ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

石丸構文は何故生まれたのか

2024年07月17日 | 日本とわたし
石丸構文は何故生まれたのか。『公平性を保つ』は言い訳?メディアも変わらねばならぬ時。

石丸構文っていうのがSNSで騒がれて1週間。
モヤモヤしてたけど、古館さんが作ってくれた動画がわたしの思いを的確に言葉にしてくれていたので紹介します。

文字起こしはじめ(省略部分が多々あります😅)
ー前略ー
NHKから「今回の敗因は何だと考えますか?」と聞かれた石丸さん、「マスコミの報道が全くなかったことが理由ではないか」と答えた。

マスコミの選挙報道に腹を据えかねていた男だ。
選挙が終わり、落選が決まったとなった途端に、それまでは無視していたくせに、急に寄ってたかって石丸さんの人となりを聞いてみたり、政策の問題点をあげつらい始めた。

(まうみ注・日テレは同インタビューの中で、今回の都知事選は踏み台だったのか、売名行為だったのかなどという、1ヶ月余りの壮絶な選挙運動をやり遂げた本人と支援者、そして応援した有権者に対してリスペクトが微塵も無い言葉を投げかけた)。

古市憲寿さんのインタビュー、なんであんなふうに言うのかなっていうのが、俺の正直なところ。

古市
「出口調査で2位で嬉しかったですか?」
(古館注・落選して2位で嬉しかったかと言う質問は過分にして聞いたことがない)
(わたしとしては、街宣を220回以上行い、心身ともに疲弊し、開票結果で落選を知った直後の候補者に聞くことかと憤慨した)

石丸
「勝ち負けなどという候補者目線の小さな話はしていないです。
そういう煽り方をするから、都民、国民の意識がダダ下がりなんです。いい加減にわかってください」

険悪なムードを収めようと日テレの女性キャスターが横から入ってきて、
「石丸さんのおっしゃる政治屋の定義は何なんでしょう」と聞く。

石丸
「政治のための政治を行う、党利党略、自分第一、それらを言っている者、やっている者を政治屋と私は定義しています」

ここで古市さんが横から入ってくる。

古市
「世の中を変えるって言うんだったら、石丸さん、企業家、NPO、官僚とか色々ある中で、石丸さんが政治家にこだわる理由ってのは一体何なんですか?」

石丸
「いえ、こだわってませんよ」

古市
「いや、いわゆる石丸さんが否定されている政治屋と石丸さんとのはどこが違うんですか?」

石丸
「何か堂々巡りになっているんですが、先ほど定義の話、しましたよね」

古市
「いや、改めて定義を聞いているんですけども、どうなんですか?」

石丸
「同じ質問を繰り返してます。さっきお答えしましたけど」

古市
「だからその定義を聞いている、どうなんですか?」

石丸
「もう一回言えってことですか?」

古市
「いや、まだ答えてないから」

中略

石丸
「言葉の定義じゃなく相違点を聞いてるんですか?」
(まうみ注・ここで時間切れになり、スタジオでは「いやあ、答えてくれませんでしたねえ」となった)

政治屋っていうのは、石丸さんにいちいち聞かなくても、政治という産業で金儲けをする裏金議員たちのことを言うんじゃないの?
古市さんはそれよく知ってるはずなんだよ。
で、古市さんはこう言いたかったのかなと俺は想像する。
「石丸さんは、政治を生業にする政治屋と一緒なんじゃないですか?」と。

とりあえずみんなの前で、選挙の時に、石丸という人間が『政治屋一掃』って大見得切ってガツンと言ったんだったら、有権者はそれを一旦預かって、裏切られたら投票でまたドンと示せばいいだけのこと。

アベマTVのパックンは同じ趣旨の質問をもっとシンプルに行なった。

パックン
「長い政治生活の中で、石丸さん、もしかしたら今後石丸さんが政治家になるんだったら、政治屋になることはないんですか?」

石丸
「ないです、そうなるんだったら辞めます。私もしたいことがあるんで」と答えていた。

そういうことじゃないかと思う。

ここのところ、サブウェイ含めて石丸構文ってのが、表層だけ捉えて遊びで流行ってる。
あの石丸構文っていうのは、質問者の整理がついていない状態の、何だかよくわかんない質問と、あるいは整理をしないで自分の求めている答に誘導尋問していく時に発せられた言葉を見抜いて、『その手に乗らないよ話法』を石丸構文と言う。
だから、石丸構文というのは、質問者が作ったもんだってことを言いたい。
なにも石丸さん本人が作ったんじゃないんだ。
質問者が意地悪に、ここ突っ込んでやろう、政治の具体性があんたは希薄だって言ってやろうっていうのを、遠回りに遠回りに言ってたりするから、なに遠回りに言ってんだっていう時にブラック石丸が登場して、ドンと言う。
で、言いすぎたなって思ったら、次また別なテレビ番組に出て、ホワイト石丸を演じる。
これを繰り返して、ホワイト石丸、ブラック石丸って、いいじゃない別にそれ。
政治をエンタメ化するっていう手段を言ってんだから。
政治をエンタメ化するのが最終目標なら困るよ。
だけど、徹底的に自分を売る時の手段としてエンタメ化するのはいいんじゃないかと思う。

古市さんを悪者にしてこんなことを言わせてもらったけど、言ってる俺も碌なもんじゃないの、実は。
先に言っとくけど、報道ステーション12年やって、ためにする質問も政治家にぶつけた、バーっとね。
選挙速報、選挙特番やっていて、隣のTBSからポンと入ってきて、今度はまたイヤホンを付け直して、そして政治家の先生がワンショットになってる、そこでこれを向き合うってなった時に、まだ頭の中が質問整理されてない。
共産党からその他自民党とか、ポンポン変わっていくわけだ、政治家の人が。
こっちも整理されていない時に、必ず、ああ定番嫌だなって思うけど、選挙速報の時のコメンテーターや司会系の質問のね、3つのセリフっていうのが必ずあるの。
これを使っちゃっててどんだけ虚しい思いを常にしてたか。
まず、はい、選挙結果出ますけども、今の受け止めは。
選挙戦、どうであれ、手応えはあったんじゃないですか?
受け止めから手応えという言葉に変える。
色々と愚にもつかないことを聞いているうちに、最後は、ま、今回負けたとはいいうものの、風を感じたんじゃないですか?
必ず受け止めから始まって最終的に風で終わるんだよね。
こうやって、質問者もね、なんかある種の意地悪さを持ちながら、それも複数対単数でパーっとやるというのもどうかと思う、選挙特番の作り方として。

政策や政治活動が希薄だとか、政策がまだ具体性が見えないとか突っ込むんだったら、もっと前の選挙期間中にやれよって話なんだ。
放送法第4条ばかり言ってないで、最終的にトータルで公平性を保てばいいんだから、蓮舫さんにも小池さんにも、選挙期間中に、もっともっとインタビューを深くするべきだったんだよ。
討論会だって、テレビは1回しかやらないで、インタビューもじっくり聞かないで、選挙期間中だから、公平性だから、56人も出てるからって、そればっかりだったでしょう?
都政っていうメガロポリス大東京の政治をどうやっていくのかと考えてたら、国政につながる。国政のことやってたらメガロポリス大東京にグーっと連関してくるに決まってる。
神宮外苑の再開発問題、プロジェクションマッピング(40億円以上費やして都庁舎壁面に投影)、それから政治と金、小池さんに対して自民党隠し、その戦略が持ち込まれたいろんなアングルで報道することはいっぱいあったはずなんだ。
ー後略ー



好きでも嫌いでも

2024年07月17日 | ひとりごと
胡瓜の苗を3本買って植えた。
3本ともが元気に育ったら大変なことになるとわかっていながら、ついつい植えてしまった。
今年は鈴木農場の鈴木さんにアドバイスをしていただいて土作りをしたからか、例年以上に苗がすくすく育ち、とんでもないことになっている😅。
夫とわたしとではこの量は消費できないので、ご近所さんに配り歩いているのだけど、それでも追いつかない時はピクルスを作る。
胡瓜が体質に合わない夫の分もと、わたしは毎食ごとに一本、甘味噌をちょいとつけて丸かじりする。
キリギリスも真っ青なのである。

先日、トランプ元大統領が遊説中に狙撃されるという事件が起こった。
現場の写真を見た時に、一番先に思い浮かんだのは、やらせじゃないのか?だった。
彼だったら、銃声がしてしゃがんだ際に、血とそっくりの液体を入れたカプセルを耳の近くで潰すことぐらいはするだろうと。
いくら嫌いだからって、さすがにこれは酷い考えだとは思う。
けれども、屋根の上から撃つという、それこそなんでそんな所から?という場所に銃を抱えた犯人が立っていて、その様子を見て事前に報告した人も居て、なのに演説は中止されなかったっていうのは解せない。
トランプ氏の、右手を高々と振り上げて雄叫びする姿を見て、大勢の支持者が呼応する。
暴力を、銃所持を否定しない人たちが興奮の坩堝にハマっている姿を見て、心底恐ろしいと思った。
犯人が何を思い、何のためにあんな愚かな行動に走ったのか。
銃器には銃器を。
そんな考えがまた蔓延りそうで、本当にうんざりする。

先日、東京都知事選に出馬した石丸さんに、「殺害予告」なるものが届いていたのだそうだ。
届け先がわからないからか、その脅迫状は安芸高田市の役場に送られた。
石丸さん本人だけでなく、ご家族に対しても、殺害と放火の脅かしが記されていた。
警察に届が出され、捜査が始まっているようだけど、過剰に反応して悪い連鎖が起こらないようにと、石丸さんは何度も注意喚起していた。

政治家は好かれたり嫌われたりする。
中には極端に好かれたり嫌われたりする人もいる。
そんな強い思いに囚われて暴走する者から危害を加えられてはたまったもんじゃない。
落ち着け、落ち着け、好きでも嫌いでもどっちでもいい。
けれども過剰になってはいけない。
SNSで煽ることはもうやめて欲しい。
カオナシでもカオアリでも、どちらにしても煽ったり誹謗中傷したりするのはもうやめよう。

好きという気持ち

2024年07月08日 | 日本とわたし
以下↓は、石丸さんの街頭演説の中で一番好きな言葉です。

「好きという気持ちに間違いはありません。全部正解なんです。なので、その好きという気持ちをぜひ大事にしてください。そして同じように、誰かの好きという気持ちを大切にしてあげてください。
その関係の上で生まれるやり取り、その中にこれから先の未来があるんです。これから先、成長していける可能性はそこにあるんです。
これまでと同じことを続けてて、同じ関係性を繰り返したって、新しいものはなかなか出てきません。
だからこそです。
自分が何を考えているのか、人が何を考えているのか、これを、その正義を、せっかくなんで共有してみてください」

彼はいつも「投票に行ってください。誰に入れてもいい、選挙を大いに楽しんで投票に行ってください」と訴えていました。
街宣は実に220回を超えました。
マスメディアにはとことん、意図的に無視されていましたね。
「いよいよ最終日になって、よくぞお越しくださいました」
これ、6日の街宣時に、マスメディアに向けられた石丸さんの皮肉です。

石丸さんを知ったのは、一昨年の夏に日本に行った時、大阪在住の弟から教えてもらったのがきっかけでした。
それから以降、全く自分の暮らしに関係のない安芸高田市の議会中継を視聴してきました。
よくYouTubeで流れてる切り取り動画ではなく、安芸高田市の公式ホームページに掲載されている議会の中継ビデオを、根気よく視聴してきました。

彼がYouTubeを使って得た投げ銭は、全て安芸高田市の財源になり、全国に名前が知れ渡ったことから、ふるさと納税が何倍にも増えて、学校設備などに使われています。
(まうみ注・安芸高田市の市長選挙が行われ、常々石丸さんと対立していた清志会のメンバーが市長に当選したことから、チャンネル登録をやめる、ふるさと納税の寄付をやめるという人がワラワラと出てきています。
石丸さんと4年間一緒に頑張ってきた市の職員の方々、石丸さんに刺激されて市政に興味を持ち始めた子どもたちは、そういう現象をどんな気持ちで見ているか…。
逆に反骨精神を発揮して、そして自分の意思をしっかりと構築して、安芸高田という小さな市の存続につながるアイディアを見つけていって欲しいと願っています。
不思議なご縁で繋がった安芸高田市の市議会ウォッチングは、これからも続けていきたいと思います。)

さて、選挙が終わって、石丸さん、色々言われてますね。
支援する人たちが自民党の関係者だったり、大企業の偉いさんだったりしたことから、自民党や統一教会の回し者だとか…。
実際、彼を応援する人たちの中には、わたしが大いに嫌ってる人もいて、なんでこんな人たちと…と思ったこともあります。
でも、世の中を変えるという時って、そういう好き嫌いの枠を取っ払って視野を広げる必要があるのかなと、冒頭の石丸さんの言葉のように、
「自分の好きという気持ちを大事に、そして同じように、誰かの好きという気持ちを大切にする。
その関係の上で生まれるやり取り、その中にこれから先の未来があり、成長していける可能性はそこにある。
これまでと同じことを続けてて、同じ関係性を繰り返しても、新しいものはなかなか出てこない。
だからこそ、自分が何を考えているのか、人が何を考えているのか、これを、その正義を共有する」
という行為が肝心なのだと思ったのでした。
この言葉は実は、わたしと夫の関係性の改良にも役立ったんです。
深いなあと思います。
けれども気がつくと、わたしのXには、石丸さんに対しての嫌悪感や不信感を抱く人たちのツイートが蔓延していました。
初めて、あれ、わたしはXの世界ではハズレ者になったんだなあと感じました。
そして、こんなふうに誤解や曲解をされてしまっていることが残念でたまりませんでした。
でもまあ、彼のあのものの言い方、少し改めた方がいいかも知れません。
不快感は得てして大きな反発を招くし、真意が伝わりにくくなるからです。


安芸高田市の議会、もちろん全員ではありませんが、話題になっている一部の議員さんたちの態度や資質には、本当に問題があります。
さらにはその議員を擁護する議長などもいて、四面楚歌状態の議会でした。
YouTubeでバズっている切り取り動画は、のらりくらりと、要点を得ない質疑を延々と続ける議員に、これでもかこれでもかと懇切丁寧に説明を続けていた市長が、とうとうのとうとう堪忍袋の尾が切れた、という場面です。
居眠り議員を叱責した時も、その人はそれまでにも何度も居眠りをしていた常習犯でした。
反省するどころか、議長と一緒になって、目を瞑りながら聞いていたと言い返すことから始まって、延々とあーだこーだとゴネ続ける年配議員たち。
議場での態度や物言いが怠慢過ぎるのは国会議員でも同じで、わたしたちが国会を視聴している際に、そういう輩に1発ぶちかましてやりたくなるじゃないですか。
それを目の前の小さな画面の中で見せてくれる石丸さんを見ていると、胸がすく思いがしたものです。
まあ、年配の議員さんたちにしたら、今までなあなあでやってこられたのに、いきなり出戻ってきた若造にズバズバと容赦無く指摘されて、きっとカッチーンときたんだろうとは思います。
確かに言い方はかなりきついですから、言葉や口調を選んで欲しいという気持ちがわからないこともありません。
が、質疑時間を大幅に超過して延々とゴネ続けたり、意味不明だったり、しつこく絡んだりされたら、あれぐらいのキレ方は当たり前だと思います。
その時点までは本当に辛抱強く言葉を聞き、そのいちいちに対して繰り返し返答し続けているわけですから。
ただ、それをYouTube上で編集して、お祭り騒ぎのように煽っては登録者数を増やす人たちがいて、その行為が当事者である議員やそのご家族を深く傷つけたことも事実です。

彼は「日の丸を背負ってアメリカ大陸を上から下まで回っていた、その時に愛国心を強く意識した」と言っていました。
わたしも国を出て24年経ちましたが、彼の言う愛国心という感覚がとてもよくわかります。
俗に言う保守とか右寄りという言葉で括られない、もっと純粋な、アイデンティティというか、他の何者でもない、わたしそのものというか、まあそういう感覚です。
彼の場合はそれが利他的な行動につながり、故郷の市政に携わり、困窮する地方自治体の現実を目の当たりにし、東京一極集中を地方との連携という形に変えることで、弱っている地域の底上げをするという目標を立てました。
そういう目標が立てられたのは、アメリカ大陸9カ国を第一線の経済アナリストとして回っていた人だからこそだと思いますし、安芸高田市の存続と発展を心から願っているからこその目標なのだと理解しています。
故郷の、そして故郷のように弱っている自治体、さらには日本の再建のためなら自分の人生なんぞくれてやる。
そういう姿を見て、支援したいと人が集まり、それが今回の選挙運動に繋がったのではないかと思います。

日本から出てこちらで働き、社会人として生きていると、日本の政治の幼稚さ、マスメディアの稚拙さが目につくという気持ちもわかります。
特にテレビの人たち。彼らの軽薄さ、他人へのリスペクトの無さにはゾッとします。もちろん誰もがということではありません。

長々と書きましたが、そろそろ終わります。
ということで、石丸さんの思想や見解の全てに賛成しているわけではないですが、これからも続けて応援していきたいと思います。

2024年7月7日

メイソン・ジェニングスを聴きに行ってきた🎵

2024年06月30日 | 音楽とわたし
「誰かだけ特別なんて信じないな。僕らは大きな仲間の部分部分なんだ」
Mason Jennings(メイソン・ジェニングス)のバイオグラフィーより

彼のコンサートを聴きに、友人夫婦と一緒に、うちから車で1時間半ほどかかるフィラデルフィア近郊の町まで行ってきた。
彼のことはずっと前に夫が教えてくれた。
なんとも不思議な歌い方をする人で、最初はその微妙なズレが気にかかって仕方がなかったのだけど、一旦慣れてしまうと今度は中毒性のある不思議な魅力に変化して、彼がカルト的な人気を開拓しているという意味がうっすらとわかる。
メイソンはホノルル生まれ。2歳のときにピッツバーグに移住して、16歳で高校をドロップ・アウトした。
彼の歌を聴いているとボブ・ディランが思い浮かんでくる。

例えばこんな感じ。
Duluth

会場はとても古い劇場で、なぜか今回は最前列の、いわゆる”かぶりつき”のテーブル席を夫は予約していた。






かぶりつきなだけに、その一帯は猛烈なファンたちが陣取っていて、夫はともかくわたしは特に、部外者であることをひしひしと感じながらコンサートを聴いていた。
その列の人たち(特に女性)は、メイソンの曲の歌詞を全て、一言一句間違いなく覚えていて、コンサートの始めから終わりまでずっと、彼と一緒に歌っていた。

舞台の上には一本のギター、そしてハーモニカ。

彼はギターとピアノを演奏しながら、自作の曲を次々に歌っていく。




彼の歌の和声はとてもユニークで、おいおいそこに行くか!とつっこみたくなることがよくあるのだけど、なぜか納得してしまう不思議な力がある。
客席が3分の1ぐらいしか埋まらなくて、なんか申し訳がない気持ちになったのだけど、彼もファンたちも楽しそうに声を掛け合っていて、なんともいい気分のコンサートだった。
それにしても、あれだけの数の曲の歌詞をきちっと覚えて歌えるってすごいなあ。
って、感心するとこそこ?😅

初夏の独りごち

2024年06月30日 | ひとりごと
わたしの髪の毛は直毛で太く、数が異常に多くて美容師さん泣かせだったが、ここ数年シャンプーをするたびに大量の毛が抜けるから、前よりはかなり減ってきたように思う。
さらに髪の毛そのものが痩せてきたからか、ちょっとでも湿気たり濡れたりすると、毛先がピンピンはねて収拾がつかない。
最近特に汗っかきになったので、いくら丁寧にカットしてもらっても、汗をかいた途端にあらゆる方向に跳ね上がる。
なんとかなだめようといろいろと試すのだけど、一旦はねると輪ゴムでぐるぐる巻きにしてもピンで止めてもまるで効果がない。
水の中に入っている間は気がつかないが、プール以外の場所でちょっとでも運動や作業をすると、いわゆる”滝汗”をかくようになった。
だからどんなにブローしようがセットしようが、汗をかいたらハイそれま〜で〜よ、である。
鏡を見るのが恐ろしいぐらいに髪の毛がぐちゃぐちゃになってしまう。
いっそのこと、夏の間だけ超がつく短髪にしてしまおうかと夫に言うと、う〜ん、美容師さんによく相談した方がええんとちゃう?という答えが返ってきた。
どうせまた、めっちゃダサい姿になる可能性が大きいと思っているんだろう。
わたし自身もその可能性は否定しない😅

脇毛はとうの昔から自然消滅し、眉毛も端から徐々に薄くなってきた。
左側だけだったほうれい線は今や右側にもくっきりと現れ、目の下のたるみは女版宍戸錠、いや、今だと女版真田広之か、とにかく半端なくタレ膨らんでいて目障りったらない。
口元は気をつけていないとへの字口になるので、気がついたらギュッと上に上げるのだけど、それも気づいた時だけだから時間にしたらしれている。
二の腕を隠せない水着姿で参加するアクアビクスのクラスでは、タプタプと盛大に揺れる両側の肉のカーテンを、人様の前に曝け出さなくてはならない。
ちなみにこの振袖二の腕は、加齢とか運動不足とかじゃなくて、高校時代からすでにこんな状態で、だから若い頃からどんなに猛暑であっても、ノースリーブの服は絶対に着ない。
半袖もだめで、肘まで隠れる袖丈でないと心が落ち着かない。

加齢に伴うもの、加齢とは無関係なもの、体質的なもの、遺伝で避けようがないもの、いろんな理由があるのだろうけど、やはりまあ、しょーもないと思いつつ、けれども気になる今日この頃(いや、今日この頃に始まったものではないが)のあれやこれやなのである。


一昨年去年と、2年連続でランタンフライの幼虫に襲撃された胡瓜を守ろうと、ネットの情報を集めては一つ一つ試したが、どれひとつうまくいかなかった。
そこでついに、網で囲うしかないという結論に達し、とりあえず言葉通り網で囲ってみたのだけど、雷雨と暴風で荒れた夜が明けて見に行くと、見るも無惨なことになってしまっていた。
こうなるともうこれしかないと、100ドル近くもする囲いを購入した。
最初からそうしていれば良かったのだが、自分たちだけのための超小規模な菜園の、それも胡瓜だけのために、そこまでお金を使っていいのかという気持ちが拭い切れず…ケチって損をするとはこういうことだ。

組み立ては単純作業だったのだけど、説明書がいい加減で、何度もやり直さなければならなかった。

あの毒々しい真っ赤な体に白と黒の斑点があるランタンフライの幼虫が、今年はただの1匹も食いついていない。やった!

毎日まだ生暖かい採れたれの胡瓜を、ゴマだれなどをつけていただいている。

茄子とししとう、それから枝豆も、どんどん大きくなってきた。

隣の葉っぱもの限定の菜園では、小松菜と水菜、それからアルゴラが、植え替えもしてもらえずにぎゅうぎゅうの雑居状態で育っている。

米国「2024年大統領選挙のためのテレビ討論会その1」事情

2024年06月29日 | 米国○○事情
昨日の夜9時から、大統領選挙に向けた第一回目のテレビ討論会が行われた。
場所はジョージア州アトランタ。
観る前からハラハラドキドキしていた。
バイデン氏は現職大統領としてうまく立ち回れるだろうか。ボロが出ないだろうか。
高齢であっても次期大統領として健康で、バリバリと職務を全うできるスタミナがあるのか。
そのことを有権者たちは最も重要視しているわけなのだから。

彼が会場に登場してきた時、ああだめだこりゃ、と思った。
歩く姿がヨボってるし、両手はだらんと垂れ下がったままだ。
まるで入院中の、病院の廊下を歩く患者みたいだ。

演説が始まった。
声がいつもより掠れている上に弱々しい。口ごもったり、長い時間俯いたり、口を開けたままぼんやりしていたり(していなかったのかもしれないけどそう見えた)、老いて覇気を失った爺さんという印象を与えてしまっている。

二人に向けられた質問はまず「経済」、そして「中絶」、「移民」、「ウクライナやガザでの戦争」と続き、2021年の1月に起こったトランプ氏の支持者たちによる「連邦議会の襲撃事件」、「トランプ氏の34件の有罪判決」、「環境」に至った。

トランプ氏は相変わらずの調子で、平然と虚偽発言や差別発言を繰り返していたが、今回は候補者のマイクの音源を主催者側がコントロールしていたので、発言の順番を守らなかったり時間超過をした際には、即座にプッツリ切られた。
なので双方ともに、発言時間や順番を守らざるを得なかったので、4年前のテレビ討論会のような不快さは感じずに済んだ。
バイデン氏は、社会保障制度を維持するために富裕層の負担を増やす、住宅建築を増やし価格を引き下げ家賃を制限する、中絶の権利は法的に守られるべき、などと発言し、夫もわたしも大いに納得した。
けれども冒頭で言ったように、弱々しい掠れ声の上に何度も口ごもったり、大事な数字を言い間違えたりする。
これでは発言の内容よりも見た目の印象が票に影響するのではないかと不安になった。

トランプ氏がしつこく繰り返したデタラメ発言の最たるものは、「民主党寄りの州では、妊娠9ヶ月が過ぎても、出生後でも妊娠中絶(殺人)を可能にしたいとしている」というもので、出生後の妊娠中絶ってなに?と思いつつ、よくもこんなウソを堂々と言い放てるもんだと、久しぶりに呆れた。
トランプ氏は、中絶薬の入手については阻止するつもりはないが、中絶の規制は州が決定すべきであると言った。
それに対しバイデン氏は、中絶を週の裁量に委ねるのは、市民権の保護を州に委ねることになると反論した。
トランプ氏は、バイデン氏の移民政策が、テロリストや麻薬中毒者、犯罪者を簡単に呼び寄せることになり、米国の暴力犯罪の要因であると言い切った。
「移民=テロリスト&犯罪者」の復活である。

トランプ氏は今、34件もの有罪判決を受け、中絶問題や連邦議会議事堂の襲撃事件についても大いに追及されるべき立場にある。
そして事実無根の暴言。
そういう彼に対してバイデン氏は、キレッキレの反論ができなかっただけでなく、声はかすれ、動きがしばしば止まり、両目がまるでマネキンのように光を失っていた。
これはまずい、非常にまずい。

トランプ氏は34件もの有罪判決を食らったことを逆手にとって、彼の支持者から支援金を受け取り、今やバイデン氏のそれを上回る額になった。
自身の落選は政治的暴力を受けたことになると言い切り、もし彼が前回のように落選したら、同じような行動(支援者たちによる荒っぽい反撃行為)を呼ぶ可能性もある。
もちろん移民に対する風当たりも強くなる。

誘導睡眠剤が必至の夜となってしまった。

夏の小確幸

2024年06月17日 | ひとりごと
気持ちがぐわんぐわんと上下左右に揺れた10日間だった。
ここに書き残しておきたい気持ちは山々だけど、公の場で話せるようなことではないので書けない。
あ〜でも書きたいなあ…😅

というような心持ちなので、全く関係のないことを今日はお話ししようと思う。
大阪の弟がお楽しみ箱を送ってくれた。
わたしが好きそうな番組を録画してくれたDVD、え?今時はスナックがこんなコンパクトな容量になったんか?!と一瞬ビックリしたおもろいティッシュ😆、

相方のFちゃんが買ってきてくれた高級佃煮、

わたしが厚かましくリクエストしたアオサ、これで朝ご飯のなんちゃって味噌汁を美味しくいただくことができる。😭

それからわたしの大好きなATSUKO MATANOさんの猫タオル。



裏庭をいい感じに整えたい気持ちはずうっと抱えているんだけど、1年のうちの90%は手付かずのままの野原状態😅。
階段を直してもらった時に、古い石段を廃物利用しようと思って、けれども長いままだと重くて大人二人でも持ち運べないので三等分しておいてもらったのだけど、それをどんなふうに配置しようかとずっと迷っていた。

とりあえず並べてみた。
この小さな(といっても一辺が40センチ以上はある)石が、これまためちゃくちゃ重いのである。
とてもじゃないが両手で持ち上げることなんてできない。
なのでまず横に立たせて、それを転がして?行ったのだけど、いやあ、実に大変だった。

次に庭のあちこちに埋まっている石やボードの破片も集めて並べてみた。
てんでバラバラ😅。

ゴールはまだまだ先…。

去年まで一つか二つの、それもとても小さな花しか咲かなかった紫陽花さんが、今年はこんなに咲いてくれた。

先代猫のショーティの最期を一緒に過ごしてくれた紫陽花さん。
彼女は亡くなる前日まで、この紫陽花の花に抱かれるようにしてじっと座っていた。


土作りをしっかりとした菜園で、茄子、胡瓜、枝豆、トマト、シシトウなどを育てている。
苗はいつもと同じく、鈴木農場から購入したものなのだけど、やはり育ち方が違う。いつもより力強い。
みんなすくすく育ってくれているのは嬉しいのだが、胡瓜の茎が太くなるにつれて、ランタンフライの襲来をどのようにして防ぐかを考えなければならない。
奴らはウリ系と柑橘系の野菜や木が大好きで、どんなに追い払ってもすぐに戻ってきて、茎が見えなくなるほどに隙間なくしがみついて養分を吸う。
一昨年はそのことに気づくのが遅過ぎて、胡瓜は全滅。
去年はそれこそいろんな手を使って戦った結果、そこそこの収穫は得られたのだけど、シーズンが終わる頃には疲れ果ててしまった。

なので今年は蚊帳で中に入れないようにしようと思い、手製の胡瓜専用蚊帳を作ってみた。



奴らがどこからも入り込めないように、網をホッチキスで止めたり杭を打ち込んだり、汗水垂らして数時間もかけて作ってみたけど、なんだかとっても頼りがない。
我ながら不満足な出来なのだけど、如何せん、体力も気力も尽き果ててしまった。
まあこれでしばらく様子を見ようと思ってたら、その日の夜にいきなり雷を伴う暴風雨に見舞われて、翌朝に見に行くと、案の定柱のあちこちが折れたり外れたりしていた😭。
結局、高額だから(100ドル近くする)と買うのを迷ってたブツを購入するしかないと諦めて注文をした。
はっきり言って、これは全く採算が合わない。
苗が成長して実が成り始めると、一日2本ずつ食べたとしても追いつかないので、ご近所さんに配って歩くことになる。
1本が1ドルとして、100ドル分の元をとるには100本もの胡瓜を食べなくてはならない。
夏の暑い盛りには、もぎたての胡瓜に鯛味噌などをつけてポリポリ食べるのも乙なものだが、毎日だと食べ飽きてくる。
もちろん漬物にしたり、炒め物に入れたり、他の使い道を考えるわけだが、それでもやはり100本はキツい。
菜園は採算度外視の、ジリジリと照りつける太陽の下、土をいじり、雑草を抜き、水をやり、野菜を育てる楽しみを味わうための空間なのだなあと思う。

というわけで、まだまだ収穫には程遠いので、鈴木農場の野菜をネットで注文した。
胡瓜をいっぱい入れてくれてたのでピクルスを作った。


かぶらと大根の葉っぱはふりかけに。


パティオでの初めての食事。

メインはこれ。


やらかしました😅

2024年06月06日 | ひとりごと
近所のYMCAの、火曜日の正午から始まるアクアビクスクラスに間に合うように、隣町の大きな通りを車で走っていたら、白いSUVの車が一旦停止を守らずに左折しようと飛び出してきた。
追突を避けようとしてクラクションを鳴らしたり、ブレーキをかけたり、ああもうこれは間に合わないと思って逆に逃げるためにアクセルを踏み込んだりしたけど、結局当てられてしまった。
当たりはそれほど強く無かったので、車が少し右側にぶれたけれども、身体的な傷は無い。
けれども気が動転しているからか、体が小刻みに震えるのを止めることができなかった。
相手はすぐにわたしの方にやって来て、ごめんなさい、本当にごめんなさい、あなた大丈夫?どこも怪我していませんか?と尋ねてきた。
とりあえず車を側道に停め直し、お互いに外に出て、ぶつけたところを確認し合った。
彼女の車は頑強で、バンパーの角に固い金属の補強があったので、そこにかすり傷がついた程度だった。
わたしの方は夫の父からのお下がりで、しかもその車は父に認知の症状が出始めた頃に運転していたので、車体のあちこちにぶつけた跡があって、だから彼女がつけた傷や凹みがどれなのかが判断しにくくて、お互いに苦笑いした。
わたしはそこで彼女の車の傷とわたしの車の傷を写真に撮っておくべきだったのだが、頭の中がフワフワしていて、そういうことに気が回らなかった。
さらに、こういう時は警察にまず連絡をし、それから保険会社に事故の報告をするべきなのだが、相手の女性はどうしても彼女の娘を迎えに行かなければならないので、自分の情報(住所、氏名、電話番号と彼女の免許証と保険証)を教えるから、あとはあなたの好きなようにしてくれ、と言って去ってしまった。
わたしは彼女がスーパーのレシートに走り書きした彼女の名前と電話番号、そして免許証と保険証の写真を撮った携帯電話を手に、しばらくぼうっと立っていた。
車に戻り夫に連絡すると、家に戻っているところだからあと5分ぐらいでそこに行ける。だからそこで待っているようにと言われたのだが、現場は家から車で2分もかからないところだし、もうYMCAに行く気力も無くなったし、とりあえず家に戻ることにした。
家のドライブウェイに車を停めたのだけど、家の前の道路が長年の(少なくとも15年以上)住民の陳情を遂にとりあげてくれて、大体的に整備し直している最中だったので、この通りに住む人たちの車は、一筋向こうの通りに止めなければならなかったことを思い出し、駐車しに行ったのだった…。
当てられた事故から20分ぐらい経った時のことだ。
わたしはバックで空いているスポットに車を停めようとしていた。
数秒後に、ものすごく大きな破壊音がして、わたしの車がガタンと揺れて止まった。
何が何だかわからなかったけど、何かにぶつかったのは確かだった。
バックミラーを見ると、グレーのセダンが見えた。
え?ぶつけた?わたしが?誰かの車に?
呆然として車から降りて後ろに回ると、無惨に割れたテールランプの赤いプラスティックの破片が道に散らばっているのが見えた。
相手の車は後ろのバンパーが少し車体から外れている。
わたしの車はバンパーがグシャリとへこみ、たった15分前に当てられたところがどこなのかもわからないほどに破損している。
そう、全く同じところを当ててしまったわけで、わたしはそのことにショックを受け、しばらくちゃんと息を吸うこともできなかった。

散らばった破片を片付けることもせず、その場に居た堪れなくなってまた家のドライブウェイに戻ってしまった。
そこに夫が戻ってきて、その顔を見た途端、あまりの情けなさに涙が込み上げてきた。
夫は最初訳が分からなくて、泣きじゃくるわたしの肩を抱いてくれていた。
わたしは普段、そんじょそこらのことで泣いたりしない。
だから今度は夫の方が狼狽始めた。
ことの次第を話すと、とにかく警察に連絡しようと言って電話をかけてくれた。
やって来た警官に事故の説明を始めたのだけど、はっきり言ってこんな奇妙な連続事故は理解し難い様子だった。
最初の事故は近所とはいえ別の町なので、彼がリポートできるのはわたしがぶつけた事故の方だけだ。
最初の事故の相手の保険会社に、一体どう説明したらいいのだろうか。
あのですね、今日の正午近くに、◯◯さんに車をぶつけられて、ご本人は全て自分が悪かったのでちゃんと直してもらってくださいとおっしゃっていたのですが、その15分後に、今度はわたしがご近所さんの停めてあった車にぶつけまして、◯◯さんがつけた傷がどこなのかわからなくなってしまったんですよね、えへへ…。

自分の保険会社と相手の保険会社に、夫の助けを借りて電話をした。
わたしがぶつけた車の持ち主(この通りに最近引っ越してきたばかりのゲイカップル)に、お詫びを言いに行った。
とんだ"welcome to our neighborhood!"である。
彼らはとても穏やかに、もちろん苦笑いをしながら、仕方がないことだと言ってくれたけど、やっぱり車の破損や修理は面倒なことだから、胸の内は複雑だろうと思う。
車の持ち主ではない方の彼は音楽家で、教会でオルガンを演奏していると聞いていたのだけど、別れ際に、あ、ちょっと待って、まうみに渡したいものがあると言うので待ってくると、楽譜を手渡された。
君んちにはピアノが2台あるでしょ。これ、バッハの曲なんだけど、一緒に弾きたいと思って。あ、僕はセコンドパートね、ファーストを弾けるような技術は無いから。
曲は「Sheep may safely graze」。とても心休まる、美しいテーマだ。
もしかしたら彼は、今のわたしの心をなだめるためにこの曲を選んでくれたのかもしれない。
ありがたいなあ。

事故ってほんと、一瞬のことで起こる。
自分の不注意が原因の時もあるし、どんなに用心してもたまたまその場に居合わせただけの時もある。
わたしも中二階から地下の入り口に真っ逆さまに落下したり、車に轢き逃げされたり、急な階段を頭から落ちたり、何度か死にかけた。
事故の後、あの時〇〇していたらとか、〇〇していなかったらとか、考えても全く仕方がない、何の役にも立たないことをあれこれと考えた。
今回の最初の事故はともかく、2回目の事故については、〇〇していたら、〇〇していなかったら、という思いがドドっと押し寄せてきて溺れてしまいそうになった。
まずは夫の言うことを聞いて、事故現場に留まっていたらよかった。
次に、家に戻ってドライブウェイに停めておけばよかった。
通りに駐車するときに、いつも欠かさずやっているように、後ろの確認をするべきだった。
それにしても恨めしいのは、家の通りのノロノロ工事だ。
これがちゃっちゃと済まされていたら、そもそもわたしは…いやいや、もうやめよう。
気が動転している時には思いもよらないことが起こりがちなのだ。
それを肝に銘じておこう。

ようやく始まった家の前の通りの舗装のやり直し工事。

普段お目にかかれない車がどんどんやってくる。





味噌と納豆の食べ方について

2024年05月22日 | ひとりごと
もう知ってる人は知ってる(当たり前)だろう、味噌や納豆は、あっつ熱の出し汁やご飯と一緒にしちゃうと、肝心の良い菌が弱ったり死んでしまったりするっていう話。
巷で言われているのは摂氏60度から70度ぐらいまでならなんとか生きててくれるらしいのだが、そんなことをこれまで誰からも聞いてなかったし、味噌や納豆の会社もそういう注意書きとかを付けていなかった。
今はどうなのか知らないけど。


味噌も納豆も栄養価が高く、だからスーパーフードなどといわれている。
だけど、その栄養価が低くなったり、下手をするとゼロになったりする場合があるのなら、一応の説明をするべきなんじゃないのかな。

例えば、味噌の乳酸菌は50℃以上、酵母は70℃ほどで死滅してしまうので、味噌汁を作るときはまず具材をしっかりと煮てから火を止め、それから10分ほど置き、汁の温度を50℃ぐらいまで下げてから味噌を溶かしましょう、とか。
まあ、乳酸菌や酵母が消えてなくなっても、その他の栄養(たんぱく質、食物繊維、レシチン、ビタミンE、ビタミンB2、イソフラボン、大豆サポニン、鉄、リノール酸)は熱に耐え忍んでくれる(?)のかもしれないけど…。

納豆だってそう。
生ぬるいご飯の上に乗っけるか、別々に食べるかしないと、ナットウキナーゼが死んじゃう。
他の栄養素であるたんぱく質、カリウム、カルシウム、納豆菌、食物繊維、イソフラボンはどうなんだろう?大丈夫なんだろうか?


前にも書いたかもしれないけれど、わたしは1日に2回、中サイズのマグカップにお湯を注ぎ、それを手で持っても10秒ほど平気な温度になるまで待ち、そこに手前味噌を投入して溶き、ネギとアオサ海苔を加えて飲んでいる。
お湯を入れたカップに手のひらを当てて10秒は大丈夫っていうのが60℃なんだそうで、一度ほんとかどうか温度計で測ってみたらほぼ当たってたので、それからはずっとそうやって確認している。
50代までは猫舌だったわたしが好んで飲んでいた温度だ。
なぜか60代に突入した頃から、あっつ熱のお茶やお湯を飲むのが好きになってしまっていたので、今の60℃の飲みものはなんだか物足りないのだけど仕方がない。


納豆も味噌も、日本食の要なんだから、そういう知識や情報をちゃんと伝えるのは大事なことなんじゃないのかな。
でも、栄養のことにがんじがらめになって、食べる楽しみを失ってしまうっていうのもどうかと思う。
だからたまにはぐつぐつ煮たりする。
でも食べる時に、消えて無くなってしまった栄養素さんたちを、ついつい偲んじゃうんだけどね😅

久しぶりのひとりごちでした。

紫と緑の祭宴

2024年05月15日 | ひとりごと
先日、シアトル在住の次男くんが、びっくりするような写真を送ってきた。
なんと、この見事なオーロラは、自宅のバルコニーからの実写である。




いやはや、こんな見事な景色を部屋に居ながらにして観られるとは、なんたる幸運であろうか。
などと一人で盛り上がっていたら、ここでも今夜か明日の夜に観られるはずやでと、夫がさらりと言うではないか!
うっひゃ〜!
だがしかし…どちらの夜も思いっきり曇ってしまって、オーロラのオの字も観られなかったのであった😭

壮大な自然の風景の続きとしてはちょいと地味なのであるが、4年目にしてやっと花を咲かせてくれたあやめさんを紹介させてもらおう。
このあやめさんは、友人のA美ちゃんから分けてもらったもので、毎年春になるとニョキニョキと葉が生えてきて大きくなるのだけど、一度も花を咲かせてくれなかった。
それが今年はいきなりの満開!嬉しいったらもう。

つぼみからして妖艶そのもの。

よくよく見ると、黄色い花もあるようだ。

その横で素朴に咲いている雑草の花。

そして、あやめさんたちからちょっと離れたところにぼんやり立ち止まっているのはうさぎさんである。


なぜか近寄って行っても逃げようとしない。

紫といえば、うちにはジャイアン藤がいらっしゃる。


伸びた根っこが庭中に蔓延っていて、気をつけていないと引っかかって転けそうになるので、いつかはちゃんと手入れをして規模を小さくしないといけないと思っているのだが、やらなければならないことが多過ぎて、それがいつになるのかはわからない。
家を持ったら最後、エンドレスだよ〜といろんな人たちから言われたのだけど、全くその通りだと思う今日この頃である😅