日
横浜在住の従姉妹と待ち合わせをして、ホテルまで送ってもらいました。
ホテル近くのレストランに入り、日本食第一食目😅




11月14日
横浜のホテルの部屋の窓から見える公園に、朝の散歩に出かけました。

近くまで行くと、ハアハア言いながら駆けてくる園児たちに、先生が盛んにハッパをかけていました。

彼らが駆け上って行った坂道を上っていくと、夫が急に「あ、僕のと同じノコギリ!」と叫び、スタスタとこのおじさんに近づいて行って、「このノコギリ、ほんっとによく切れますよねえ」と嬉しそうに声をかけましたが、おじさんはかなり戸惑っていたようです。

紅葉どころか緑ばっか😅。

丘のてっぺんまで行ったら、ここでもまた園児たちが😳…体力あるなあ。


降りていくと大きな池があり、



ホテルに戻る道が何やら美しく、


かなり時間が経ったのに、まだ走り続けている園児たち…いや、走っているだけじゃなくて坂道や階段を何度も何度も上り下りしてるんです。信じられない…。


散歩の後、ホテルをチェックアウトして、ホテルまで迎えに来てくれた従姉妹の家に行き、彼女の娘ちゃん、そして彼女の母親(わたしの叔母)に会いました。
叔母は新しい物事の記憶をとどめておくことが難しくなりましたが、遠い昔のことはとてもよく覚えています。
時々今と昔が交差したり、目の前にいる人が誰なのかわからなくなったりします。
その時その時の、彼女が見ている世界を、彼女の目を通して見ることができたらどんなにいいだろうか。
従姉妹はそんな母親を大変な思いをして自分の家の近くにある施設に移し、毎日のように世話をしています。
本当に頭が下がります。

11月15日
14日の夜に三重県に移動し、今年の2月に亡くなった伯母のお墓参りに行きました。
お墓までの道中、子どもの頃によく通った道を、伯母の娘である従姉妹と夫、そしてわたしの3人で歩きました。
どの通りも、神社や鳥居も、そして疏水も、子どもの目で見ていたからか、覚えているよりも小さくて、不思議な懐かしさを感じます。



借金の取り立てがいよいよ激しくなり、両親ともにどこかに姿を消してしまったとき、置いて行かれた弟とわたしの面倒を見てくれた伯母と従姉妹が住んでいた家の前を通り、

伯母のお骨が納められているお寺に到着しました。

先ほどの鳥居の前まで戻り、さて、この鳥居は一体いつ建てられたのかとよくよく見てみると、

安永という文字が刻まれていました。安永、安永、安永…と首を捻っていると、


こちらの店先にご夫婦が立っていて、わたしたちに手招きしてくださっているのでお言葉に甘えて入らせてもらいました。

お店の奥のお座敷に上がらせてもらい、中庭を見せていただきました。

このご夫婦は酒屋のオーナーで、この鳥居前に建つ幕末の町屋座敷で、地元のお酒やお茶、銘菓を販売しています。
その商売の傍ら、町の成り立ちや幕末から今日までの歴史を影絵にして上演したり、江戸時代から昭和初期の品々を展示したりして、たくさんの人たちを楽しませてくれるそのご夫婦のやり取りを聞いていると、まるで漫才のように楽しいのでした。




思いがけずに歴史を楽しく学ばせていただき、小腹が空いてきたので、従姉妹が前々から気になっていたというレストランに行ってみました。
そのお店は、大人が一人通れるかどうかというほどの細い路地の奥にありました。

壁には手裏剣が😅。

到着です。

料理も給仕もおあいそも、みんな自分でやってます、という店主は、イタリアに深い愛情を持つ腕利きのコックさんでした。




膨れたお腹をこすりながら歩いていると、どこかから懐かしいお琴の音色が聞こえてきました。
ああ懐かしいと声を上げると、従姉妹が「そりゃそうよ、まうみも通ってたお琴の先生の家の前やもの」と言うではありませんか!


いやいやいやいや、これは懐かし過ぎる!
この家には3歳から7歳までの5年間通いました。
絶対音感を持っていたわたしは、幼いながらもお琴の13弦の調律を任され、いつも重宝してもらっていたのでした。
弾くのが楽しくて、どんどんと進んでいったのですが、7歳の終わりにピアノに進むことになってお琴を辞めなければならなくなり、最後に『六段のしらべ』をどうしても弾きたくてお師匠さんにお願いしたら、「弦を弾けてもあなたの歳では理解できないから」と断られ、大泣きした覚えがあります。
なのに、家から聞こえてきたのは、まさにその『六段のしらべ』!
もう我慢ができなくなって、従姉妹を引っ張って家の中に入ってしまいました。
従姉妹もその家で長い期間お琴を学び、師範の資格を持っている人なので、全くの外部者ではありません。
中に入ると、そこにはわたしが習っていた頃の師匠とそっくりの娘さんが、3人の生徒さんと一緒に座っていて、突然の闖入者にびっくり。
事情を話すと、快く座敷に招いてくださり、みなさんで『六段のしらべ』を演奏してくださいました。


60年前と全く同じ空間で聴く『六段のしらべ』はただ懐かしいというだけでなく、この曲を恋してやまなかった7歳の胸の震えを感じて、涙が込み上げてきました。

秋祭りの屋台が並んだ境内に続く道も、こんなに狭かったんだ。


ちょうど七五三の日でした。

従姉妹がよく遊んだ場所。

ここで松明が焚かれ、甘酒を飲んだ思い出があります。

11月16日
大阪に移りました。
大阪といえばこれ!


江戸堀にお店がある眼鏡屋さん『G-KENEYES』。
大阪に来たのはこのお店が目当てです。
ここには、一度でも通ってしまうと、2度と他のところでは眼鏡を作ってもらう気にならないほどの、懇切丁寧で綿密な検眼と、どんなフレームでもお客の望みを叶えてくれる高い技術力を備えた職人さんがおられます。
今回は、2年前に購入したピアノの読譜用眼鏡の点検と、車の運転用の眼鏡を新たに作ってもらいに行きました。

実は、大阪に移った夜、わたしが予約した部屋がとんでもないことに。
そもそも、日が暮れる中、わたしの代わりに大型のキャリーケースをゴロゴロ引きずっていた夫の機嫌はどんどん悪化していたので、1分でも早く見つけたかったのに見つからない…。
やっと見つけたと思ったら、今度は建物そのものに入るドアの開け方がわからない。
夫の不機嫌度はピークに。
やっとのことでそのドアが開き、わたしが予約したの部屋の前に立つと、またまた不可解な暗号が。


二つの難関を突破して、やっとのことで部屋の中に入るや否や、夫が鼻をつまんで「臭い!」と叫ぶではありませんか。
元々鼻詰まりのわたしは何がそんなに臭いのかわからず、扉という扉を開いては中を点検する夫をただ見つめているだけ。
今さらここをキャンセルして新しいホテルを探す気力もありません。
とにかく今夜はここに泊まって、次の晩は違うホテルに移動しよう、ということになりました。
いっときでも部屋の中に居たくなかったので、夕飯を食べに出発。

ちっちゃいけれどド派手な電車駅を通り過ぎ、

夫が好きそうな食堂を見つけました。


その夜中にふと目が覚めたわたしは、鼻の奥に居座るとても不快な臭いに気づきました。
え?なにこの臭い?下水?
もしかして、夫が大騒ぎしていた臭いってこれだったのか?
それからはもう眠れません。布団の中にもぐって、ただただ朝が来るのを待ちました。

11月17日
翌日の朝、そのトンデモ宿からあまり離れていないホテルに移り、とにかく一安心。
朝ご飯を食べに外に出ましたが、どこもまだ閉まっていて見つかりません。

万博の宣伝してるけど、開催できるのでしょうか…。

もう諦めてコンビニで何か買おうかと思ってたところに、ホテルの入り口が見えました。
もしかしたら朝食バイキングなんかがあるかも…ありました!


この日のメインイベントは大津の友人たちに会いに行くことです。
懐かしい京都駅。


夫がいい塩梅に映り込んでいました😅。


これまた懐かしい、8年間暮らした琵琶湖畔。

久しぶりに会った二組の友人夫婦たちと一緒に、美味しいランチを食べました。

日本の電車は楽しい。

11月18日
ホテルの窓から、電車に乗った乗客の顔まではっきり見えます。

出た!コンビニ朝ご飯!

さて、この日以降は、夫とは別行動になります。
彼は関西在住の友人たちに会いに行き、わたしは母と義父の家に移り、母の90歳の誕生日祝いをする温泉一泊旅行でまた合流し、その後夫はアメリカに、わたしは母たちの家に残るという予定になっています。
二人で気ままに過ごせる最後の日ということで、観覧車に乗りたいと思い行ってみたのですが、残念ながら休止中。
では、何か美味しいものを食べようと、市場に探しに行きました。

甘いもん💜


ほんでもってお寿司❤️

今日はこんな活きのいいのが入ったよ〜と職人さんが見せてくれました。

またまた見つけた楽しい電車。

11月19日以降と「母の90歳のお祝い旅行」のお話はこの後に。
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米国『東海岸の紅葉とハロウィーンと大統領選挙』事情

2024年11月02日 | 米国○○事情
今年の日本の夏は暑さが半端なく厳しくて長かった!と、過去形にすらまだできないって聞いているのですが、さて、流石にそろそろ秋らしくなってきたのでしょうか?
こちらは雨が全く降らない日が続いていて、ここ数日はインディアンサマー現象で生暖かい気候でしたが、明日からまた秋が戻ってきそうです。
風が強く吹くと、大小様々な枯葉が舞い散ってきます。
うちの中庭と裏庭は、恒例の落ち葉踏みが楽しめる、まるで奥深い森の中のような様相で、外遊びの猫でさえ、得意の抜き足差し足忍び足ができません。

もう2週間前になりますが、散歩をしながら撮った紅葉の様子です。
この頃はまだ緑の方が優っていました。






少し日が経って、






こういうのも好きなので、



ご近所さんのお裾分けコーナー。
  


昨日はハロウィーンでした。年々凄まじくなってくるこのお家のデコレーション👻




わたしはこちらのシンプルな飾り付けの方が好きです。









これは目立たないけどけっこう怖い。


いよいよ大統領選挙の投票日が近づいてきました。
今回は特に期日前投票を済ませた人が多いような気がします。
トランプ氏は大統領就任までにガザ戦争を終わらせる!と宣言していて、それをイーロン・マスク氏などがSNSで大々的に拡散していますが、結局は彼もバイデン氏と同じく『シオニスト・イスラエル支持者』なので、イスラエルに表向きの終結宣言をさせて後は好きにやれ、ということになると思います。
マスク氏は財力に任せて、自分が買収したX(元ツイッター)などでトランプ氏への投票をするよう大金を有権者たちに与えていますが、選挙法違反にならないのが不思議です。
わたしの周りには民主党支持者が圧倒的に多いのですが、彼らはみな、もしハリス氏が当選したら、トランプ陣営は前回のようにまた、敗北を認めず、不正選挙を訴えて、大きな騒動になるのではないかと恐れています。
とんでもない嘘や妄想が、あたかも本当のことのように拡散されてしまうのを、数えきれないほど見聞きしてきたので、この選挙はどちらにしても純粋には喜べないだろうなと思います。






気分直しに、これを紹介します。

これは日本語では「仏手柑(ぶっしゅかん)」と呼ばれているオレンジです。
といっても、見た目でもわかるように、中には果肉がほとんどありません。
仏手柑は主に観賞用として栽培されていて、お正月飾りやお茶席の生け花などにも使われているそうですが、わたしはこれまで見たことがありませんでした。
皮をマーマレードに利用したり、砂糖漬けにして食べるそうです。
この写真には『Goblin Hand』って書かれていますね。
ハロウィン用の売り名でしょうけども、仏が小鬼になっちゃってます😅
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土と野菜と太陽と

2024年10月09日 | 友達とわたし
心友のNちゃんから、ぜひこの人に会ったらいいと思う、と言われて会いに行ったKさんのお宅。
Kさんは、うちから20分ほど離れた町に住んでいる、野菜と土作りの達人です。

すべてKさんの手作りの菜園、というより花壇、いや、菜壇と呼びたいほどの美しさ!


草ぼーぼーの我が家の菜園と真逆の美しさ!
Kさんがここに越してきた時の前庭は不毛の砂地で、雑草でさえも生えることができないような状態だったそうです。
ここまでにするには、そりゃもう言葉では言い表せないほどの苦労と工夫を重ねてきたんだろうなあと思います。

Kさん自身で木を切り、小さく刻んで作ったウッドチップの数々。これにかけた労力と時間を想像しただけで気が遠くなりそうです。




絶対的な存在感を漂わせている菊芋。背丈は3メートルを超えています😳。

ど迫力のアップ写真。

これはむかごだそうで、こんなふうに実をつけるのだと初めて知りました。


朝一番に、ブロッコリーやニラの芽やピーマンやイチゴやブルーベリーやラズベリーなどを採って朝食にいただく毎日…いいなあ…。








健康で美しく美味しそうな茄子、今年は育ちが遅くて、これからが本番だそうです。


胡瓜をコンパクトに育てる(無闇矢鱈に広がらないようにする)技も教えてもらいました。

でも、こんなに開けっぴろげで大丈夫なんですか?鹿とかグラウンドホッグとかモグラとかスカンクとかリスとか、そういうのに食べられちゃいませんか?
と尋ねると、うちはこれを置いているから大丈夫と見せてくれたのがこれ、害獣の超音波駆除機です。
小さなソーラーパネルが付いているので、充電の手間も要りません。


これはゴボウ、だったっけか?

ゴーヤもすごく元気です。


ジャガイモは、ネギの根っこと寄り添うようにして育てるといいということも初めて知りました。
コンパニオンプランツ、共栄、または共生作物と言われるものだそうです。

これは茄子にオススメのコンパニオンプランツのお話です。
コンパニオンプランツ」は、野菜など栽培したいある植物に対して、近くに植えることで互いに良い影響を及ぼし合う別の植物のことや、その組み合わせを指す言葉です。
ある植物を単体で育てるよりも、コンパニオンプランツを一緒に育てることで、病害虫が広がるのを防いだり、成長を促進したりするというメリットがあります。
日本語では「共栄作物」や「共生作物」と表現されることもあります。ざっくりと「植物には相性のいい植物がある」と認識しておいても良いでしょう。

というわけで、ほんの基本的なことすら知らないことだらけでKさんにはすっかり呆れられてしまいましたが(例えばトマトには水はあまり必要ではないとか、茄子は毎日欠かさず水をあげなければならないとか)、教えてもらったことを来年の菜園に活かせることができるように、わたしも頑張ろうと思いました。

いろんな野菜の種もいただき、


蚊取り線香が据えられた椅子に座って、世にも美味しいシソジュースをいただき、


Kさんイチオシのニラの芽もいただき(めちゃくちゃ美味しかった😭)、


お刺身グレードのマグロの頬肉までいただいて、

とんでもなく厚かましい、二日に渡りお邪魔虫と化したわたしでした😅。
Kさん、本当の本当にありがとうございました!
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米国『小さな町の小さな床屋さん』事情

2024年10月08日 | 米国○○事情
夫はかれこれ10年以上、この床屋さんで髪の毛を切ってもらっています。
理髪師さんの名前はフレディ、御年78歳のバリバリの現役です。
夫は店から戻ってくると必ず、順番待ちをする客たちや世間話をしにくるだけの常連たち、そしてもちろんフレディのその日の様子をわたしに話すのですが、最後にいつも「まうみも行って見たらいいのに」と言うのです。
そんな、髪の毛を切ってもらうわけでもないのに、夫にくっついて見に行くだなんて変じゃないのか?
と思いつつ、話を聞きながら想像していた世界と比べたくなって、とうとう一緒にお店に入らせてもらいました。

壁一面の写真、今はもう用済みとなったバーバーチェアに陣取り世間話に花を咲かせる常連さん、自分の番をひたすら待つお客さん、そしてフレディ…。


冒頭の写真は新聞の切り抜きです。『一部の本物のイタリア人にとって、ソプラノズは核心を突いている』(めっちゃ直訳😅)と書かれたタイトルのすぐ下に、20年ばかり若いフレディが写っています。
アメリカのテレビ界の歴史を塗り替えたとも言われているドラマ『ソプラノズ』の最後のシーンの撮影が、フレディのお店の真向かいにあるダイナーで行われた際の取材記事のようです。
このドラマは伝説のドラマとして今も君臨していて、6シーズンの間にエミー賞でのノミネートは96回、6年間でのべ18部門を受賞しました。
ドラマの紹介文には、マフィア=現代社会のダークサイドを過激なリアリズムと知的なブラックユーモアで描いた怒涛のヒューマン・ドラマ、などと書かれています。
わたしは10代の頃から20代後半まで、日本のヤクザさんたちに散々な目に遭わされたので、今でもとても強い拒否反応があって、ドラマでも映画でも、ヤクザやマフィアが登場するものは観ることができません。
それがちょっと残念。

話がそれましたが、フレディをはじめ、このお店の常連さんたちはイタリア人。
夫は散髪が必要になるとまず、彼のお店の混み具合を調べに行き(フレディがお客一人にかける時間はほぼ20分)、髪をカットしてもらうかどうかを決めます。
散髪代はたったの14ドル、夫はチップ込みで20ドル払います。
フレディはお客たちと陽気に話をしながら、コームで掬い上げた髪をハサミでチョキチョキと整えていくという動作を、毎日朝から夕方まで延々と繰り返します。
たまによそ見をして切り残しがあったりしますが、なにしろ14ドルですし、夫は細かいことに無頓着な人なので、全体的にすっきりしていればそれで良し、めでたしめでたしなのでした。

フレディは、散髪中にもかかわらず、わたしの腕をとって写真の前に連れて行き、犬や猫と一緒の写真がいっぱい貼ってあるのを指差して、「僕は動物が好きなんだ、とりわけ大きなサイズのね」と言って特大のウィンク😉。
中に羊が写っているのもあったので、「羊も飼っていたの?」と聞くと、「ああ、これは合成写真だ、ワハハ!」とフレディ。


何百と並ぶ写真は彼の人生そのもの。ずっと見ていても見飽きることはありません。

誰の毛髪か、もはや全く区別がつかない床😅。


フレディ、これからもよろしく!
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ワクワクドキドキの2週間

2024年10月07日 | お家狂想曲
15年間、待ちに待ったシャワー室の改装が実現しました。
これがずっと改装待ちをしていたシャワー室です。

とても小さな部屋で、床全体が裏庭に向かって傾いていて、三角形のシャワーユニットの床はいつボコンと抜けるかわからないくらい弱っていて、隙間からは長い年月をかけて増殖したであろうカビが取っても取っても姿を現します。
床にはビニール製のシートが貼られていたのですが、ところどころが破けていたので、せめてこれだけでも変えようと、1枚90円の安いシートを買ってきて、見よう見まねで貼り替えたのが13年前。

この棚は、壁から剥がれかけていて、なので中に物を置く際には置く角度をうまく調整しないと、鏡を開いた途端に中の物が落っこちてきます。


1日でも早くと願いながら待つこと15年。
10年前まで教えていた大人の生徒さんが、もし家の改装をするならここがいいよ、と言って、その業者さんのパンフレットを渡してくれたのですが、あまりに時が経ってしまっているので、同じ職人さんがいるのかどうかわからないまま見積もりに来てもらいました。
他にも見積もりをお願いしたところはあったのですが、予算額が一番安かったこと、ショールームに必要な物のサンプルが置かれていて、そこで一挙に選べること、そして何より信頼できる人からの強いお勧めがあったこともあって、お願いすることにしました。
その会社のメンバーは全員中国人で、見積もりをしたり、ショールームで壁や床の現物サンプルを決めたりする際には、英語が話せる人が対応するのですが、現場で仕事をする人たちのほとんどは英語が話せません。
それがわかったのは工事の初日で、確かにコミュニケーションがうまく取れないのには困りましたが、入れ替わり立ち替わりやってくる職人さんたちの仕事の腕はとても良く、それぞれの作業が丁寧に迅速に進められていくのを見守るのは楽しかったです。

あっという間に洗面台とシャワー室とトイレが消え、いよいよ工事の始まりです。


このシャワー室、ドアが両方にあって、一つは台所に、もう一つはピアノの部屋につながっています。

それを今回の工事で、シャワー室と洗面台の場所を入れ替えるため、台所へのドアを外して壁にすることになりました。
その図面を描いてくれたのは設計士の義兄で、工事はこの図面に従って進められました。


まだ台所から出入りできていた時はレッスンができたのですが、それが叶わなくなってからはレッスンは中止です。

工事はこんな感じで進んでいきました。





なにしろ狭い部屋なので、職人さんが2人入るともういっぱいになって動きにくいみたいで申し訳なかったのですが、こればっかりは仕方がありません。

今回の工事では、わたしたちが聞きたいことやお願いしたいことがあっても、それを正しく伝えることがなかなかできなかったことが最大の問題でした。
夫もわたしもなんとかわかってもらおうと、翻訳アプリなどを使ってみたのですが、中国語には何十種類もの言語があるからか、職人さんは首を振るばかり…。
だからどんなに簡単な要件でも、通訳してくれる人を介してでないと伝えることができないのには本当に困りました。





工事の終盤に便座の変更が2回もありました。
1回目は業者側のミスで型違いのものが設置されたからだったのですが、取り替えたあと、TOTOのウォシュレットを便器に取り付けてもらい、いざ使ってみるとその便座がグラグラとずれてしまうではないですか!
なんとかしてそのグラグラを直せないかと色々試してみたのですが、どうしても解決しません。
よくよく見ると、その米国製の便器はTOTOの便座のサイズにはぴったり合っているのですが、便座の縁の面が平らではないことに気がつきました。

ハァ〜と深いため息が一つ…。
もうこれ以上失敗をしたくないので、TOTOに直接電話をして、手に入れたウォシュレットに合う便器を教えてもらい、それを新たに取り付け直してもらいました。


ふたに貼ってあるのは、「男たちよ、少年たちよ、おしっこは座ってしてね!」というお願い文です。
ここのトイレは生徒たちや親御さんたちがよく使うので、できるだけきれいに使ってもらうように前もってお願いしなければなりません。
そうでなければ、レッスンが終わるたびに、トイレはもちろんのこと、トイレ周りの掃除をすることになるからです。

とまあ、そんなこんなの大小さまざまな騒動がありましたが、2週間弱で工事は終わり、実に快適なシャワー室に変身しました。


いまだにちょっと慣れなくて、どこか違う家の部屋に入っているような気分になりますが、床はベコベコしないばかりか傾いてもいないし、シャワーをする際にどこかに肘や手をぶつけることもなくなったし、物があるべき所にすっきりと収まって、鏡戸を開いても落ちてきません。
15年は長かったけど、夢が叶って本当にありがたいです。
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ジャズ・フェス・ジャンボリー2024

2024年10月07日 | 音楽とわたし
毎年行われるジャズフェスティバル、今年で15回目となりました。


モントクレアは、わたしたち家族が渡米して初めて住んだ小さな町です。
この町を選んだのは、学校教育と芸術に力を入れていて、外国から移住してきた子どもたちのための英語のクラスも充実していたからだったのですが、なにしろ税金がとても高くて、持ち家など夢のまた夢。
なので借家かアパートメントで暮らす以外の選択肢はなく、息子たちが学校教育を終了してすぐに、隣町に引っ越してしまいました。
けれども車で5分も走れば行ける距離なので、今も美味しいものを食べに行ったり、音楽や舞台を楽しみに行くことが多い町です。

わたしたちが引っ越した年から始まったこのジャズフェスティバルは、この町に住む天才ジャズベーシスト(グラミー賞を8回獲得している)、クリスチャン・マクブライドが中心になって行われるようになりました。
毎回、ジャズ界の重鎮がゲストとして出演するジャンボリー、メインステージに向かってゆるい下り坂になっている広い大通りに、思い存分に音楽を楽しもうと大勢の人たちが集まってきます。
この日はだから町が音楽と一体化するのです。
舞台で演奏するのは、有名なプロミュージシャンだけではありません。
マクブライド氏が設立した子どものためのジャズハウスで研鑽を積んだ子どもたちも出演します。
子どもたちはその日だけではなく、前夜祭的に行われる行事で、ジャズだけに限らず音楽界の重鎮と共演するという、素晴らしい経験もできます。
今年のゲストはスティング。羨ましい限りです。


今年のプログラムはこれ。


これはジャズ・フェスティバルのマップです。


お昼の12時から夜の10時まで、ダウンタウンで音楽を楽しみます。

夫とわたしはその日、朝からとても体がだるくて、フェスティバルに行こうかどうか迷っていましたが、日が暮れ始めると我慢ができなくなって出かけることにしました。
わたしたちがメイン会場に到着したのは18時前、聴きたかったマクブライド氏の演奏は終わっていましたが、最後の出演者リサ・フィッシャーの歌声が響きわたると、気分は瞬く間に上昇し、空にはお月さまと撮影用のドローンが浮かんでいました。

リサ・フィッシャーは、バックコーラス・ボーカリストとしてスティング、クリス・ボッティ、チャカ・カーン、ティナ・ターナー等の一流アーティストと共演し、リリースしたソロアルバムやシングルレコードでグラミー賞を受賞した人です。1987年、ミック・ジャガーのソロ・コンサートツアーに参加し、その後、ローリング・ストーンズのツアーに1989年から現在に至るまで参加し続けていると後で知って、ああ、だから彼らの曲を彼女風にアレンジした歌を何曲も歌っていたのだなと、夫と二人で納得したのですが、そのアレンジがまたとても個性的で、よくよく注意して聴いていないとわからないぐらいなのです。



フィッシャー氏の舞台が終わり、フェスティバルの最後はDJによるアップビートな音楽が始まると、人々は立ち上がり、思い思いのダンスを楽しみます。


この男の子は可愛いドラマー、肩車してくれるお父さんの頭をノリノリで叩いています。

音楽が体や心にしみこんで、深いところから揺さぶってくる。そんな経験は何度あってもいいと思います。
身の回りにいつも音楽が寄り添っている人生、なんていうと難しく考える人もいるかもしれません。
でもちっとも難しくはありません。
大人も子どもも、そしてもしかしたら動物たちも、音を楽しむ機会はどこにでもあるからです。
わたしはジャズを3年勉強して、自分には無理な分野だと断念した苦い経験がありますが、ジャズを聴くのはとても好きです。
また来年のジャンボリーを楽しみに、来月に控えている生徒たちの発表会の準備に勤しみたいと思います。
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